梓、先生と再会する

 ここは、○○大学付属病院の正門。

「はー、ねむっ」

 昼の2時。疲れ切った表情の若先生が病院から出てきた。

 彼の名前は俊介。いつぞや大食い少女「梓」を診た先生だ。

 この大学病院に勤めてもう3年目。27歳になってやっと自分のポジションも定まった。

 大学病院は甚だ序列社会である。呼び出されればどこの病院にも行くし、緊急の患者がいれば夜でも診る。月1度は定期的に当直もある。

 そして、まさに今日が当直の空けの日だった。


 フチなしメガネ越しに目の下に、クマがはっきり見える。

 正直、食欲もない。

 早く帰って寝たいところだが、食べないと体が持たないのも分かっている。

「なんか食って、はやく寝よ」

 疲れった声で俊介はつぶやくと、なんの気なしに近くの蕎麦屋に入った。

 ここは始めてくる店だ。こんなに病院の近くにあったのに、今まで一度も入ったことはなかった。


 俊介は席に着くと大儀そうにメニューをめくり、ざるそばを頼んだ。

「はーぁ」

 頬杖をついて窓の外を見ると向かいの喫茶店には、時間を持て余していそうな、初老の男性がちらちらと見える。

 きっと退職してする事もないのだろう。本を読みながらコーヒーをすすっている。

 その窓の向こうを一人の女性がゆっくりと通り過ぎる。目が自然と女性を追う。どれほど疲れていても女性を見てしまうのが男の性だ。

 帽子を深めに被ぶっていて顔はよく見えない。

 その彼女は蕎麦屋の前に来るとドアに手をかけた。

(おっ、この店に入ってくるぞ)

 ガラガラ・・引き戸が開く。暖かな薫風が店内に流れ込んできた。

 風に飛ばされぬよう帽子に手を当て、くるっと振り向いてドアを閉める。

 そのキビっとした動きから若い女性だと思えた。


 俊介は、追うでなく彼女のしぐさを眺める。

 ゆったりめの春色のセーター。下はショートパンツに黒のタイツ。足元は茶色のブーツ。

 4月のいい陽気に合うファッションだ。

 彼女は入り口奥の席を選び椅子に腰かけると、帽子もとらずメニューを見はじめた。

 ゆっくりとページをめくり・・・2回ほどページを行ったり戻ったりしながら。そうして小さくうなずくと右手を胸元までを上げて無言で店員を呼んだ。


 まもなく店員が来ると、随分と長く時間をかけてオーダーを出した。

(随分長く話しているな。友達なのか?)

 そんな人間観察をしていると、「お待ちどうさま」と自分の手元にざるそばがやってきた。

「はい、どーも。じゃ、いただきます」

 わさびを麺つゆに溶かし、そばを一口ずずっとすする。

(ああ、けっこう旨いかも)

 なんて思いながらスマホでfacebookなどチェックしながら、もっさもっさとそばを食べる。

 我ながら実に事務的な食事だ。

 人として飯を食べる喜びなど、今の自分にはないなぁとしみじみ思う。そういえば、いつからだろう何かをしながら飯を食うようになったのは・・・。

 なんて無意識にとりとめもない思考を回わしていると、さっきの彼女のところにも料理が来た。

「・・・!」

 その量に目が釘付けになる!

 店員がざるそばのタワーを運んでくるではないか!

 思わず自分のざるそばと見比べた。

(いったい何枚食べるんだ!?)

 店員が彼女のテーブルにそっとそのざるそばを置くと、彼女は口元をほころばせてペコリとお辞儀をした。


 俊介はといえば、その枚数を数えようと、いっそう集中して彼女の方を見る。

(1,2,3、・・・・9、10枚!?)

