第36話 3×7=21

 日曜日の早朝の電車は空いていた。いつもなら同じ高校生やサラリーマンで満員になる車内が、今はガラガラだった。

 広々とした座席に津々実と並んで座りながら、みぞれは緊張していた。テスト直前の学生のように考察ノートを眺めていたが、あまり頭には入っていなかった。

 電車が萌葱高校の最寄り駅に着くと、みぞれは津々実に肩を叩かれた。慌ててノートを鞄に入れて、電車を降りる。

 改札を抜けると、既に石破教諭が腕を組んで待っていた。老女にカジュアルスーツとは妙な取り合わせだが、石破教諭にはなぜか似合っていた。

「おはよう、古井丸、倉藤」

「おはようございます、石破先生」

「おはようございます。二人はまだですか?」

「ああ、君たちが最初だ」

 石破教諭は腕時計を見た。六時四十分。

「ずいぶん早く来たな」

「うちら、なぜか集まるの早いんですよ」

 その言葉通り、それから五分もしないうちに、慧が改札から現れた。さらさらの長い黒髪をハーフアップにし、白いセーラー服を着た美少女の姿は、離れた場所からでもよく目立つ。慧はみぞれ達を見つけると、小走りにやってきた。

「おはよう、剣持」

「おはようございます」

 慧も心持ち緊張していた。落ち着かない様子で、髪をいじっている。

「い、いよいよだね」

「うん。一緒に頑張ろうね」

 二人が緊張をほぐしあっていると、待ち合わせの七時少し前に伊緒菜がやってきた。ふわふわしたツーサイドアップの髪を上下させながら、笑顔を見せる。

「相変わらずみんな早いわね。おはよう」

「おはよう。遅刻……ではないな」石破教諭が腕時計を確認した。「全員そろったことだし、早速出発しよう」

 石破教諭が先頭を歩き出し、みぞれ達はそのあとをついていった。

 再び改札を通って、ホームへ向かう。利用客の姿は相変わらず少なかった。

 電車はすぐに来た。五人並んで席に座る。

「私、東京行くの初めてかもしれません」

 珍しくそわそわした口調で、慧が言った。

「あら、そうなの。隣の県……というか都なのに」

「うち、旅行とか行かないので」

 東京って旅行で行くような場所だっけ、と伊緒菜は思った。友人と遊びに行けるような場所だが、慧は友人が少ないので、遊びに行ったことがないのだろう。

「いしちゃんって、QKのルール知ってるんですか?」

 隣に座った津々実が、石破教諭に尋ねる。石破教諭は前を向いたまま、目線だけ津々実に寄越した。

「正確には知らない。が、毎年見ているからなんとなくは知っているな」

 県境に近づくにつれ、車内の人口密度は増していった。みぞれ達と同じように、制服姿やジャージ姿の中高生の団体も増えていく。QKの予選に行く人もいるのだろうかと観察してみたが、みんな長い棒状のものやらスポーツバッグやらを持っている。体育会系の部活ばかりのようだ。

 やがて電車は地下に入った。大きな駅で乗り換えて、さらに十数分。

 ついに、目的の駅に着いた。


 会場は駅から徒歩五分のところだった。

 みぞれは、文化会館と言うから大きな図書館のようなものを想像していたのだが、実際には広い敷地に建物が密集している施設だった。

 入り口横の白い塀に、金文字で施設の名前が書かれている。その隣に、「全国高校素数大富豪大会 南関東地区予選会場」と看板が立てかけられていた。

 看板の案内を頼りに、体育ホールへ行く。ロビーには、既に他校の生徒たちが集まっていた。見たところ、20人程度いるようだ。引率の教員や、腕章をつけたスタッフ達の姿もある。

 パイプ机で作られた受付で、石破教諭が三人分の選手登録を済ませた。「千葉県 萌葱高校 古井丸みぞれ」と書かれた小さいゼッケンを、背中に下げる。

 開会式まではやることがない。他の選手たちと同じように、適当な場所でくつろいでいよう。伊緒菜がそう提案したときだった。

 みぞれの首筋に、ピトッと冷たいものが押し付けられた。

「うひゃあっ!」

 みぞれは飛び上がって叫び声をあげた。首を押さえて振り返ると、同じ顔の二人組の少女がいた。少女たちはジュースのペットボトルを片手に、ケラケラと笑った。

「良い反応をありがとう」

 津々実がみぞれを守るように前に出て、二人をにらんだ。

「久しぶりだね、遠海姉妹」

 瓜二つの少女たちは、柳高校一年の双子姉妹、遠海美沙と遠海美衣だった。緑色のスカートに、緑色のベストを着ている。長い髪を、姉の美沙は向かって右側のサイドテールに、妹の美衣は向かって左側のサイドテールにしていた。二人を区別する方法は、その髪型しかなかった。

