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「……あの、橋本さんのご先祖とは?斎藤道三の縁者ですか?」


「いえ、いえ、私の先祖は斎藤さんのように、歴史に名を残すような立派な人物ではございません。斎藤家に仕えていた侍女です」


「……侍女!?」


「はい。名は多恵と申します。多恵は斎藤家にお仕えする前に、斎藤家の小姓と結婚し16歳で男児を1人生んだそうですが、いくさで夫を亡くし、その子を親元に残し斎藤家にお仕えしたそうです。

 長寿を全うした多恵は、その生涯を斎藤家と織田家、豊臣家にお仕えしたそうです。多恵の死後、遺品は長男の元に届けられたそうです。その後代々引き継がれ大切に保管して参りました。ご両親にお話ししたのは、多恵から語り継がれた逸話でございますよ。多恵は数々の書を残しておりましたから。

 ですが、この桐の箱だけは蔵の中に収められたままとなり、私どもの目に触れることはありませんでした。年始に蔵の中でこの桐の箱を見つけ、中を確認すると多恵の手記が入っておりました。和紙も傷み判読出来ない部分も多々ありますが、これによると『織田信長に嫁いだ濃姫は、帰蝶の身代わりとなった美濃という女性であった』との記述があり大層驚いた次第です。

 保存状態も悪く、現在は1枚ずつ和紙を広げビニールで包んであります」


 多恵……。


 あの多恵が、美濃のことを書き記していたなんて……。


「……見てもいいですか?」


「どうぞ」


 橋本さんは白い手袋をはめ、ビニールに包まれた多恵の手記をあたしに渡してくれた。あたし達も白い手袋を装着する。


 多恵の文字はとても達筆で、あたしには判読出来ない部分もあったが、読めない部分は橋本さんが説明してくれた。


「多恵の手記が事実であるならば、これは歴史を揺るがす大事件。ですが、侍女の手記では信憑性もなく空想ではないかとの指摘もあり、この手記は史料として認められず、歴史書が改正されることはありませんでした。

 確かに書かれていることは奇想天外で、『織田信長には男装した平手紅という側近がいて、秘かに情を通じていた』とか。『帰蝶の身代わりに嫁いだ美濃と明智光秀は深い仲にあり、本能寺の戦いのあと落ち延びた』とか、おかしなことばかり書かれております。この時代では考えられないようなことが、沢山書かれているのです」


 橋本さんはクスクスと笑い頬を緩めた。


「私はこの手記に興味を抱き、本を出版しました。歴史家や有名な作家さんより、史実を愚弄した作品であるとの批判を受け、どなたもノンフィクションだとは認めて下さいませんでした」


「あ、あたしは信じます!」


 思わず立ち上がったあたしに、橋本さんは目を見開き驚いている。


 多恵の手記には、帰蝶の身代わりとなった美濃という女性は、声を発することが出来なかったことや、平手紅のことも書かれていた。


「こちらが帰蝶の身代わりとなったと思われる美濃からの手紙です」


「……美濃からの手紙!?」


 あたしはその手紙を手にし、指の震えが止まらなかった。

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