第28話 -6

「一部、私の黒歴史があるから、本当は話すの恥ずかしいんだけど」

 伊緒菜はベッドの上で、クッションを抱えた。

「ライバルっていうのは、昔、近所に住んでたお姉さんのことよ」

「お姉さんとQKをやってたんですか?」

 みぞれは正座したまま、身を乗り出した。

「QKだけじゃなくて、あらゆるゲームをね」


 その頃、伊緒菜は反抗期だった。

 小学校四年生の末、妹の伊佐緒が産まれた。すると、両親も、周囲の大人達も、みんな伊佐緒にばかり注目して、誰も伊緒菜に構わなくなった。

 もちろんそれは伊緒菜の勘違いだった。伊佐緒が産まれても、両親は伊緒菜のことも気にかけていた。しかしその時間は、伊緒菜ひとりのときに比べて、確実に減っていた。

 伊緒菜には、それが不満だった。

 学校の成績も良く、ハキハキと喋る伊緒菜は、大人達に気に入られていた。伊緒菜にとって、大人はみんな、自分の家来だった。自分は誰からも好かれる特別な存在だと思っていた。なのに……。

 伊佐緒が産まれると、伊緒菜の城はあっさりと崩れた。


「それで私は、ちょっとした反抗期になったわけ。伊佐緒をいじめたり、物を壊したりして、大人の気を引こうとしたわけね」

「か、可愛い……」

 津々実が笑いをこらえるように、膝に顔を埋めた。伊緒菜は恥ずかしそうに頬を掻くと、

「とにかく、私がお姉ちゃんに出会ったのは、そんなときだった」

「お姉ちゃん……?」

 伊緒菜が使うには意外な語彙だ。

「ええ、私はあの人のことを、そう呼んでいた。正確には、呼ばされてた。あの人の名前は馬場ばばはじめ。私が五年生になるときに、近所に引っ越してきたのよ」


 出会いは最悪だった。少なくとも、伊緒菜にとっては。

 伊佐緒が産まれてから、伊緒菜には小学校が安住の地だった。学校に妹はいないし、友達や先生達は今までと変わらずにちやほやしてくれる。学級委員にまで選ばれて、伊緒菜は優越感に浸っていた。

 ある日の放課後、五、六年生の学級委員が集まって、会議が開かれた。伊緒菜はその中でも、自分が一番人気者になれると思っていた。

 しかしそこに、伊緒菜よりも注目を集める人物がいた。

 馬場肇。相手の言葉の意図を察し、的確に回答する少女。彼女には、一を聞いて十を知る頭の回転の速さと、問題の解決策をすぐに閃く発想力があった。可愛らしい笑顔ですぐに他の委員達と仲良くなり、先生の人気まで集めてしまった。

 聞けば彼女は、この四月に転校してきた六年生だという。転入直後にクラスの人気者になり、学級委員に選ばれるほどのカリスマ性を持った少女だった。

 すぐに肇は、伊緒菜の嫉妬の対象になった。

 伊緒菜は彼女にいやがらせをするようになった。しかしそれは、ことごとく失敗に終わった。すべて彼女に見抜かれ、先回りされてしまったからだ。

 そしてある日、伊緒菜は肇に呼び出された。


「リンチですか」

 津々実は冗談半分で聞いた。

「ある意味そうだったわね」

「えっ」


 呼び出されたのは、近所の人気のない公園だった。遊具が何もない、がらんとしたただの広場だ。

 言われた通り一人で来た伊緒菜は、宣言通り一人で来た肇と対峙した。開口一番、肇は言った。

「あんた、あたしのこと嫌いでしょ」

 伊緒菜もすぐ答えた。

「大っ嫌い」

 何が楽しいのか、肇は屈託のない笑顔を浮かべていた。

「じゃあさ、あたしと勝負しようよ」

「は? なんでババアなんかと?」

「ババアか」くくく、と馬場肇は笑った。「だって、あたしのこと嫌いなんでしょ? だったらあたしを負かせて、ギャフンと言わせなきゃ」

 よくわからない理屈だったが、次の肇の提案を聞いて、伊緒菜は乗らざるを得なくなった。

「もしあんたが勝ったら、あんたはあたしをババア呼ばわりしていい。学級委員長の座も、譲ってやるよ」

 それは伊緒菜にとって、魅力的な提案だった。ここで勝てば、自分がまた一番になれるのだ。

「その代わり、あたしが勝ったら、あんたはあたしの舎弟だ。あたしのことも、『お姉ちゃん』と呼ぶように」

「わかった、それでいい。勝負の内容は?」

「あんたが決めて良いよ。プロレスでもゲームでも、なんでも」

 伊緒菜は公園を見渡した。遊具もないし、道具も持ってきていないので、ここでできることは少ない。鬼ごっこかプロレスごっこくらいしかやれることはなさそうだ。だが、体力勝負は年下の自分が不利だ。何か自分に有利なゲームはないか……。