「知り合いか?」

 と石破教諭が尋ねる。遠海姉妹は咳払いすると、戦隊もののヒーローのようにポーズを決めた。

「初めまして!」

「私は柳高校QK部の双子の姉、遠海美沙!」

「私は柳高校QK部の双子の妹、遠海美衣!」

「よろしくお願いします!」

「何そのポーズ」

 津々実が突っ込みを入れる。

「え、カッコよくない?」

「そうかな……」

「あ、いた!」

 聞き覚えのある声がした。声の方を見ると、同じく柳高校QK部の三年生、吉井史の姿があった。遠海姉妹と違ってベストは着ておらず、半袖のブラウスに緑色のネクタイを締めていた。史は駆け足でやってくると、二人の首根っこを掴んだ。

「トイレに行ったきり戻って来ないと思ったら、どこ行ってたんだ!」

「ごめんなさい~」「ジュース買ってました~」

 悪戯を叱られる子猫のようなポーズだった。

「吉井さん、お久しぶりです」

 伊緒菜が挨拶すると、史はようやく四人の存在に気付いたようだった。

「あ、宝崎! それに萌葱高校の子たちも! 久しぶりだな」

 そのとき、ロビー全体が不意にざわついた。何かあったのかな、とみぞれが周囲を見渡すと、近くの選手たちがこちらをチラチラと見ていた。

「あれが今年の萌葱……」「四人か……」「団体戦も出るのかな……」

 どうやら、自分たちのことを噂しているらしい。その様子を見て、史が肩をすくめた。

「やっぱり君たちは注目されてるな」

「そうみたいですね」

 伊緒菜はすました顔で答えた。慧が小声で、伊緒菜に尋ねる。

「薄々気付いてましたけど、うちってもしかして強豪校なんですか?」

「そうよ。毎年全国ベスト8に入ってるし、優勝だって何回もしてるんだから」

「強豪校なのに、部員集めに苦労したりしてたんですか」

「それは……QKの知名度が低いのが原因ね」

 確かに、今年の一年は全員、入学するまでQKを知らなかった。きっとどこの学校でも、QK部は部員集めに苦労しているのだろう。

 史たちと話しているうちに、開会式の時間になった。スタッフが拡声マイクで、ロビーにいる選手たちに呼びかける。

「もう間もなく開会式を始めます。選手の皆さんは、ホールへお入りください」

 指示通り、みぞれ達は列に並んでホールに入った。

 体育ホールは高校の体育館よりもずっと広かった。バスケコートが三面は入りそうだ。今はそこに、ずらっとパイプテーブルと椅子が並べてある。テーブルの上には、同じ模様の描かれたクロスがかけられていた。

 ホールの前方には簡易式のステージが作られていた。その上にもパイプテーブルと椅子が置かれていたが、それ以外にもやけに色々な機材が置かれている。椅子を後ろから狙うカメラと、テーブルを上から狙うカメラ、そしてマイクスタンド。

 ステージの上に一人の若い女性が登った。スーツを着た背の高い女性だ。髪を後ろで一つにまとめ、きりっとした表情をしている。女性はマイクに向かって話し始めた。

「皆さん、おはようございます。これより、全国高校素数大富豪大会南関東地区予選を開会します。私は本日の司会進行を務めます日本素数大富豪協会の小西那由他です」

 そんな協会があるのか、とみぞれは思った。

「まずは、日本素数大富豪協会関東支部の河野桃子支部長の挨拶です」

 名前を呼ばれ、四十歳くらいの女性がステージに上がった。

「ご紹介に与りました、河野です。今年もまた、この日がやってきました――」 

 五分ほどの河野の挨拶を、選手たちは黙って聞いていた。そのあとも高校文化連盟だのなんだのと、仰々しい組織名を引っ提げた大人達が話した後、再び小西がマイクの前に立った。

