第37話 18

 考えてみると、みぞれは赤の他人同士がQKをやっている姿を見るのは、これが初めてだった。烏羽からすば高校と山吹高校の試合を見ながら、自分たち以外にも本当にQKをやっている人達がいるんだなぁ、とみぞれは思った。そして、改めて自分がいま、大会会場にいるのだと実感していた。

 その試合は、烏羽高校が終始優勢のまま進んでいた。烏羽高校の先鋒、稲葉いなば皐月さつきは、初手でA729を出してラマヌジャン革命を決めた。山吹高校の先鋒は明らかに困惑し、一手一手に時間がかかっている。対して皐月は、ペナルティも出すものの、早いテンポでカードを出していった。

「149は素数、よってこの試合、稲葉選手の勝利です!」

 素数判定員が宣言した。まずは烏羽高校が一本先取だ。

「やりました先パーイ!」

「いよーし、よくやったー!」

 部員たちのところへ駆け戻った皐月が、ハイタッチを決めている。

 続く中堅戦、先攻は山吹高校だ。いきなりドローしたあと、三枚出しをした。烏羽高校の中堅もドローのあと三枚出しして、両者は順調にカードを減らしていった。

 この試合でも、烏羽高校の優勢は変わらなかった。ドローも多いが、テンポ良くカードを出し、山吹高校を追い詰めていく。

 やがて山吹高校は残り四枚、烏羽高校は残り六枚になっていた。烏羽高校の手札は3、4、7、6、J、Q。場は233。

 みぞれは山吹高校の真島ましま春子はるこ選手を見た。薄いオレンジのブラウスにリボンを付けた、少し痩せている少女だ。自分の手札も見ずに、烏羽高校の選手の様子を観察している。自分の手札をどう出すかは、もう決めてあるのだ。強い三枚と、一枚出し素数を持っているに違いない。

 烏羽高校の太田おおた陽向ひなたの表情は、みぞれからは見えなかった。しかし手札の分け方から、きっと余裕の表情をしているのだろうな、と思った。春子が手札を出す前から、三枚ずつの組に分けていたからだ。

 みぞれの予想通り、陽向は三枚出しをした。

「743」

「743は素数です」

 素数判定員が宣言する。その直後に、春子も手札を出した。

「41011

「41011は素数です」

 春子の手札は残り一枚。おそらく素数だろう。これで陽向がパスすれば、山吹高校が一本取れる。だが、陽向もすぐに残りの三枚を出した。

「61211

「61211は素数、よってこの試合、太田選手の勝利です! またこれにて烏羽高校は二本先取となりましたので、烏羽高校の勝利となります!」

 みぞれの隣に集まっていた烏羽高校の生徒たちが、ワッと歓声を上げる。山吹高校の春子は大きくため息をついた。

「ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 春子と陽向が頭を下げる。二人は正反対のテンションで、それぞれの部員がいるスペースへ戻っていった。みぞれの隣で、烏羽高校の生徒たちが陽向を歓声とともに迎え入れる。

「八人もいると騒がしいわね」ぼやきながら、伊緒菜がみぞれの隣に戻ってきた。「今年もあそこが最大勢力かしら?」

「最大でも八人しかいないんですか、QK部って……」

 萌葱高校の家庭科部より少ない。

「宝崎伊緒菜!」

 突然、その八人の中の一人が叫ぶように言った。今の試合を戦っていた太田陽向だ。大きな猫目で、伊緒菜を睨みつけている。

「今年こそ我々が勝つぞ!」

 伊緒菜はにやりと笑って、眼鏡を押し上げた。

「そうですか。言っておきますけど、うちは去年より強いですよ」

 伊緒菜と八人の間に火花が散る。みぞれは思わず萎縮した。

「伊緒菜先輩、変な挑発はやめてください……」

「大丈夫よ、それより札譜見せて」

 みぞれからノートを受け取ると、慧たちのいるスペースへ向かいながら、自分のノートと見比べた。

「うん。去年と大差ない戦略を使ってるわね」

「そうなんですか?」

「色々特徴はあるけど、一番わかりやすいのは初手のラマヌジャン革命ね。あそこの十八番よ」

 革命を起こすには、1729が来ないといけない。しかしこの四枚がしっかりそろって、しかも出せるチャンスが巡って来る機会はあまりない。

「だからこそ、革命対策は余程の上級者でないと真面目に取り組んでいない。烏羽の人達は、そこを狙ってくるのよ。革命を防ぐためには、1729以下の四枚出しをしないことと、親を渡さないことね」

