第69話 1<2<3<……
「13は素数。よってこの試合、古井丸選手の勝利です! またこれにより古井丸選手の二本先取となるため、この勝負、古井丸選手の勝利です!」
結局、みぞれの手の内がわからないまま、祈里は負けた。三本目の試合も、みぞれの行動は妙だった。もっと強い素数が出せるはずの場所で弱い素数を出したり、危険な賭けとしか思えない出し方をしたり……。
「どういうことですか?」祈里はみぞれの顔を見た。「今の試合もその前の試合も、あなたは賭けに出てました。二本目の試合では9KTJで親を取りに来ていたし、今も最後に私がJではなくKを持っていたら、あなたは負けていたはずです」
みぞれは気まずそうに横を向いて、頬をかいた。それから祈里の方を見て、
「嘉数さん……試合中、一度もわたしの顔を見ませんでしたよね?」
「え? そう……でした?」
意識していなかったので、祈里にはわからなかった。
「見ませんでした」みぞれは断言した。「でも、わたしはあなたの顔も手も見てました。それで気付いたんです。嘉数さん、あなたは手札を左手側から順に並べていませんか?」
「え?」
その通りだ。アプリと同じような見た目にするため、左にA、右にKが来るように並べている。
「え、まさか」
みぞれは眉尻を下げた。
「二試合目、わたしがカマトトしたあと、嘉数さんは6T27を出しましたよね。このTは、右手から数えて四番目にありました。同じカードは左側から出す癖があるようでしたから、絵札はあと三枚しかないってわかったんです。だから、9KTJで親が取れるだろうなって判断したんです」
ついでに言えば、2を出したことでAを持っていないこともバレていただろう。さらに、2と6の間に二枚しかカードがないことも。だからみぞれは革命をしたのだ。仮に祈里がドローでAを手に入れても、多くて一枚。仮に革命にカウンターしても、みぞれの持つA237で親が取れる公算が高かった。祈里がA237より小さい素数をほぼ持っていないことが、筒抜けだったのだ。
「今の試合でも」祈里は声を震わせながら聞いた。「私は7QAを出しました。そのとき、私がKを持っていないことを把握したってことですか?」
「はい。あと、ジョーカーも」
ジョーカーを一番右に持つことも、一試合目のときに見抜かれていたのだ。
「こういうのを利用するのは、ちょっとズルいかなって思ったんですけど……でも、伊緒菜先輩だったら、利用するだろうなと思って、わたしも……」
最後の方は消え入りそうな声になっていた。申し訳なさそうに体を縮こませる。
「そ、そんな……メタ推理じゃん!」
祈里は判定員の顔を見たが、彼女は肩をすくめて事務的に答えた。
「ルール上は問題ありません」
「そんなぁ……」
祈里はがくりと肩を落とした。
みぞれは、準決勝へと駒を進めた。
向かい合って着席した二人を見ながら、慧は気まずさを感じていた。
左に座っているのは、ツーサイドアップの髪と赤い眼鏡が似合う我らが部長、宝崎伊緒菜。彼女と相対するのは、先ほど知り合い意気投合した数学部の部長、東雲楓佳。どちらも、慧にとって応援したい人物だ。
伊緒菜には日頃からよくしてもらっている。QKを鍛えてもらっているだけではない。自分のことを気にかけてくれて、数学と向き合う勇気をくれた。今日だって、楓佳と話すきっかけをくれた。
楓佳とは今日知り合ったばかりで、まだ一時間も話していない。それでも慧は、既に全幅の信頼を寄せていた。初めて出会えた、数学の話を対等にできる人。この人ともっと仲良くなりたい。
伊緒菜と楓佳は目を合わせた後、二人して慧の方を見た。伊緒菜は目線だけを向け、楓佳はにっこりと笑った。
気まずい。
私はどっちを応援すべきなんだろうか。
慧が見守る中、試合は穏やかに始まった。
先攻の楓佳がカードを出す。伊緒菜は、それに近い素数をノータイムで出した。伊緒菜のいつもの出し方だ。楓佳は楓佳で、澄ました顔のままカードを選んでいる。
二人の間に会話はなかったが、互いに胸を借りているように見えた。