 そんな数えている間にも、彼女は帽子を横に置き、箸を割ってタワー盛りそばを食べ始めた。

 上品に食べているがインターバルなく、そばは彼女の口にするすると吸いこまれていく。

「はやっ!」

 あっというまに、1枚を平らげて休む間もなく2枚目に突入してしまった。

 その姿に目が離せない。


 その時、記憶にひっかかる何かを感じた。

 同時に、彼女がこちらを見た。

 瞬間、視線が合う。

「・・・」

「・・・」


「あれ、先生?」

 と彼女の声。

「?」

「先生ですよね」

「・・・」

 咄嗟の事で声が出ない。

「わたしのこと、覚えてますか?」

 と言われても、こんな女性に見覚えがあるような、ないような。

 彼女は満面の笑顔を浮かべて、タッタッと俊介の席までやってきて、「もう、忘れちゃいましたか?私です。1年くらい前に診てもらいました。梓です」

「・・・っ」

 繋がった!そうだお腹が一杯にならないといって僕のところにきた女の子だ。

「梓くん?でもたしか小学生だったと記憶しているけど」

「もう1年も前ですよ、今は中学生です。なったばっかだけど」

「えっ!」

 というと俊介は彼女の全身を上から下へと見た。


 たしか1年間に来たときも、こんなさらさらのロングヘアだった。

 丸っこい幼さの残るたまご形の顔立ちにも記憶がある。でも1年前にあ会ったときに比べて随分目鼻立ちが固まったような気がする。

 身長も随分伸びたようだ。体も全体的にふっくらしたように思える。

 そしてセーターに大きな2つのふくらみ・・・。

「先生、胸ばっかりみてるし・・・」

「あっ、いや、そ、そうじゃなくて、急に大人っぽくなっちゃったと思って」

「やっぱ、そう思います?あれからスゴイ成長しちゃって。へへー、いろっぽいでしょ」

 という、梓は雑誌で観るような腰に手を当てたポーズで、色っぽく俊介の瞳を覗き込んだ。

 確かに色っぽいというか、もう大人の体だ。最近の中学生は皆そうなのか、この子が特別なのか。

 改めて上から梓の体を見てしまう。

 どうみてもバストは80cmを超えているように思える。でも、ちょっとお腹のまわりもあるように見えるが・・・

 ずいぶん張ってきた腰とお尻回り。その下にはぷりっとした弾力のありそうな太ももが見える。

「なんか急に大人になっちゃったから、分からなかったよ」

 と先生が言い訳のようにいうと梓は、

「でしょ、あの後、いっぱい食べたから早く成長しちゃったのかな?」

「先生、お腹が空いたら牛乳でも飲んでろって言ったでしょ。それでご飯のたびに牛乳を1本飲んでたんだ」

「そしたらさ、ママがそんなに飲むならって、取っ手のついたおっきい牛乳を買ってきて。それがさ・・・」

 といって手でタンクの形を表した。

「よくアメリカとかで売ってるガロンボトルだね」

「ガロン?よくわからないけど、それ?それを毎日、1本飲んでたんだよ」

(しまった!)

 俊介は心の中で舌打ちをした。

 医師としてホルモンの可能性を直感したのだ。

 生産国や農場によるが、牛乳をたくさん採るために飼料にエストロゲンを入れている場合がある。

 もしかしたら、その影響かもしれない。そうじゃなければ、1年半でこんなにグラマーになるはずがない。

 まさか、こんなに牛乳を飲むとはと思わなかった。

 だがその後悔も煩悩の前に吹き飛びそうなる。

 梓が人なつっこそうに自分に話しかけてくるので、つい視線があらぬ方へいってしまうのだ。

 目に飛び込んでくる二の腕や太もものやわらかそうな感じは、俊介の意に反して下半身を熱くさせるものがあった。

(まいったなぁ)

