@grgr_0815

第1話

少女には名前が無かった。


少女はある儀式のためだけに村に生かされていた。


だから名前などというものは必要なかったのだ。


何十年かに一度の蒼月は村に災いをもたらす。


災いを避ける為には神に供物を捧げなければならない。


お前はその供物となるのだ。


物心がついた時から少女は村長からこのことを言い聞かされていた。


そして今、少女の目の前には大きな月が蒼白く輝いていた。


「これを持っていきなさい」


誰もが寝静まった闇のなかに少女と村長だけが立っていた。


少女へ差し出した老婆の手には一丁の拳銃が握られていた。


「神殿に着いてからやることはわかっているね?」


しわがれた声に少女は何も言わず頷いた。


そして、銀色の拳銃が老婆の手から雪のように白い少女の手へと渡った。


銃弾は四発込められている。


少女はその重みを確かめるように軽く握り、身を翻して闇が広がる森へと歩を進めた。


しばらく歩くと一匹の白蛇が道を塞いだ。


「やぁお嬢さん。こりゃあまた真っ白で綺麗なお洋服だね。こんなところに何の用だい?」


しゅるしゅると長い舌を出し入れしながら蛇は問いかけた。


「神様に会いに行くの」


蛇は鎌首をもたげて少し黙った後、また問いかけた。


「君は何の為に生きているんだい?」


少女は黙ってしまった。


少女は今日この日の為だけに"生かされてきた"。


自分が生きる目的など今までに一度も考えたことが無かったからだ。


少女の瞳には体をくねらせて答えを待つ蛇が写っている。


その蛇に影が落ちた瞬間、少女は引き金を引いた。


「わからない」


トサッと軽い音をたてて蛇は倒れた。


その身が地面を這うことはもうない。


弾はあと三発。


少女はまた歩き始めた。


果てしなく続く闇の中には少女の草を踏む音だけが響いていた。


災厄の月でさえ自らの光で森の闇を切ることは出来なかったのだ。


次に少女が出会ったのは白い狐だった。


狐は大きな尻尾を纏わせて問いかけた。


「お嬢さん、綺麗な銀髪をたなびかせたお嬢さん。こんな深い森に何か用?」


「私を神様に捧げに行くの」


少女の瞳は真っ直ぐに狐を見つめていた。


そして狐もまた、真っ直ぐに少女を見つめて問いかけた。


「あなたはどう生きたいの?」


少女は黙った。


今日自らを捧げ、その生涯を閉じようとしていると者が今後のことなど考えるはずもなかった。


狐の瞳には尚も少女が写っている。


美しく吸い込まれそうな瞳が閉じたその瞬間、少女は引き金を引いた。


「わからない」


トサッと軽い音をたてて狐は倒れた。


美しかった瞳に光が宿ることはもうない。


弾はあと二発。


少女はまた歩き始めた。


村を出てどのくらい経ったのだろうか。


周りは変わらず漆黒に覆われている。


少女が顔をあげると木々の僅かな隙間から光る何かが見えた。


目を凝らし、一歩を踏み出そうとすると声が聞こえた。


「お嬢さん、そう貴女だよ。深海のように深い青色の瞳をしている貴女だ。何をしに此処へ?」


そこには白い梟が一羽、木にとまっていた。


梟は綺麗な翼を目一杯に広げて少女に問いかけた。


少女は少し間を置いて、はっきりと答えた。


「私を無くしに」


梟は少女の上を二周ほど旋回すると、少女の目の前に降り立ち広げていた翼を畳んだ。


「蛇に狐。惜しい二匹を亡くした」


少女は言葉を発しなかった。


弁明をするでもなく、ただ梟を見ていた。


梟はそんな少女を見て、首を回しながら問いかけた。


「反省もなく、罪悪感すら生まれない。貴女の過去も貴女の未来も自ら失う。貴女は一体なんだ?」


「私…私は…」


少女は左手で顔を覆い、右手で引き金を引いた。


「わからない」


梟は倒れなかった。


鍵爪をしっかりと地面に食い込ませ立っていた。


弾はあと一発。


少女はまた歩き始めた。


神殿まではすぐだった。


暗い森で一際輝くその光は月と同じだった。


少女は早速中へ入り祭壇を見つけた。


祭壇へ横たわると持っていた銃を心臓の位置に当てる。


引き金を引こうと撃鉄に手を掛けた時、一つのことが気になった。


自分を連れていく神様というのはどんなものなのだろうか。


少女に初めて生まれた疑問であり、好奇心であった。


少女は一端銃を下ろし、祭壇でそのまま目を瞑った。


しかし、何者かが現れる気配はない。


ふと自分を見てみると白い服に赤い点が散っていた。


祭壇を下りて払うも落ちない。


少女は一つ溜め息をついて神殿内を見渡した。


美しい彫刻が壁に施され、その真ん中に祭壇が一つ置いてある。


奥には神々しくも少し不気味さを感じさせる神を模した像があった。


少女は偽物の神の足元に神殿と同じ素材で作られた大きな箱を見つけた。


棺桶とも見えるその箱は蓋が乗せられているだけで固定されていなかった。


「この中に神様が?」


重い蓋をゆっくりとずらすとそこには小さな花が一輪供えられていた。


少女は持っていた拳銃と入れ換えて花を手に取った。


少女は群青色の瞳でしばらく花を眺めた後、雪のように白い手で蓋を元通りに閉め、銀色の髪を靡かせて走っていった。


その後村ではかつてないほどの平和が続き、少女の行方を誰一人として知ることはなかった。

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