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「よくぞご無事で……。幸せになられ、多恵は嬉しゅうございます。わたくしは斎藤家に仕えし頃より、あなた様が帰蝶様ではないことはわかっておりました。

 幼き頃よりお仕えした帰蝶様を、このわたくしが見間違うはずはありませぬ。されど、わたくしはあなた様の前でも、平手紅殿の前でも、気付かぬ振りを致しました。

 斎藤家と織田家の和睦のために、殿と小見の方様が決断されたこと。侍女のわたくしが口を出すことではありませぬから。

 わたくしが出来ることは、気付かぬ振りをし、あなた様に誠心誠意お仕えすることでございました。

 織田信長殿はうつけの振りをしておったが、頭の賢きお方。あなた様が帰蝶様の身代わりと知った上で、きっと正室に迎えられたのでしょうな」


 多恵は当時を思い出し、桐の箱から携帯電話を取り出す。


「されど、このわたくしも、平手殿がだったとは最後の最後まで気付きませぬでしたけど……。平手殿はわたくしより一枚上手でござりましたなあ」


 多恵は楽しげにクスクスと笑い、夜空に浮かぶ月を見上げた。


「あなた様のことじゃ。本能寺の戦いで織田信長殿と平手紅殿の遺体が発見されなかったのは、あなた様と明智光秀殿の策略でございましょう。明智光秀殿が落ち武者狩りで討たれたという噂も、偽りなのですから。

 『赤い牡丹の花も黒い蝶と仲良く戯れておいででしょう』とは、隠し言葉でございまするな。ほんに、安堵致しました。

 わたくしも遠き地より、皆々様のご多幸を祈っております」


 多恵は携帯電話と美濃の文を、丁寧に桐の箱に納めた。


「……この戦国の世が天下泰平となりし時、この多恵が真実を後世にお伝え致します。それがわたくしの最期のお務めだと思うておりまする」


 月夜に照らされた庭に蛍が飛び交い、多恵は優しく微笑んだ。


◇◇

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