第60話 6,7,……

 QK全国大会団体戦は、八チームの戦いになる。優勝するには、三回勝利しなければならない。

 間もなく、四つのテーブルで第一試合が開始される。伊緒菜は部員達を集めて、ミーティングをした。

「前にも言ったけど、札幌しとらす高校は巨大素数をばんばん出してくるところよ。六枚とか七枚とかを、平気でね」

 みぞれ達は対策として、六枚や七枚の素数をいくつか覚えてきた。しかし、その個数は相手より遥かに少ないだろう。勝つには、運も必要だと思われた。

「強いところだけど、運が良ければ、慧かみぞれか、どっちかは勝てるわよ」

「いきなり運ですか」

 津々実が腕を組んで言った。

「ま、QKは元々、運要素も強いからね。でも、私までバトンを回してくれれば、確実に勝つから安心していいわ」

 伊緒菜は自信満々に答えた。

「先鋒の選手は、テーブルについてください」

 素数判定員が、会議中の両チームに呼びかけた。伊緒菜は、「さ、いってらっしゃい」と慧を送り出す。

「札幌しとらす高校、勝つぞー!」「おーっ!!」

 前方で掛け声が上がって、慧はひるんだ。席に座って、テーブルの上を確認する。

 テーブルクロスには、バスケコートのようなラインが描かれていた。真ん中の円が素数を出す「場」、両選手の目の前にある四角形が、素因数を出す「素因数場」だ。その他、判定員の前にはタイマーと判定用のタブレットが置かれている。

「お待たせしました」

 声をかけられ、慧は顔を上げた。そして対面に座った少女を見て、「え」と声を出した。

 そこにいたのは、長い金髪をポニーテールにした、青い瞳の少女だった。鼻が高く、肌も日本人に比べ色素が薄かった。

「外国の人?」

「そうデース!」少女はわざとらしく片言で話した。「十二歳の時に、カリフォルニアから越して来ました。しとらす高校一年のAmyエイミー Northノースともーすデース」

 くふふ、とエイミーは笑った。韻を踏むのが楽しいらしい。どうぞヨロシク、と握手を求めてきたので、慧はぎこちなく応じた。

「えっと、萌葱高校の剣持慧です」

「剣持慧サン」エイミーは繰り返した。「音が揃ってて、綺麗な名前ですね」

「ど、どうも……」

 名前を褒められても嬉しくなかったが、社交辞令として礼を言った。

「ではこれより、萌葱高校剣持慧選手対、札幌しとらす高校エイミー・ノース選手の試合を始めます。まずは、カードドローをお願いします」

 素数判定員が扇状にカードを広げた。二人同時に一枚選び、表に返す。

「剣持選手はスペードの8、ノース選手はハートのジャック。よって、先攻はノース選手です」

 判定員がカードを回収するのを、エイミーは笑顔で見ていた。

「楽しみデスね」

「え?」

「試合です。剣持サンは楽しみじゃないんですか?」

「私は……」

 慧は緊張していた。自分が出るのは団体戦だけなので、部に貢献するならここしかない。ひとつでも多く勝ち星をあげなくてはと、気負っていた。

 二人のやり取りの間に、判定員がカードを配っていた。

「ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」

 タイマーが動き出した。二人が同時にカードを手にとって広げる。

 慧の手札は、2、4、5、5、6、8、8、8、J、Q、Kだった。二桁カードの割合は平均的だが、偶数が多い。いきなり不利な手札が回ってきたなと、慧は落胆した。

 それでも慧は冷静に考えることにした。慧も、大きな数はいくつか覚えている。それも、素数ではなく合成数だ。

 慧はまず、手札に5が二枚あり、Q、6、8の三枚が揃っている点に注目した。この揃い方をしているときは、5のべき乗を出せる場合がある。

 5のべき乗には特徴がある。千の位が3、5、8、0を順に繰り返すのだ。さらに、百の位は1、6、1、6を繰り返し、下二桁は常に25となる。従って、5のべき乗は千の位より上だけを覚えておけばよい。

 慧は頭の中で呪文を唱えた。「五の六乗は1、五の十乗は976」。つまり5の六乗は15625、5の十乗は9765625だ。これさえ覚えておけば、残りはすぐに計算できる。

 八桁以上を出すなら、J乗以上だ。慧は976を5倍して2を足した。

 976×5+2=4882。

 つまり、5^J=48828Q5。

 慧は気が付いた。これは、手札にある。これを出すと、残りは6とK。6Kが素数なので、手札を使い切れる。もしエイミーが七枚出しの小さい素数を出して来たら、慧が二手で勝てるかもしれない。

