第19話夕闇の神殿(その三)
× × ×
あたりを隅々まで見回したが、一向に出口が見出せない。
「これも幻影なのか」
「ちがうよ、剣士。やっぱりだ。オレたち、ハメられたんだよ。畜生!」
悔しそうなバルダーナに、リザが気の毒そうに言う。
「バルダーナ、悪霊の長はな、死霊にありもしない希望を吹き込んで、朝霧の神殿で肉体を取り戻させ、風樹の餌食にさせるのだと」
ひゅっと、のどをひきつらせて、バルダーナが言った。
「じゃあ、オレたちは生贄か?」
「そうだろう。今までの苦労を思うとつらいが」
霧が晴れ、あたりを見回せるようになると、ちょうど広場の中央に出た。
「ここは……妙なことだが、光があるぞ。それも赤、黄、白と、さまざまだ」
クラインが言うと、リザが淡々と語る。
「この光は、命の炎だ。もう、当人たちの思い通りにはなるまい」
水音がするので見れば、小さな噴水があり、その上に輝くのは、これも青白い炎。
「ここには地上の光が届かないんだ」
「こういうのも不謹慎だが、うつくしい。死霊と悪霊の集まる場所とはいえ、えらく文化的な造りだ」
「ああ、剣士はこういうの、好きなんだったっけな。だけど、このままじゃオレたちもああなる。どうにかしてくれよ!」
「ううむ。まずは己の心に問え。今何ができる?」
バルダーナは一瞬だけ黙る。
「大丈夫、一つだけ道がある。神殿の奥だ」
と、ぽんと手を打った。
「何を言う、バルダーナ。わたくしたちは命からがら逃れてきたのに」
痛みを伴う言葉だった。今までの旅が根底から覆され、それでもゆく当てのない道を行こうとする自分たち。
「入ってきた場所はもう、塞がってしまっている。そうあっても、今はまだあきらめるつもりもないが」
「同意見だ、剣士」
リザが、ふと視線を石畳に落とした。
「穴が掘れたらいいのにな」
「何か言ったか、リザ」
「なんでもない」
「それじゃあ、新しい生贄が運ばれてくるのを待って、あの門をくぐるしかない」
三人の見上げた先には、つるつるの柱に支えられた巨大な門がある。
「どうにもなりそうにない」
「暗いことを言うな、リザ。道はあるさ」
「能天気な」
「リザは助けに来てくれたじゃないか! どうやったんだよ、あれ!」
「う、あ、あれ……は、だな。その、飛んできたんだ。文字通り」
「すげえ! じゃあ、じゃあ。あの門の上まで、いけるんじゃねえ?」
「期待させたようで、悪いんだが、わたくし一人はいけても、二人を運ぶのは無理だぞ」
「大丈夫! 外に出たら、また門を開けてくれればいい!」
バルダーナの一言で空気が変わる。
「よし、やってみよう」
× × ×
「ダメだあー」
リザが門を飛び越えようと近づくと、門の上に何かが邪魔して近寄れない。
「なにか障壁のようなものがあるんだな? お姫さん」
「ああ、おまけに鉄条網が内向きにぐるりを囲んでいる。まるで食虫植物に捕らえられた虫だ、わたくしたちは」
いらいらしてきたバルダーナは、腕組みをしてついに言う。
「だいたい、リザだけは助かったかもしれないのに、どうしてわざわざ来たんだよ?」
「……来て悪かったな」
リザは憮然。
クラインが割って入る。
「そういうな、バルダーナ。リザは助けてくれたんじゃないか」
「そういうが、剣士。オレたちだって、リザを助けようとしてこうなったんだぜ。余計なことをしなけりゃよかった」
「こちらも、まったくだ」
リザがため息交じりに言う。
バルダーナが食ってかかる。
「なんだと?」
「バルダーナが言ったんだ」
「お義理でも、礼のひとつも言えばいいんだ」
「バルダーナだったら、そうするのか?」
「リザのばか!」
「バルダーナのわからずや!」
二人とも目が血走っている。リザはあまり変わらないが……。
にらみ合いが始まってすぐ、クラインは気づく。どうやら、この空気はよくない。
「とにかく、シラミつぶしに、あたりを観察するんだ。きっと、手はある。なかったとしても、もう、死んでるんだし」
「だってここ、地獄なんだろう?」
てくてく歩きながら、バルダーナがぶつくさ言う。
「シラミつぶしだってさ。やだねー。獣だよ」
クラインはあえて、何も言わない。心の中では、嵐が吹き荒れている。
(オレはノミ、シラミはいないぞ。ルナのそばにいるために、ずっと清潔にしてたんだからな! 断じて寄生虫もいない!!)
