女神の物理法則と魔物栽培しています。

ファミ通文庫

女神の勇者 × 物理法則

女神の勇者と関係ないゲスな物理法則

 勇者アリアンを仲間に引き込み、女神教の司教・ヒューブを退けて、ひとまずの平穏を勝ち取ったある日の事。


 ゲス参謀こと外山真一は、魔王に呼ばれて城の一室に赴いていた。

 そこは床に巨大な魔法陣が描かれた、彼がこの異世界に呼び出された場所である。


「まさか、用が済んだから帰れとか言わないよな?」


「馬鹿を申すな、我が娘リノに美食を捧げるという、大任が終わっておらんだろう」


「そりゃそうだ」


 蒼き魔王・ルダバイトは脳筋で人間の命など虫けらほどにも気していない、魔族らしい魔族であるが、身内には甘く強者には敬意を払い、恩には恩で返す義理堅い人物である。


 なので、不死身の勇者を追い払った自分が今更厄介払いをされるなど、真一も本気で思っていたわけではない。


「じゃあ、何をする気なんだ?」


「簡単な事よ、これから食料の調達やら何やらで忙しくなるから、其方の手伝いを呼んでやろうと思ってな」


「手伝いって、また地球から拉致るきかっ!?」


「其方のいた星や世界とは限らん、有能であればどこの誰でもよかろう」


 魔王はそう告げると、静かに全身から魔力の光を放ち始める。


「知恵に優れ、我をも恐れぬ勇気があればそれでよし」


「ちょっと待て、その条件だと『外宇宙に幽閉された旧支配者』とかも該当されそう

で怖いんだがっ!?」


「ほぅ、名前からして実に強そうだ、是非とも会ってみたい」


「やめてっ!」


 この星を滅ぼす気か、という真一の制止も無駄であった。


「開け星界の門、数多の境界を越え、我が元に英傑を呼び寄せん、『賢人召喚サモン・ザ・ワイズマン』っ!」


 魔王の体から放たれた膨大な魔力を受けて、魔法陣が目も潰れそうなほど激しい光を放つ。


 真一が咄嗟に腕で目を庇うなか、一分ほど経ってようやく光が収まってくる。

 そして魔法陣を見てみれば、そこには見知らぬ四人の人物が立っていた。


「えっ、四人も!?」


 それも真一と大して歳の違わない、若い高校生くらいの少年少女であった。

 急に周りの景色が変わって戸惑っていた彼らは、真一の驚き声に釣られてこちらを見て、そして横に立つ三m超の青い肌をした巨人に気づいて愕然とした。


「……っ、ミキヒトさん達は下がってください」


 長い桜色の髪をした凜々しい少女は、魔王から皆を守ろうと無骨な棒を構える。


「お、お兄ちゃん、これどうなってるの……っ!?」


 黒髪をサイドテールにした幼い感じの少女は、怯えて兄らしき青年の背中にすがりつく。そして――


「すげー、テツさんを二倍にしたような巨人だ! でもあれだけ巨大だと、質量に対して骨の強度が保つのかな?」


「ど、どうだろう? 骨の構造や、成分が、人間とは違う、かもしれないし……」


 人の良さそうな青年と、長い前髪で目元を隠した少女は、警戒する他の二人とはまるで違う、好奇の視線を魔王の巨躯に注いでいた。


「ふむ、当たりのようであるな」


「邪神が大当たりしなくてマジでよかったよ」


 己を見ても恐怖に押しつぶされない彼らに、魔王は感心を示し、真一はとりあえず安堵した。


(しかし、三人は顔も服装も日本人なのに、一人だけファンタジー風のコスプレ外国人って、いったいどんな集まりだ?)