 柳高校と苅安高校の試合も、ちょうど終わるところだった。中堅の美沙が合成数出しをして、勝利を収めている。

「柳高校が勝ちました」と津々実が報告する。「なんか、練習試合のときよりも強くなってる気がします」

「そうでないと困るわ」

 にやりと笑う伊緒菜にノートを渡しながら、津々実が言った。

「先輩、なんだか楽しそうですね」

「ふふ、そう?」

 慧からもノートを受け取ったが、サッと目を通しただけですぐ閉じた。

「柳高校の分析は後回しにしましょう。もうすぐ私たちの試合が始まるわ。初戦の相手は烏羽高校だけど……」

 伊緒菜は、みぞれにした解説を二人にもした。それからさらに付け加える。

「先鋒の稲葉さんは確か二年生で、中堅の太田陽向さんは三年生。たぶん、今は部長か副部長をやってると思う。大将が誰だかわからないけど……中堅が陽向さんなら、同じ三年生の大月おおつき瑠奈るなさんでしょうね。去年と勢力図が同じなら、この人があの部内で一番強い人だわ」

 津々実が小さく手を挙げて聞いた。

「たしか、先鋒とか中堅とかって、試合ごとに変えられるんですよね?」

「ええ。でもチームメンバーは変えられないから、今年はこの三人で固定のはず。そして向こうは打倒私を目標にしてるみたいだから、一番強い瑠奈さんを私にぶつけようとするでしょうね。だから、大将が瑠奈さんというのも変わらないと思うわ」

 先鋒と中堅は入れ替わるかもしれないが、伊緒菜が見た限り、どちらもみぞれと慧より弱い。それに、二人とも使う戦略はほとんど同じだ。伊緒菜は後輩たちの目を見て言った。

「相手は特殊な戦略で来ると思うけど、惑わされちゃダメよ。とにかくいつも通り戦うこと。そうすれば余裕で勝てる相手だから」

 先程まで烏羽高校と山吹高校が戦っていたテーブルで、準備が終わったようだ。スタッフに呼ばれ、みぞれ達はテーブルの近くに集まった。

 先鋒、中堅、大将の名前を書いた用紙を、素数判定員に渡す。

「では、萌葱高校先鋒、剣持慧選手、烏羽高校先鋒、稲葉皐月選手、席へお座り下さい」

 言われた通り、慧は席に座った。テーブルの上を緊張した面持ちで見る。そこには普段ないものが色々あった。

 テーブルクロスには、バスケットコートのようなラインが描かれていた。中央の円がカードを出す「場」で、手前の四角形が素因数を捨てる「素因数場」だ。そして判定員の前には、山札を置く枠と、両プレイヤーの持ち時間をカウントするタイマーが置かれている。

 正面の席に、黒いポロシャツを着た稲葉皐月が座る。全体的にふくよかで、人懐っこそうな表情の少女だ。二年生と言っていたから年上のはずだが、お菓子をあげたくなるような愛嬌がある。

「萌葱高校の一年の子だよね」と皐月が目を細めて言う。「烏羽高校の稲葉皐月です。よろしくね」

「えっと、剣持慧です。よろしくおねがいします」

 判定員は席に座ると、高らかに宣言した。

「ではこれより、団体戦二回戦、萌葱高校と烏羽高校の試合を始めます。まずはカードドローをしてください」

 テーブルの上に、トランプカードを扇形に広げる。慧と皐月が一枚ずつ取り、表に返した。

 慧がクラブの3、皐月がハートの2。

「先攻は剣持選手です」

 判定員はカードを回収するとシャッフルし、二人に十一枚ずつ配った。二人がカードの枚数を確認すると、

「ではこれより、1分間のシンキングタイムを開始します」

 と言って、タイマーをスタートさせた。


 いよいよだ。慧はカードを表にして、素早く並べ替えた。

 配られた手札は、A、3、3、4、5、5、6、7、8、9、J。見てすぐに、顔をしかめた。二桁カードが一枚しかない!

