母が泣いた日

 「来月の社会科見学は『ユグドラシル』支部基地となりましたので。皆さん、向こうで戦士の方達にする質問を宿題にしておきます、考えておいて下さい。」


 女教師の言葉に、当時の私は複雑な心中だった。

 『ユグドラシル』に行ける事は正に至福ではあるが。

 同時に、あまり考えたくない状況を想定していたのだ。


 そう、そこは母の職場だ。そして、母の性格上。

 もし、向こうで出会うなんて事になれば………

 私は、それを想像して身震いしていたもんだ。


 「それと、

 今月のお誕生日会の予定も立てますので、日直さんは司会をお願いします。」


 そう女教師が言うと、ミーナちゃんとセツナちゃんが電子スクリーンの前に立って、ミーティングを始める。


 「えっと…………じゃあ、えっと………

 セツナちゃん。今月って誰が誕生日なの? 」


 ミーナちゃんがグダグダとセツナちゃんに訊くと、セツナちゃんはキビキビっと背筋を伸ばして、眼鏡をクイクイっと揺らして答えた。


 「今月当クラスで誕生日を迎えるのは、小鳥無 光次郎君のみです。彼の8歳の誕生日が、19日となっています。」


 セツナちゃんは、いわゆる『オタ』の女の子で、こういった喋り方をよくしていたが、先日会った時は、まぁ、年相応というか。普通な感じに落ち着いていた。


 「じゃあ、アリタカくん。何かしてほしい事はありますか? 」


 突然のその提言に、教室中の視線が私に向いた。

 この時は、本当に参ったね。ミーナちゃんは、この直線的な性格が原因で、この先色々と苦労したそうだと、セツナちゃんが、こないだ嬉しそうに語っていたのを思い出すよ。


 「え…………いや…………」

 私は、困惑していた。


 誕生日。この時はまだ僅か7回しか経験していなかったそれは。

 当時の私にとっては『普段の1日』と何ら変わりのないものだったから。


 「では、小鳥無君。希望が無いのでしたら、今回のお誕生日会のプランは、通常通りのAプランBで、宜しいですね? 」


 セツナちゃんの意味不明な言葉に、私は頷いた。とっとと話題を変えてほしかったからだ。


 「こほん。セツナちゃん?

  まず、Aプランなんて作って無いし、

 そもそも、AプランにもAとBがあったら、ややこしいわぁ……」

 女教師がにっこりと微笑んでいた。


 

 その日、帰宅するとまず私は、母に見つからない様に宿題を済ませる事にした。


 見つかる危険性を回避する為にも、母の帰っていない時間に終わらせるのが得策であると判断したんだろうね。


 でも、その思惑はあっさりと崩れ去る事を知ったんだ。


 「コーちゃん。来月、お母さんの職場に社会見学に来るでしょー」


 「ぶっ」と食後の茶を吹き出した。


 「な、なんで、ババア知ってるんだよ‼ 」

 私の文句に、母は、いつも通り走ってきて「ぽかっ」っと拳骨をいれる。


 「ババアじゃない‼

 コーちゃん、学校でも、

 お友達とかにそんな悪い事言ってるんじゃないでしょうね⁉ 」


 『友達』その言葉に、私は怒りで震えた。

 それは、私がその時、最も欲していた存在であり、憧れであったからだ。

 でも、それは決して得る事の出来ないものだったのだ。


 何故なら、私は……孤立していたから。


 男と女は、同じ種族の生き物であっても、全くと言っていい程

 価値観や、考え方が違う。


 いや、本当はそれに合わせる事で彼女達とも、友人関係は築いていけた。と、今の私なら考えられるが。

 この時の私は、それが『不可能』な事だと決めつけていたのだ。


 この後の事はよく憶えている。


 私の一言で、初めて母を…………





 「うるせえ! クソババア‼

 お前が、男なんか産みやがったから!

 学校に男の俺の居場所なんて、今の時代ないんだよ!

 こんな事なら、生まれて来なきゃよかったよ! 」


 いつもの家の中なのに。

 まるで、全く知らない場所のように思えた。


 私は、子ども心に「言い過ぎた」と罰が悪くなって、おどおどと母の顔を見たんだ。

 固まったね。



 いつも、私が文句を言うと、お道化てみたり、本気ではないけど怒ってみたりして、元気に反応を返してくれていた母が。その時だけは。



 対して大きくもない双眸を見開いて。



 声を殺して、涙をぽろんぽろん溢していたんだ。



 「あ………………」


 言い過ぎたり。

 相手を怒らせたりしたら。本当に仲直りしたい時は、すぐに謝るんだ。

 一番やってはいけない事は。


 

