梓さんよく食べます。

浦字みーる

梓の初体験

「どうしたの?」

「ちょっとはずかしいんですけど・・・」

 ここは「○○大学付属病院」の内科。少女と温和な雰囲気の先生が診察室で対面している。


「ん、大丈夫だから言ってごらん」

「私、あの、すごく言いにくいんですけど・・・」

 口ごもる少女の次の言葉を、先生は穏やかな表情でじっと待つ。

「……大食いなんです。それで、このままで大丈夫なのか不安で、一度、診てもらおうと思って……」

 そう一気に言うと少女は顔を赤らめて俯むいた。

 ショートスカートの上の手がぎゅっと握られている。ここに来るのにとても勇気がいたのだろう。

 見たところ小学4,5年生くらいだろうか? まだ凹凸を感じさせないほっそりとした体はまるで子供そのものだ。

 つい一年前まで、男の子と張り合うように遊んでいた年頃だと思う。でもこの年頃の女の子は一年といわず急に女性を意識するものだ。気持ちはいっちょまえ。

 そんな自我に目覚めた少女が、こんな所で大食いを披露するのは恥ずかしいに決っている。


 先生はカルテにちらっと目をやった。少女の名前は『御子柴梓』。

 お腹の具合が悪いという理由で、今日は一人で病院に来ているようだった。

(この年で一人で病院に来るのは勇気がいただろうに)

 先生はその気持ちを感じとり緊張をほぐすべく、わざと軽く平易な言葉で会話をすることにした。


「心配しなくていいよ。だってキミ見たところ10歳くらいでしょ。そのくらいの女の子はちょうど成長期なんだから、男の子より食べちゃうのは普通なんだよ」

「でも先生、私、食べる量がハンパないというか……。いくら食べてもおなかが一杯にならないんです!」

 先生の説明に抗うように梓は強く言い放った。


「うーん、そうなんだ。それは不安だね。どのくらい食べちゃうの?」

「あの、おなか一杯になるまで食べたことがないので分からないんですが……」

 お腹が一杯になったことがない? そんな人などいるものなのか? にわかには信じられない。それが先生の素直な感想だった。

 (ちょっと話を聞いて安心して帰ってもらおうと思ったけど、もう少し事情を聞いてみることにしよう)

 先生は、笑顔のまま何事もなかった風に質問を続けた。

「そうか~、食べてもおなか一杯にならないんだもんね。今まで一番食べたなぁってとき、どのくらい食べたの?」

「一度、ママと餃子を一杯作ったことがあって、ほとんど一人で食べちゃって。は100個くらい作ったと思うけど、それとご飯を10杯くらいだと思う」

「えっ! 100個って? 普通の大きさの??」

「はい」

「お腹は痛くならなかった?」

「全然大丈夫でした。というか足りなくて、でももうご飯がなかったんでガマンして、お水をがばがば飲んでたんですけど」

「……」

「ちょっと体重を測ったら3キロくらい増えてたんで結構食べたなって」

(おいおいマジか。たしかに100個だったら、そのくらい食べてそうだ)

 先生は驚きを表情に出さないように冷静を装いつつ質問を続ける。

「たしかにそんなに食べちゃうなら不安になるね」

 無言でうなずく梓。

「じゃ、ちゃんと調べてみようか」

 そう先生がいうと、梓は「ハイ!」と弾けるような笑顔で答えた。

 きっと自分の不安を受けとめてくれたことが余程嬉しかったのだろう。この人はちゃんと私のことを見てくれるという安心感が、その笑顔から伝わってきた。

「じゃまず身長とか体重から測るから、そこの看護婦さんについていってね」

「はい」

 そうして梓の体は隅々まで調べられることになった。


 ・・・


 検査をすると、身長は142cm 体重35Kg ほぼ平均ってところだった。

 胃のレントゲンも普通のサイズだし、血液検査も尿検査も異常はない。

 検査結果だけでは3キロも食べてしまう証拠は見つからなかった。

 3キロといったらこの子の体重の1/10だ。体のサイズから考えたらかなりの量になる。本人は大食いだというが本当なのか先生の疑念は拭えない。

 検査結果だけでは疑問が消えないので、先生はまた梓を呼び出して、もう少し詳しく聞いてみることにした。それに検査結果も教えてあげなければならない。

「いろいろ調べてみたけど、どれも問題ないよ。いたって健康。不安になるようなことはなかったかな」

「……そうですか」

 いかにも残念そうに言を返したが、そこでは引き下る梓ではなかった。

「でも、ぜったいおかしいんです! だって友達やママに聞いても普通はそんなに食べないっていうし、おなかも一杯になるっていうし。始めは私が普通だと思ってたんですけど。もしかしておかしいのは私かなって思うようになって」

 身を乗り出して訴えた。それでも言葉の終わりは弱気がちになる。

 それを感じ取って先生は、一つの提案をすることにした。

「そうか。分かったよ。じゃ、おなか一杯の状態でもう一度検査しよう。変だなって思うのは食べているときだもんね」

「はい」

「そうだな~、ここらへんは食べ物屋さんが多い所だから、ちょっと外に行って好きなだけご飯を食べてきていいよ」

「え、今からですか?」

「うん」

「でも……」

「どうしたの?」

「そんなたくさん食べる準備をしてないし。わたし」

「お金のこと? お金ならこの病院で払うようにしておくから安心していいよ」

「そうじゃなくて、あの、服がこれだと」

 と梓はいうと自分の服をみた。先生も改めて梓の服をじっくり見る。

 ピンク地にドットのTシャツの重ね着。下はニーソックスにショートのちょっとフリルのあるスカートを履いている。

 小柄なつるんとした子供らしい体系にとても似合ってる。

「すごくかわいいね」

「あ、ありがとうございます。でもいっぱい食べるとおなかが、あの、出るというか。もっとゆるい服の方が食べやすいかなって」

「あーそういうことね」

「じゃ、そこらへん考えながら食べてきてよ。2時間くらいしたらまた診察するから」

「あとはそこの看護婦さんに聞いてね。じゃっ」

 先生は言うと梓を診察室から追い出し次の患者の診察室に呼び入れてしまった。

 梓はというと、戸惑う暇もなく診察室を追い出されてしまう。


「じゃっ、って……どうしよう。食べてきていいって言われても……。でも先生が言うことだし、とりあえずご飯を食べに行くしかないか」

 だれとなしに独り言を呟くと梓は看護婦さんから話を聞いて、とぼとぼ病院を後にした。

 よくわからないが一枚の封筒を渡されて。


 ・・・・


 外に出てみると来るときは気づかなかったが、たしかにココはご飯屋さんが多い。

 とんかつ、定食屋さん、パン屋さん、ラーメン屋さん、それも博多ラーメンや喜多方ラーメンもある。

 おそば屋さんはなぜか病院の近くに多いよね。

 さあ、どこに行こうとか考えているうちに、何だか段々テンションが上がってきた!


「なんかお店を見てるうちに楽しくなってきちゃった。ふふん、どうしようかなぁ。おなかも空いてるし幾らでも食べていいんだよね。もしかしたらおなか一杯を初体験できるチャンスかも!」

「家にいたらママが途中で『いいがげんやめなさい!』って怒るし、ご飯もすぐなくなっちゃうもんね」

「よし、じゃ、気になったお店に全部入っちゃおう!」

 梓は何か覚悟が決まった表情を浮かべると、キョロキョロと辺りを見回し最初に目に入ったとんかつ屋に向かった。

 一人でお店に入るは初めてなのでドキドキだ。

 恐る恐る引き戸を引いてゆっくり中に入る。


「いらっしゃ-い」

 元気なおばちゃん店員の声が響く。

「あの、そこの病院から来たんですけど、病院のお金でご飯をたべてきてって言われて、これを……」

 一枚のメモをおそるおそる手渡すと店員のおばちゃんはそれを読み、「そういうことね。どこでも好きなところにお座り。お金は病院に請求するから、なんでも食べていいよ」と言ってくれた。

(よしっ!)

 その言葉に勇気を貰い、ちょっと落ち着きを取り戻す梓。

 壁に貼られたメニューを見る。

 ヒレかつ、カキフライ、エビフライセット、そばカツ定食等等

(いっぱいあるなぁ。あっ!)

 その中で、わらじロースかつに目がとまる。

(あ、ロースカツ! わたしコレ好き。あの脂身のところのじわぁーと味がしみでてくるところがいいんだよね)

(よーし、これにしよっと)

 息を大きく吸って心を整える。

「あのー、わらじロースかつを、えっと、大盛りでお願いします」

 大盛りのところが小声になってしまった。

 店員のおばさんはそのオーダーを聞き取り、威勢のいい大声を厨房に飛ばす。

「はい!、大盛りわらじロース!」

(ひゃぁ!もうぅ!)

 心の中で叫ぶと同時に周りの視線が梓に集まるのを感じ体がキュと小さくなる。

(はずかしいじゃない! もう顔を上げられないじゃないの!!)

