美女が野獣 -The First semester-
健人
Prologue〜April その1
1-1 異変
「——ありがとうございました」
電車の到着と共に押し寄せた集団の、最後の一人のレジを終え、修一は小さく息をついた。
最後の客は、セーラー服姿の女子校生。手ぶらだったのを見ると、近所なのだろうか。初めて見た気がするが。それにしてもこんな時間にシュークリームばかり4つも買い込んで、全部一人で食べるのだろうか。
——夜のコンビニでバイトなぞしていると、ついつい、客の観察と妄想が暴走してしまう。
時計を見ると、21時55分。
「じゃあ店長、俺上がりますね」
おう、という呻き声のような返事を聞き流しつつ、店の奥へ移動する。着替えていると、返事の主が顔を出した。
「そういえばお前今日ってか、明日が誕生日だっけ?」
「ああ……そういえばそうだったかも、ですね」
「何だよ、ソレ。20歳までの誕生日は、素直に喜んでおくもんだ」
店長は苦笑しつつホレ、と膨らんだビニール袋を差し出した。中には売れ残りのシュークリームが5,6個。
「ホールケーキってワケにはいかないけどな」
「ありがとうございます——」
「ちゃんと給料から引いておくから、安心しろ」
高校に入学してから3年間、ほぼ毎日のように顔を合わせていれば、冗談とそれ以外の違いは分かる。
「18だっけ? 早速明日からとは言わんけど、時間どうするよ」
18歳になれば、深夜にも働く事ができる。さすがに夜勤は無理だが、1,2時間でも手当の付く時間に働く事ができるようになるのは、有り難い話しだった。
「まぁ、今すぐ決めろとは言わんよ。学生は、学校が第一だからな。ここで働いて、学校で居眠りこかれて大学にも落ちました——とか言われても困るしな」
ハハハ、と口元で愛想笑いをしてそれじゃお疲れでした、と裏口から外に出た。
3月最後の日。桜の蕾はまだ固く、ストールを巻き直して歩き出す。
「その歳で1人暮らし? 河合荘ねぇ……なんて、可哀想なんだ!」
面接の時にそんな失礼な言葉を放ちつつ、ヨヨと泣き崩れるフリをする店長を目の前にして「何となく面白そうだったから」という適当な理由で決めたバイトだったが、その後2年間無事に続いている。
錆びた階段をのぼり、リュックのボケットから鍵を取りだ——そうとして、その手が止まった。
鍵がない?
何カ所かポケットを探ったり叩いたりしてみたが、結果は同じだった。
とりあえず落ち着け、と深呼吸をする。家の鍵は、バイト先のロッカーの鍵と一緒になっている。仕事が終わり、ロッカーを開けて着替えていると店長が——。
ハッキリと憶えているのは、そこまで。つまり、ロッカーに刺さったままになっている可能性が一番高い。
「マジか……」
時計を見ると、23時近く。これからバイト先迄往復すると——戻って来られるのは、何時だ? というか、電車あるのか? 検索しようとスマホを取り出したが、まずは確認だと思いついてバイト先に電話をかける。
「鍵ぃ? ちょっと待てよぉ——ああ、なんか刺さってるね。取りに来るって? じゃあとりあえず、このままにしとくよ。俺がどっかにやっちゃうといけんからね」
店長のノンビリした声を聞くと、安心すると同時に自己嫌悪がどっとやってきて、改めてため息をついた。これから夜勤のバイトが来るまでは、店長一人。届けて貰うという事はできない。
電車の時間を検索しようかと思ったが、面倒になって自転車に飛び乗った。片道、確か40分位。電車より早いのか遅いのか。少なくとも、終電の心配をする必要は無い。大通りに出た方が道は広いが、この時間ならば線路に沿った生活道路を行った方が人も少なくスムーズだろう。距離的には、そちらの方が早い筈だ。最寄り駅まで出て、線路の高架に沿って走る。
途中駅に差し掛かった時、駅から千鳥足の男がフラフラと出て来るのが見えて、スピードを緩めた。時間も時間だし、酔っ払いがいてもおかしくない。ニット帽に派手なオレンジ色のダウンを羽織り、リュックを背負った大学生風の男。ガードレールに手をかけて歩道に座り込み、今にも吐きそうな体勢をとっている。