 そう疑問に思いつつ、彼らを安心させようと丁寧に話しかける。


「あー、何て言いますか、この度はうちの魔王様がご迷惑をおかけして申し訳ない。急にこんな事を言われても信じられないかと思うが、皆さんは魔王様の魔法で異世界に召喚されたんだ」


 自分で言っておいて実に嘘くさい説明であったが、それを聞いた四人の反応は、真一の予想とは大きく異なっていた。


「魔王に、召喚? ……どうしようお兄ちゃん、咲達はまた、別の異世界に飛ばされちゃったよっ!?」


「いやいやいや、異世界からまた異世界へって、そんなの『プールに入れた時計の部品が勝手に組み上がる』くらいの低確率じゃないかっ!? ……こうなるとやっぱりこれは、偶然性よりも必然性を論じた方が適切な気がするなー」


「み、みき君、あの人、日本語を喋って……は、いないね、リップシンクが、取れてない。こっちの、認識の、問題かな……」


「異世界……え、異世界って、……本当に?」


 四者四葉の驚きようだが、異世界に召喚されるという現象自体に戸惑っていたのは、桜髪の少女ただ一人であった。

 他の日本人らしき三人は、異世界召喚という異常をすんなりと受け入れている。


「何か複雑な事情がありそうだな……」

 これまた面倒な事になったなと、真一は困りつつも興味を覚え、とりあえず立ち話もなんだからと、四人を別の部屋へ案内する事にした。


                   ◇


 真一だけでは何かと不安なので、魔王の娘・リノ、黒エルフのメイド・セレス、そして勇者で半竜人のアリアンも呼んで、広い応接間で異世界の客人と対面する。


 そして、こちらの事情をかいつまんで説明しつつ、相手の境遇を聞いてみて、真一は驚きに目を剥いた。


「学校の部員がガレージごと異世界の森に飛ばされるとは、災難だな……」


「一人で召喚された真一よりは、楽だったと思うけどね」


 照兄達、頼れる仲間がいたから――と言って笑ったのは、明るくてコミュ力の高い青年・雨ケ谷幹人。


 ロボットコンペティション、略してロボコペの常連校として有名な、大山工業高等専門学校に通う機械科の三年生である。


 彼らはロボコペの全国大会が迫ったある日、徹夜作業から目を覚ますと、突如として地球でもこの惑星オーブムでもない、謎の異世界にいたのだという。


「ですが、それでは誰に召喚されたのか分からないのでは?」


「それで俺達も困っているんですよ。ねえ、みぃちゃん先輩?」


「う、うん……大気や重力が、地球とほぼ同じ、なんて、都合良すぎるから……意図

的なものだと、思うけど……」


