第68話 100,200,……
QK全国大会に服装の規定はない。それでも、たいていの選手は学校の制服か、チームTシャツなどを着て参加している。そんな中、ひとりだけ私服姿の少女がいた。みぞれの次の対戦相手、
灰色のTシャツの胸元に、白抜きでカモメらしき鳥のシルエットが大きく描かれている。下はジーンズのハーフパンツ、靴は青いスニーカー。すらりと伸びた手足も、顔も、小麦色に日焼けしている。この格好のまま砂浜を駆け回っていても違和感がない。
みぞれと向き合って座った祈里は、人懐っこい笑顔を浮かべた。年はみぞれのひとつ上のはずだが、みぞれよりも幼く見える。その原因は外見ではなく、精神年齢にありそうだった。
「初めまして、嘉数祈里です。あなたが、鞠ちゃんを倒した古井丸みぞれさんですね?」
「鞠ちゃ……あ」
一回戦で戦った府川鞠のことか。彼女は「データ人間」と呼ばれていた。その友人ということは、同じようにみぞれのことを知り尽くしている可能性がある。
「あなたのことをは聞いてます。試合中に“覚醒”したとか」
「か、覚醒」
個人戦の初戦のことを言っているらしい。そんな大仰な呼ばれ方をするとは思っていなかったが、試合中に天啓のような閃きがあったのは確かだ。
「でも、私は知ってます。そういう戦い方……途中で作戦をころっと変えるような戦い方を」
「え? どうして?」
祈里はみぞれの質問に答えず、笑顔を見せるだけだった。お菓子を上げたくなるような可愛らしい笑顔だ。
判定員が来たので、みぞれは姿勢を正した。
「これより、
ドローの結果、先攻はみぞれになった。判定員がカードを配り、シンキングタイムが始まる。
前に伊緒菜から教えられたが、みぞれは「パワー型」の戦い方をしているらしい。とにかく多くの素数を覚えて、大きな素数でゴリ押すのだ。八枚や九枚といった巨大素数は覚えていないが、四枚や五枚くらいならかなりの個数を覚えている。だから手札が悪くても、素数が出せない事態にはあまりならない。
しかしそれを鞠に見抜かれたので、一回戦では指し手に合成数を混ぜて戦った。そして祈里は、そういう戦い方を知っていると言った。いったい、どうして?
シンキングタイムが終わったので、みぞれは一枚引いた。これでみぞれの手札は十二枚。2、3、3、4、5、6、7、7、J、Q、K、K。やたらと強い。みぞれはカードを並べ替えながら、伊緒菜ならどうするだろうかと考えた。
伊緒菜なら、きっとこうだ。まず233を出し、次にKKJで親を取る。そして57で切って、最後にQ647で上がり。相手がKKJを出せない限り必勝の手。こちらにKが二枚あるから、そうなる可能性は低い。
みぞれは祈里の方をちらりと窺った。みぞれには目もくれず、手札の上で視線を彷徨わせている。手札を並べ替えている様子はない。頭の中で並べ替えるタイプのようだ。こういう相手は、考え中なのか考え終わったのかわからず、不気味な焦燥感を覚えてしまう。
タイマーを確認してから、また手札に視線を戻した。既に一分が経過している。他にもっと良い手はないかと、みぞれは考えた。
慧ならどう考えるだろうか。今まで慧が出した合成数に、何か使えそうなものはなかっただろうか。
いま手札にはJ、Q、Kがある。この並べ替えの合成数出しができるかもしれない。
たしかKQJは、3^2×6A×239。これは手札にない。
他にはQJKがあった。これは3^2×K457。これは手札に……ある。
この合成数出しには九枚使う。残り三枚は3、6、7。これはそのまま並べれば素数だ。
作戦は二つ用意できた。どちらを使うべきか、選ばなくては。
早くも二分が経っていた。祈里はまだ手札に視線を注いでいる。
祈里の動きに不穏さを感じたみぞれは、なるべく早く終わる手を打つことにした。つまり、慧の作戦の方だ。
「367」
「367は素数です」
これで祈りがQJKより大きな数を出さなければ、みぞれの勝ち。367に対してそんなに大きな数を出してくるだろうか。