 心の中でおばちゃんに文句を言い、出来ないと分かりつつも身を潜る。

 しばらく下を向いてじっと待つしかない。


「はい、わらじロースね。お待ちどうさま」

 威勢のいい声に顔を上げと料理を持ったおばちゃんが横に立っていた。

 その料理が大きいっ!

 カツは一口大に切られているが、ティッシュの箱くらいの大きさ。

 厚みも1cmくらいあり、梓の指よりも太い、どっしり分厚い肉。

 ご飯は梓の両手で持てるくらいの広口のどんぶりサイズに山盛りだ。

 それにお味噌汁とお新香が付いてる。


 なんで病院周りのお店なのにこんな大きいのが来るの?

 一瞬疑問が沸いたが、自分が発したオーダーに振り戻り、あっさりその答えにたどり着く。

(そうか、わらじって大きさのことだったんだ。それの大盛りをたのんじゃったんだ。だから、こんなにご飯も大きいんだ。)

 モノをみて初めてメニューの意味を理解した。

 だが、この量この大きさ。見ているだけで胸のあたりからググッとエネルギーが塊が上がってくるのを感じた。

 大きさに驚くのではない、早くそれを食べきりたいという情動が蠢いている。

 そのエネルギーのままに、まずはとご飯のどんぶりを両手で持つ。それはご飯としては人生初体験の重量に感じた。

 この重さが自分の胃袋に入ると思うと無性にうれしくなった。

(んーっ!よーし、食べるぞ!)

「いただきまーす」

 両手を合わせて箸を持ちカツを一つとりあげると、想像以上にがっしりとした重さを感じる。

 その重さに満足しつつカツを口に運ぶと……

「さくっ」

 頭に響く衣の衝撃。じゅっ、じわぁ~と口中に広がる脂の旨み。

「うぁー、ちょーおいしい。ここのカツ。さくさくだぁー」

 ほっぺにてを当てて幸せを感じる。

 ご飯はつやつやの炊きあがりで、熱さに耐えつつはふはふ食べると米粒のやさしい甘みを感じる。カツの脂のうまさと、さっぱりとしたご飯の相性がたまらない!

(ありがとう先生。わたし病院にきてよかった!)

 夢中でまたカツを口に運ぶ。

 じわぁと口にひろがる脂のうまさが消えないうちにご飯をパクリ。

 それをほとんど噛まずに飲みこんで、またカツをサクリ。

「なんて幸せなジ・カ・ン」

 この勢いでカツをごはん、カツ、ごはんと食べ、 途中にお味噌汁で喉を潤し舌もリセット。

 またカツ、ご飯のループが始まる。

 サクサクという小気味よいリズムが店に響く。

 キャベツもおかわりして、あっというまにわらじは、どこかに消え失せた。

 周りの人たちは、「あれ? この子食べるの早い」という表情で見ている。

 もちろん、これだけでは梓のお腹は全然一杯にならないのだが。


「ごちそうさまでした」

 手を合わせておいしいご飯に感謝。

「おばさん、ありがとう、すごくおいしかった!」

「そうかい、ありがとうね」

「お茶を飲むかい?」

「ううん、今日はいらない、ちょっと急いでるから」

「そうかい、またきてね」

 おばさんに頭を下げてお礼をいい颯爽と店を後にした。


「あー、おいしかった。大きかったなぁ『わらじロース』。でもおなかもまだ全然スカスカだし、あと5,6軒はいけそうかなー。うふふっ」

 食べたばかりだと言うのに、そんな事を思いながら次の店を物色することにする。

「次はどうしようかな。ご飯を食べたから次はパスタとか?ラーメンとか? でもラーメンは後で食べたいなぁ」

 お腹をさすりながら歩いていると道路を挟んで向かい側に『う』の文字を発見。

「あ、うなぎ屋さんだ。うなぎって今すごく高いんだよね」

 その瞬間、はっとした表情になる。

「今なら食べられちゃう!?」

 そう思うといてもたってもいられず、もう横断歩道まで歩くことが我慢ならなくなった。

「よしいっちゃえ! お巡りさんごめんなさい!」

 きょろきょろ左右を見てから車道を渡ってうなぎ屋さんに直行する。


 店の前に立ち引き戸に手をやり、そーと扉を引くとガラガラという老いた戸音。その隙間から覗き込むように店に入る。

「こんにちはー・・・」

 まだ一人で店に入るのが不慣れな梓には、恐る恐る、おっかなびっくりだ。声も自然と小さくなる。

 対照的に「いらっしゃい!」とやけに元気なおじさんの声が放たれた。

 その声に一瞬ひるむが、何とかその矢を横に流し出来るだけ気配を消してそそっと席についた。

「えーっとどうしようかな。食べたいものを頼めばいいんだよね。早く頼んじゃお」

 ちょっとドキドキしながらテーブルのメニューを手に取ってページをめくれば、一番最初に「特上」の文字が飛び込んできた。


「特上かぁ。そういえば、私って特上を食べたことなかったなぁ」

「特上ってなにが違うんだろう」

 自分のあごに人差し指を当てながら考えていたが、

「そうだ、頼めばわかるじゃん。今日は何を食べてもいいんだもん。よし、贅沢しちゃうぞ」

 大きく一息吸い込むと勇気を元気にかえて発声。

「おじさん、特上のおねがいします!」

 自分でも意外なほど大きな声が口から出た。その声の大きさに自分が緊張していたことが分かった。

 でもオーダーを出せたことで、その緊張が急速に緩んでいく。

 ふと自分の手元をみると病院の手紙。

(そうだ、これを見せないと)

「あ、あと、これ」

 といって病院からの紙をおじさんに見せる。おじさんは厨房から出てきて紙を手に取ると「おお、そういうことか! 病院持ちだと気前がいいな!」と笑いながら言った。

 梓はそれに応えるように「はい!」と答える。

「じゃ、特上一丁!」

「はい!」

「あとは?」

「いいです!」

「ほんとか」

「はい、よろしくお願いします」

 梓とおじさんのテンポいいやり取りが続いた。そのリズム感にだんだん気分も乗ってくる。

 料理を待つ間、他にどんなメニューがあるのかと思いメニューを開いて見てみると、基本的にうなぎ関係の食べ物しかない。

「そうかー、うなぎ屋さんってうなぎしかないんだ」

「ふつう、おそば屋さんでもカレーとかあるけど、どうしてかな??」

 なんて、うなぎ屋の不思議を考えているうちに、来た来た! 特うなが!


「はい、おまちどうさま」

 おじさんがコトンと特上うな重をテーブルに乗せる。

「うぁーいい香り~。なんだろうお醤油の匂いかなぁ。すごく食欲がわく~」

 もう蓋を開ける前から満足度MAX。

 我慢しきれずお重のふたを開けると、ふあっ湯気とともにつやつやの大振りうなぎが顔を出した。

 下のご飯が見えないのがまたいい。

「じゃいただきますーす」

 割り箸をパキッと割って、さっそく一口ごはんと一緒にうなぎを食べる。

「おいひー!!」

 ほおばる瞬間、声が出ている。

 しっかりとした歯ごたえのあるウナギにタレの味。ふあふあのご飯にも、タレがいい塩梅に沁みて見た目にもゴージャスなお重になっている。

 目も鼻も口もお重に奪われ、もう箸がとまらない。矢継ぎ早に箸が口に向かう。

 はふはふ、ぱく。んごく。

 はふーはふー、ぱく、んんごっく。

「おいしい~」

 おいしさの余りかあせる余りか殆ど噛まない梓は、あっというまに上半分のご飯とうなぎを平らげて……

「わー、まだあったー!」

 ごはんとご飯の間にもう一組のうなぎがはさまっているのを発見!