 幹人に促される形で、つっかえながらもセレスの質問に答えたのは、人とコミュニケーションを取るのが苦手なのか、黒い長髪で目元を隠した巨乳美人・三峯魅依。


 同じく大山工業高等専門学校に通う情報科所属の四年生で、超凄腕のプログラマーだという。


「咲お姉ちゃん達、大変だったんですね」


「うん……でもね、ザザさんにも会えたし、悪い事ばかりじゃなかったよ!」


 リノにお姉ちゃんと呼ばれたのが嬉しかったのか、長いサイドテールを嬉しそうに揺らした少女は幹人の妹・雨ケ谷咲。


 まだ中学二年生で、幹人達の元へ差し入れに行った時、異世界転移に巻き込まれたのだという。


「私の方こそ、サキや……ミキヒトさんに会えて、本当に感謝しています」


 美しいが氷のように鋭利だった顔に、雪が解けるような微笑を浮かべた桜色の髪をした少女は、幹人達が飛ばされた異世の現地人・ザザ・ビラレッリ。

 数字外れナンバーレスという上位ランクの冒険者で、その実力によって魔物から幹人を救い、また広い屋敷を提供して経済面でも救ってくれた、命の恩人なのだそうだ。


 そんな彼女の幹人を見る翡翠色の瞳に、ある種の熱がこもっているのを、アリアンは敏感に感じ取る。


「ザザさん、ひょっとして……」


「どうかしましたか?」


「いえ、何でもないです!」


 異世界の少年に恋をした者同士として、アリアンは親近感を抱きつつも慌てて誤魔化す。


 幹人の隣に座った魅依の、長い前髪から覗く瞳にも、同じ熱が宿っているように感じたからだ。


「そんなわけで、照兄達が心配だし、元の所に帰して欲しいんだけど……」


 幹人が遠慮がちに申し出ると、魔王はあからさまに顔をしかめた。


「我に招かれておきながら、何もせず帰ると申すか?」


 頼んでもいないのに召喚しておいて、実に自分勝手な言い分であったが、魔王にはそれを押し通すだけの力がある。


 その巨体から放たれる膨大な魔力の波動に、ザザが思わず武器を構えかけたが――


「パパ、咲お姉ちゃん達をちゃんと元の所に帰してあげて欲しいです」


「はははっ、リノがそう言うならば、その通りにしよう!」


 娘に言われてあっさりと態度をひるがえした。


「……魔王さんって、その、あれなの?」


「まぁ、娘のためなら人界征服も辞さないくらいには親バカかな」


 苦笑しながら尋ねてくる幹人に、真一は遠い目をして頷く。


 彼がこの異世界に召喚された事など、多くの問題がその親バカによって起きているのだが、天使なリノへの溺愛がストッパーとなっているお陰で、こうして惨事を回避できていると思うと、善し悪しの判断に困るのであった。