 俊介は自分をごまかすように頭を掻いた。


「先生、このテーブルで食べていい」

「あっ、ああ、構わないよ」

「じゃ」

 といって、梓は嬉しそうに元のテーブルに戻って10枚のそばを取ると、そろそろと持ってきた。

 そのフラフラとした持ち方が危なっかしい。

「はー倒れなくてよかった。なんかTVのチャレンジ番組みたいっ」

 梓は10段のそばを無事運べたことをコロコロと歓び、俊介と向い合せに座わった。

「それより、今日、なんでここにいるの?学校は?」

「今日は、休校日でーす!」

「本当かい?ズル休みじゃないの?」

「違いますよ、ズルだったらこんなバレバレなところにいないって」

「今日はお腹いっぱい食べようと思もって、お店回りをしてるんです」

「まだ、やってるんだね。あの量を見てそう思ったんだよ」

「へへ、もう2軒まわってるんだ。聞きたいですか?」

「え、別に」

「聞きたいでしょ。えーっと、最初にカレー屋さんに行きました。そこで『メジャー級』っていうのを食べました。それから『キロ盛りのハンバーグ』を食べてきましたー」

「えっ、もうそんなに食べてるの?」

「うん、もう2Kgくらい食べてるんじゃないかな」

「で、ここ?」

「うん、まだ全然食べ足りないもん」

 相変わらずスゴイ胃袋だ。

「もしかして、あの後も大食いの店回りをしてたの」

「べつに大食いしようと思ってた訳じゃないけど、普通にお腹が減るから食べてただけだもん」

「でも時々無性にたくさん食べたくなるから、そんなときは今日みたいにママにお金をもらって食べにくるの。だってママ、料理を作るの面倒だって言うんだもん」

 そりゃそうだろう。この子のお腹が一杯になるまで料理をしてたら、起きている最中、ずっとフライパンを振ってなければならない。そう考えるとお母さんが気の毒に思えた。

「そういえば、梓くん。なんか明るくなった気がするね。1年前に来たときは、もっともじもじしてたけど」

「だって、あのときは本当に不安だったんだもん。でも先生に安心していいよって言われて・・・すごい楽になったんだ

。わたし・・食べていいんだって」

 思い出すように遠い目をして梓が言う。

「へーよかったね。やっぱり自分らしい自分のときが一番輝いてるもんね」

「そうでしょ!わたし輝いてるでしょ!」

 そういうと梓は態度をころっと変え、キラキラした表情で身を乗り出して俊介に答えた。


「そうだ、先生!今日は前みたいに、先生のおごりでご飯たべてもいいですか?せっかく会えたんだし!わたし食べると輝くし!」

「えっ、前は診断のためだよ。それにあれは結局、ぜんぶ僕のお給料から引かれたんだからね」

「そんなの知らないよ。だって先生が病院のお金って言ったんじゃん」

「やっと会えたんだし、いいじゃないですか、ねっ、ねっ、2,3軒でいいから」

「じゃ、2軒でっ」

 梓が可愛いぶって甘える。

「しょうがないなぁ、わかったよ。どうせ今日は帰って寝るだけだし、つきあってあげるよ」

「やったー」

 そう言うと梓は子供のように大喜びした。体は大人でもやっぱり中学1年生だ。


「よーし、じゃまずここで一杯食べるぞー」

 おもむろにメニューを引っ張り出して、ばばばっとページをめくる梓。

 視線を一気に動かし、何か決まったような顔をすると、

「すみませーん」

 と店員を呼び出した。その姿は、ずいんぶん店慣れているように思えた。

「えーと、ざるそばあと10枚追加と、前来たときに作ってもらったタワー天丼と、このおそばやさんのカレーの大盛りと、エビしんじょと、てんぷらのセッ・・・」

「おいおい、ちょっとまてよ。人の金だと思って。というかそんなに一人で食べれるの?余っても僕は食べないよ、それにカレーはさっき食べたんじゃ」

「え、全然楽勝ですよ。それにカレーは別腹」

「僕の財布が楽勝じゃないよ」

「だって今日はつきあってくれるって」

「・・・言ったけど」

 ねっ、という表情で俊介を見る梓。

「・・・カレーが別腹って」

 想定外の食欲だった。

「こんなことに巻き込まれるんだったら、とっとと帰るんだったなー」

 一応反論を試みる俊介。梓は両手で頬杖をつきながらニコニコとそれを見つめている。


「梓ちゃんは、いつもココにきてるの?いままで会ったことなかったけど」

「そりゃそうでしょ、わたし来るの土日だもん。先生はその日はお休みでしょ」

「第2週の土曜だけ休みじゃないけど、ほとんど休みだね。そうか、それで合わなかったんだ」

「でも、今日は先生にあえてラッキーだったな。なんたって私が思いっきりご飯が食べられのは先生のおかげだからね」

「僕が梓ちゃんの人生をこんなにしちゃったんなら、申し訳なく思うよ」

「えー、こんなのってなにー。ひどーい。感謝してるのにーぃ」

「感謝?まぁたくさん食べられるのはイイことだけどね」

 などと世間話をしていると、タワー天丼がやってきた。

 ラーメンどんぶりにご飯大盛り。エビやアジやナスのてんぷらがスカイツリーのように立っているしろものだった。

「でかっ!見るだけでお腹一杯だ」

「わー、おいしそう。見てるだけでお腹が鳴ってきたよ」

 俊介は、なんかこの子、食い違ったことを言ってるなぁと思いつつ梓の顔を見る。

「じゃ、食べちゃうかな。いただきまーす」

 梓は満面の笑みで天丼と向き合うと食事を再開した。


 えび天を掴み上げる。長さが12~13㎝くらいある太っといえび天だ。

 梓の顔のサイズと比べると、その大きさが歴然と分かる。

 それを頭からパクっ。

「んっ、ほいしー」

「さくさくだよ、先生」

 ざくっとイイ音がして、エビ天は梓の口に。

「全然ごはんが見えないから、先にてんぷらから食べなきゃ」

 と言うと、高さ30㎝はあろうかというスカイツリー状のてんぷらをぱくぱく食べ始めた。

「んー、おいしい!」

「アジフライはお塩がいいかな」

「先生、そこのお塩とって」

「はい」

「んぐ、ありがと」

 てんぷらを口に運ぶたびに、サク、サクという軽妙な音が響く。

 すごい勢いで食べているので、嚥下の音が聞こえてきそうだ。

「シソもおいしいね。サクっ」

「いい香り~。先生シソは好き?」

「あ、うん」

 俊介に聞いているのだが、答えを求めていないのは明らかだ。

「アスパラもいい歯ごたえ」

「うん!いけるー」

 本当においしい顔をしている。

「梓ちゃんは、おいしそうに食べるね」

 その感想が口をついて出てきた。

「そう?だっておいしいんだもん!」

 自然に笑った屈託のない笑顔に自分もつられて笑顔になってしまう。俊介は徹夜の疲れがすーと癒されるのを感じた。

(おもしろい子だなぁ)


「あ、ご飯が見えてきた」

「そうだね」

「じゃ、ご飯を・・・」

 というと、橋をどんぶりに突っ込み、ご飯をもりっと取り上げる。

「はー、んっ」

「んっ、タレが沁みておいしい」

「先生も食べる?」

「僕はいらない」

「そう?おいしいのに」

「ここから、てんぷらと一緒にご飯が食べられるっ。楽しみ!」

 と言うと、かきあげと一杯のご飯の両方をどんどん口に放り込み始めた。

 これでもかっ、というほど口に入れる。

「はっはり、がふってはべるのは、おいひいよねー」

「ひああせー」

「食べ過ぎてて、何言ってる分からないよ」

「ひひの、ひひの」

「そんなにいっぺんに飲めるの?」

 梓はうんとうなずき、ごくっとそのご飯を飲み込んだ。

 喉がむっと膨らみ、口の中のご飯が喉を通過したのが分かった。

(この子は基本的に消化器系の筋肉の質が違うんだな)

 俊介はごまかしに、そんな分析をするしかなかった。


 など言ってる間に、追加の10枚のそばもやって来た。

 梓は目移りしつつも、まず天丼からかたずけることにした。

「早く食べないと、おそばがのびちゃう」

「焦らなくても、そばは逃げないよ」

「おいしいうちに食べたいの!」

 お茶も飲みながら、どんどん天丼を胃袋い流し込む。そうして、まったくペースダウンせず最後まで食べ抜き、30㎝のタワー天丼は、難なくお腹に収まってしまった。

 その間、わずか20分。

「はー、てんどん完食。ごちそうさま」

 と大きく息を吐き出すと、梓は軽くお腹を叩いた。


「じゃ、次はおそばだ」

 どんぶりを丁寧に横に寄せて、そばを引き寄せる。

(こんなに食べてお腹はどのくらい出ているんだ?)