 嬉しさがもう一段積み上がり、さらに箸はスピードアップ。

 とどまることを知らず、ご飯とうなぎは梓の中に放り込まれ、最後のうなぎは何の未練もなくあっさり梓のお腹に収まってしまった。


 あがりの肝吸いが口の中のわずかな馥郁を喉へと流し込む。

 料理が届いてから10分も立たないうちに、お重はからっぽだ。

「はー、おいしかった!」

 うなぎってこんなにおいしかったんだ。知らなかったなぁ。パパと前に行ったときは、こんなんじゃなかった気がするけど。

 なんて思っていると、おじさんが様子を伺いにやって来た。

「おじょうちゃん、どうだった。すごい勢いで食ってたけど」

「すごく、おいしかったです。でも、前食べたうなぎとちょっと違う感じが」

「だろっ! ウチは関西だからよ、うなぎを蒸さないんだよ。歯ごたえが違うだろ、うまみが濃いだろ」

「へー、関西とかあるんだ。じゃ前食べたのは、関東? なのかなぁ」

「まぁ好みだからな、お嬢ちゃんはこっちが旨かったんなら嬉しいわ」

「はいっ」

「お、うれしいね。じゃちょっとおまけだ」

 といって卵焼きを置いていってくれた。

 見ると真ん中にうなぎがあり、それを巻いた卵焼きだ。

 10㎝くらいの長さがある大きめなの卵焼きだが、「お嬢ちゃんは食いっぷりがいいから、このくらいは食えるだろう。遠慮なく食っていきな」

 といって持ってきてくれたのだ。

 梓はそれをぺろっと平らげ、また食べ始めたときと同じように両手を合わせて御馳走様をした。

「うまそうに食ってくれてうれしいよ。またおいで」

「おじさん、ありがとう!」

 そう言って満面の笑みで梓は店を出た。お腹はまだまだ大丈夫。というか全然一杯じゃない。

 ちょっとスカートが苦しいが気になるが、お腹の出っぱりもまだ気にならない感じだ。

 梓にとっては大盛りの丼もの2杯は前菜にもならない量だった。


「さて次はどうしよう。今度こそ麺に行こうかな」

「それとも、なんか野菜モノとか食べた方がバランスがいいかしら」

「うーん」

 考えながら商店街に向かってを歩みを進めると商店街の入り口の角地に回転すし店がみえた。

「あ、スシ太ローだ! お寿司もいいなぁ。わたしマグロ好きっ」

「入っちゃおうかな」

 と店に向かい自動ドアの間に立つがふと足がとまる。

「でも、お寿司っていっぱい食べるとお皿が積みあがるんだよなぁ。きっと私だったら100皿くらい食べちゃう。そんなに積みあがったら恥ずかしいし……」

「ぜったい、みんな見るよなぁ。注目だよなぁ」

 考えているうちに、だんだん気持ちが萎んでくるのが自分でも分かった。

「やっぱ、お寿司はやめよう。マグロはまた今度。今日は1店ずつ攻めるんだ」

 悲しげにつぶやき踵をかえして商店街の奥へと足を向ける。

 思いっきり食べたい気持ちと、でも皆に見られるのが恥ずかしい思いが葛藤していた。これは今始まったことではないが、いつか解放されたいのが梓の願いでもあった。


 ・・・・


 気持ちをとりなおして歩く商店街。

「気持ちいい……」

 ご飯を食べて火照った体を涼風がすり抜け襟足の髪と戯れて駆け抜けていく。

 空を見上げると透き通るような青空。

 その青さを取り込むように両手を広げて大きな深呼吸を二つした。

「きもちいいー。なんか、いいなぁ」

 体の中が空っぽになるのを感じる。

「まぁ、いいや!」

 恥ずかしさや葛藤を洗い流すように梓はあえて声に出した。今日は思いっきり食べられる言い訳があるんだ。

「なんかすっきりしたらおなかが空いてきちゃったな。早く食べに行こっと!」

 昼下がりの陽気にうきうき気分を取り戻し、商店街の中心部に向けて歩みを進める。


 振り返ってみるとこの商店街は飲食店が多いことに気づいた。

 トドールにスパタ、強力メシとか天上天下一品もある。もちろん高そうなフランス料理店も。

(ここの商店街ってなんでもあるのね)

 もちろん食べ物屋ばかりじゃなくて薬局とかもあるけど、梓の目には全く入っていないようだった。

「天上天下一品ってCMをやってたラーメン屋だっけ? 入ったことないけど」

「ラーメンか、あ、でもなんかラーメンのこと考えてたら中華が食べたくなってきた。そうだ次は中華で行こう!」

 思ったら渡りに船。視線に入ってきた店がまさに中華屋だった。

 店の前のガラスケースには料理の写真が格子状に入っており、いかにも『中華やってます』って感じだ。

 きっと長い間やっている店なのだろう、メニューの写真が色あせて青味がかっている。

 店構えを見れば余りおいしそうには見えないが、ちらっと店の中を見ると意外にお客さんが入っていた。

「あれー、あんまりキレイなお店じゃないのに、お客さんが一杯。印象と違っておいしい店なのかも」

「いってみようかな」


 扉越しに店内を眺めつつ自問自答すること一分。


「行こう!きっと私の直感は合ってる!」

 覚悟を決めて扉を引いた。


「いらっしゃい。おじょうちゃん一人?」

「あ、はい!」

「あの、コレ」

 と言うと例の病院からの紙を渡すと察した店主がニコニコしながら席に案内してくれた。カチコチになりながら後をついていき席に着く。

 間がもたないので座るなりメニューを見ることにした。

「さすが中華はいっぱいメニューがあるなー。どれにしようか迷っちゃう」

 決まらない。

「おススメを教えて欲しいけど・・・」

 でも、食いしん坊だと思われそうで聞くのが躊躇われる。

 そのかわりに周りのお客さんが何を食べているのか見ることにした。

 きょろきょろ見わたすと、チャーハン、餃子、赤いラーメン(あれなんていうんだろう?)あと黒いソースのかかった野菜炒めみたいなやつ、そしてマーボー豆腐を食べてる人が三人もいる。

「マーボーおいしいのかもっ、でも辛そうだなぁ。わたし辛いの苦手だし。うーん」

 すると、よほど繁々マーボーを見ていたのか店主が話しかけてきた。

「マーボー豆腐かい?」

「はい!? え、あ、でも辛いのがあんまり」

「辛くなくもできるよ」

「そうなんですか?」

「作ろうか?」

「はい」

「OKじゃマーボーと後どうする?」

「えっっと、ご飯も」

「定食だな。大盛りか?」

「はい」

「それだけでいいか? 足りるか?」

 店主は病院からの手紙を見ているせいか、もっと食べる子なんじゃないのかと思っているらしい。

「それじゃ、あとチンジャオロースと・・・」

「あとは?」

「あ、あと鶏肉とカシューナッツの炒めも」

「OK、じゃちょっとまってくれよな。腕によりをかけて作ってやっからよ」

(勢いで3つも頼んじゃった。やだ、恥ずかしいなぁ)

 軽い後悔をしつつ中華のわりに江戸っ子なおじさんに乗せられちゃったことが自分のなかでプチヒットでおかしくなってきた。

「なんか面白いなこの店、ここの商店街のお店ってみんな庶民的。『どれになさいますか?』とか全然聞かれないし。私はこういう方が好きだけど」

 見渡すとお客さんも、いかにもここらへんに住んでてちょいとお昼にきましたという体のようだ。

 考えてみれば商店街に飲食店がこんなにあるのは珍しい。ここらへんの住民は、かなりの頻度で飲食店を使っているのかもしれなかった。

 そんな庶民の日々の生活を妄想していると、ご飯にスープ。次にチンジャオロースが出てきた。

(うぁ、なにこれ!)

 梓の心の声だったが、表情にもその驚きは出ていたに違いない。目を見開いたのが自分でも分かった。

 ご飯が本当に大盛り! 大盛り注文なのに更に大盛り。

 直径15cmくらいの中華屋の大どんぶりに、ご飯の山ができている。これだけでかるく1キロくらいありそうだ。

「お嬢ちゃん、いっぱい食べるって聞いたからサービスだよ!」

「ああの、ありがとう・・・」

 そんな大きな声で言わないでっ! と心の中で叫ぶ梓の顔が赤らんでいる。

 でも、そんな恥ずかしさに負けずに食べるのが梓だ。否、その驚きは既に期待に変わっていた。

 さっそく口慣らしにスープをすする。

「あ、おいしいかも」

 梓がぼそっと呟く。

 中華スープは塩辛かったり薄すぎたりするのが常だが、実にちょうどいい具合の味付けになってるのだ。

(江戸っ子さん、[梓が勝手に名づけた]意外にやるかも)

 チンジャオロースは、厚みのそろった牛肉とピーマンが、てらってらの輝きを放っている。

(あぶらぎってて食欲そそる~。やば、よだれでてきた)

 普通、巨大ロースカツとうな重を食べた胃だったら、この油は食欲ではなく吐き気だと思うが、梓には超うまそうに見えているのだ。

 その牛肉とピーマンを箸でつまんで口の運ぶと、歯ごたえとうまみのバランスが絶妙。

 体は正直で、そのおいしさに梓のお腹がぐるぐると動き出し急に消化活動を活発化させたのがわかった。

(わたしって、ホントくいしんぼうだ)

 でも食欲には勝てない。

 チンジャオロースをつまんではお茶碗? おどんぶり? に乗せてご飯と合わせて口へ運ぶ。

 一口食べては、そのおいしさんにウンウンとうなずく。

 うん、ぱく、んぐ。

 ぱく、ぱく、んぐ。

 ずずー

 ぱく、ぱく、はむまむ。

 お皿に盛りつけられたチンジャオロースは、一箸一箸だが確実に口は運ばれていき、あっというまに梓の胃に収まった。

「ふー。おいしかったっ」

 一気に食べてしまった。我ながら私は食べるのが早いと思う。


 ちょうど食べ終わったあたりで、鶏肉とカシューナッツも出てきた。

 こちらも、油でギラギラしてる。

「こっちも、おいしそう!」

 梓の顔がキラキラひかる。

 改めて「いただきます」と言うと、さっきと同じように小さく手を合わせるポーズをとった。

 鶏肉とカシューナッツ炒めは、鶏肉の噛みごたえとカシューナッツのコリンとした歯ごたえが実に気もちよく仕上がっている。

「ふん、おいひー」

「うん、おいひーなぁ」

 時々コクコクうなずきながら気づかずも声が漏れ出ている。

 その姿が傍目にもとてもかわいい。

 かたあげもとれない美少女が笑顔でぱくぱくご飯を食べている姿は、見ているだけでも周囲を幸せにするのに、この天然っぷりには放ってはおけない吸引力があった。

 周りのお客さんがチラチラとこちらを見ている。

 それに本人は気づく様子もなく。


 中華は味が濃い目なので、ご飯がどんどん進む。そのためか鶏肉とカシューナッツを食べ終わる前にご飯がなくなってしまった。

 あの1キロ大盛りご飯がなくなるとはどういうこと?