 そんな彼らを余所に、魅依が恐る恐る手を上げる。


「あ、あの、魔王さんは、召喚魔法の逆で、私達を、元の場所に、帰せるんですよね?」


「当然であろう」


「じゃあ……私達を、地球に、元々の世界に、帰せますか?」


 その言葉に、幹人は驚愕して立ち上がる。


「みぃちゃん先輩、それは……っ!?」


「ロボ研の、みんなを置いて、自分達だけ、帰る、つもりは、ないけれど……で、でも、咲ちゃん、だけは……お願い、できない、でしょうか」


「……そうだね、確かに咲だけでも帰せるなら……」


 兄と魅依から優しい気遣いの視線を受けた咲は、むしろ憤慨して叫んだ。


「私だって、お兄ちゃんを置いて一人だけ帰るなんて、絶対に嫌ですよっ!」


「でもな、咲。父さんや母さん、それにじいちゃんや学校の友達とか、みんなが心配していると思うんだ」


「そ、それはそうだけど……」


「咲が帰ってさ、みんなに『お兄ちゃん達は異世界でも変わらず機械弄りをして、元気に過ごしてますよ』って伝えてくれたら、すげー安心してくれると思うんだ」


「でも、でも……っ!」


 お兄ちゃんと離れたくないと、咲は目尻に涙を浮かべて幹人の胸にすがりつく。

 そこに、メイドが少し気まずそうに声を挟んだ。


「盛り上がっている所、誠に申し訳ありませんが、『チキュウ』の方に帰すのは無理だと思われます」


「うむ、無理であるな」


「どうしてですか?」


 断言する魔王に、幹人は希望が絶たれた無念さよりも、その仕組みが気になるという強い好奇心で問いかける。


「単純な話だ、我は其方らを元いた場所に戻す魔法は心得ておるが、『チキュウ』などという知らん場所に戻す術は持っておらん」


「そうですか……待てよ、地球の場所が分かれば戻せるんですかっ!」


「分かるのか?」


「……無理ですね。宇宙の膨張によって常に移動しているから、地球の絶対座標なんて調べようがない」


「みき君、それだけじゃ、なく、私達のいた異世界、その次元座標? も、調べようが、ないし……」


「そういう事だ、諦めよ」


 幹人と魅依の小難しい話に、平然と対応する魔王を見て、真一はつい感心してしまう。


「魔王様って脳筋のわりに頭が良いよな」


「……すみません、二人の話が理解できない私は、頭が悪いのでしょうか」


「僕もよく分からないし、気にしなくても……」

 慰め合うザザとアリアンを余所に、幹人は少しばかり残念そうに肩を落とす。


「そっか、咲を地球には帰せないか……」


「よかった……いやいや、よくはないですけど、ですけれどもっ!」

 兄と離れずにすんで深く安堵する咲を見ていて、真一はふと思いつく。


「待てよ、俺は地球から召喚されたんだから、俺と一緒に帰せば……いや、駄目だな」


「何故ですか?」


 名案ではないかとセレスは首を傾げる。

 その向かいに座る魅依が、ピンときた様子で顔を上げた。


「ひょっとして、世界が違う、可能性がある?」


「あぁ、平行世界か!」


 幹人もすぐに気づいて手を叩いたが、それを見た魔王の娘は不思議そうに首をひねる。


「お兄さん達は何を言ってるですか?」


「……ごめんなさいリノちゃん、私もさっぱり分からないよ」


 この場にいる地球人の中で唯一、理屈っぽい理系とは無縁の咲は、申し訳なさそうに首を振った。


「別に難しい話じゃなくてさ、俺がいた地球と、幹人さん達のいた地球が、必ずしも同一とは限らないって事さ」


 真一はそう告げるが、漫画やアニメで平行世界という概念を知っている現代日本人ならともかく、中世風なファンタジー世界の住人では分かり辛いであろう。

 それを察し、幹人と魅依が揃って補足をする。


「えーと、宇宙は可能性によって無限に分岐している……って考えがあるんだ。例えばサイコロを振って一が出た世界もあれば、二が出た世界もあるって感じでね」


「もし、それが、正しければ、真一さんのいた宇宙には、私達がいないかも、しれないし……ひょっとすると、異世界に転移しなかった、私達がいるかも、しれなくて」


 だから、仮に咲が真一と一緒に地球へ戻っても、そこは咲のいた地球ではなく、別の人生を歩んできた咲が存在する可能性すらあるのだ。


「二人の咲が出会うと、やっぱりパラドックスを起こして消滅するのかな?」


「ど、どうでしょう? 時間移動と、次元移動では、異なる現象でしょうし」


「そんな特殊能力で攻撃してくる奴が、某漫画にいたなー」

 説明も忘れて盛り上がる理系組に、ファンタジーな異世界組はついていくのを諦める。


「魔力の回復と魔法陣の再作成に一日はかかる、それまで其奴らをもてなしてやれ」


「畏まりました。さしあたってお食事の用意を致しましょう」


「ご飯ですか! よかった、実はお腹ペコペコだったんですよ」


「……咲お姉ちゃん、あまり期待しないで欲しいです」


 議論を白熱させる真一達を余所に、魔王やセレスはそれぞれの仕事を始めるのであった。


                   ◇


 一人旅をしていた経験から、料理も得意だったアリアンの手による、猪肉と山菜の鍋というまともなメニューのおかげで、どうにか幹人達の舌を破壊せずに食事を済ませつつ、一同は談笑を続けた。