 俊介は興味本位にチラチラと梓のお腹を見てみる。

 梓はそばを食べつつ、それに気づき、「もう、結構出てますよ」と挑発的に答えた。

「えっ何のこと?」

 しらばっくれるが、梓はニヤニヤしながらこちらを見ている。

 こういうとき、周りの皆は自分のお腹がどうなっているのか気になることを良く知ってて、からかっているようだ。

「先生、わたしのお腹が気になるんでしょ」

「・・・」

「実はもう、結構キツくって」

「お腹一杯ってこと」

「じゃなくてパンツです。ちょっとベルトを緩めなきゃヤバいかなって」

 と言うと、またニヤニヤしながら箸を止めベルトに手をやった。

 ちらちら俊介の方を見てくる。

「んっしょ」

 かちゃかちゃという音が小さく聞こえる。

「んしょ」と、もう一度言うとベルトの穴の位置を変えたのだろう、視線を俊介に戻し、「はー、楽になったー。これで、いくらでも食べられる!」と梓は言った。


「先生、お腹触ってみる?」

「え、いいよ」

「触りたいでしょ、いいから!」

 と言って、梓は俊介を強引に自分の椅子の方に引っ張り、横に座らせてお腹に手を当てさせた。

 そこには、表面はやわらかいが芯には硬い塊がある球体があった。

 手を上下に動かすと、ふっくらとした球体の全体像を感じる。

 みぞおちのあたりから、お腹は膨らみ始め、その稜線は信じられない高さまで高まり、下っ腹に抜けていく。

 途中、へそを通過した感触を感じた。

 仕事柄、いろいろな人の体を触るが、太っている人のそれとは異なる密度の高いぱつんとした膨みである。

 ご飯を詰め込んだだけで、こんなにまるまると膨らむ腹部の触感は感じたことがなかった。

「相変わらず、凄いね」

「でしょ、わたしもそう思う」

 と言うと、またそばを食べ始めた。


 そばはつるつると梓の喉を通過し、ざるそばはあれよあれよと減っていく。

 まるでわんこそばのようだった。

「おそばはつるっと入るから食べやすくていいよね。いくらでも食べられちゃう」

「いくらでも食べる人はいないよ」

「へへー、そうでした」

「けっこう量があるように思えるけど、わんこそばだとどのくらいかな」

「さぁ、30~40杯くらいじゃない」

「もっとありそうだけど」

「その位かもって、わたしのお腹がいってるの!」

 とちょっとかわいく怒った風に梓は答えた。

 途中、薬味で味を変えながら、気づくと10枚のざるそばはもう無くなっていた。


「じゃ、続けてカレーね。おそばがサッパリ系だから、ちょうどいい刺激なんじゃないかな」

 と言うとカレーのどんぶりをぐいっと引き寄せて、スプーンを手に取った。

「いただきまーす」

「もう、十分いただいてるじゃない」

「カレーは、これからだから、いただきますなの」

 と言うとカレーとご飯をひとすくいし、パクっと口に運ぶ。


(あれ、おれなんかこの子のペースに乗せられてるな)

 不覚にも、いちいち突っかかってくる梓がかわいいと思った。なんでこんな中学生の娘に翻弄されてるのか、しかも会ったのは1年前の1度きりだ。

 患者としてだけ。なのになぜこの子に引き込まれていくのか俊介は自分でも分からなかった。


「うん、香りがちょっと違がうよね。おそば屋さんのカレーって」

「ごはんと混ざるのも好き!」

 と言うとまた一口。パク。

「具があんまり入ってないのも、潔いいよね」

 またパク。

「おそはとひっしょで、ののにひっははらないから、どんどんひけちゃうね」

 またパク。

「また何言ってるか分からないよ」

「ふふふ」

 と笑うと、明らかに噛んでませんねという速度でカレーを口に入れ始めた。

 スプーンですくっては、すっと口に運び、またすくっては口にという流れをよどみなく続けられる。

 息はいつ吸っているのだろうか、というリズムだ。


 カレーはみるみるどんぶりから無くなっていき、最後はどんぶりの縁のご飯がかき集められ、それは遂に梓の口に入っていった。

 その間に、箸休めとばかりにエビしんじょが食べられていく。

「はー、ごちそうさまでした」

 とても既に2軒のご飯を食べてきたとは思えない食べっぷりだ。

 そして目の前には空になった器だけが残った。


 これでどのくらいの量になるのだろう。ちょっと興味があるので聞いてみた。

「どのくらいの食べたの?」

「重さのこと?おなかの感じだと5kgくらいじゃないかな。おそばはそんなにないけど、タワー天丼は結構大きかったし」

「5kgってお米の重さだよ。それがお腹に入ってるんだから凄いね」

「うん、さすがに重いって感じるよ」

「どんな感じなのか、一度味わってみたいよ」

「先生も食べてみればいいじゃん」

「ムリだよ、これは才能みたいなものだよ」

「毎日たくさん食べてたら、だんだん食べれるようになるよ」

「だめだめ、その前に太っちゃうよ。梓ちゃんは、いくら食べても太らないからいいよね。あ、でも去年あったときよりふっくらしてるか」

「それは大人の女になったからです!」

 と言って、ちょっと拗ねたふりをした。そのしぐさもとてもかわいかった。


 梓の仕草を見るたび、俊介のアタマに一つのことがよぎる。

『僕はもしかしたら、大食いな女の子が好きなのかもしれない。いや、それともこの子が好きなのか?』

 いかん、いかん、この子はまだ中学生だぞ!