 慧は顔を上げた。それと同時に、一分が経った。

「シンキングタイム終了です。これより、ノース選手の持ち時間となります」

 エイミーは、なおもカードを見ている。慧は固唾を呑んで見つめていた。

 ふいに、エイミーが妙なリズムをつけて英語を喋った。

「Whose dog art thou? Little Tom Tinker's dog」

「え?」

 平均的な高校一年レベルの英語力しかない慧は、その英語を聞き取れなかった。

「なんですか、いまの?」

「マザーグースです。知ってマスか?」

「名前くらいは……」

 英語の教科書に書いてあった。イギリスに伝わる童謡のようなものだ。

「今のは、マザーグースのひとつです。『お前はいったい、どちらの犬だい? 小さな鋳掛屋、トムのとこだい』という意味です」

「はぁ」

 まるで意味が分からなかった。意味はないのかもしれない。

 エイミーはリズミカルに続けた。

「この歌の、単語数は、八個デス。その文字数を、数えてみましょう」

 そう言うと、彼女は数を唱えながら、一枚ずつカードを出した。

whosefivedogthreeartthreethoufourlittlesixTomthreetinker'ssevendogthree。……53346373。これは、八桁の素数デス」

「は……」

 ずらりと並んだ八枚のカードを、慧は驚愕の目で見つめた。

「八枚っ?」

「Yes!!」

 エイミーは楽しそうだ。判定員は表面上冷静に、タブレットを叩いた。

「53346373は、素数です!」

「嘘でしょ……」

 エイミーは残り三枚の手札を、テーブルに伏せて置いた。両ひじをテーブルにつけ、手の上にあごを載せると、にこにこと慧を見つめた。

「すごいデショ? マザーグース素数でーす!」

 初戦から相手が悪すぎる。八枚の素数なんて、慧はとても覚えていなかった。

 試合を見ていた史が、伊緒菜に耳打ちした。

「さすが、半端ないね」

「そうですね」

 伊緒菜はスマホをいじりながら、気のない返事をした。

「何してるの?」

「ちょっと……」

 伊緒菜は口ごもった。

「8886552J」

 そのとき、慧がカードを出した。勘出しだ。

 判定員がタブレットを操作する。

「888655211は素数ではありません」

 慧はうめいた。出したカードを回収し、判定員からカードを八枚受けとる。

 場が流れると、エイミーの手番になった。

twoAAでーす!」

「211は素数、よってこの試合、ノース選手の勝利です!」


「エイミー、イエーイ!」

「Yeah!」

 あっという間に先鋒戦を終え、エイミー達はハイタッチを決めた。

「なんだ、余裕じゃん!」副部長のもり栞子しおりこが、ガッツポーズして言った。「さすがの萌葱も、八枚出しは覚えてないってか!」

「でも、まだ油断は禁物よ」部長の寿崎すざき二葉ふたばが釘を刺した。「宝崎さんは覚えているかもしれないし、あのもう片方の一年生はダークホースなんだし」

 エイミーは真面目な顔で二人を見つめた。面長の栞子と丸みのある二葉が並んでいると、アニメの凸凹コンビのようだった。

「噂の大型新人デスか」

 栞子と二葉が、そろって萌葱高校のメンバーを眺めた。テーブルを挟んだ向こう側で、何やら話し込んでいる。

「地区予選の五位と六位を争ったんだっけ?」と栞子。

「うん。向こうは地区予選の一位、五位、六位のチームってこと」

「アベレージ高そうだな」

 栞子は歯を見せて微笑んでいた。口では警戒しているが、内心では勝った気分でいた。

「これより、中堅戦を行います」素数判定員が言った。「両チームの選手は、席に着いてください」

「じゃあ行くか」

 栞子が右手を出した。その上に、エイミーと二葉が右手を重ねる。

「二本目も取るぞー!」

「おー!!」

 じゃ行ってくる、と栞子が対戦テーブルへ向かった。

 席に着くと、萌葱の古井丸みぞれがおずおずと向かいに座った。

「どうも、札幌しとらす高校の森栞子です。よろしく」

 頭を下げると、

「え、ええと、萌葱高校の古井丸みぞれです」

 と、みぞれも頭を下げた。

 挙動不審な子だ。小学生のような顔つきで、とても勝負事に向いているようには見えない。本当に大型新人なのかと栞子は疑ったが、みぞれのセーラー服の胸元を押し上げる塊に気が付いて、なるほど確かに大型だと認識を正した。

