共生

聡梨加奈

プロローグ 

 改札を抜けると、灼けるような真夏の太陽が肌に突き刺さるかと覚悟していたものの、拍子抜け、駅前のロータリーの上に大きな屋根のようなアーケードができていて、生ぬるい風が吹き抜けた。

 走るバスの熱気と、アイドリングし客を待つ路面電車の熱がこもり、決して涼しくはなかったが、夏の暑い日差しを直接浴びなくてすむことはありがたい。


「変わったなぁ、ここも」


 鮫島さめしまはグレーと緑の鉄板でできた屋根を仰ぎ見、一人ごちた。彼が通勤でこの駅を使っていた頃はこんな立派な屋根はなかった。大理石風の石のタイルで舗装された通路、脇に整備された露店は洋菓子や和菓子を色とりどりきれいに並べていて、手土産を買い求めるのに便利そうだ。奥にはショッピングセンターと、立体駐車場、高層マンションが見え、利便性を重視し開発されたことを十分に感じ取ることができた。


「俺がここを使ってた頃は、さびれた商店街しかなかったのになぁ」


 昭和の時代からあった昔ながらの商店街があった場所は、今は駅のロータリーの一部となり、その姿を消してしまった。


「ちょっと! 成パパ!」


 感慨に耽っている暇はなかった。


「ご、ごめんごめん」


 背後からきつい口調で呼び止められ、鮫島は路面電車乗り場へ足を向ける。声の主が、その後へと続く。


「今日は大事な日なんだからっ。わたし、遅刻とかやだからね」

「わかってるよ」


 せっつくように押してくるのは、娘の綾野あやのだ。身長はそんなに高くないものの、透けるような肌と目鼻立ちがはっきりしていて、なかなか美人に育ったと鮫島は親ばかながら思っている。特に目がぱっちりと大きく、見つめられると思わず庇護欲がかきたてられる。特に今日は気合いを入れて着飾っているので、どこの女優さんだと思うほどだ。

 しかし、そんな可憐な容姿とは裏腹に、物事ははっきりしないと気が済まない勝ち気な性格で、親に対してですら、間違ったことははっきり「NO!」という。トラブルも多いが、曲がった子には育たなかった。それだけで鮫島はありがたいと思う。


江波えば行きでいいんだよね?」

「なぁ……ホントに行かなきゃダメか?」

「当たり前でしょ! どこに結婚する娘の相手に挨拶に行かない親がいんの?」


 既に乗り込んだ後だというのに、往生際が悪く、そわそわ車外を見る鮫島に、綾野がぴしゃりと言い放つ。これではどちらが親かわからない。


「だってさぁ……何話せばいいかわからん」

「何って、ふつうに世間話から入ればいいじゃん、そんなに堅くならなくても、いい人だよ?」


 うだうだ言い続ける鮫島をよそに、ドアが閉まる。

 レトロなボディの車両は長く使い続けられているもので、発車の時にきしむ音がする。じんじんと、独特なブザー音がして、電車が動き始める。


「市電に乗るのも久しぶりだな」

「ねぇ、成パパさ、小学校、中央小学校だったんでしょ?」

「うん」

「小松さんもなんだよ。もしかしたら、同じ先生知ってるかもね。そういうの、話せばいいんじゃない?」

「ん……そうだな」


 気乗りのしないまま。電車は広い道路の真ん中、軌道を走り始める。

 しばらくして、大きな橋を渡った。ゴトゴトと、段差が揺れを伝える。車道の向こう側には、大きな川と、今は緑色の桜並木、そして、青空と入道雲――



 カンッ、カンッ……

 カララ……



「うわぁ! 逃げろォ!」



 川縁を走る、小さな背中。

 大きな橋をくぐり、逃げる。その小さな背中を追いかけるようにして。



 ああ、そうだ。

 きゅうと、鮫島は手を握りしめる。

 綾野がふいに、頭一つ高い、鮫島を見つめた。彼の視線は、遠く投げかけられていたが、しかしそれは、ここではない、遠い昔を見つめていた。自分の中から、堰を切ったように脳裏を駆け巡り溢れてくる映像。

 今ではないとき。

 幼い頃、大きな川沿いの、小さな町に住んでいた頃のこと。綾野には一度も話したことがなかった。いや、話すべきではないと思い、心の奥底にしまいこんで、鍵をかけていた。



 遠い、昔のこと――



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