祈里は場のカードと手札を見比べていた。みぞれには目もくれない。頭の中でカードを並べ替えていた。
十秒ほど経ったところで、一枚ドローした。引いたカードを手札の真ん中よりに差し込むと、また視線を彷徨わせる。
間もなく一分というところで、祈里がカードを三枚出した。
「ジョーカーをKとして、KKJ」
「えっ」
三枚最強素数! しかもジョーカーを使っている。何が何でも親を取ろうとしている。
手番がみぞれに回ってきたが、みぞれに打つ手はない。
「パスします」
場が流されると、間髪入れずに祈里がカードを出した。
「1729」
「1729はラマヌジャン革命です」
そういうことか、とみぞれはうなだれた。わかってももう遅い。みぞれはAを引けることを期待してドローしたが、出てきたのは4。
「パスします」
判定員が場を流すと、祈里はまたパッとカードを出した。
「2」
「2は素数です」
最小の素数だが、革命下においては最強の素数だ。これに勝てるのはジョーカーしかない。みぞれはドローしたが、Aが出てきた。一手遅かった。
「パスします」
祈里は嬉しそうに、最後の四枚を並べ替えながら出した。
「5A5J」
「51511は素数です! よってこの試合、嘉数選手の勝利です!」
「やったー!」
祈里は無邪気に両手を挙げた。その奥で府川鞠が飛び跳ねている。みぞれは今の敗因を考えていた。
相手のカードが良かったのは確かだ。でもこちらだって悪くなかった。強さで言えば同じようなカードだったはず。革命のことが頭になかったのが原因か……。
いや、それよりも気になることがひとつある。みぞれは祈里の顔をジッと見つめた。
「これより第二試合を始めます。先攻は古井丸選手です」カードを回収した素数判定員が、二人に手札を配る。「ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」
判定員がカードを回収するとき、みぞれの手札がちらりと見えた。手札の端にQJKが用意してあったので、合成数出しを狙っていたようだ。やられていたら一発で負けていた。危なかった、と祈里はため息を吐いた。
みぞれのことは鞠から聞いていたが、それよりは弱いな感じた。QJKの合成数出しには確かKを使うので、うまく並べ替えて四枚出しの戦略を採った方が強かったんじゃないか。
カードが配られ、シンキングタイムが始まる。次もきっと勝って、準決勝に進まなくては。祈里は気合を入れて、手札を広げた。
素早くカードを昇順に並べ替える。祈里はその状態で、じっとカードを見つめた。いつもと見た目が違うので、少しだけやりにくい。なるべく数字だけが見えるように持って、できる限りいつもと同じ見た目にする。こうしないと考えにくいのだ。
祈里の通う沖縄県立海松茶高校には、彼女以外にQKプレイヤーがいない。それどころか、沖縄県全体でも、高校生プレイヤーは祈里しかいない。地区予選の区分けは「九州・沖縄地区」だったが、これは実質「九州地区+祈里」だった。
QKは通常、一人ではできない。だから祈里は、部室でQKができなかった。彼女は、スマホのアプリ画面でQKをやっていた。
アプリのカードは、トランプとは異なるデザインになっている。大きく数字が描かれた下に、小さくスート(マーク)が描かれているだけだ。巨大なスペードが描かれていたり、王様が剣を持っていたりはしない。
灰色の背景に、2~5人のプレイヤー名が円状に並ぶ。それぞれの手前に裏向きで手札が置かれ、中央には山札と場、そして一分間のタイマー。それが、祈里にとって見慣れたQKのプレイ風景だった。
沖縄には、祈里以外の高校生プレイヤーはいない。高校生以外でも数人程度しかいない。だがアプリには、何百人というプレイヤーが存在する。祈里はその人たちと、何千回何万回と戦ってきた。
部室に集まって仲間同士で研鑽を積むことには、きっとメリットがたくさんある。だがデメリットもある。同じ相手とばかり対戦してしまうことだ。無意識のうちに、相手に合わせた戦略を覚えてしまう。それは大会において不利だ。