「それでね、こーんなでっかい角の生えたトカゲと戦う事になったの」


「ふわ~、まるで話に聞くドラゴンさんみたいです」


「ザザさんも魔物ハンターだったんですか?」


「ハンターではなく、冒険者と呼んでいるのだけど、危険な魔物を退治するのは同じですね。それで、森にいたミキヒトさん達と出会って――」


 話し疲れた理系組に代わって、今は咲を中心とした女子陣が、それぞれの思い出を語り合っていた。


「それで照兄がいきなり、『物理法則を確認しろ!』とか言い出して――」


「ほぅ、物理法則とな」


 休憩していた真一が、その単語にピクリと反応した。


「そういえば、物理法則が違う可能性もあったのに、調べていなかったな」


 召喚されたら目の前に魔王がいて、いきなり不死身の勇者を倒す事になったので、考える余裕もなかったのだ。

 不注意だったかと反省する真一に、幹人が提案する。


「よかったら俺達で調べてみようか? ろくに道具もないから正確な数値は出せないし、これまで違和感がなかったようだから、地球と大きく異なるとも思えないけれど」


「そいつは助かる、ぜひお願いしたい」


 では早速調べようと、立ち上がって外へと向かう幹人と真一に、女子陣も揃ってついてくる。


「こっちの恒星は、一つなんですね」


「そうだね、やっぱりあっちの世界は変わってるのかな」


 青い空に浮かぶ太陽を見上げて、感慨深そうに呟く魅依に頷き返しながら、幹人はポケットに入っていたメジャーとスマホを取り出す。


「とりあえず重力加速度かな。咲、また手伝ってくれる?」


「最初にやったあれだね!」


 ストップウォッチ機能を起動したスマホを咲に手渡しつつ、幹人は地面に落ちていた小石を拾い、メジャーで測った一メートル半の高さに掲げた。


「じゃあいくぞ、三、二、一、ほいっ」


 幹人が石を手放した瞬間、咲はストップウォッチをスタートさせ、小石が地面につ

いた瞬間に停止させた。


「〇・五四秒です!」


「距離=一/二×重力×時間の二乗だから、式を直して……一〇・二九、やっぱり大差ないか」


 人の手による不確かな計測だが、やはり地球の重力加速度九・八とおおむね同じのようだった。


「レーザー計測器か、バネとおもりが、欲しいですね……」


 それがあればもっと正確な数値が出せるのだがと、魅依は残念そうに肩を落とす。


「いっそ、もっと高い所から落として測ったら、誤差も気にならないのか?」


 真一が適当にそう提案すると――


「畏まりました」


 セレスが急に彼の背後に回って、両手で腰をガッシリと掴んでくる。


「ちょっ、セレスさん!? 胸が当たって――」


「『飛翔フライ』」


 真一は背中に当たる感触を楽しむ暇もなく、セレスに掴まれたまま天に向かって急上昇した。


「うぉぉぉ―――っ!? セレスさん、怖い、これマジで怖いって!」


 上空数百mまでロケットのごとく飛び上がり、足下で驚き見上げる幹人達が、アリよりも小さく見える景色は、高所恐怖症でなくとも背筋の凍るものであった。


「では、手を離しましょうか?」


「俺で落下計測をするのはやめろ! というか、これは上昇した正確な距離が分からないと意味ないからっ!」


「それは失礼致しました」


 必死に説明すると、セレスは意外にも素直に応じ、ゆっくりと地面に下りていった。


「ぜぇぜぇ……死ぬかと思った」


「難しい話ばかりでは皆様が退屈をされますので、小粋なジョークを挟ませて頂きました」


「落下死体のミンチショーとか、ちっとも笑えないからな?」


 相変わらずこのポンコツメイドは、変な所でズレた笑いを取りにくるなと、真一は額の汗を拭う。

 そして、幹人達がドン引きしていないかと、心配して彼らを窺うが――


「お兄ちゃん、魔法少女です! 本物の魔法少女ですよっ!」


「待て待て待て、待つんだ咲ちゃん! セレスさんは魔法少女と言うより……そう、マジカル・メイドだよ! しかもダークエルフのっ!」


 雨ケ谷兄妹は異様なテンションの盛り上がりを見せていた。


「いやー、召喚魔法で呼ばれたと言ってたから、魔法があるのは分かっていたけど、まさか空を飛ぶなんてファンタジーを見られるとは……」


「セレスさん、私も飛びたいです! できれば箒にまたがって!」


「はぁ、別に構いませんが……」


 超世界的ベストセラーの某魔法少年シリーズにハマっていた咲にとって、箒に乗って空を飛ぶ事がどれほど憧れだったのか、セレスは知るよしもなく、困惑しながらも頷き返す。


