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 “弟、信勝(信行)との醜い兄弟の家督争いは、いまだに水面下で燻り続け、兄、信広のぶひろも斎藤義龍と手を結ぶ。”


 あたしは密かに家臣らの動向を調べ、信長に知っている情報を全て伝えた。昼間は男として信長の側に仕え、夜は男の姿を捨て、信長の寵愛を受ける。


 だが、それも長くは続かなかった。


 信長は側室を迎え、吉乃もまた信長の寵愛を受けていたのだ。


 女として生きることを拒み、男の道を選んだあたしは、側室の元に向かう信長を笑顔で送り出さなければならなかった。


 信長と逢えない夜は、冷たい布団の中で膝を抱え、寂しさと嫉妬に身を震わせ胸が張り裂けそうだった。


 あたしは平手紅。

 斎藤紗紅ではない。


 どうしてあたしが……

 この時代に迷い込んでしまったのだろう。


 どうして……

 こんなにも信長を愛してしまったのだろう。


 どうして…………。


 ――1557年(弘治3年)

 “弟、信勝(信行)は謀反を企てるが、重臣柴田勝家しばたかついえの密告により、信長は難を逃れる。”


 相次ぐ謀反に、信長の目は怒りに満ち常軌を逸していた。


「信勝を清州城に誘い出すのだ」


「信勝殿をですか?どうなさるおつもりですか?血を分けた兄弟で争うなど、もうお止め下さい」


 あたしは実の姉に酷いことをした。

 後悔しても、もう謝るすべもない。


 信長に同じ思いをして欲しくはない。


「紅、もう諍いは終わりだ。わしが病に伏せておると信勝に申し伝えよ。そうすれば信勝の本心はわかるであろう」


「はい。畏まりました」


 信長が病気だと知れば、信勝は必ず見舞いに訪れる。仮病で兄弟が和睦できるなら、それもひとつの手段。


 2人が手を組めば、織田家の家臣達もひとつに纏まり揺るがない力となる。


 信長のためなら、どんな嘘も吐く。



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