 いや、落ち着け。相手は烏羽高校の生徒だ。伊緒菜が言うには、初手で革命してくることが多いらしい。もし皐月がいきなり革命してきたら、この手札は却って強い手札に……。

 って、先手は自分ではないか。皐月が初手で革命することはできない。ならば、ここは敢えて1729より弱い四枚出し素数を出してしまおうか? そうすれば、向こうが革命するかもしれない……。

 離れた位置から慧の手札を見ながら、伊緒菜は唸っていた。

「いきなりすごい手札が来たものね」

「作れる素数は多いですけど……」

 みぞれは頭の中で、四枚出し素数を探した。目につくのは、四つ子素数のA48石破素数や346三四郎素数だ。五枚出し四つ子のA573イチゴ並み素数もある。

「シンキングタイム終了です」判定員が宣言した。「ここから、剣持選手の持ち時間となります」

 慧は、とにかく一枚引いた。二桁カードが来ることを期待したのだが、出てきたのはAだった。これでAが二枚になった。

 ここはA483を出して、革命を誘おうか? もしこれで革命が起こったら、A5イチゴ59でカウンターできる。すると残るのは、3、6、7、Jだ。3Jと67が素数なので、この順で出せば勝てる可能性がある。

 だが、そんな露骨な誘いに乗ってくれるだろうか。それに3Jを出した後、57でグロタンカットされるかもしれない。そうなると厄介だ。

 一分、二分と時間が過ぎていく。慧は頭を振った。いつも通り戦えと、伊緒菜は言っていたではないか。革命を誘うなんて妙なことはせず、いつも通りの出し方をしよう。それに、もし不意に革命されたとしても……。

 慧は手札から三枚カードを出した。

「64

 判定員が形式的にPCタブレットを操作する。

「641は素数です」

 これで慧の手札は、A、3、3、5、5、7、8、9、Jの九枚になった。あまり自信はないが、まだ革命には対応できるはずだ。慧は自分を落ち着かせた。

 判定員がタイマーを切り替える。皐月の手番だ。

 皐月は山札から一枚引いた。手札を並べ替え、場と手札を交互に見比べる。そして思い切ったように、カードを三枚出した。

「ジョーカーをKとして使って、KKJ131311です」

「131311は素数です」

 判定員の宣言を聞いて、伊緒菜は「嫌な予感がするわね」と呟いた。

「どうしてですか?」とみぞれが尋ねる。

「わざわざジョーカーを使ってまで、三枚出し最強素数を出してきた。ここで確実に、しかもすぐさま親を取りたい理由があるのよ」

「革命、ですか?」

 たぶんね、と伊緒菜は答えた。

 その予感は当たっていた。皐月は手札にA729を用意していた。

 他校にも知られている通り、烏羽高校は革命を軸に戦うことが多い。ほとんどの選手が革命対策なんてしていないから、こうするだけで中堅どころまでは戦えるようになるのだ。初心者の一年生たちにまず自信をつけさせるために編み出した教育方法だったらしいが、いつの間にか烏羽高校のお家芸にまでなっていた。

 慧はパスを宣言した。判定員が場を流し、皐月の手番になる。

 皐月の手札は、A、2、2、3、5、7、7、9、Jだ。ここで革命すると、残りの手札は2、3、5、7、J。この五枚は、いかようにも出せる。

 もし慧が革命にカウンターして来なければ、57からの23Jで勝てる。

 革命にカウンターされた場合も大丈夫だ。慧の現在の手札は九枚で、革命にカウンターすると残り五枚。慧が大きい四枚出しをしてきたら2357を返せるし、二枚出しなら57や23を返せる。三枚出しでも257を出せばほぼこちらの親になるだろう。カウンター後に慧が五枚出しをしない限り、十分対応できる。

 これは勝ったな。皐月はほくそ笑んだ。

「A729! ラマヌジャン革命!」

 宣言しながら皐月はカードを出した。観戦している仲間たちが、「おおおっ!」と声を上げる。

「1729はラマヌジャン革命です」

 判定員が機械的に繰り返す。皐月は愛嬌のある笑顔で、慧を見た。そして心の中で呼びかける。

 さあ、どうする? カウンターしないと負けるよ? カウンターしてもほぼ勝ち目はないけどね。

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