包丁を規制した場合における犯罪発生率低下の概算

日本のり・ハサミ学会誌 Vol. 19 (2020) 1-5

原著論文

包丁を規制した場合における犯罪発生率低下の概算(注1

応鶏大学文学部 吉田兼作


1.日本国内における殺傷事件の現状

 昨今、日本国内における犯罪、とりわけ殺人事件の凶悪化が指摘されて久しい。多くの犯罪学者は件数の増加および個々の事件の残虐化については否定的であり(紫木, 2018など)、凶悪化は容易に論じることができないものの発生件数に関しては減少の一途をたどっているのは事実である。法務省 (2019) によれば殺人事件の発生件数は1955年をピークに減少を続け、平成31年度には戦後最少を記録した。

 しかし、依然として殺人事件による死亡者は毎年400名前後出ており予断を許さない状況である (法務省, 2019)。暴行や傷害に関して言えばさらに数は多くなる。過去の被害者数と比較し減少傾向にあるとしても、尊い人命が1つでも悪逆の凶刃に倒れることはあってはならないのである。

 このような被害を少しでも減らすために我々には何ができるだろうか。筆者は犯罪学者としての立場から確固たる根拠に基づき、しかしいささかながら大胆な提言を行いたい。それは、殺人事件や傷害事件に最も使用される刃物である包丁の法的規制である。


2.包丁の犯罪誘因性

 まず大前提として、包丁の存在が犯罪発生に多大な影響を与えていることを指摘したい。法務省 (2013) によれば、平成10年に発生した殺人事件のうち32.7%が包丁を凶器として使用している。これは同年の殺人事件における凶器の割合としてはトップであり、第2位である「犯行供用物なし」の23.5%を大幅に上回っている。この傾向は平成15年・20年・23年でも同様であり、包丁使用による殺人が殺人事件のトレンドであることを端的に示している。

 傷害及び暴行事件に関しては同様の統計が見られないため詳細は不明だが、殺人事件と大差ない割合で包丁が使用されているとみていいだろう。法務省 (2019) によれば昨年度の傷害及び暴行事件の認知件数は合計して約5万件であるので、その3割、およそ1万5千件で包丁が使用されている計算になる。これだけ莫大な本数の包丁が、罪もない人々を脅かしているのである。

 包丁の犯罪誘因性に関しては、吉田 (2011) の質的研究もその可能性を示唆している。吉田 (2011) は都内の中高生231名へインタビュー調査を行い、回答者の半数が他者へ殺意を抱いたことがあると明らかにした。さらにそのうち8割が身近に凶器となるものがあれば犯行に及んでいたかもしれないと回答し、4割におよぶ少年たちが代表的な凶器として包丁を挙げている。

 包丁が殺人のような凶悪犯罪を誘引する最大の理由は、その入手容易性であろうと考えられる。いうまでもなく、包丁は一家に1本と言わず複数本存在している。そして管理は非常に杜撰であり、古くなりあまり使われなくなった包丁が持ち出されたところで世の専業主婦の大多数はそのことに気が付かないであろう。包丁はまた、衝動性と無計画性を兼ね備え粗暴犯罪との親和性が高い (吉田, 2016) 青少年の集う学校にも調理室の備品として配置されている。学校において包丁は大抵の場合施錠された棚の中に納められ管理されているはずだが、池田 (2017) は学校における鍵の管理の甘さを指摘しており本気で持ち出そうと思えば誰でも持ち出せる状況にあると断言している。

 凶器といった犯行に使用される道具類の入手容易性が犯罪を増加させることは、環境犯罪学の観点から説明できる (池田, 2014)。環境犯罪学とは、犯罪発生の原因を犯罪者の内面に求めるのではなく環境の要因に求める学問である (Jackson, 1999)。今回の場合、環境の要因はすなわち包丁の入手容易性ということになる。人々は包丁という自身の願望を実現する暴力装置を入手することで犯罪へ引き寄せられてしまうのである。


3.包丁規制の効果の検討

 では、そのような効果を持つ包丁を法律で規制した場合どれだけの効果があるのであろうか。この検討には、国外の類似事例を比較する必要がある。

 それぞれの国によって、殺人事件に頻繁に使用される凶器は異なる。例えばアメリカでは、包丁よりも拳銃による死者が多いことが指摘されている (Log, 1988)。一昨年ウィスコンシン州で成立した銃規制の効果を検討した研究によれば、銃を規制した都市ではそうしなかった都市と比べて銃による死者が89%減少し殺人事件の発生件数も34%減少、さらに恐喝事件が56%減少したことが明らかになっている (Mya, 2019)。また同様に銃器犯罪が深刻であったニュージャージー州では、拳銃を規制したところ拳銃による殺人が89%減少し、殺人事件と傷害事件もそれぞれ24%と41%減少していることが分かっている (Raffaello, 2017)。

 このような国外の研究から推察すれば、日本国内においても最も使用される凶器を規制すれば殺人事件および凶器に関連する粗暴事件が3割から6割ほど減少することが示唆される。つまり日本は発生する暴行・傷害事件5万件のうち最大3万件ほどが消えてなくなるということになる。これは非常に大きな効果だといえよう。