 判定員がカードを配り、

「先攻は古井丸選手です。これより、一分間のシンキングタイムを始めます」

 と宣言した。

 栞子とみぞれは同時にカードを取った。栞子はまず、n枚出しの最強素数を探した。

 みぞれの作戦は察しがつく。二枚出しか三枚出しをするはずだ。それはこっちの武器である巨大素数を封じる、一番簡単な方法だ。

 だがその作戦は、容易く対処できる。こっちがn枚出しの最強素数を出してしまえば、親を奪える。そしたら、巨大素数をお見舞いしてやればよい。

 栞子の手札は、2、3、7、8、8、8、9、Q、J、K、Kだった。非常に強い手札だ。二枚出し最強のQKも、三枚出し最強のKKJもある。みぞれが少ない枚数で出してきたら、すぐに親を取ろう。

「シンキングタイム終了です。これより、古井丸選手の持ち時間になります」

 みぞれはしばらく悩んだあと、一枚引いた。そして手札を並び替え、場にカードを出した。

「997」

「997は素数です」

 三枚だ! 栞子は、内心でガッツポーズした。

 さぁ、ゆっくり考えよう。栞子は気合いを入れた。KKJを手札の脇に寄せると、残りは九枚。さすがに九枚出しは覚えていないが、なにも全部出す必要はない。六枚か七枚で十分だ。

 栞子は、頭の中の素数表と、目の前の手札を比較した。8を三枚使う素数を、次々と手札に当てはめていく。

 エイミーも二葉も、素数を歌や語呂合わせで覚えている。しかし栞子は、歌でも、語呂合わせでも覚えていなかった。

 彼女は、ただ覚えていた。六枚だろうが七枚だろうが、記憶に刻み込まれていた。その一覧表を、ただ見ればよかった。

 そして、今回使う素数を決めた。

 9888Q7。六枚七桁の素数。

 みぞれには悪いが、今回もあっという間に終局だ。

「KKJ」

「131311は素数です」

 みぞれは、真剣な顔でじっと栞子の手札を見たあと、

「パスします」

 ドローもせずにパスを宣言した。

 勝った。栞子は口元の笑みを隠そうともしなかった。

「まさか、萌葱高校をこんな簡単に倒せるとは思わなかった」

 栞子はそう勝ち誇ると、みぞれの反応を待たずに、カードを切った。

「9888Q7」

 みぞれは冷静な顔で、そのカードを見つめていた。判定員がタブレットを叩いて、宣言する。

「9888127は素数です」

 栞子はみぞれの表情を見た。動揺しているはずだと思った。だがその顔に、焦りの色はなかった。

「……本当に、そう、来たんですね」

 ある意味で、みぞれは驚いていた。しかしそれは、予想外の手が来たことに対する驚きではなかった。予想通りの手が来たことに対する驚きだった。

「伊緒菜先輩の言った通りです」

「え?」

 みぞれは緊張した声で、慣れない説明をした。

「森さんの過去の勝ち方には特徴があります。最初にKJQJを出して、次に七枚出しをして上がったりするんです。だから、私は三枚出しをして、絵札三枚の素数を誘いました」

「えっ」

 栞子はハッとした。みぞれが出した997は、三桁の最大の素数だ。これを超える三枚出しは、二桁カードを必ず一枚以上消費する。

「森さんが絵札を減らせば、次に出す手は絵札が少なくなります。だから、私の手札に絵札が二枚以上あれば、森さんの素数を超えられます」

 みぞれは淡々と喋った。自分で喋っているというより、誰かに喋らされているように見えた。

「私の素数を超えられる? 六枚出し素数を覚えているってか?」

「はい」

 みぞれは頷いて、カードを出した。

「445QQK」

 栞子は本能的に、脳内の一覧表を繰った。これは……素数だ!

 一歩遅れて、判定員がタブレットを見て宣言する。

「445121213は、素数です!」

 栞子の手札は二枚。どう頑張っても、これは超えられない。

「パ、パス……」

 場が流される。みぞれは、大きな胸をホッと撫で下ろして、最後の三枚を場に出した。

「223」

「223は素数。よってこの勝負、古井丸選手の勝利です!」


「上出来よ、みぞれ!」

 伊緒菜はみぞれの肩を叩いた。

「き、緊張しました……」

「探偵みたいだったね」と津々実がみぞれの頭を撫でる。「伊緒菜先輩の受け売りだったけど」

 栞子に話した言葉は、すべて伊緒菜が事前に用意したセリフだった。

「でも、どうしてあんなことを言う必要があったんですか?」

 慧が不審そうに尋ねる。伊緒菜はにやりと笑って、眼鏡を押し上げた。

「それは後で説明するわ。とにかく、これで一対一。あとは私が勝って、一回戦突破よ!」

「これより大将戦を始めます」判定員が言った。「両チームの選手は、席に着いてください」

「じゃ、行ってくるわね」

 伊緒菜は手を振って、テーブルへ向かった。

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