解決:side different
第36話 『創世ぶっちゃけ話』―②
「紅本さん自身にも制御できない力が、現世の時間を巻き戻し続けている。なら、その上からもっと強い力を加えれば済むんじゃないですか?」
「……厳しいよ」
「欠片なんかじゃない、本家の力で。時間を無理やり戻すなり進めるなりすれば、少なくとも、現世のフリーズに関しては片が付く……」
「簡単に言ってくれるけどね――」
まっさらで、何の抵抗もない世界の時間を操作するのとは違う。
今、現世の時間をいじろうとすると、紅本の力と真っ向から対立する。
反発を食らうことになる。
「欠片といってもあたしの力だ。神の力と神の力がぶつかる」
「押し切れないんですか」
「――不都合がある。いろいろと」
ついとそっぽを向いて、他人事のように語ったその横顔に――無性に、憤りを覚えた。その感情をなんとか鎮めて、泣き崩れている紅本を見やる。
外部からは干渉できないとなったら、もう、彼女自身がどうにかするしかない。
でも、これは「フリーズどうにかしてください」「わかりました」程度の口約束ではどうすることもできない事態だ。
僕が、神が、どれだけ「あなたは悪くない」と繰り返したところで、
紅本自身がその言葉を信じることができないのであれば、
いつまでたっても、彼女は自分を「生きていていい人間」とは思えない。
彼女の中にある罪悪感をどうにかしない限り、無自覚の時間遡行は止められない。
そして、こうしている間にも、異世界は着々と滅びつつある。
全部で六つの国があるうちの、六つ目にすでに手がかかっている。
「わかりました。じゃあ魔王を潰しましょう」
「……潰すって。すごい言葉使うね」
「天罰でもなんでもいいですよ。雷でもなんでも落としてやって、神の力であいつを止めましょう。もう異世界は限界です。手段なんか選んでられない」
「雷ごときで止まるかね、あいつが」
皮肉げに笑う白衣の神が、とても憎たらしく見えた。
こんなときだというのに、今のエビルからは真剣味がまるで感じられない。
握った拳にこもる力を深呼吸とともになんとか抜いて、僕は改めて懇願する。
「異世界の戦力じゃどうにもならないって、自分で言ってたじゃないですか。お願いします。もう神頼みしかない」
「金魚のたとえ話、したじゃん。前に」
「は?」
斜め上からのたとえ話に、頭を切り替えるまで少しかかった。
「金魚鉢の中に、金魚を食う変な魚が入ってた。そのことに気づいたとして……飼い主にできるのは、手づかみで、その魚を捕まえることだけ。飼い主は、鉢の中に入れない」
「手で掴めないサイズなら、もうゲームオーバー。どうしようもない。イラついて鉢をひっくり返したら、金魚まで一緒に流れて、終わり。おしまい」
言葉の選び方ひとつひとつが鼻についてしょうがなかった。
この期に及んで、金魚扱いか。
なんなんだよ、
それでも、絶えず耳に飛び込んでくる紅本のすすり泣きを聞いていると、
僕とエビルが言い合いなんかしている場合じゃないと思えて、
僕は、ふっと身体の力を抜いて、エビルから視線を逸らした。
逸らした視線の先では、リンカネくんとミスフォーちゃんが並んで座っていた。
液晶テレビにキャタピラと腕を付けただけのチープな造形――
それで、我慢できなくなった。
「あれはできない、これもできない、それもできない、したくない」
いつだか、エビルはぼやいていた。
下界の様子見るのってそんなに楽しい仕事じゃないんだよお、と
「おもちゃみたいなロボットはべらせて、やること全部そいつらに丸投げして。隕石、落ちそうなのも、気づかない。自分はろくに様子も見ないで、それでなんかトラブルが起きたら、できない、できない、それは無理だって……」
楽しくないから、やりたくない。楽しくないから、世界を見ない。
世界が今どうなっているのかを、ちゃんと見ないで、ロボットに委託する。
そこから全部始まっている。
そこから始まった世界の破滅が、今まさに、完了しようとしている――
「――あなたは、なんなんですか?」
黙ってなんか、いられなかった。
「あなたは、神様なんでしょう。この世界を創った、神様なんでしょう。それが、……それが、なんで、」
「……なんで、そんなザマなんですか!」
叫ぶまいと意識していたのに、声は荒くなってしまって、
エビルはまるで気にしていないような調子で答えた。
「なんでって、あんた自分で言ってたよ。……いやごめん違う、一個前のあんただ」
「……何の話です」
「神様はいると思うかって聞かれて、いたらこんなことになってない、って」
やっぱり、他人事のような調子で――
「神がいるなら、こんなろくでもない世界にはなってないはずだって。……言ったのは四周目のあんただけど、あの一日でたどり着いた結論じゃないはずだよ」
エビルは、ぼんやり窓の外を見ていた。
ごめんと一言だけ謝って、その後に「でも」と付け加えて、僕のほうを見ず。
「……あたし、そんなに冷たく見えたかな」
ぼそぼそとした声音で、そんなことを言った。
「現世の人間も、異世界の人間も。見捨ててなんとも思わないような。助けに行きたいなんて全く考えないような……そんな神様に、見えたかな?」
金魚鉢のたとえは本当なんだと、ぽつり、ぽつりとこぼしていくエビル。
現世にしろ異世界にしろ、創造神が直接下界に降りることはできない。それは人間が金魚鉢に入ろうとするような行為であって、足を踏み入れた瞬間世界は粉々になって砕け散る。水槽の中で渦巻く紅本の力に無理やり逆らって、強引に時間を動かそうとすれば――やはり、砕けるのは
では何ができるのかと言えば、水槽の外から手なり網なりを突っ込むことくらい。
今まではそれで問題なかった。その程度の作業でも世界は作れた。
でも、泥藤はその程度じゃ死なない。
たまには神様らしいこと言おうかと、エビルは腕を組んでふんぞり返った。
「人間、蓮川創に問う。『全能の神は、"神にも持ち上げられない石"を作れるか?』……『そもそもあたし全能じゃない』が、この問題の答えになります」
僕がなにか考える暇もなく、エビルは自分で答えを言った。
――あんたは、それをわかってるだろう?