 思案顔の伊緒菜を見て、肇は作戦通りと言わんばかりに、ポケットから小さい箱を取り出した。

「ちなみに、ここにトランプならあるよ」


「そこでQKをやったんですね!」

 みぞれは目を輝かせたが、

「まさか。当時の私はQKを知らなかったし」

 あっさり否定されてしまった。

「最初にやったのは、スピードよ」

「最初? ってことは……」

 伊緒菜は肩をすくめた。


「はい、あたしの勝ちー」

 肇は両手を開き、手札が無くなったことをアピールする。伊緒菜の手元には、まだ山のように手札が残っていた。

 唇を噛む伊緒菜の顔を、肇は覗き込んだ。

「今なら、三本勝負にしてやってもいいけど?」

 敵に塩を送られ、伊緒菜は地団駄を踏みそうになった。しかしこれは負けられない戦いなのだ。勝つためには四の五の言っていられない。

「じゃあ三本勝負にする」

 肇は目を細めた。

「いいね、その冷静な判断力」

 トランプを配り直し、第二回戦を行った。

 結果……伊緒菜は二連敗した。

「はい残念」

 伊緒菜はたまらず、指を突きつけた。

「ババア、いま何かやっただろ! 私、スピードで負けたことないのに!」

 いまクラスの女子の間で、スピードが流行っているのだ。伊緒菜も、クラスメイト達と何度かやったことがあった。

「何かってなに? イカサマってこと? あたしはそんなことしないよ」

 彼女は初めて不機嫌そうな声を出した。

「宝崎が今まで負け知らずだったのは、あんたが強かったんじゃなくて、周りが弱かったからだよ。遊びでやってる人間と、あんたみたいに真剣にやろうとする人間じゃ、釣り合うはずないじゃん」

「何言ってんの? こんなゲームに、真剣になるはずないでしょ」

「本当に? あんた、本当にスピードに真剣になったこと、なかった?」

 伊緒菜は言葉に詰まった。心当たりがないわけではない。クラスで最初に相手の妨害をやりだしたのは、伊緒菜だった。スピードでは、自分が続けて出しやすいように札を出すだけでなく、相手が出しにくいように札を出すのも重要だ。最初にそれに気付き、戦法に取り入れたのは伊緒菜だった。

 なぜそんなに強いのかと友人に尋ねられたとき、妨害戦法のことを話したら、ひどく驚かれた。伊緒菜としては自然に思い浮かんだ戦法だったので、当然みんな気付いているものだと思っていた。

 なぜ自分は気付けて、みんなは気付けなかったのか。発想力にそれほど差があるとは思えない。違いがあるとすれば、ゲームに対する姿勢だ。

 伊緒菜は、勝とうとしていた。みんなは、コミュニケーションツールとして使っていた。

 押し黙った伊緒菜の顔に、肇はトランプの束を突きつけた。

「イカサマなんてしてないよ。信じられないって言うなら、いくらでも調べてみなよ。スピード以外のゲームもしてやる。何をやったって、あたしが絶対勝つから」


「それから私達は、他のゲームもやった。大富豪もババ抜きも、確かにあの人の圧勝だった」

「本当に強かったんですね」

「今にして思えば、あのとき私は、完全に運だけのゲームを提案するべきだったのよね。それなら、あの人も勝てるとは限らなかったんだから」

 伊緒菜はクッションを抱え直した。

「それで結局、私はあの人の舎弟になった」

「パシリとかしてたんですか?」

 伊緒菜はしばらく思い出す素振りをした。

「そういうのはあまりなかったわね。しょっちゅうゲームに付き合わされてただけだわ。しかも……」


「伊緒菜の家って、あの大きい家でしょ?」

 舎弟となって数日経ったとき、学校帰りに肇に呼び止められた。肇は伊緒菜の家の住所を言い当てると、

「あたしの家、伊緒菜の家のすぐ近くだよ。今日暇? 暇じゃなくてもうち来てよ」

 肩を組まれ、半ば強制的に家へと招かれた。

 肇の家は、アパートの一階だった。中には誰もおらず、伊緒菜はリビングに通された。ちょっと待ってて、と言い置いて、肇は隣の部屋に消えた。一瞬だけ見えた室内には、高級そうなデスクと本棚があった。「父の書斎」に違いないと、伊緒菜は思った。