「……思わず、地獄の空気にのまれそうになったぞ」
「なに、独り言ゆってんだよ。気持ちわりい」
「きつい言い方をするな、バルダーナ。マントが泣くぞ」
「リ、リザ!」
「蒼い、ナイトのマントがなあ」
つんとしていうリザに、バルダーナが弱った顔をする。
「どうした?」
「なな、なんでもないよ! な、内緒!」
「またのけ者か、オレは」
クラインが二の腕をひっかくと、情けなさそうに呟いた。
列柱の間に出るが、三人は彫刻、塑像の類には意も介さずに通り過ぎる。
長い回廊が続く。灯りは紫、黄、白、オレンジ、なんでもありだ。真っ暗な空間に、柱のように、垂直に光を伸ばしている。
「いやだなあ、宙を歩いているようで」
わざと大声でいうバルダーナに、クラインがふと、尋ねた。
「バルダーナ、足を犠牲にしたと言っていたが、実際はどうやって歩いているんだ?」
「む、難しいことをきくなよ。オレだってわからねえよ」
「エーテル体もしばらくの間は、意識が確かな場合に限り、生きてるように歩ける。危なかったな、バルダーナ」
リザがぽつぽつと話しかける。バルダーナは納得いかない。
「どうしてリザは、そんなん、知ってるんだよ?」
「それはな。寿命を差し出して惜しくないほど、生きてきたからだ。うんざりするような、生を。ちょうどこの回廊のようだ」
「……期待したほどじゃねえな」
バルダーナが呟くと、クラインがその肩を叩く。
「ちょうど、この回廊のようだとさ」
「きいたっつーの……」
クラインはすばやく矛先を変えた。
「お姫さんは、ハイエルフかい?」
「エインシェントエルフだ。一応」
「一応? 一応って何だ」
「……行き止まりだ」
リザの細い声に、二人も呟く。
「本当だ……」
真っ暗な空間に、いかにもそこが終着点でありますとばかりに垂れ幕がかかっている。
「なんだ、この円陣は」
クラインがいち早く床面の異常に気づいた。
「二人とも、近寄るな!」
「はい!」
「言われなくても、近寄んねーよ!」
大きな祭壇がある。
「ここで、まじないを行っているのだろう」
「ああ。ここでこんなもの、初めて見たな」
「わたくしもだ」
バルダーナとリザが言い合うので、クラインはとっくと見た。
まがまがしい何かを感じる。
「引きかえそう。ここにいてはいけない」
と、クラインが言ったとき、音もなく足元の石だたみが消え、暗黒が彼らの脚を絡め取った。
叫ぶ暇もあらばこそ。
とっさの悲鳴すら呑みこんで、暗闇が彼らを引き摺りこんでゆく。
そのとき彼らの頭はカラッポ。助けすら呼ばない、真っ白だ。
いや、仮に助けが期待できるとしても、彼らは、助けを求める行為だけはしなかったろう。
あまりにも暗い、闇の中に、もっと黒々とした穴が。絶望と戦っていたであろう彼らに、誰かの助けがあろうとは考えもしない。
三人が三人とも、孤独。
いかにこれまでの旅が彼らを結んだとしても。本当に命が危ないというときに、誰かの助けを期待するのは「危険だ」と悟っている。
犠牲になるのなら、自分だけでいい……そんな諦めに似た、優しさがまだある。
それだから、ここまで彼らは共にいることができるのだ。
――それは反面、彼らの境遇をさらに過酷にする枷ともいえた。
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