ヘパイス編

第19話 ザラつく声

「ああ……?」

 私は目を覚ました。目元に水滴が流れるのを感じる。何故か沁みはしなかったが、これがきっかけで起こされたことは間違いないようだ。

「ここは……?」

 首を動かし真上を見上げる。私がいる場所は広大な空間だった。水滴は上から滴ってきたようだが、天井付近は薄暗く僅かに日光のようなものが隙間から差し込み、それが周囲をかすかに照らしていた。横を見る。あたりにはガレキが散乱している。私はその内の一つにもたれかかるようにして眠っていたようだ。


 一体自分は何故こんなところにいるのか、そう考え自らの記憶を探ってみる。だが思出せない。いや、何故ここにいるかだけではない。名前、出身、生い立ち……自分が何者なのかということを、何一つ思い出すことができない。

「記憶喪失、というやつなのか? 」

 狼狽えるようにそう言った。渇いているのか、声はひどくざらついている。私は頭を振り、必死に覚えていることを模索する。すると頭の中にいくつかのワードが浮かんだ。王国、人、魔族……そうだ、私はある王国にいた。そこには人がおり、その王国の隣には人と争う魔族という存在がいる。その後も単純な物や場所の名前が頭に浮かぶ。どうやら、自分自身の事以外の記憶はある程度残っていたようだ。だが、今自分がいる場所にはやはり見覚えが無い。


 ともかく私は状況を確認すべく体を起こし、動き出そうとした。

「むっ?」

 起き上がろうと腕に力を込めた時に気が付いた。自身の手から腕の部分にかけて、なにやら篭手のようなものを身に着けていることに。そしてそれは腕だけではなかった。よくよく見ればつま先から肩にかけて、私は全身を鎧のような装備に身を包んでいた。鎧は汚れや傷が目立つものの、元はかなり上等な品のように見えた。

「兵士……いや、騎士かこの恰好は?」

 誰に問いかけるでもなくそう呟く。当然答えは帰ってこない。声だけが辺りにむなしく反響する。考えていても仕方ない。私は今度こそ立ち上がり、周囲を捜索する事にした。


 しばらく歩いていくと、石でできた柱、人の手が入った壁などが目に入り、ここが自然の洞窟などではなく人工の建造物の内部だと言う事がわかった。だがその様相は廃墟と言うほか無い。建てられてから相当な時間が経っているのか柱や壁は所々朽ち果て、辺りにはガレキに混じってよくわからないガラクタのような物が散乱している。それが元々あったものなのか、誰かがゴミとしてここに捨てていったものなのか、それすらも分からない。


「あれは……」

 ふと気づき立ち止まる。私の視線に何か光る物が映った。それは上から降り注ぐ僅かな光を反射し、キラキラと輝いていた。近づいてよく見てみる。ガラクタの山の中にあったそれは小さな手鏡だった。何の変哲もない鏡だったが、それを見て私は自身の顔をよく確認していないことに思い至った。


「顔を見れば、何か思い出せるかもしれん」

 ゴチャゴチャしたゴミの山を掻き分け手鏡を引っ張り出す。手鏡の取っ手と枠部分は、木でも金属でもない変わった材質の物でできていたが、この際そんなことはどうでもいい。私は期待と不安混じらせながら、角度を合わせ手鏡を見た。


「なっ」

 その瞬間言葉を失う。手のひらから鏡が滑り落ち、地面に当たり鏡面部分が音を立てて割れた。

「なんだ、なんだ今のは……!」

 一歩、二歩後ずさり、そのまま尻餅をつきへたり込む。私はわなわなと震える手で顔に触れる。手のひらに固い感触が伝わる。だが兜など着けていない。たった今確認した。だがこの感触は。

 這いつくばるよう体を動かす。そして割れた鏡の破片を拾い上げ、もう一度顔を見ようとする。先ほど見た物が間違いであってほしいと、淡い願いを込めて。


 だが、現実は変わらなかった。

「ああ……」

 私は嗚咽にも似た声を漏らす。汗が出るなら顔中を濡らしていただろうし、涙が出るなら泣いていたかもしれない。だがその両方が恐らくは不可能だっただろう。

 そこに映っていた顔は人ではない物だった。いや、生き物ですらない。目の部分は黄色く発光し、様々な部品と金属が骨のように張り巡らされ、それらが髑髏の如き不気味な頭部を形成している、それが私の顔……顔があるべき場所にある何かだった。


 手をガタガタと震わせ、おもわず鏡の破片を握りつぶす。軽く力を込めただけで鏡片は粉々砕けた。破片が篭手の隙間から中に入りこむが、痛みは無かった。私ははっとして篭手の一部を力任せに引きはがす。腕に癒着するようにくっついていた鎧の下から現れたのは、金属と細いチューブで形成された肉体だった。そして、恐らくは全身が……。


「私……私は!」

 縋るように、祈るように、私は天を見上げた。答えてくれる者がいるはずもない。聞いてくれる者すらここにはいない。それでも、叫ばずにはいられなかった。

「私は、誰だ!?」

 雑音交じりの声が辺りに響いた。

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