 ただしこの規制は、必ずしもうまくいくとは限らない。例えば先ほど挙げたニュージャージー州の事例では、規制の対象とならなかったショットガンによる殺人は依然として発生し続け (Raffaello, 2017)、ウィスコンシン州の事例でも包丁による事件が19%増加するという結果になっている (Mya, 2019)。これは元々犯罪者としての素質を持つ者が、使用する凶器を銃器から変えて相変わらず犯行を行っているために発生する現象である。つまり凶器の規制は、それが規制された場合に犯罪者がどのような手段に出るかまで考慮に入れてなされなければ効果が薄くなってしまうということである。もっとも、日本の凶器使用の現状を考えるに包丁を封じられた犯罪者は、割合にして第2位となる「犯行供用物なし」、つまり素手に訴えるという行為をとるはずでありこれを事前の法規制で防ぐことは現実味がない。裏を返せば、日本においては包丁さえ規制すれば大半の犯罪者は強力な凶器を使用することができなくなり被害を最小限にとどめることができるということでもある。


4.結びにかえて ハサミ普及の必要性

 包丁の法規制というアイデアに関しては、実はすでにその着想自体は筆者がいくつかの媒体で述べており、痛烈な批判に晒された。その批判を以下に引用する。


“『包丁による殺人が発生したならば、すなわち包丁を規制すべきか』という命題は、特定の何かを犯罪防止の大義名分にかこつけて規制されそうになったときに反対派が決まって唱えるお題目である。そこには『いや、それはありえないはずだ。であればなぜこれは規制するべきだと考えるのか』という反語としての機能が含意されている。しかし吉田氏は目を疑うことに、このお題目を現実のものとしてしまおうと考えているようだ。これには多くの人々が驚天動地といったところだろうが、不穏なことにこの提案に賛同する声が政界や教育界に少なくない。いささか馬鹿らしいと思いつつ念のために述べておくが、包丁がなくなった世界で我々はどのように梨の皮を剥いて食べるのだろうか。私のように『梨を剥いてあげよう』と優しく言ってくれる伴侶が50kgを超える握力で果実を粉砕できる場合は杞憂だろうが、大抵の人間はそうではない(こんなことを書くからまた妻に叱られるのだが!)”(紫木, 2019)


 引用部の指摘は大げさに強調されている節もあるが、包丁規制という考えを聞いた者ならいの一番に思いつくものであり、筆者も実際に何度も指摘されたところである。しかしこの問題を解決する方法は、ほかならぬ本学会誌の読者であれば既に考え付いているところであろう。

 その解決方法は、ハサミの普及にある。現在の日本のハサミの進歩はすさまじく、多種多様なキッチンバサミの存在は包丁なしでの調理を可能としている。薄い海苔や葉物野菜は当然のこと、根菜や果実のような固く体積のあるものも切断できるハサミも開発され、人気を博している(日本のり・ハサミ学会, 2019)。

 そのように切れ味の鋭いハサミではあるが、短い刃渡りや丸くなった刃先は人を傷つけるには不向きな形状となっている。無論ハサミでの殺人も不可能ではないが、包丁に比べてその容易性は格段に劣る。もし仮に家庭の台所から包丁が駆逐されれば、刃物による殺人は激減することになるはずである。

 本研究が示すように、包丁規制は粗暴事件の被害を大幅に減らす可能性を持つ政策である。今後の研究ではこの政策の可能性をさらに探り、防犯研究の端緒とすべく発展させる必要があるだろう。


引用文献

法務省 (2013). 研究部報50 無差別殺傷事犯に関する研究

法務省 (2019). 平成31年度版犯罪白書

池田 守 (2014). 我が家を守る環境犯罪学入門 犯人はここを見る! MPHP研究所

池田 守 (2017). 学校は実は危険だった! 子どもを迫りくる危険から安全に守る防

  衛術 遺産経新聞出版

Jackson, F. M. (1999) What do cause the crime? Influence of environment and

  personality. Crime and America, 23 33-47.

Log, W. Q. (1988). People also die today with a gun. Crime and America, 12 129-144.

Mya, G. (2019). It is no longer American traditional. Consideration of a regulation of

  the gun. Criminology of United States, 39, 1-24.

日本のり・ハサミ学会 (編) (2019). 2019年のハサミ名鑑 だいまる出版

Raffaello, M. (2017). Firearm murder in New Jersey. New Jersey Press.

吉田兼作 (2016). 我が子がモンスター化する前にできること 維新潮社

吉田兼作 (2011). 子どもたちの「リアル」 なぜ彼らは殺してしまうのか 維新潮社

紫木 優 (2018). 教養としての犯罪心理学入門 岩津波書店

紫木 優 (2019). 犯罪学の窓209 包丁規制の怪 週刊水曜日9月12日号 33.


(注1 本研究は平成31年度日本ハサミ財団研究費助成(ハサミ普及研究)を受けている。

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