祈里は違う。何百人という相手と何度も戦ってきた。そこで色々な経験を積んできた。今まで踏んだ場数の多さなら、きっとここにいる誰にも負けない。祈里はそう自負していた。
シンキングタイムが終わると、みぞれはすぐ一枚ドローしたようだ。祈里は手札を見ながら、目の端でそれを確認した。
みぞれはなかなかカードを出さなかった。カマトトをすべきか悩んでいるのかな、と祈里は当たりを付けた。
出すまでの時間の長さから、相手の手札を読む術を祈里は身につけていた。アプリでは相手の顔が見えない。出してきたカードと出すまでの時間だけが手がかりだ。そうした読み合いを祈里はずっとやってきた。
ようやくみぞれがカードを出した。
「246」
「246は素数ではありません」
ビンゴ! みぞれはわざと合成数を出して、ペナルティを受けた。よほど手札が悪いと見える。みぞれの手札が三枚増え、祈里の手番となった。
祈里の手札はバランスが取れていた。2、2、3、6、7、8、9、T、T、J、Q。きっと、みぞれよりはいいだろう。みぞれがカマトトとドローで手札を良くしてしまう前に、早期決着を付けよう。
手札の奇数は3、7、9、Jの四枚。四手以内で決着をつける道を考えるのが良さそうだと、祈里は考えた。
「6T27」
「61027は素数です」
このあと8QTJが出せれば、親が取れる公算が高い。そしたら239で祈里の勝ち。仮に取れなくても、みぞれの手札はその時点でまだ七枚。祈里の有利は変わらない。
祈里は手札を眺めながら、みぞれがカードを出すのを待った。一分ほどしてから、みぞれは意外なカードを出した。
「9KTJ」
「9131011は素数です」
「ふぅん……?」
中途半端なカードを出してきたな、と祈里は思った。これは四枚七桁の最大素数だ。みぞれの出す素数の傾向からして、親を取るつもりなら四枚八桁を出してきそうなものである。もしかして絵札があの三枚しかないのか? しかしそれなら、このターンに山札からドローしてもよさそうだが。
中途半端ではあるが、祈里には十分有効な攻撃だった。祈里の出せる最大の素数は8QTJで、これは場より弱い。
「パスします」
相手に考える時間を与えないように、祈里はすぐにパスした。
だがみぞれも、即座に次のカードを出してきた。
「A729」
「1729はラマヌジャン革命です!」
う、と祈里は呻いた。前の試合の意趣返しだ。今の祈里の手札で革命されるのはきつい。
しかしみぞれがこれを狙っていたのだとすると、ますますさっきの9KTJが謎になる。どうして四枚八桁を出そうとしなかったのだろう。
考えてもわかりそうにない。祈里はその分析は後回しにして、山札からドローした。運のよいことに、Aが引けた。それを手札の一番左に加える。
いまの手札なら、A283が出せる。これを出したあとの手札は9、T、J、Q。革命下においてはかなり苦しいカードだが、親を取れるチャンスを逃すわけにはいかない。
「A283」
「1283は素数です」
みぞれがどんな作戦だったとしても、これでひっくり返せたはずだ。そう思って次の手を考え始めた途端、みぞれが次のカードを出した。
「A237」
「1237は素数です」
なんで持ってるの!? 祈里は混乱した。そんなに都合よくカードが揃っていたのか?
「パスします」
祈里の手札では対抗できない。パスするしかない。
みぞれは残り三枚の手札を場に出した。
「643」
「643は素数、よってこの試合、古井丸選手の勝利です!」
負けた。みぞれがA237を持っていなければ確実に勝てていたのに。
どうして負けたのか、祈里にはわからなかった。運が悪かっただけだろうか。しかし、何かが妙だ。何か調子がおかしい。その謎が解けなければ、きっとこの勝負は負ける。祈里はそう直感した。
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