 でもまだ、この料理も残っているしマーボー豆腐もでてくる。

 困った……。

「おかずだけじゃ食べられないし。でも、この大盛りをおかわりするのはちょっと・・・」

 とあたりを見回すと、まわりのお客はふいと視線を外す。

(やっぱ見てるよね。一人で三人前をもたのむんだもん)

 本人も女の子として、がつがつ食べる自分の姿を意識してしまう。

「でも、このままじゃたべられないもんね。仕方ない」

「あ、すみません」

 と梓は小声で店員を呼んだ。

「ご飯をおかわりしていいですか。ご飯だけ先に食べちゃって・・・」

「はい」

 店員さんはまだ食べるのかという表情でどんぶりを持っていく。

 どんぶりが戻ってくるまで、しばしの休憩。

 何もすることなくぽつんと座っていると、急に心細くなってきた。こんなに食べて周囲の視線が気にならないと言えば嘘ではない。だんだん俯き加減になってきた。

 自然に目に入る自分のお腹を見てみると、ちょっとさっきより出てるように見えた。

 おなかを両手でさすって、どの位の出っぱりなのか確認してみる。

 肋骨の下のあたりから、手の曲面に合わせてなゆるやかなふくらみを感じる。

 それが、へそのあたりで頂点になり、スカートのところでくびれて、またふくらみ、足の付け根のまで、また緩やかな裾野を作っていた。

 ちょっと洋服越しに自分のお腹を摘まんでみると、お腹の皮がピンと張っているのが分かる。

 表面の薄い脂肪の層をぷつんと摘まんでは放し摘まんでは放し、そのぷつんという感触を楽しんでいると、ご飯のおかわりがやってきた。

「おかわりのご飯です」

「ははいっ!」

 急に声をかけられて、ひゃっとなる梓。

(見られたかな・・・)

 頭をペコリと下げてご飯をもらう。

(やばっ絶対見られた)

 でも後悔してもしょうがない。それを振り切り、またご飯の続きを食べ始めることにした。

(早く食べないとマーボー豆腐も来ちゃうし)

 と思った矢先に「マーボー豆腐お待ちどうさまです」と、さっきとは違う店員がマーボー豆腐を持って来た。

 その店員はチラリと梓の口元を見て、「いい食べっぷりね」という表情を浮かべて去っていく。

 梓はそれを横目で見ながらも、早くマーボー豆腐に取り掛かるべくスピードアップして鶏肉とカシューナッツ炒め、そしてご飯を食べる。今度はご飯の量を調整しながら。

(三杯目は頼まないようにしよう)

 そうこうしているうちに、鶏肉とカシューナッツを完食した。

「鶏肉さん、ごちそうさまでした」

 つづけて期待に胸をふくらませマーボー豆腐に挑戦。

 赤く染まったぷるぷるの豆腐をレンゲで救い上げる。

 ふーふーしながら小さな口をすぼめて、するっと豆腐を注ぎ込む。

「辛いかもっ」とちょっと身構えた口から自然に小さな声が出たが、「……美味しい! 辛くなーい!」

 赤く染まったひき肉のところもすくって食べる。

 恐る恐るマーボー豆腐を食べる姿を見てか、厨房から店主から「辛くねーか!」と大きな声が飛んできた。

 嬉しさの余り「辛くないー!」と大きな声で返事をしそうになったがハっと我にかえり、ちょっとあたりを見まわしてから大きめにコクリと頷く。

(うん、大丈夫)

 と思ったら、だんだん辛くなってきた!

「!!」

「なんか辛くなってきた……けっこう来るかも!」

「あー、もうだめ!」

「口がひりひりだぁ~」

 もう一度言うが中華は味が濃い。喉が渇く。すでにお水は2,3杯は飲んでいたが、マーボーの辛さは想像以上だった。

 辛い物がダメな梓は更にお水を手に取った。テーブルの上のピッチャーを取ってコップにあけ立て続けに2杯、3杯、4杯と飲む。

「はー。おさまったー」

(江戸っ子さん、うそばっかり。ぜんぜん辛いじゃん! もうっ! でも、おいしいけど)

「辛いからご飯と混ぜながら食べようっと」

 レンゲでマーボー豆腐をすくい、どんぶりのご飯と合わせながら食べる。

 2口、3口、4口・・・

 梓の表情が変わり、ぴたりと箸が止まる。

「ん、ダメ、きつっ」

(もう、スカートが、、はちきれそうっっ)

 そう心の中で叫ぶと自分のおなかを見た。

 さっきまで、たしかに苦しかったスカートだが、今はおなかにめり込むようにぴっちぴちにになっている。

 一気にお水を飲んだので、ここまでに食べたものが胃の中で膨張したのだ。

 ふー、ふーっ

「苦しい・・」

 もう恥ずかしいけど、スカートのホックをここで外すしかない。

(ああもうダメ! そんなの周りにみられたら超はずかしいじゃん)

 でも、このまま動いたら、こんなにパンパンだもん、絶対スカートが破けちゃう。その方がもっと恥ずかしいし。

(どうしよう)

 と考えているうちにも、さらにおなかがぐいぐい膨らんでくるのが分かる。

 息を吸う度に胴回りが膨らみぐいぐいスカートを押し広げていく。

(ダメ、苦しいっ)

 梓のおなかは、帯で締められた風船のようのスカートの所でくびれて、その上から盛り上がったおなかがかぶさるようになっていた。

(だめ、もう限界! ホック外そう!)

 梓は、Tシャツをスカートから引っ張り上げ、からだをひねって見えないようにスカートのホックをまさぐった。

 スカートとおなかの間に指をいれたいが、あまりにおなかが張って、指が入って行かない。

 スカートのホックが飛ばないよう注意しながら、おなかをひっこめつつ無理やり指を押し込む。

 ホックは構造上、一度、締めるようにしないと外れない。

「ふんっ」

 限界までおなかを引っ込めて力を入れるも、お腹はスカートのサイズ以下にはならずホックは一向に外れない。

 両手で、スカートの左側を持ち、からだをひねって

「すー、はー、……ふんっ」

 おなかを引っ込めると同時に、わきばらにパンチをいれるように力をこめ、やっとの思いでホックを外した。

 ホックがはずれると自由になったお腹が、どん!と音をたてて下に落ちて行く。同時にスカートのチャックが一気に下まで開き、

「ジーッ!」と派手な音をたてた。

「あっ」

 その声に周囲の視線が梓に集まる。

(やば、パンツ見えちゃう!)

 声には出さないが、それが一番気になり急いでTシャツを下にずり落として開いたホックとジッパーの切れ目を隠した。

「はぁ~でも、楽ちん。おなか楽になったー」

 ほっと一息ついて、また自分のおなかの様子をながめた。

 明らかに水を飲む前の自分のお腹ではない。

 背をのばして椅子にこしかけると、おなかのふくらみがTシャツを押して、Tシャツの中心から皺が寄っているのが分かる。

(目立つなかなぁ。私のおなか)

(でも、今日はおなか一杯に食べろって先生から言われたし)

(でも、まだそんなに気にならないよね。うん大丈夫。歩くときはちょっとおなかを引っ込めて歩こう)

 そう気を取り直すと、またマーボー豆腐を食べ始めた。

「ぱく」

 汗をかきながら、マーボー豆腐は一口一口、梓の口のなかに吸い込まれていく。

 あれほど水をガブ飲みした辛いマーボーだったが、だんだん口が慣れてきたのか、さっきより楽に食べられるようになった。

 口が慣れると辛さのなかに隠されたおいしさが顔を出し始めた。一口食べる毎にその旨みのとりこになる。

「おいしいー」

 ぱくぱく。

(マーボーの辛さと、でもお豆腐にあったときの和らぎがなんとも)

 ぱくぱく。

(ひき肉の肉汁がまた)

 ぱくぱく。

(ココの店、おいしいかも)