 その考えを頭から振りほどくように席を立つと、全部を平らげた梓に店を出るように促し、勘定を済ませて店を出た。


「おいしかったねー」

「僕はそばしか食べてないけどね」

「ごちそうさまでした。先生っ」

「はい、おそまつさま」

「次はどこに行こっかな」

「本当に行くの?もう3軒目でしょ」

「まだまだ、あと5軒はいけますっ!」

 ちょっとふざけた風に梓はガッツポーズをした。

 腕があがったことで、セーターがひっぱられて、ちらっとお腹が見えた。

 そこにはベルトの一番端の穴でかろうじて引っ掛かかっているショートパンツと、まるっとした下っ腹があった。

 服で隠れて分からなかったが、お腹は既にパンパンだ。出てるってもんじゃない。

 擬態語をあてるなら、「ばーん」という感じだ。

 その手を下して、後ろ手を組んで俊介の方を見る梓。

 お腹おは服で隠れたが、5Kgのご飯が詰まったお腹はセーターを裏から押し出し、あきらかにふっくらとした質感を出していた。

 かなりゆるっとしたセーターが、つっぱったように見えるほどに。

 それは大人びた風貌から、まるで妊婦のように見えた。


「なんかこれを同僚に見られたら、僕が女の子を妊娠させたと思われるなぁ」

 ふと俊介は思ったことを声にした。

「えっ」

 梓の顔に喜色が現れる。

「ちょっと、中学生をつかまえて妊婦だなんて失礼な」

「大きな声で言うなよ!中学生を妊娠させと思われたヤバいだろう!」

 つい大きな声が出る。

 梓はおもしろがって、そのネタを引っぱる。

 そして、わざと大きな声で、「先生、子供の名前はなんにしようかぁ~。男の子かな女の子かな~」

「だから大きな声をだすなよ!」

「え、中学生相手につめたーい」

「ばかっ」

「はやく赤ちゃん、抱きたいね~」

「先生に似てるといいね」

「ぜったい、賢い子になるよ。だって先生の子だもん」

「!」

 このままではまずい。とにかくこの子をどこかの店に放り込まなければならない。

 俊介は梓の手を引っぱり、急いで向かいの喫茶店に入った。


 勢いに任せてドアを開け、人のいない隅っこの席までづかづかと入る。

「ちょっと、とりあえず落ち着こう」

「はーい」

 ニコニコと素直な返事を返す梓を席につけさせた。

 一番落ち着いてないのは自分だ。


「ふー、誰にも聞かれてないよな」

 と辺りをきょろきょろ見回したが、幸い店の中には有閑老人が一人いるだけだ。

「はー、お茶でも飲もう。ちょっと一休みだ、梓ちゃんは何にする」

「んー、ちょっとメニューを見せて」

 というと、メニューに目を落とした。1枚めくり、2枚めくり・・

「あっ!」

 大きな声を上げる。

「びっくりした!どうした」

「これ、めっちゃおいしそう!!」

 というともう目がハートになっている。その先にあるのはハニートースト。

「あたし、これがいい!」

 どれどれとメニューを取ると、分厚く切ったトーストにマヌカハニー、シナモン、チョコレート、アイスクリームがこてっと盛りつけられた写真があった。

 さっきの梓の食いっぷりを見てたせいか「うっ」となるが、当の本人はもう、その虜になっている。

「これ食べるの?」

「うん!」

 というと、メニューをばっと取り返し、うっとりと眺める。

「あっ!」

 びっくっとなって「今度は何?」

「これ、一斤で作れるって!」

「え、このこってりのをさらに増やすの?」

「うん!一斤にしていい?」

 値段を見ると4,000円となっている。どんだけ材料を使う気だ。

「高いなぁ」

「これがいい!これがいい!」

 と梓は駄々をこね始める。

「今日は、これで最後にするから、これがいい!」

「……」

「いやだといったら、先生の赤ちゃんの事ばらす」

 低い声で一言。

 恐ろしい脅し文句だ。

「はいはい、分かりました。じゃこれと、俺はコーヒーね」

「あと、マンゴースムージのLね」

「・・・はいはい」

 そう言うと、俊介はオーダーを出した。


 店員は、「お客さん二人で食べるんですか?これはお二人でも食べ切れないと思いますけど、大丈夫ですか?」と、当然なアドバイスをくれる。

「一斤といっても昔のサイズの大きいパンですから、たぶん角パン3つ分くらいありますよ」

「いや、この子が一人で食べるんだよ。僕の分のフォークとナイフはいらないから」

「え!?絶対無理だと思いますけど。やめた方がいいですよ」

 すると横から割り込むように、「大丈夫、食べれるよ」と梓はさらっと言った。

「知りませんからね」と店員は捨て台詞を残して厨房に向かう。


「うう、楽しみ。楽しみっ」

「頼むから、僕の見えないところで食べてくれ。甘ったるそうでもう胸焼けが」

「見せつけて、食べちゃうんもん!」

「なんで、こんなことに」

「梓ちゃんさ、甘いのとか油っぽいのとか食べ続けたら気持ち悪くならない?」

「ん、大丈夫だよ。去年も言ったじゃん」

「そうだったね。ケーキバイキングとかお得そうだね」

「うん、バイキングはお得意様だよ」

「お店から見たら、悪魔だよ」

「そうかっ、へへ」

「でもバイキングのケーキは小さいから、2時間で100個くらいしか食べられないし、きっとお店は潰ぶれないよ」

「きみの食べ物の計算は、数字が3ケタだったり、重さがKgだったり、何かがズレてるよ」

 そんな梓の大食い武勇伝をたっぷり聞かされ、更に俊介の気持ち悪さが頂点に達したとき、ハニートーストがやって来た。

「うっぷ」

(これは直視できん)

 写真の通りの甘そーな物体が、その質量を何倍にもして。


 普通のお皿には乗り切れないのだろう、よく立食パーティーなどで使われる横長の平皿に、半分に切られた一斤パンが6個おいてある。更にあらゆる甘い物体でコーティングされて・・・

「きゃー!最高!」

 と叫ぶ梓。

 店員によると、はちみつとキャラメルソースは500gのびんを半分も使うそうだ。アイスはパンの上とパンの周りに置いているものを合わせて1kgパックを全部使うとのこと。そこに生クリームがたっぷりかかっている。

 これは人が食べる量じゃない。

 逆にそれを見て、もう子供のようにはしゃぐ梓。

 待ちきれないのか、ナイフと取ってパンのまわりに飾られたアイスをすくってぺろっとなめる。

「うーん、クリーミー!あまーい!!」

 と喜色満面の顔をする。視線はハニートーストにくぎ付けだ。

 たぶんもう僕の声は、もうこの娘に届かないだろう。

「好きなだけ食べてね」

「ちょっとチョコのところもなめてみよっかな~」

 やはり聞いていない。そして同じようにフォークで少しすくいとって、ぺろりとなめる。

「ちょーヤバーい」

 きゃーきゃーと大興奮だ。

「甘い、いい香り~。よーし、たーべちゃおう」

「あ、先生も食べたくならったら、ちょっとなら食べていいよ」

「いただきまーす」

「・・・」

 俊介は頬杖をついて、巨大料理を前に大喜びする少女を眺めることにした。


 パンをナイフでごりごり切って、フォークでさし、お皿の上のソースを付けて持ち上げる。

 それは口に入らないんじゃないかというサイズだが、梓は縦に食べるか横に食べるか、ちょっと方向を変えながら考え、でもそれを強引に口に押し込んだ。

(いや、大きいって)