 この時の私みたいに、その場から逃げ出す事だ。




 恐ろしくなって、私は駆けて部屋に上がった。


 そして、母の涙にショックを受けて、すぐにマットレスに飛び込んで、顔を埋め込む様に隠して、外気。つまりは現実に身体が触れない様にして、それから逃避する事に決めたんだ。



 翌朝、わざと少し遅くまで部屋で寝ていた。


 下に人の気配が無い事を確認すると、きょろきょろと周囲を見渡して、リビングに、こそこそ向かう。

 そこで、私は視覚よりも嗅覚の情報を掴む。


 「あ………」

 そこには、いつもの朝食が用意されていた。いつものメモが添えられて。


 『コーちゃんへ。

 朝ご飯はしっかり食べる事。

 それと、昨日の事は、またお仕事が早く終わった時に話しましょう。』


 私はそのメモを読んで肩が軽く震えたんだ。


 勿論、怖かったからじゃないよ。

 理解わかるだろ?

 



 でも、母の仕事はこの頃より、かなり多忙を極めた。


 それは、今思えばある『大きな出来事』の前兆だったんだ。その口火を切った場所は、薄暗く、床が機械の部品や、食いカスのごみで散らかりきっている。その部屋だった。




 「…………にわかには………受け入れがたい事実ですね……」



 「推測。ではなく、事実。と判断してくれるのかい? ゴトーくん………」


 この時の事を、ゴトーさんは、こう教えてくれた。

 セセラギ博士は、自他共に認める変人である。


 変人ではあるが、彼の宇宙外生命体に関しての個人的な研究は、余りにも辻褄の合うものであり、他の研究者が発表した研究結果とは、レベルの違う論説を立てていたのだと。以前からの、その彼の研究成果を踏まえたうえで、彼を『仲間』として判断したのだと。信用に足る人物と認めたのだと。



 「それで…………貴方の事ですから、対応策も練っているんでしょう? 」



 セセラギ博士は、そのゴトーさんの言葉に、洗ってない長い髪の毛を搔き目尻と口角がくっつきそうな位の笑顔を見せたそうだ。



 「ああ。そりゃ、もうばっちり。君が二年前からこっそりくれていたアマテラス・咢号の戦闘データと…………僕がアマテラスよりも先に目を付けていた『あの』パワー変換システム。ようやっと、このパーツで試作品が作れそうだよ。」



 「それが出来上がれば、ようやっと、このアマテラスでは防げなかった殉職者を出さなくて済む様になるんですね…………セセラギ博士………一日も早く………完成をお願いしますよ。」



 そう言うと、彼らは目の前の『それ』を隠し、その場を別々に離れていった。


 




 そこから、戦闘員棟に向かう途中、彼は母と出会ったらしい。


 「お疲れ様です。小鳥無さん。」

 母は、そんなゴトーさんの挨拶にも気付かない程、心ここに在らず。な状態だったそうで、ゴトーさんは、訝し気にも。それが気になって母の肩に触れたそうだ。


 「…………きゃっ‼ ご、ゴトー隊長? ど、どうなさったんですか? 」

 

 「し、失礼。

 挨拶に返事もなく、余りにも様子がその………おかしかったので……」


 母は、その言葉に、顔を赤めて愛想笑いを浮かべて


 「ちょ、ちょっと……息子に怒られまして………」

 と、つい、年下で上司のゴトーさんに話してしまったそうだ。




 その日の昼休憩、戦闘員棟の休憩広場にて、母はゴトーさんに相談したそうだ。




 「そうですか。息子さんがそんな事を……………」


 「ええ。でも、確かに息子も可哀想だと思います。

 男性は人物を含め、生物に不必要に…………」

 母は、本当に口が滑りやすい。慌てて申し訳なさそうに、目の前の男性である相談相手に頭を下げた。


 「いえ。いいんですよ。小鳥無さん。続けて………下さい……」


 母は、申し訳ない気持ちもあったが、やはり女性であった。そんなゴトーさんの包容力に素直にその時は甘えてしまったと、後に恥ずかしそうに言っていた。


 「いっその事、本当の事を話されてはいかがですか? 」


 その提案に母は、顔を俯かせた。



 「あの子…………優しいから……………それは…………出来ません……

 ………それに………実はあの子に言われた事…………

 私も……………時々………思うんです。

 本当に、この選択で………よかったのかな………って。」





 「小鳥無さん。私も、男に生まれて色々とありました………今思えば父も母も、何故私を産み、そして育ててくれたのか。

 …………多分。

 貴女と同じ気持ちだったからでしょうね。」


 そう言うと、ゴトーさんは優しく微笑んだ。



 「ゴトー隊長………」


 「きっと。

 きっと息子さんが貴女の気持ちを解ってくれる日が来るはずですよ。」



 ゴトーさんの計らいで、母はここに勤めて初めて指定日に、一日休暇を得る事が出来た。



 それは、今月の19日。

 そう。

 私の誕生日だった。

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