 ぱくぱく。

 マーボー定食完食。定食三人前はあっというまに胃袋に収まった。


「はー、ごちそうさまでした」

「もうこれで十分か? 腹いっぱいになったか?」

 江戸っ子さんが声をかけてきた。

「ははい! もうおなか一杯です。もう食べられません!」

 咄嗟にそう言ったが、もちろん全然ではない。

 でも、ここでまだ「全然足りてません」と言ったら、絶対、周りが変な目で見るに違いない。本当はもっと食べたいけど、とりあえず満足でと言っただけだ。

「そうか、よかったな。又来いよ!」

「はい」

 と返事をすると、スカートを抑えつつお店を出た。

「ふー」

「ここまでで、カツ定食、うなぎ、チンジャオロース、鶏肉とカシューナッツ、マーボー豆腐の定食」

「スカートはこんなになっちゃったけど、なんか食べたりないなぁ」

 だんだん自分の感覚がマヒしてきていることに梓は気づいていない。ランナーズハイならぬイーターズハイになっているのだ。

「とりあえず、スカートは安全ピンで押さえておこう。このままずり落ちちゃったら超ヤバいし」

「いっぱい食べるとお腹が気になるんだよね。いくら食べても大きくならないおなかがほしいなぁ」

 安全ピンでスカートを押さえ直しながら、そんなバカみたいな事を考えてしまった。


「んー、さて、どうしようっかな」

「もう少し……、んー、もっと食べてる実感があるのが食べたいなぁ」

「なんか、どんどんおなかに入れたいカンジ」

 お腹をさすりながら次の食欲に心が躍る。

 だれにも話したことはなかったが、梓は大きくなった自分のお腹が服に圧迫され擦れる感触がたまらなく好きだった。

 いま、まさに彼女のお腹はピンクのシャツを押し出すほどに大きくなり、その感触に軽い興奮を覚えている。

 梓の視線が次のターゲットを物色し始める。

 はす向かいにはお蕎麦屋さん、その先にはうどん屋さんも見える。

 パスタも捨てがたいし、どうしようっかな、いちばん食べてる感があるのはなにかな。

 ほっぺに指をあてながら、中華屋の前でウンウン考えていたが、どんどん胃に入れる感覚が一つのイメージに結実する。

「そうだ、商店街を戻って博多ラーメンに行こう! 博多ラーメンって替え玉があるんだよね。ちょっと恥ずかしいけどいっちゃおう!」

 興奮ぎみの梓の中で何かが弾けたようだった。

「急いで戻ろう! 先生は2時間くらいっていってたけど、もう1時間もたっちゃってるし、ここらへんでペースを上げないと」

 何かだんだん大食い番組の様相になってきた。初めは恥ずかしながらもいっぱい食べられる楽しみを味わっていた筈なのに。


 ・・・・


 小走りで商店街をもどる。

 走るペースに合わせて、お腹がぽよんぽよんして、すごく走りにくい。

「はぁはぁ、おなか一杯じゃないけど、ちょっと苦しい」

「それに、スカートがちょっと・・・」

 スカートを気にしつつペースを上げたり落としたりしながら、ストリートを走り抜けやっとの思いで病院近くのラーメン屋に辿り着いた。

「はぁはぁ、やっとついた」

 博多ラーメン「大神」

 きっと福岡では有名なチェーン店なんだろう。のれんには替え玉2つ無料とある。

「なんてお得なお店! どのくらいの量かわからないけど、まだ替え玉10個はいけそう」

 なんて思うのだった。

 お店に入ると、中はL字型のカンターで、店は開放的でオープンな作りになっている。かっこよく言うとオープンカフェ、悪く言うと外から丸見えのカウンターなのだ。

 梓はそのカウンターの一番隅っこに座った。あまり目立たないように。

 ちょうどお昼が終わった時間なので、お客さんは誰もいなかった。ラーメンなんて2時頃に食べるものではない。

「やった!これで思いっきり食べられる!!」

 心をおどらせて注文を出す。

「豚骨ラーメンをおねがします」

「面の硬さは?」

「え、硬さって何?」

「博多ラーメンは面の硬さが選べるんですよ。一番硬いのはハリガネ。もちろんやわかいのもできますよ」

「えーと、じゃふつうでいいです」

「はい、豚骨ふつう。ありがとうございました!」

 威勢のよい声が店に響く。といっても店と外の区別はほとんどないのだが。

 ラーメンはあっというまに出てきた。1分くらいしか待っていないだろう。

「はやっ!」

 無意識に声がでる。

「麺が細いから、茹で上がるのもはやいんです」

「へー。じゃいただきます」

 手を合わせてそういうと、箸をとり丁寧にパキリと割り箸を割った。

 ゆっくりとロングの髪を耳にかき上げて、首を前に差出し麺をすする。

 細麺を噛むとプツリとした触感がある。スープのからみもよくとろっした濃厚な味が舌にひろがった。

「うん、おいしい」

「テーブルの上にある紅ショウガとか辛子高菜は好なだけお使いください」

「高菜は入れすぎると辛いので気を付けてください」

「はひ」

 麺を口に含みつつ、梓は返事をする。

(また辛いやつかぁ。じゃ入れないでいこうっと)


 3口、4口とするるとあっというまに、ラーメン丼の底が見えてきた。

(あれ、そんなに多くないんだ。だから替え玉があるのね。じゃ、さっそく替え玉いこうっと)

「おじさん、替え玉1つおねがいします!」

「はいー、麺の硬さは?」

 ああ、さっきのアレ。毎回いうんだ。

「えっと、じゃこんどは固めでおねがいします」

「はい~」

 箸を落ち着けて替え玉が出てくるのを待つ。

 っと、間もなく替え玉がやってきた。

「はやっ」

 さっきよりも更に早い。

「はいっ、固め替え玉!」

「ありがとうございます」

 お皿に面だけが乗ってきた。どんぶりじゃないのね。

(これをスープに入れてっと)

 箸でスープに絡ませて、またすする。

(ちょっと味がさっきより薄くなったかしら? ゴマとか入れてみようかな)

 テーブルにあるゴマをとり、つまみをぐりぐり回してみる。

 初めて使うゴマすり機が面白い。ついつい楽しくなって大量のゴマをすってしまった。

「まぁいいや、どうせたべちゃうし、いただきまーす」

 ずずっと勢いよく麺をすすり始める。ゴマのせいで軽くむせるがこの勢いなら、また5~6口でなくなりそうだ。

(そうだ、早めに替え玉を頼めば、続けて食べられるんだ)

(1分かからないで替え玉は出るから、3口まえくらいで頼めばいいかな)

 ちょうど半分くらい食べ終わったところで、替え玉の注文を出す。

「もうひとつ替え玉おねがいします。あっ固めで」

「はい」

 するとちょうど食べ終わったあたりに替え玉が出てきた。

(うん、このペースだ)

 一人悦に浸りながら替え玉をスープに入れ、また食べ始める。

 味がさらに薄くなった気がする。それよりもスープが減ってきたような。

(なんか薄くなってきたから辛子高菜をいれてみようかな。辛いって言ってたから一つまみだけにしよう)

 そういって、トングの赤ちゃんみたいな道具で高菜をつまみ、スープに入れる。

 が、なかなかトングから落ちてこない。

 ん、んっと一生懸命振るが、意外なほどの粘着力で高菜は頑なに落下を拒否し続けている。

「もう!」

 とどんぶりの端にトングを叩きつけると、トングに付いていた全ての辛子高菜がスープに落ちてしまった。

「わわっ、全部入っちゃった!」

 結構な量が入ったようにみえる。超辛いっていってたけど・・・

 どうしよう、辛くなっちゃったかな。ちょっと確かめてみよう。

 レンゲをとってスープをすすると、辛子高菜が落ちたあたりは超辛い!

「げほ、けほ! からーい!」

 小さくでも高い声が漏れるように出た。

 それを聞いた店員は、あらら高菜を入れ過ぎましたね。じゃスープを足しましょうか? と言ってくれた。

「あ、スープも替え玉できるんですか?」

「替え玉じゃなくて、足すんですよ」

「替え玉するとスープが減っちゃいますから。最後までおいしく食べていただくために、スープを足すサービスもしているんです」

「ありがとうございあます。じゃ、お願いします」

 店員さんは、ひしゃくでスープを足してくれた。

 スープからまた湯気があがる。

 スープも暖かくなって、とんこつ味も濃く辛みも薄くなって、また最初のように食べられる。

 よかった、ほっと一安心。

「じゃ、またいただきます」

 高菜を入れたりスープを足したりしているうちに、すこし面がのびてしまったが、またおいしくいただけた。

 例によって、また半分くらい食べたあたりで替え玉をオーダーする。

 こんな調子で、替え玉を5回くらい繰り返したあたりで店員さんが声をかけてきた

「お客さん、すごいですね。5玉食べる人はそんなにいないですよ」

「え、やっぱりそうなんですか? ちっちゃいからスイスイたべちゃうけど、なんとなく普通は2、3個くらいかなと思ってたんですけど」

「女の子なら3つも食べないですよ。替え玉をしても普通は1つです」

 あー、やっぱりそうなんだ。と梓は思った。

(やっぱりわたし、全然普通の女の子より食べるんだ。今まで全然気づかなかったけど、なんか友達と話が合わないと思ったんだ。結菜ちゃん全然食べないなぁと思ってたけどあっちが普通で私が大食いだったんだ)