 すぐに部屋から出てきた肇は、大きい箱を持っていた。

「何それ?」

「『ガイスター』」

「……何それ?」

「ボードゲームだよ。将棋の親戚」

 箱を開け、マス目の描かれた青いボードを広げる。

 ガイスターとは、ドイツ語で「お化け」の意味らしい。4体の「良いお化け」と4体の「悪いお化け」を盤上で動かし、自分の「良いお化け」を盤から逃がすか、相手の「良いお化け」を全て捕まえれば勝ち。

「ただし、間違って相手の『悪いお化け』を全て捕ってしまったら、その時点で負け。どれが『良いお化け』でどれが『悪いお化け』かを見抜く推理要素と、相手にそれを勘違いさせる心理要素が良い感じで混ざったゲームだよ」

 要は、相手の手の内を読めばいい。それに、仮にこちらの手の内がバレても、駒は一度に1マスしか動けないから、将棋でいう「詰み」の状態が発生しうる。伊緒菜はそこまで考えてから、ゲームを始めた。

 そしてこのゲームで、伊緒菜は初めて勝利した。

「勝った」

 4体目の「良いお化け」を捕まえて、伊緒菜は呆けたように言った。

「や……やった! 勝った! お姉ちゃんに初めて勝った!!」

「負けたかー」半分悔しそうに、そして半分は嬉しそうに、肇は言った。「やっぱり伊緒菜は、こういう相手の手の内を読んで攻撃するゲームの方が得意みたいだね。麻雀とか強いかもしれないよ」

「麻雀?」

「知らない? 今度やろうか。といっても、あれは四人用ゲームだからな……」

 肇は屈託なく笑った。

「今度、パパとママがいるときにやろうか」


「それから私は、お姉ちゃんに色んなゲームを仕込まれていったわ。お姉ちゃんの両親にも私のことが伝わってたみたいで、割とすぐ麻雀もやった。いつの間にか家族ぐるみの付き合いになってて、うちの両親も巻き込んで5~6人用のゲームもやるようになったわ。さすがに伊佐緒はできなかったけど」

「それじゃ、このゲームは」

 みぞれが背後の棚を見上げた。

「そう、私が買ったというより、私達が買ったゲームよ。私やお姉ちゃんが選んで、父さん達がお金出したの。お姉ちゃんが引っ越すときに譲ってくれたものもいくつかあるわ。そのガイスターとかね」

 伊緒菜は棚の一角を指差した。大きな青い箱が置かれていた。

「QKを教わったのは、夏頃だったかしらね。二人きりで遊んでたときに、『たまにはトランプもやろうか』と言って提案してきたのがQKだった」


「たまにはトランプもやろうか」

 馬場家のリビングで、肇はトランプの束をシャッフルした。

「やだ。トランプはだいたいお姉ちゃんが勝つじゃん」

「強者に挑んでこそのゲーマーだよ。でもあたしが勝ってばっかりでも面白くないから、伊緒菜が得意そうなゲームをやろうか」

 伊緒菜は期待のこもった目で肇を見た。

「必要なのは、暗算能力と記憶力、そして運。相手の手の内と力量を読み、勝ち筋を構築するゲーム。その名も、QK」

「きゅうけい?」

「そう。……素数って、わかる?」

「何それ?」

 肇は素数と合成数を説明し、QKのルールを全て話した。

「理解できた?」

「要は、素数を出してきゃ良いんでしょ?」

「ま、今はその理解で良いか」

 二人に七枚ずつトランプを配り、じゃんけんした。先攻は伊緒菜だ。

「2×3=6」

「ふうん、そんなので良いんだ。じゃ、7」

「K」

「ジョーカー」

「っ!」

 Kがあるから、自分の手番にできると思っていたが、見込みが甘かった。肇は場を流すと、

「はい、79423泣くよ兄さんであたしの勝ち」

「な、なにそれ! 素数なの!?」

「素数だよ。調べよっか」

 タブレットPCを操作して、肇は素数判定をした。

「ほら素数」

「こんなの勝てるはずないじゃん!」

 伊緒菜はカードを投げた。肇はそのカードを見て、

「残りはQKと3だったのか。コツは分かってたみたいじゃん。あとは運と経験だよ」

 肇はトランプを回収しながら言った。

「QKは、素数を大量に覚えている方が強い。でも79423泣くよ兄さんが素数だってこと、いまの試合で覚えたでしょ? QKは、やればやるほど強くなる、経験がすぐに実力となって現れる数少ないゲームなんだよ」

 面白いでしょ、と肇は笑った。

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