「あの——大丈夫ですか」
修一は自転車を止めて、声をかけた。吐くのは勝手だが、そのまま車道へ出て行きそうな感じだ。車に轢かれでもしたら、後味が悪い。
「……大丈夫」
男は俯いたまま手を振り、「放っておいてくれ!」
想定外の語気の強さにたじろぎ、声をかけた事を後悔する。
「いいから、あっち行けよ!」
気にはなったが、そこまで言われては手助けする気も失せる。少し大袈裟に間を空けて男を避け、先を急ぐ。
——次の駅と、コンビニが見えた! ラストスパート! ザーーッと派手に後輪を流しながら駐輪場に滑り込む。時刻は、23時45分。
「いらっしゃ——なんだ、お前さんか。従業員なら、裏から来いよ」
「いいじゃないすか、お客さんいないし」
鍵はちゃんと、ロッカーに刺さったままになっていた。電話で確認していたが、やはり現物を見るとホッとする。
「ありがとうございました。じゃあ、改めて帰りますね」
「何だ? 自転車で来たの? 若いねェ」
言いながら、ミネラルウォーターのペットボトルが飛んで来る。頭を下げながらリュックの横ポケットにそれを突っ込むと、次の電車の客が来る前に、店を後にした。
「——1時迄には、帰れるかな」
後はシャワーを浴びて、寝るだけ。春休みとはいえ、明日の事を考えると少し、憂鬱になる。
途中の信号待ちをしていると、ピピッと腕時計が鳴った。時報——0時か。
「ハッピーバースデー、俺」
そう独り言ちた時、高架の上を電車が通り過ぎて行った。あれに乗れば、早かったな。
「ま、いいけど」
青に変わった交差点を渡り先へ進む。と——、修一は自転車を止めた。
左の歩道の奥に、小さな公園がある。その入口に、何かがあった。いや、誰かがうつ伏せに倒れている! 近付いてみると、その格好には見覚えがあった。オレンジのダウンに、リュック。途中で見かけた、酔っ払いらしき男だ。見かけた場所からはだいぶ離れているが、ここまで歩いて来たのだろうか。
「そしてここでダウン、と」
やれやれ、ダジャレにもならない。
誰かいないか、と周囲を見たが、少し先に社会人っぽいスプリングコートの女性が歩いているだけだった。あの人も多分この男を見たのだろうが、雰囲気的に関わりを避けたのだろうか。それも、無理ない感じではあるのだが。
「放っとくってのもな……」
これからまだ気温は下がるだろう。ダウンも着ているし凍死の心配はないだろうが、決して良い事にはならないだろう。
「——もしもし、大丈夫ですか」
公園の門柱に自転車を立てかけて、声をかけてみた。まさか死んでないよな、と一瞬考えたが、ニット帽がぐらりと揺れたのでホッとした。顔が上を向き、次いで体が反転する。やはり、酔っ払いか。口の端から、涎が足れている。見た所体は汚れていないようだが、どこかで吐いたのだろう。
「あの——」
と言いかけたその時、閉じていた男の目が開いた。
修一は息をのんだ。
眼が——蒼い! 本来白目の部分が蒼く、黒い筈の瞳が白い。何だこれは? カラーコンタクトってヤツか? ただ、その白い瞳が薄く光っているように見えるのは何故なんだ? 街灯の反射?
「ええと……の、飲み過ぎ、ですかね?」
反射的に後ずさる。ダメだ、逃げよう! 関わり合わない方がいい! そう思いつつ、修一の視線は男の蒼い眼に否応無しに引きつけられて、身動きができない。その眼からは、蒼い「何か」が溢れ出していた。ドロドロとした液体のようでもあり、霧状の気体のようでもあり、濁った光のようでもある。「何か」が、男の眼を起点にして徐々に広がっていく。
——このままじゃ、ヤバい!
理屈ではなく、そう感じる。脚を動かせ! 地面を蹴って、自転車に飛び乗れ! 右脚に力を込めて、地面を——。
蹴った、と思った瞬間、爆発的に広がった「何か」が、修一の全身を包み込んでいた。
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