「がんばって記録作って下さいね!」

「えっ、ははい」

 はっきり自分が大食いだと悟った梓だったが、店員さんは梓が大食いの記録を作りに来ているかと思ったのか必死に応援をし始めた。梓もその調子に乗せられて一所懸命に替え玉を食べ続ける。


 だが10玉を食べたところで、梓がなんかそわそわし始めた。

 なんとなく座り直したり、もそもそしたり、お腹のあたりをさわったり、どうにも落ち着かないのだ。

「大丈夫ですか。もう食べられませんか? あのトイレなら奥に……」

「じゃなくて、あ、大丈夫です」

「でもなんか落ち着かないようですけど、もし無理ならここで」

「あの、じゃなくて。その服がちょっと」

 さっきから、ちらちら自分のお腹を見ていたが、ひと玉食べるごとにお腹が出てきてウエストに収まっているスカートがジッパーの先から破けてしまいそうなのだ。

 スカートは腰まで落とさないといけない。

 シャツも結構ゆとりがあると思っていたが、今やかわいいドット模様も横に伸びて楕円形。ぴっちぴっちの状態で少しずつずり上がってきている。そのせいで、ぱっつんぱっつんになった下っ腹がシャツとスカートの間から顔をのぞかせていた。

 巨大化したお腹がもう服に収まらないのだ。


 梓のほっそりとした体系は、いまや胴回りだけが下ぶくれた異様なナス形になっていた。

 面白いのがお腹だけではなくて横っ腹も背中も大きくなっていることだった。背中を触ってみると丁度ウエストの裏あたりからふっくらしているのが分かる。もちろん横っ腹は、くびれなど微塵もなくでっぷりと膨らんでいる。

 梓自身もここまで食べたことがなかったので、自分の体系の変化に驚いた。

「確かに凄いですね。Tシャツは大丈夫だと思いますけど。あの、おせっかいかもしれませんが服が気になるようでしたら僕のシャツをお貸ししますけど。ラーメン屋って、すごく汗をかくんで替えのシャツを持って来てるんですよ」

「あ、すごい、助かります。それ!」

「ちょっと待っててください」

 というと店員は店の奥に入って自分のボタンダウンのシャツをもってきた。

「そうぞ」

「ありがとうございます」

 梓をそれを羽織って、大きく出っ張ったお腹を隠した。


 たぶん今までの中で一番食べたかな?

 確かにお腹はかつてないほどパンパンに張っている。でもお腹一杯でもう食べられないという感じではない。いま目の前にケーキがあったらきっと食べちゃうだろう。

(お腹一杯ってどういう感じなんだろう……これがお腹一杯なのかしら? 結菜ちゃんは、誕生日にケーキを食べすぎたら吐きそうになったって言ってけど、こんなに食べてもそんな感じはないし。)

「頑張って下さい! あと2玉で店の記録更新です!」

 活の入ったその応援に梓はふと我に返った。

 たしかにラーメンはおいしかったけど、なんで私10玉も食べるてるんだろう。もう飽きちゃってるのに。

(……ラーメンはここでストップしよう)

「あの、替え玉はもういいです」

「あー、ついに限界ですか? 残念です。でも凄いですよ女性の記録更新ですよ。それに僕がここに来てからお客さんくらいの歳で10玉食べた人はいないです!」

 と店員さんは興奮気味に話した。

「あ、ありがとうございます」

(別に記録を作りに来たわけじゃなかったし、もし記録ならここ来る前に、とんかつも、うな重も、マーボーも食べてこないよ。 なによりそんな恥ずかしい記録なんか欲しくないよ)

 店員の興奮と裏腹に、なんだか急に自分の異常さが悲しくなってきた。

「ありがとうございます。ごちそうさまでした……」

 梓はちょっと肩を落として、アタマを下げると店を出た。

「あの、シャツは今度病院にきたときにお返しします」

「また来てくださいね!!」

 店員の場違いなほど元気な声が遠く聞こえる。

 男物の大きなシャツを羽織った少女の姿は、出っ張った腹と相まって中年の哀愁を感じさせた。


 ・・・・


「そろそろ病院に戻ろっかな」

 携帯を開いて時計をみると、まだ診察まで30分くらいある。

(ああ、ラーメンは早く出るから一気に食べたけど、20分もいなかったんだ)

(なんかスゴイバトルをしたようで、時間の感覚を失なっちゃったよ。でも早く戻っても、病院にきてる人達に自分のおなかを見せるだけだし)

 ならばと、折角天気もいいのだから、ちょっと人通りの少ないところをブラブラすることにした。

 5キロ近くの重りを入れたお腹を妊婦さんがするように両手でかかえて、足を大きく上げながら住宅街の方に歩き始めた。

 初夏とはいえ2時過ぎは大分暑い時間だ。日差しも日に日に強くなっている。

「なんか一杯食べたせいか暑い!」

 じんわり汗が流れ前髪が額に張り付いた。

「喉も乾いた! お水のみたい!」

 そういえばラーメンを食べることに夢中で全然、お水を全然飲んでなかった。

 それ以前に、中華屋でがぶ飲みした以外、今日は全然水分を取ってないことを思い出した。

 こんなに食べているのだから体が水分を欲して当然だ。

「どうしよう、ちょっとそこの喫茶店に入っちゃおうか」

 ふだんなら自動販売機でも探して飲み物を買うのだが、すっかりお店に入り慣れた梓は、お店を探して入る事が自然な思考になっていた。

 つい2時間まえまで緊張の面持ちでのれんを潜っていた少女とは思えない。

「そのまえに、このシャツでおなかの周りを隠してっと」

 シャツの袖をお腹のまわりに結わえて、いわゆるディレクタールックを作る。

「ちょっとは隠れたかな?」

 手を開いて、くるくるっと回って左右の自分の姿を確認する。特にお腹周りは念入りに。

「ちょっとスカートが下がってて、足が短く見えるのがイヤかも」

「あとシャツ地味ー」

「それとおなかの辺りが、もっさりしてるような……」

 いや確かにもっさりしているのだ。そこには大量のご飯が詰まっているのだから。

「まぁいいや、ギリギリOK! お店に入ろう!」

 ドアを押し開けると、からんころんとカウベルの音がした。中はアンティークな木目調のお店。天井は高くて、大きなファンがゆっくり回っている。

 髭のおじさんが店主なのか、白い調理服を着てレジの前に立っていた。

「いらっしゃいませ。お嬢さんお一人ですか」

「はい、あの病院からここで何か食べてきてと言われてきました」

 といって、例の紙を見せる。

 別にここで食べろと言われた訳ではないが、好きに食べて来いと言われたのだから同じようなものだ。

 髭のおじさんは、いいよとにっこり微笑み、席に案内してくれた。

 店主は「女性のお客様は、どんなに小さな方もレディーですから」と言ってイスを引いてくれた。

(すごい、なんかお姫様みたい!)

「お嬢さんさん、何になさいますか?」

 店主は革張りのメニューを開いて差し出しだす。

 そこにはコーヒーや紅茶とたくさんのケーキが書いてあった。

「ここってケーキ屋さんなんですか? あまりそう見えなくて」

「ええ、ケーキ屋さんです。わたしが作ってます。でもたくさんは作れないので、私が作りたいケーキを少しだけ、いろんな種類のケーキを置いてるんですよ」

「へー、パティシエさんなんだ」

「そうです。難しい言葉をご存じですね」

「へへ、小さい頃アニメで観たんだ」

 と言っても今も十分小さいのであるが、子供にとって小学生の2年前、3年前なんて大昔のこと。

「おじさんは、どんなケーキが好きなの?」

「わたしですか。私はチョコレートが好きなんです。私の工夫に応えてくれますから」

「へー」

「今日は、チョコレートケーキはいかがですか。きっと満足していただけると思いますよ」

 おじさんは、そうしてメニューを指差した。

 そこには、ザッハトルテと書いてあり、値段は2000円!

(えー! ケーキが2000円! めっちゃ高い!)

(アンリのケーキとか500円くらいなのに、ここ高級店だった!?)

(私、場違い!?)

(ど、ど、どうしよう、あ、もうでも、やっぱ帰りますっていえないし。入った瞬間に気づけばよかった。どう考えても高そうな店だったじゃん。何ぼんやりしてたのよ私。食べ過ぎてあたま悪くなっちゃった!?)

 なーー! とグルグルしていると、おじさんが

「はっはっはっ、そんなに緊張しなくていいですよ。お店に入ってきたときの自然なあなたが一番です。 お金のことが心配になったのでしょう?」

「あの紙には、お金は病院が払うと書いてましたから自由にお召し上がり下さい。それより……女の子はおいしいものを食べているときの笑顔が一番ですから。今日は私にその笑顔を見せてくださいね」

 とキザな事を言ってザッハトルテを勝手にオーダーしてしまった。

(……やられた!)