 口の周りが、アイスとチョコだらけなるが、お構いなしでもぐもぐ・・・

「ん、甘いなぁ」

「んー!」

「はちみつがじゅわーって出てくる―」

 とか、いろんな表現でおいしさを伝えてくる。

「なんか早く食べないと、パンがどんどんアイスを吸っちゃう」

「先にアイスから食べようかな」

「先生どう思う?」

「・・・好きにしたら」

「うーん、アイスから食べようっと」

 もう答えは決まってたんでしょ、と俊介は心の中で思った。

 女の子が聞くときは大抵そうだ。それは患者も同じだし、俊介には聞き慣れたフレーズだった。

 梓は、アイスから食べることを決めると、スプーンに持ち替え、猛烈な勢いでアイスを食べ始めた。

「早く食べないと溶けちゃうよ~」

 はぐ、はぐ、ぱく、ぱく・・・

「んー、アタマいたーっ」

 ・・・

「ひぁー、おさまった」

 はぐ、はぐ、ぱく、ぱく・・・

「きーー!」

 ・・・

「はーっ」

 ぱく、ぱく・・・

「もっとゆっくり食べなよ」

「だって、溶けちゃうもん」

 と水を飲みながら、頭の痛みと戦いつつ、大方のアイスを片付けたところで・・・梓はおもむろにスプーンを置いた。

 それがあまりに急だったので、俊介は梓の方を見た。

 ・

 ・

 ・

「いた、たたた」

 俊介は頭が痛いのかと思い「だから、ゆっくり食べろって言ったじゃん」と言おうと思ったのだが、なにか様子がおかしい。

 梓の手はこめかみや首に行くのではなく、丸々と出た腹部に向かった。

 お腹と背中の辺りに両手を挟むように当てて、顔は目をぎゅっとつむり苦悶の表情に変わっていった。

「梓ちゃん、どうしたの?」

「おなか、痛い・・・」

「えっ、急に?」

 俊介が聞くとコトっとうなずいた。かなり苦しいのだろう、額から脂汗が出てきた。


 俊介は自分が医者であるにも係わらず動揺した。

 心の準備が出来ていなかった、この娘はいくら食べても大丈夫と思い込んでいたし、本人も楽勝だと言うから放って食べさせていたが、考えてみれば普通に食べる量のゆうに4倍以上を食べている。

 もしかして体の中では、とんでもないことが起こっているのかもしれない。

 医者なのに、なんで止めなかったのかという後悔と、瞬間、医者としての自分のキャリアのことも頭をよぎった。

 どうする、何をしたらいい、誰か呼ぶか、いやでも適任はオレだろ!

 パニックだ!


「はーっ、はーっ、先生っ、助けて・・」


 梓のその言葉に我に返る。

 梓の顔を見ると唇が青い。チアノーゼが出ている。

「梓ちゃん、大丈夫!大丈夫だから!」

 と言うと彼女の席の横に座り、お腹に当てた彼女の手の上に自分の手を乗せた。

「僕がついてるから」

 小さくこくりとうなずく姿に、さっきまで大喜びで甘味に舌鼓を打っていた彼女の姿は全くなかった。

「痛いのはどこ?手のところ?」と聞くと、また小さくうなずく。

 彼女の手をそっとよけて、その部位に手を当てる。セーター越しでは分からないので、下から手を入れてその部位をさわると周りと比べて冷たいようだった。

 いま彼女の腹部は全て胃になっていると思う、手を当てている部分は巨大化した胃の上部辺りだろう、ちょうどそこに今食べたアイスが流れ込んできて、ここらへんはアイス溜まりになっているだと想像した。

 急に冷たいものが来たせいで、胃が痙攣したのかもしれない。


「どう、吐きたいとかある?トイレにいく?」

 ふるふると首を振る。

 顔色は白くなり冷や汗が出ている、呼吸が早く浅くなってきた。血圧が降下しているのだ。

「大きくゆっくりお腹で息を吸って」

「お腹パンパンで、、出来ない・・」

「分かった、じゃゆっくり吸おう。横になろうか」

 梓はなんとか深い息をしようとするが、どうしても「はっはっ」と浅い息になってしまう。

 苦しいのだろう、ぎっちりつむった目が更に強くつむられ眉間に深くしわが出来ていた。


 横になるといっても店の中だ。周りを見てもそんな場所はどこにもない。

 店員に横になれる所がないか聞きにいこうと俊介が梓の手を放すと、「先生っ行かないでっ」と、苦悶の表情で不安の塊をぶつけてきた。うっすら開いた目からは涙が流れ、その視線は先にある俊介の目をじっと見ている。