そんな寂しい言葉と視線を、僕のほうによこして、言った。
「別にさ。有史以来人間は人間同士争ってばかりで、昔から今に至るまで、戦争で大勢の人が死んだ……とか。そんなでっかい話、しなくてもさ」
「社会の歪みをもろに食らって、理不尽に痛めつけられて。二十歳そこらで人生に絶望して、それで自殺する若者がいっぱいいる……とか。あたしが、いまさら言わなくたって、あんたは……わかってるだろう?」
紅本のすすり泣く声に、ささやくような、かすかな声が混じった。
自分で創っておいてなんだけど、嫌なんだよ。
もう、見たくないんだよ、あたしは。
「『まだ死にたくない』とか、『もう少し生きたかった』とか……そういうことを言われるのは、まだいいんだ。『まだ生きていたい』ってことは、世界そのものに絶望したわけでは、ないってことだから」
何が一番つらいかって――そう前置いて、それから次の台詞を紡ぎ出すまでに、エビルはしばらく声を詰まらせた。
「当たり前だけどさ、世界から『創ってくれ』って頼まれたことはないんだよ。『生んでくれ』って親に頼んで生まれてくる命なんてないんだよ」
どこをも見ていない彼女の目、どこにも向けていない彼女の声。
ただただ虚ろなだけの空気が、会議室を満たしていく。
「……『生まれてこなきゃよかった』って。そう言われるのが、一番、きつい」
エビルは大きくため息を吐いた。
「あたしは、金魚を飼ってただけだ。ひとりでいるのが寂しくなって、何か飼おうと思っただけ。水槽を作って、エサだけやって、たまに水を替えるくらいで。金魚の病気の治し方なんか知らない。あたしには治せなかった」
金魚よりも人間のほうがたくさんのことをできるのは間違いない。
けれど、それでも、人間にだってできることとできないことはある。
荒れ果てた水槽の中で病に傷つき死んでいく金魚たちを、
水槽を用意した飼い主は、水質改善の術を知らない飼い主は、
身を裂かれんばかりの思いで見ていたのだろう。
そんな世界に放り込んでしまった自分を許してくれと泣きながら。
「悪かったよ、……蓮川」
初めて呼ばれた僕の名前は、憐れみと後悔の念にまみれていた。
「まだ高校生だったんだ、あんたは。人生、ろくに始まってすらいない……まだまだ、いろんな可能性がある歳だったんだ。若かったんだ。それが……」
「その歳で、生きるのが嫌になるような。そんな世界を、あたしは創った」
悪かった。――悪かった。
間をおいて二回繰り返した後、テーブルの縁に腰かけて、うつむいた。
もう誰も何も物音を立てない。
魂が抜けたようになったエビル。声も枯れ、肩を震わせるだけの紅本。
並び立つ二機のロボットは、当然ながら何も言わない――
この神にはネーミングセンスがない。いつもシンプル、ド直球だ。
直球の名前しか付けない神は、
自らの名を
僕のことを
いまさらのように思い出した。
原初の六魔法、プライマル・コード。『原初の六魔法』という設定自体はたしかに作ったが、そんなカッコイイ名前をつけた覚えはない。異世界に暮らす人間が勝手につけた勝手な名称だと、エビルはそんなふうに語った。
でも、『原初の六魔法』自体はたしかに設定として存在するし、
『魔王がその六つの魔法を操った』というところまで、設定のうちだった。
異世界六大国建国の経緯を語る、大切な伝説。神が自ら作った伝説。
その伝説に、『神の力=魔王の力』なんて設定をわざわざ組み込むのは――
不名誉なことだと思わなかったのか、と。
気になっていながら聞く機会がなかったことを、いまさら、思い出した。
二機のロボットを呆然と見つめている僕の視線を追って、エビルは力のない笑みを浮かべた。
「……おもちゃみたいって言ったけどさ。あたしにはこのくらいが似合いなんだよ」
昔は、いわゆる天使のような――「神の世界」と言われて想像する、僕らが思い描くイメージそのもののビジュアルを有した――付き人を。エビルは、ちゃんと侍らせていたらしい。とても昔の話だそうだが。
人に似せて作ったその天使が、ある日とても怖くなった。
理不尽な苦しみを背負わされ、理不尽な死を遂げてゆく人々を見て、
まだ下界の様子をきちんと見ていたころのエビルは、怖くなった。
背中から生える翼以外は人の姿をした天使。彼らをそばに置いておくのがとても罪深いことのように思えて、すべて解体したらしい。
その後釜が、彼らロボット。
スペック的には変わらないから、大丈夫……
「……だと、思ってたんだけどね」
エビルが自嘲めいた笑い声を漏らした瞬間、僕はその場に崩れ落ちた。膝に力が入らなくなって、柔らかい絨毯の上に倒れこむ。
――いい加減、異世界の肉体が目覚めそうになっている!
猛烈に襲い来る眠気に必死で抗って顔を上げると、
エビルは、からっぽな笑みを僕に向けていた。
くたびれた理系の女子大生のようだ、と今まで繰り返し言ってきた。
「……行ってきなよ。あたしはあたしで、なんとかする方法、考えるから……」
なにもかも剥がれ落ちた今の彼女は、疲れきった母親のような顔をしていた。
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