 まだ、それを食べるっていってないのに。それに飲み物。そっちの方が欲しかったのに~。


 間もなく店主が戻ってきて、ザッハトルテを持ってきた。

「こちらがザッハトルテです」

「それと、すみません。お飲み物を伺ってませんでしたね。早くケーキを食べてもらいたいと思って、すっかり忘れてしまいました。どうもいけません」

「あはは、おじさんおもしろですね」

「そうですか、わたしもあまり客商売は向いてないと思ってます」

 というとにっこりほほ笑んだ。

 梓はオレンジジュースと頼むと、おじさんはちょっと考えて。

「ザッハトルテにはオレンジジュースは合わないかもしれません。もしよろしければ、ほうじ茶はいかがでしょう」

 オレンジジュースは、ザッハトルテの後に飲むとよろしいとって、また勝手にほうじ茶を注文してしまった。

 ぽかん……おもしろいおじさん。


 厨房からか、いい焙煎の香りが漂ってくる。ほうじ茶が出てきた。

 ザッハトルテにフォークをさして、一口食べる。

 濃厚なチョコの味。鼻に抜けるココアとバターの香り。

 中のスポンジもチョコが沁みてて、チョコが舌の上で溶けると口中に甘さとビターな味わいが広がる。

「わー、すごい!」

 思わず感嘆の声が上がった。それを見ておじさん、ご満悦の表情。

 ほうじ茶を口に含むと、口の中に残ったチョコがとろけだして、また2度目の味わいが広がる。

 こっちはビターな感じが引き立つ感じだ。

「おいしいーー! ほうじ茶ぴったり!」

「ほら、最高の笑顔になったでしょう」

「これだからパティシエはやめられないのです。女性が大好きな私には天職ですよ。こんなお嬢さんにも喜んでもらえる」

「おじさんすごいね。もしかしてアドマチとか出るすごい人なの?」

「アドマチ? いえ普通にお菓子と女性が好きな男ですよ」

 これはいい店に入ったと梓は思った。他のケーキも食べてみたいと心から思った。

 お金の心配も時間の心配もない。ザッハトルテは最高においしいけど、ぱくぱくっと食べて次のケーキを食べてみたい! こんなに自分の本能に逆らえないと思ったのは初めてだった。

「おじさん別のも食べていい」

「ええ、もちろん」

「じゃね、チョコじゃなくてもいい」

「もちろんです」

「じゃね、イチゴショートが食べたい」

「ええ、喜んで」

 おじさんはガラスケースにケーキ棚にもどるとイチゴショートケーキを持ってきた。

 イチゴショートはザッハトルテよりも心持大きく、梓が持っている携帯より大きいサイズだ。

「これもおいしそう。香りがいい、イチゴの香りもいいけどクリームの香りがすごいする」

「お嬢さん鼻がいいですね」

「クリームが重くなると香りも重くなります、さわやかな香りになるだけクリームも軽いのです。バーターの使い方が秘訣です……」

 なんてうんちくを聞く間もなく、梓の口にはショートケーキが運ばれていた。

「ぱく」

(うん、ふわっとしてて香り高くて、おいしい)

「おいしいー。すごくすっきりしてるから、いくらでも食べれちゃいそう!」

「そうでしょう。クリームがですね。バターが多いと・・・」

「おじさん、お替り!」

「おお、お嬢さんは食べるのが早いですね。でも夢中で食べてくれるのは本当に幸せです。次は何になさいますか?」

「ミルフィーユがいい!」

「やはり女の子ですね。いちごがお好きだ」

「わたし、あの生地の歯ごたえが好きなの。さくさくって」

「ええ、私も大好きです」

 では。言ってミルフィーユを持ってきた。

「このミルフィーユは、6回も折り返して作ってるんですよ」

「多くのパティシエは手を抜きたくなるので5回くらいでやめてしまうのですがミルフィーユは食感が命です……」

「いただきまーす!」

「おやおや」

 またも、解説を無視してぱくりと一口。

 これもまたおいしい。

「そうそう、お嬢さん。ミルフィーユはこのナイフで切って食べると食感を損ねることなく食べられますよ」

 といって、包丁のようによく切れるナイフを手渡された。

 たしかに、ミルフィーユはフォークで切っているうちに、ぐずぐずになって食感が失なわれてしまう。こういう細やかな配慮に、ただのうんちくおじさんじゃないところを感じる。

「ありがとうございます。わ、なにこれ、スゴイ切れる!」

「美味しく食べるためには道具にもこだわるべきですから」

 たしかに、さっきよりもっとおいしく食べられる。

「すごいよ、おじさん!」

「ありがとうございます。そう言ってもらえてなによりです」

 そんなやりとりをしつつ、プラムタルト、モンブラン、ミルクレープ、チョコレートケーキ、フロマージュ、チーズケーキ、ティラミスと食べ続けた。

 さすがにエクレアあたりから、おじさんが大丈夫かとしきりに聞いてきた。

「お嬢さんおいしいのは分かりますが、でもちょっと食べ過ぎではないですか? お腹は大丈夫ですか?」

「ううん、全然大丈夫だよ。実はね、私いくら食べてもおなかが一杯にならなくてね。ほら」

 というと梓は席を立ちあがって、腰に巻いたシャツをしゅるっとほどいた。

 そこには、わんこラーメン後よりも、さらにドドんと膨らんだお腹があった。

 パンパンにつっぱったTシャツは、さらに上にずりあがり、まるくこんもりとしたおなかが完全に見えている。

 ショートスカートは腰に斜めにかかり、パンツの上がちらりとみえている状態だ。

「ここまでにね、わらじロースカツとうな重と、チンジャオロース定食と鶏肉定食とマーボー豆腐と、ラーメン10杯食べてきたの」

 上機嫌な梓はここまで食べてきたモノを披露した。それを聞いたおじさんは大いに驚き、そりゃそのお腹になる。その上、ここでケーキを10個も食べるなんて、すごい食欲だと目を白黒させた。

「でもそのくらいにしておいてはいかがでしょう。お腹が一杯にならなくても、パンクしちゃうかもしれませんよ」

 と一言警告するのを忘れなかった。

 そう言われて梓は急に不安になった。

 たしかにお腹は一杯になってない、結菜ちゃんがいうような吐き気とかもない。けど、このお腹は確かにヤバい。

 かつてない大きさだし、もしかしたらもうパンク寸前だけど、私だけが気づいてないだけかもしれない。

 そう考え始めると、もう一口も食べてはいけないのではないかと思えてきた。

 胸がドキドキする。喉のあたりもドクドクと鼓動を打っているのを如実に感じ始めた。


 梓の表情がにわかに曇り。そしてフォークが静かに置かれた。

「おじさん、私もう病院にいくね。ありがとう。ケーキすごくおいしかった。あとお話も楽しかった。ありがとう」

 感情を殺して早口にお礼を言う。一刻も早く病院に行かなくてはならない。

「ああ、またいらっしゃい。まだ食べてないケーキもありますよ」

「はい」

 また腰に男物のシャツを巻きつけて、足早にケーキ店を出た。

 自分の鼓動がどっどっどっと音をたてている。気のせいか胸が苦しい。

「はぁはぁはぁ、なんか苦しい。もしかして、まさかもうパンクしてるってことはないよね」

 お腹が超重い。普通に歩いているつもりでも前のめりに躓きそうだ。病院まで急ぎたいが足が思うように前に出ない。足の裏や膝にもズシリとした今までに感じたことのない重量を感じる。この重さは梓がこの2時間で食べた食事の重さだ。それが全て足の裏に伝わってバランスを崩す。

 バランスを取ろうとして足を大きく踏み出すだけで、太ももの付け根が自分のお腹にあたるのが分かる。

「なんか歩きにくっ」

 足元を見ようと下を見るが、余りにお腹が出ていて、もはや自分のつま先を見ることすらできなかった。

(気づかなかったけどケーキって意外におなかが膨れるんだ。自分でもこんなにおなかが突き出ているのが分かるんだから、周りが見たらシャツで隠してても全然分かっちゃう)