たぶんあの二人は、私がどっちを応援するかなんて気にしていない。お互いに全力を出している。私が応援してもしなくても、それは変わらないだろう。
実際、慧の予想は当たっていた。いま伊緒菜と楓佳が抱いているのは、勝利へのこだわりと、相手への敬意。そして、慧への心配だった。
「57はグロタンカット! よってこの試合、宝崎選手の勝利です!」
判定員の宣言を聞いて、楓佳は手札をテーブルに置いた。
「さすが、強いね」
「それほどでも。東雲さんもいい線いってましたよ」
「ありがとう。君に言われると自信が付くよ」
判定員がカードを回収し、再度配る。次の試合が始まった。
シンキングタイムの間、楓佳は伊緒菜を観察していた。前大会の準優勝者にして、今大会の優勝候補のひとりと聞いている。楓佳にはまだ、相手の力量を測れるほどの経験値がなかった。それでも、今までの他のプレイヤーとは違うなと感じていた。カードの出し方に迷いがない。これで勝てると確信している出し方だ。
伊緒菜は十数秒でカードを並べ替えると、楓佳をちらりと見た。
目が合う。
話したいことがある、という目だ。
楓佳も同様だった。しかし先に口を開いたのは伊緒菜だった。
「今お時間いいですか?」
楓佳は片眉を上げた。
「逆に聞くけど、良さそうに見える?」
「はい」
思わず笑った。
「なに?」
「もちろん、あの子のことです」
伊緒菜は横目でテープの外を見た。白いセーラー服が劇的に似合う黒髪美少女が、こちらを見守っている。慧は伊緒菜と楓佳のどちらを応援するか迷っていたようだが、今は腹を据えたようだ。事の成り行きをただ大人しく受け入れようとしている。
「そうだね……」
楓佳が答えようとしたとき、
「シンキングタイム終了です。これより、東雲選手の持ち時間となります」
と判定員がタイマーを動かした。楓佳はそこで初めて手札を見て、ひょいひょいと並べ替えていく。
「率直な感想を言うと」慧に聞こえないように、小声で話す。「良い子だね。素直で健気だ。でも、ちょっと変わってるね。……はい、443」
「443は素数です」
伊緒菜は山札から一枚引きながら答えた。
「ええ、そう。変わっているけれど、良い子なんです。ただちょっとだけ他人の感情に疎くて、自分の感情にも疎くて……自分のことすらよくわかっていないような子なんです。……69A」
「691は素数です」
楓佳はフフッと笑った。
「わかるよ、僕もそうだった。特に中学のときは。あまり友達がいなかったからね。でも今は部の仲間たちのおかげで、その辺のことが感じ取れるようになってきた。慧も、きっとそうなるよ。君たちと僕たちがいるからね。……827」
「827は素数です」
二人の会話に動じることなく、判定員は仕事をこなした。
「もう『慧』って呼んでるんですね。私達はそう呼ぶのに一か月かかりました。最近になって、やっと打ち解けてきたんですよ。やっぱり東雲さん達の方が、あの子と気が合うんでしょうか? ……853」
「853は素数です」
楓佳は手札を眺めながら、ちょっとだけ考えた。
「どうかな。気が合うと言っても、色々あるからね。ファミレスで僕らがした会話と言えば、簡単な自己紹介と、数学の話だけだし。……4Q9」
「4129は素数です」
伊緒菜はひょいひょいと手札を並べ替えた。
「私達も、慧と打ち解けることはできると思います。一緒に遊びに行ったり、お菓子を食べながら中身のない話をすることはできます。でも、数学の話はできません。あの子の一番望んでいることが、できないんです。……KTJ」
「131011は素数です」
楓佳はカードの縁を指でなぞると、山札に手を伸ばした。
「ドロー。……そうか、だからだね。慧も、他の後輩たちと同じ顔をしてたよ」
「同じ顔?」
伊緒菜が首を傾げた。楓佳は手札を伏せると、優しい目で笑った。
「うちの部に来た子は、みんなああいう顔をするんだ。『自分以外にも数学好きがいたんだ』『数学の話をしてもいいんだ』って顔をね。……パス」
昼休みの終わりに、ロビーで見た慧の顔を思い出した。QK部で、慧があんなに瞳を輝かせたことがあっただろうか。あの表情を引き出せるのは、やはり、この人達しかいない。