「大丈夫だよ」

 俊介は優しく梓に言いきかせ、店員のもとに駆け寄り横になれる場所はないかと尋ねる。

 すると店員は店の奥にある座敷を紹介してくれた。店員に礼を言い、急いで梓の元に戻り手をとる。

「戻ったよ、横になれる場所があるからそこに行こうね」

 と俊介は言うと、梓を立たせようと手を肩に乗せ、ぐっと引っ張り上げる。

「いっ!」

 痛みが走ったのか、梓はびくっとカラダを丸めるような仕草をした。

「だめ、いたい・・」

「歩ける?」

「い、いたくて、、歩けない」

 と言うと、またお腹に手を当てて、イスに座りこんだ。

 だめだ、仮に立てたとしても数歩あるいたところで崩れてしまうだろう。

 しょうがない、おんぶしていこう。

「じゃ、僕がおんぶしてあげるから、ゆっくり動いて」

 梓は、痛みをこらえて薄目を開けて俊介の位置を確認し「うん」とうなずいた。

 じっとりと汗ばんだ手をとり、おんぶが出来るようにかがむ。

 梓もゆっくり動いて、俊介の背中に乗ろうとする。

 両手が肩に乗り、梓の顔が俊介の横顔にかかる。

 次に梓のお腹が背中に触る感覚があり、それはだんだん圧力を増して俊介の背中を圧し始めた。

「先生、おんぶはダメ、・・・吐いちゃう」

「吐き気が来た?」

「じゃなくて、こんなに押されたら出ちゃう」

 そういうことか、自分の体重がお腹に集中したら、行き場を失った食べ物が口から出てくるのは道理だ。こんなに満タンに詰まっているのだから。

「分かった」

 じゃ・・と考えていると、梓が、「だっこにして」と言ってきた。その苦しそうな表情から、だっこという言葉はどうにも相容れなかったが、俊介には代案はなく、「分かった」と、答えるのが精一杯だった。

(分かったとは言ったが、はたして僕はこの娘を運べるのだろうか。お姫様だっこなんてしたことないし、この体格くらいの重さを・・・ままよ!やってみなけりゃ分からないだろ!)

 覚悟を決めて自分を奮い立たせる。


 じゃ持ち上げるから僕に捕まってと言うと、俊介はいかにもぎっくり腰になりそうな態勢をとり、梓の手を自分の首にかけ、彼女の脇の下から左手を、お尻の下に右手を差し込んだ。

「いたたっ」

 梓が小さな悲鳴を上げる。

「じゃいくよ」

 うんとうなずくのを確認すると、ふんっ!と力を入れる。

(重い!)

 想定以上の重さに一瞬怯んだが、全身の力を振り絞り更に力を込めて梓を持ち上げる。

 たぶん、僕はいま優男がない力を振り絞り、歯を食いしばったひどい顔をしているだろう。

 医者になってから、こんなに重いものを持ったことがあったろうか。

 初めて人の重さを全身で知ったと思った。


 重心を後ろにとるように軽く反ると、梓が怖がらないように一歩一歩と足を進める。

 梓の顔と自分の顔がえらく近い。

 梓の苦しそうな息遣いが聞こえてくる。というか息がかかってくる。

「はー、はー、はー」

 それは、さっきまで食べていたハニートーストの甘い息。

 梓が痛がっていないか顔を見ると、若々しいぷるんとした肌は紅潮し、顔中に玉のような脂汗が流れていた。


 梓の背中から脇にいれた腕には、梓の背中と脇のじっとりとした蒸し暑さが浸透してくる。

 顔から「くの字」に折れ曲がった胴部に視線をやると、そこには中学生とは思えないボリュームの胸のふくらみがあり、更に下には胸の倍の大きさがあろうかというボリュームの腹の膨らみがある。

 その腹の膨らみは、お姫様抱っこをしている自分の上腹部にも伝わってくる。

 彼女の膨らんだ横っ腹が、俊介の腹を洋服越しに押し付けて来るのだ。

 それが、ぴたりと隙間なく俊介の腹に張り付つきプレッシャーをかけていた。


 さらに下を見るとボタンもジッパーも大きく開いたショートパンツがある。どれだけウエストが大きくなったのだろうか。

 ボタンの広がりは30㎝以上もあり、どう努力してもこのパンツにウエストを収めるのは不可能だと思えた。

 そのショートパンツの下にはふとももが見える。黒いタイツをはいているが、右腕にはそのタイツ越しに熱気とやわらかな肉の感触を感じる。

 だが彼女の体を感じたのその一瞬であり、あとは店の奥まで重さとの戦い、苦難のカナンロードであった。

 何でと思うほど重い。しかし降ろす訳にもいかないし、なにより落すのだけは絶対に避けねばならない。

 持ち上げた時、店員に手伝ってもらっても良かったのかもしれないが、俊介にはそれが言えなかった。

 単なる男のプライドだろうか。医者としての責任?