「ありがとうございました。続いて、本日のスケジュールです」

 と言って、スケジュールを淡々と説明する。それが終わると、自分の後ろにあるカメラを手で示した。

「それとこちらのステージ上の対戦テーブルですが、個人戦のうちいくつかは、こちらで対戦していただきます。ここでの試合の様子はカメラで撮影され、隣の控室で実況と解説を行いますので、興味のある選手はどうぞお集りください」

「そんなことするんだ」と津々実が呟いた。みぞれも小声で、「見られると思うと、緊張するね」と呟いた。

「以上で、開会式を終了いたします。……ではこれより、本日のトーナメント表を発表いたします」

 急に、ホール内がざわめいた。隅に待機していたスタッフが丸めた模造紙を持って、ステージの左右に置かれたホワイトボードに駆け寄った。左右のボードにそれぞれ一枚ずつ、大きな紙を張り付ける。選手たちはホワイトボードに近づいて、トーナメント表を確認した。

 左の表は団体戦のトーナメント、右の表は個人戦のトーナメントだった。みぞれ達は位置的に、左の表をすぐ見ることができた。

「……えっ、少なっ」

 津々実が意外そうに声を上げた横で、美沙が「まー、予想はしてたけどねー」と言った。

 団体戦に参加するチームは、たったの7チームだった。1チーム3人なので、21人しか出場していないことになる。

「前に、30人くらい出場するって言ってませんでした?」と慧が伊緒菜に聞く。

「個人戦はね。団体戦に出ない学校も結構あるから」

「どうしてですか?」

「そりゃ、個人戦のために体力を温存したい人が多いんでしょ。……あと、3人チームメンバーを集められないって事情もあるでしょうね」

 慧は絶句した。

「そんなことより、対戦相手を確認しましょう」

 伊緒菜がトーナメント表を指さした。

 萌葱高校はシード校だった。他のチームに比べて試合数が1試合少ない。たった二回勝つだけで、全国へ行くことができる。

 初戦の相手となるのは、神奈川県の山吹やまぶき高校か、東京都の烏羽からすば高校だった。

「強いところですか?」とみぞれ。

「うーん……強くはないけど……」

「けど?」

 伊緒菜は左右を見渡すと、「あそこにいる人達よ」と黒いポロシャツとスカート姿の集団を指差した。ポロシャツの背中には、「東京都 烏羽高校」と書かれたゼッケンがぶら下がっている。烏羽高校の生徒は、なんと十人近くいた。しかもトーナメント表を確認するや、

「二戦目で萌葱高校に当たるぞー!」「打倒宝崎伊緒菜だー!」「おーー!」

 血気盛んに不穏な決意表明をしていた。

 萌葱高校の一年生たちが、非難するように伊緒菜を見る。

「先輩、何したんですか」

「別に悪いことをしたわけじゃないわ。向こうの部長をワンサイドキルしちゃっただけよ」

 ワンサイドキルとは、相手に手札を出させずに勝利することだ。

「去年の話だから、その部長さんはもう卒業してると思うけど……。よほど慕われていたんでしょうね」

「全国行きの最後の機会を宝崎にあっさり潰されて、泣いちゃったんだよ」

 史が補足すると、伊緒菜は珍しく文句を垂れた。

「勝負の世界なんだから、そんなことで恨まれたって知ったことじゃないわ」

 団体戦一回戦は、午前10時から開始の予定だった。まだだいぶ時間がある。みぞれ達は更衣室のロッカーに荷物を置き、トイレを済ませた。

 開始時刻が近付くと、館内放送が流れた。一回戦を行う選手たちが、ぞろぞろとホールに向かう。それ以外の選手たちも一緒にホールへ向かった。部活仲間を応援したい者もいれば、対戦相手の動向をチェックしたい者もいるのだ。

 みぞれ達も、山吹高校と烏羽高校の対戦テーブルに近づいた。テーブルの周りはロープで仕切られ、離れた場所からしか観戦できなかったが、手札や場のカードを見ることは十分可能そうだった。

 打ち合わせ通り、みぞれが烏羽高校の手札を、伊緒菜が山吹高校の手札を確認することにした。それぞれの札譜を書いておき、あとで突き合わせるのだ。同様に、津々実と慧は柳高校と神奈川の苅安かりやす高校の試合を見に行った。

 三つのテーブルに、六つのチームが向かい合って座っている。それぞれに素数判定員が付いた。みぞれ達の目の前でも、素数判定員が席に着くなり、二人の選手に言った。

「ではこれより、団体戦一回戦、山吹高校と烏羽高校の試合を始めます」

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