「東雲さん、慧をお願いします」
「もちろんだよ。あの子は優秀だ。僕らとしても手放したくないね」
「ありがとうございます。……QTA」
「12101は素数! よってこの試合、宝崎選手の勝利です! また、これにより宝崎選手の二本先取となりますので、この勝負、宝崎選手の勝利となります!」
楓佳はわざとらしく目を丸くして、場のカードを見た。
「でも、勝たせてはくれないんだね?」
「逆に聞きますけど、勝たせると思いましたか?」
「まさか」フフッと笑った。「これが数学なら、僕だって手加減しなかったよ」
伊緒菜と楓佳が揃って、慧の前に歩いてきた。
「えっと……」慧は二人の顔を交互に見比べた。「おめでとうございます、伊緒菜先輩」
「ありがとう」
その横で、楓佳がそっぽを向いた。
「僕は負けたんだけどなー」
「あ、その……」
伊緒菜が助け舟を出す。
「ただの冗談だから本気にしなくていいわよ」
「そうそう」楓佳は朗らかに笑った。「悔しいけど、去年の準優勝者はやっぱり強いね。ぽっと出の数学部が勝てる相手じゃなかったよ」
「でも、良い試合でした」
慧は楓佳をまっすぐ見た。
「二人とも、とても強かったです」
「ありがとう」
楓佳はまた笑うと、
「それじゃあ、僕は後輩たちと実況ルームに行ってくるよ。慧も一緒にどう?」
「行ってきた方がいいわ。解説を聞いた方が勉強になるだろうし、数学部の人達とも話したいでしょ?」
慧はまた二人の顔を交互に見たあと、伊緒菜に頭を下げた。
「ありがとうございます。じゃあ、私も実況を見てきます」
楓佳と慧が連れ立って体育ホールを出ていく。伊緒菜はそれを見送ってから、ステージを振り返った。
自分たちが一番早く試合を終えた。ホールではまだ、三組が試合をしている。みぞれは祈里と三本目の試合に入っていた。
そして、ステージの上では。
烏羽高校の大月瑠奈と、お姉ちゃん――馬場肇が凌ぎを削っていた。
瑠奈の残り手札は二枚、肇の残り手札は四枚。場には何もない。
肇は顎に手をやりながら、瑠奈の表情を見ている。自分の手札は見ていなかった。
「……なるほどね、そういうことか」
独り言のように肇が言った。瑠奈がそれを聞きとがめる。
「そういうことって、どういうことだ?」
「手札が読めたってことさ」
「なっ!」
肇は白い指でカードを抜き取った。
「革命されたときはどうなるかと思ったけど、なんとか勝ちそうだ。6A」
趣味が悪い、と伊緒菜は思った。瑠奈の手札は二枚、しかも今は革命中。こんな状況で61なんて出したら、普通はカウンターされて負ける。
しかし瑠奈はカウンターしなかった。ドローもせずパスする。
「ふぅ、負けるかと思った。T7」
「107は素数です! よってこの試合、馬場選手の勝利です! これにより馬場選手の二本選手となりますので、この勝負、馬場選手の勝利となります!!」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
肇は席から立つと、すぐに伊緒菜を見つけた。胸の横でピースサインを作る。伊緒菜は嬉しくなって、小さくピースを返した。
これで肇も伊緒菜もベスト4進出。次は準決勝だ。
トーナメント表を確認する。
準決勝での伊緒菜の相手は、肇ではない。みぞれや祈里でもない。
伊緒菜は、まだ試合をしているもう一つのテーブルを見た。
肇の後輩の稲荷が、赤毛の龍火と戦っている。しかし実力の差は明らかだった。
「ぬあああああっ、負けやぁあああああ! パス!!」
龍火が頭を抱えた。素数判定員が場を流すと、稲荷は最後の一枚を場に出した。ジョーカー。
「単独ジョーカーのため、場を流します。よってこの試合、加賀見選手の勝利です!」
これで稲荷の二本先取。伊緒菜の準決勝の相手が決まった。
お姉ちゃんの後輩。
現在の弟子。
相手にとって、不足はない。
伊緒菜は、にやりと笑った。
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