 いやもっと、人間っぽい欲望のようなものだったと思う。

 絶対、他人には触らせたくなかった。

 重さに抗うためか、そんな哲学的な思考がよぎる。

 カラダの重さと哲学の重さを感じながら、一歩一歩あゆむ。

 足に地に付けるたび、梓の胸がぽよよんと揺れた。でもお腹はガッチリ彼女の体に食いつき、決して揺れることはなかった。


 そうして部屋の奥に着き、やっと梓を降すことが出来た。

 降ろした彼女をそっと動かし、部屋の中央に横たえる。

 みだれたセーターとショートパンツを直し、お腹が見えないようにしてあげる。

「ありがとう、先生」

 申し訳なさそうに小さな声が届く。

 そして早く浅い息だけが部屋に響くようになった。


 その呼吸の度に、大きなお腹が上下に動く。

 その大きさは、明らかにバストを凌駕している。人間のお腹はこんなに大きくなれるのかと思えるサイズだ。

 そのお腹の動きを俊介はずっと見続けた。

 こんな小さな体に、どうしてあんなに入るんだろう。

 俊介は上下するお腹に自分の手を乗せて軽くなでてあげた。

 手に丸い感覚を感じながら、すっとなでる。

 ずっと。

 それがとても自然だと思えたから。

 ・

 ・

 ・

 少しずつ呼吸がゆっくりと深くなってきた。

 ・

「ちょっと、楽になってきた」と、梓は静かに言った。

「こんなの初めてだったから、びっくりしちゃった」

「びっくりしたのはコッチだよ」

「先生と会えて超嬉しかったから、はしゃいでいつもより食べたのが良くなかったかな」

「えっ」

「さっき5kgくらいって言ったけど、たぶんおそば屋さんを出た時は7kgくらい食べてたと思うんだ」

「・・」

「でもホントにお腹は苦しくなかったんだけど、今日は記録更新の量とペースだったから、わたしのお腹、びっくりしちゃったんだと思う」

「だって、こんなにお腹が出てるのは、自分でも見るの初めてだもん」

「おんぶしてもらったとき、マジ吐くと思ったし」

 俊介を不安にさせまいと思うてか、梓はちょっとふざけた調子で言った。でもそこにはさっきまでの覇気はない。

「アタマの上で吐かれたら危ぶなかった・・」

「ふふ、そうだね」

「でも、だいぶ楽になってきたみたいだね。安定してきてよかったよ」

「うん」

 梓は横になりながら慎ましく話した。


「それにしても、重かった」

 俊介のその言葉に、梓はさっと首だけこちらに向けた。

「そりゃ7Kgプラスされてたら重いよ。60Kgなんか持ったことない重さだもん」

「えー、わたし50kgもないよー」

「腕が外れるかと思ったよ。心の中で『このデブが!』と叫んでたよ」

「人をデブ扱いして、先生、ときどき傷つくこと言うよねー」

 俊介は何も言わず微笑んだ。心配させたちょっとした仕返しだ。


「でも本当、なんだったんだろう。なんで急にお腹が痛くなったのかな」

「もしかしたら、アイスを一気食いしたから胃が痙攣したのかもしれないよ」

「あーそうかも。だってお腹が冷え冷えだもん」

 と言って梓は両手をお腹に当てた。梓は自分のお腹に手を当てるため腕を随分持ち上げた。肘がL字に立っている。

 お腹のてっぺんは、そのくらいの高さにあるのだ。

「ほら、まだ冷たい」

 そして、本当に妊婦がお腹の赤ちゃんを優しく撫でるようにして、愛おしそうに言った。

「先生、また助けてくれてありがとう」

 1年前、大食いであることの不安から助けてくれたことと、そして今、危急のところを助けてくれたことへの素直な感謝だった。

 その言葉は俊介の中に沁み込んでいった。色んな患者を診てきて、いろいろな人にありがとうと言われてきたが、それとは全く別の感傷だった。

 俊介はその「ありがとう」を魂に刻み付ける。


「だいぶ楽になってきたよ。でも食べて上を向くと、お腹の重さに負けそうになるね。息苦しいもん」

 と苦しいくせに嬉しそうに言った。

 俊介は、じっと梓を見つめ静かに話を聞いている。


「わたし、実はたくさん食べてお腹がポンポコになるの大好きなんだ。恥ずかしいから誰にも言ったことないけど、先生だけに教えちゃう」

「食べるほど、なんかテンション上がっちゃうから、ちょっとキツイなぁと思って、もどんどん食べちゃう」

「んで、このポンポコリンになったお腹を触るのがたまらないの」

「そうなんだ。オレもたくさん食べる女の子は嫌いじゃないよ」

「ほんと、ありがとう先生!」

 と言うと、お互いの視線が合い、つかの間、沈黙の絆が繋がるのを感じた。


(いかん、いかん、だから中学生だって)

 俊介はあえて空気を換えようと、話題を変えることにした。

「さて、どうする?梓ちゃんはもう少し横になっていく?それとも、もう店を出る?」

「もう、動けそうだから、お店出ます」

「そうか、じゃ今日は帰りなさい。申し訳ないけど怪しまれるといけないから送ってはいけないよ」

「えー、ウチまで送ってほしかったなぁ。でも今日はおとなしく帰ります」

「よろしい」

 そう言って、梓はお腹を抱えつつ残念な表情を残してお店を後にした。ついでに、ハニートーストを横目で見ながら。

 店員は、『ほら食べられなかっただろう』という表情を浮かべがら、俊介の財布から大枚を奪っていった。

 失礼、相手も商売だから、素直にお金を受け取ったと言っておこう。


 店を出ると梓は、俊介に深々と頭を下げて御礼をすると。何度も後ろを見て手を振りながら家に向かった。

 ちょっと行くと、またくるっと振り返り、両手を大きく振って「また、ごちそうしてね!」

「ああ、でもほどほどにしろよ」

 またちょっと行くと、またくるっと振り返り、手でメガホンを作って「来月もまたね!」

「ああ」

 と二人は大きな声で約束を交わした。


「さて、おれも帰るか」

 俊介も岐路に着く。梓とは反対の方向に向けて歩き始めた。

 午後4時の春の空気は優しく、今日の出来事を1枚の思い出に封じ込めた。


 ・・・


 がちゃがちゃ

 ドアノブが回る。

「ただいまー」

 家には誰も居ない。ママは私を追い出した後、遊びに行っちゃったのだろう。

 梓はブーツを脱ぐと、急いでお風呂場に行き、鏡の前にある体重計に乗ってみた。

「ピピピ・・」

 体重計は53の数字を示した。

「うわスゴ!たしかに先生重いっていうよ、歩いててもお腹が重かったもん」

 自分の姿を鏡で見ると、セーターでは隠しきれないお腹が、ばいーんと出ているのがよく分かった。

 自分の部屋に戻ってメジャーでウエストを測ると、100cm越えを達成!

「すごい、記録更新だ!」

 自分事なのに感嘆しながら、お腹をさする。

「今日はアイスでちょっとしくったけど、まだいけるかな」

「いつか先生と限界に挑戦してみよっと」


「あっ、おそば屋さんに帽子わすれた!」

「また、行かなくっちゃ!!次の第2土曜にっ!」

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