 その懸念は正解だった。

 大通りに出ると、周りの人がまず梓のおなかに注目する。次に顔をみる。そして何? っていう顔をする。

 梓は鏡を見てないから分からないが、横から見ると明らかにお腹が変なのだ。

 身長140cm程度の小柄な女の子のお腹のまわりだけが関取級であり、その太い胴体から棒のように細い腕と足が出ている。

 いくらシャツで隠しても体系を隠すことはできない。

 あずさは重たいお腹を持ち上げながらひーひー言いつつ、人目に晒され病院にたどり着いた。


 ・・・・


 時間はちょうど2時間後。

 診察室の前に着くと座る間もなく名前が呼び出された。

「御子柴さーん、御子柴梓さん、3番診察しつにお入りください」

「はっ、はっはーい」

 息を切らせて診察室に入る。

 先生はカルテを見ながら、「梓ちゃんいっぱい食べてきたかい?」とのんきな声を上げた。

「はい、いっぱい食べました、あ、あの先生、わたし……」

 と言って腰に巻いたシャツをほどいた。

 「ん、どれどれ」と先生が目を上げると、その目は梓の全身にくぎ付けになった。

 ウエスト80cmはあろうかという、でっぷりとしたおなかがそこにある。思わず言葉を失った。

 10秒、20秒は経っただろうか。

「先生、すわっていいですか。おなかが重くて」

「あ、ああ、そこに座って」

「えっと、何を聞いたらいいのかな。えーと、2時間で何があったの?」

「はい、先生がご飯を食べてこいっていうから、ご飯を一杯食べてきました」

「うん、たしかに言ったけど。キミ梓ちゃんだよね。別人じゃないよね」

「はい、梓です」

「ううん、同じ顔だもんね」

「えっと2時間で何を食べてきたの?」

「はい、わらじロースカツの大盛りと、うな重と、チンジャオロース定食と、鳥とカシューナッツの定食とラーメン10杯と、ケーキを10個・・・を」

「す、すごい食べたね。それでお腹は一杯になった?」

「いいえ、まだお腹いっぱいじゃないんですが、ケーキ屋さんのおじさんが、それ以上食べたらパンクするかもって言うんで怖くなって途中で食べるのをやめてきました」

 不安を浮かべた青い顔で先生を見つめる梓。

 驚いた。こんなになってるのにまだ満腹じゃないのか! これはたしかに異常だ。不安になるのも無理はない。

「わかった、さっき来たときはちょと信じてなかったけど、いまは信じるよ。たしかに不安になるよね」

 真顔で先生は梓に答える。

「ちょっと問診をしてもいいかい?」

 聴診器で心臓や呼吸音を聞き、ピッチピチにつっ張ったおなかに手を近づけた。

 梓は、冷たいものが来るのを予想してか、目をぎゅっと閉じておなかに手が触れるのを待つ。

 先生の手が、梓のこんもり膨らんだ下っ腹に触れる。

「硬い……」

 先生は硬さに抗うように少し強く推してみた。

「痛くないかい」

「はい」

 そうして先生は、次第に上の方を押していった。

「先生、あんまり強く推さないでください」

「ああ、ごめんごめん。おなか全体がガチガチだね。上の方はすこしやわらかいけど」

「僕が押したとき吐き気とか戻しそうになるとか、そんな感じはなかった?」

「はい、大丈夫です」

(まだ胃にはゆとりがあるってことか。すごいな)

 一通りここで調べられることを調べると先生は

「じゃ、この状態でもう一度検査するね」

 そう言うと看護婦を呼び出して、写真撮影やレントゲン撮影、血液検査を行った。


 検査には2時間くらいかかった。

 その間に、梓は何度かトイレに行った。その度にお腹がペタンこになっていく。

 それが自分でも面白いと思った。


 ・・・・


「検査結果が出たよ」

 先生がまた梓を診察室に呼び出した。

「ぜんぶ分かるように説明してあげるからね」

「はい。ありがとうございます」

 まず先生は梓が病院に戻ってきた直後の写真を見せた。

 梓は自分で自分の姿をみてないので、大食いしたときどんな風になっているか初めてみることになる。

 正面、側面、背面から撮った3面写真。


 正面からみると、胸のしたから、太もものあたりまでが、どーんと大きくなっているのが分かる。それは重さに耐えかねて下に垂れ下がってるようにも見えた。

 よほど胴回りが膨らんだのだろう。おへそが伸びきっておへその中身が完全に見えている。横っ腹も太鼓状に信じられないほど膨らんでいた。

 横からの写真を見るとそれははっきりした。何か得体の知れぬものが胴回りに取り付いてるようだった。

 横からみて気づくのは、背中も大きく膨らんでいることだ。食べた時に背中がつっぱるように感じたが、やっぱり背中が太っていたのだ。

 よく大食いの人が、いっぱいたべたら妊婦さんのようというが、妊婦とは違っておなかの上の方からボンと大きくなっているのも特徴的だった。

 ウエストサイズは普段の梓の2人分はあるように思えた。

「この時のウエストは89cmもあったよ」

 と先生は言った。

 コクと梓は頷いた。お腹の皮を引っ張ろうとしても全く摘まむ事すら出来なかったのだから、その位あってもおかしくない。

「これがレントゲンね。この黒い部分が胃だけど、ここに写っている全部が胃だね」

 先生は梓の体に横手を当てながら、「つまり梓ちゃんの肋骨から下、ずーとここのところまで」といって鼠蹊部まで手をあてて、「胃袋があったことになるね」と言った。

「これが、ぶあぁと大きくなって、体の横にもはみ出して、背中にも押し出してとなっていたことになるね。普通はここまで大きくならないよ」

 梓はただ無言でうなずく。

「梓ちゃんは、ここまで食べても吐き気とか食べたものが戻ってくる感じはなかったんだよね」

「はい、全然。おなかはパンパンだけど、そういうのはありませんでした」

「やっぱりそうか、ということは胃はまだ大きくなる余地があるってことだね」

「でも病院に戻ってくるとき、なんか息苦しかったというか」

 お腹のパンクがよほど心配なのだろう。梓は体の変調を訴えった。

「もしかしたら胃袋がかなり大きくなっていたから心臓とか他の臓器を圧迫していたかもしれないけど、これは心因性のものだと思うよ。パンクってきいた瞬間からドキドキしてきたんでしょ」

「はい、おじさんの言葉を聞いてから急に」

「たしかにレントゲンをみると本来あるべき場所にある臓器が胃に押されちゃっているが映っているからね。あ、心因性って不安になってドキドキしちゃったって意味だよ」

「こんなに食べたのは今回が初めてですけど、やっぱり危なかったんですか?」

「今回は大丈夫だけど、食べるだけ胃袋が大きくなって心臓とかを圧迫するか、お腹が一杯にならないからといって息が苦しくなるほど食べるのはよくないね」

「はい」

「それと血液検査をしたら、血糖値がかなり高かったよ」

「血糖値?」

「食べたものがどんどん消化されてるってことだね」

「普通は血糖値が上がるとお腹が一杯になった感じがするんだけど、梓ちゃんはここがちゃんと働いてないようだ」

「だから十分ご飯を食べているのに、お腹が一杯にならない。お腹が一杯にならないから、どんどん食べる、たべると胃が大きくなる、胃が大きくなって食べ物がどんどん食べれるようになると、どんどん腸が動いて、あっというまに体から出ていくという仕組みが自然に出来あがったんじゃないかな」

「すみません。なんか難しくて分からなかったんですけど」

「まぁ分からなくてもいいよ。梓ちゃんのお腹は今はもうペタンコでしょ。2時間前はあんなだったのに、もう普通の女の子の体になっている。普通の人は、そんなに早く食べたものはうんちにならないんだよ。分かり易く言うと、普通の人の10倍たくさん食べて、10倍はやく出ると思ったらいいよ」

「そうなんですか。ぜったい異常ですよね」

「まぁ、ちょっと異常なところはあるけど、べつに病気じゃないから安心していいよ」

「気を付けるのは、さっき言った息が苦しくなるまで食べないこと。あとお腹が一杯にならないからといって水ばかり飲まないこと。水中毒というのになるからね。おなかが空いて我慢できないときは塩分と合わせて牛乳でも飲むといいよ」

「あと、どんどん出しちゃうから多分太らないと思うけど毎日大食いするのはよくない。食べた瞬間は血糖値が上がるから体にはよくないんだよ。よくTVで糖尿病とかいうでしょ。あれになっちゃうかもしれない。それだけ気を付けてね」

「はい」

「安心した?」

「はい、ちょっと。でもやっぱりおなかのパンクが心配で」

「ああ、それは大丈夫。梓ちゃんの生まれながら分からないけど食べただけ胃が大きくてなるみたいだから。でもほどほどにね」

「じゃ苦しくない程度に食べます」

「おいおい、苦しいってことは今日くらい食べるってことだろう。今日は明らかに食べすぎだからね」

「体重をはかったら42キロもあったよ。7キロ近くも食べてたんだから」

「えー! 42キロ! わたし超デブじゃん」

「そうだよ。あのおなかは中年のおやじの腹だよ」

「先生、ひどい・・・」

「ははは、まぁ気を付けてほどほどにね。約束だよ。またおかしいなと思ったらいつでも来てね」

「はーい」

 そういって、先生はにっこり微笑んで梓とゆびきりをした。

 梓も自然と顔がほころんだ。その安心感といっしょに病院をでた。


 ・・・


 外はもう夕焼けの時間だ。遠くから学校のチャイムが聞こえてくる。車もライトをつけて走り始めていた。

「あー先生に相談してよかった。たしかに私の体は変だって分かったけど、食べられないよりいいよね。美味しいものをおなか一杯食べられるし。あ、そのおなか一杯が分からないんだった。えへへ」

「さて、今日の晩御飯は何かな。お腹がすいちゃったな、今日はまだパスタを食べてないからパスタにしてってママに言ってみよっと。よーし、一杯食べるぞ」


 梓ちゃん、これからどんどん食べます!

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