 そして、城から持ってきた箒に二人でまたがり、ゆっくりと地上十mほどまで飛び上がると、咲は感動の叫びを上げた。


「お兄ちゃん、飛んでます、飛んでますよ! あとはボール、ボールをください!」


「あまり興奮なされると、危険ですので……」


 セレスが遠慮がちに注意するも、咲は全く聞こえていない様子で、眼下の幹人達に向かって両手を勢いよく振り回す。


「うわああめっちゃいいなああ! 最高だぞおお咲ぃ! 死ぬほど羨ましい! 今の兄ちゃんは代わって貰えるのがかなり待ちきれない感じのメンズだぜ!」


「わ、わあ、制御は、どうやって……あ、あの、ところで、さ、咲ちゃん、スカート、押さえないと、し、下着が、見え……」


「シンイチは見ちゃダメッ!」


「別に隠さんでも、そんな非紳士的行為はしないぞ?」


 ロングスカートからチラリと覗く、セレスさんのふくらはぎには興味があるが――とは口にせず、真一は大人しくアリアンの目隠しを受け入れる。

 そうして、十分以上も空を飛び回ってから、咲達はようやく地面に降り立った。


「ふぅ、堪能しましたー。セレスさん、ありがとうございます!」


「いえ、お気になさらず」


 元気に一礼する咲に、セレスも微笑を返す。

 そこへ、幹人が興奮を隠しきれない顔で駆け寄った。


「セレスさん、俺も空を飛びたいです! もしくは『スター・ダスト・バスターッ!』って感じで、光の束をドバーと撃つ魔法を――」


「構いませんが、あちらをどうにかなされた方がよろしいのでは?」


 幹人の声を遮り、セレスは横を指さす。

 そこではザザが俯き、棍棒で地面にのの字を書いていた。


「……私はどうせ、武器を振り回すしか能がない、無骨な女ですから……魔法だって、火や石を飛ばしたり、そんな事しかできないですけど……だからって、ミキヒトさんもサキも、あんなに興奮しなくたって……」


 自分が魔法を教えた時よりも喜んでいたので、ちょっと拗ねていたらしい。

 それに気づいて、幹人は慌ててザザに駆け寄った。


「ほら、人には個性があるんだし、こっちとあっちじゃ魔法も少し違うみたいだし、自分に何かができないからって、それを気にする必要はなくてね?」


「……慰めは結構です。どうせ私は、あんな可愛いメイド服、似合いませんから」


「そっちも気にしてたのっ!? いやいやいや、ザザにもメイド服は似合うって、俺は超見てみたいよっ!」


「……本当ですか?」


 幹人の必死なフォローによって、少しずつ元気を取り戻していくザザの様子に、アリアンは思わず親近感を抱く。


「ザザさん、僕とちょっと似てるかも」


「…………」


 それは真面目なわりに面倒臭い性格をしている所でしょうか?――とセレスは思ったが、それを口にするほど野暮ではなかった。


                   ◇


 その後もいくつかの物理法則を計測したり、互いの世界における魔法の違いについて議論した一同であったが、日が傾いてきた頃には仲良く球遊びに興じていた。


「リノちゃん、いくよ!」


「はいです!」


 咲は某ベストセラーに出てくる競技をしたかったようだが、流石に箒で空を飛びながら球を奪い合うのは危険という事で、木の板で作った簡単なラケットと布を丸めた小さな球を使って、簡易のバトミントンをしていた。


「はわっ、届かないです!」


「よっと、大丈夫だよ」


「ザザさん!」


「任せてください」


 リノが拾えなかったり明後日の方向に打った球を、アリアンとザザがカバーをする形で、リレーは思いのほか長く続いている。


 その微笑ましい光景を、幹人達は少し離れた所に座って見守っていた。

 最初は咲達につきあって遊んでいたものの、すぐに体力が切れて足が上がらなくなったのである。


「やっぱり、もう少し鍛えないとダメかな?」


「そ、そうだね……で、でも、魔導杖の、開発などを、より優先したい……というのは、言い訳、かな……」


「そんな貴方にお勧めの、真一式・三分筋肉トレーニングがあるのですが?」


「あんな体に悪そうなものを、人に勧めるのはおやめください」


 セールスマンのような揉み手をする真一に、セレスはツッコミを入れつつ、陶器の

コップに冷たい水を注いで三人に配った。


「ありがとうございます」


「ところで幹人さん、一つとても重大で科学的な質問をしてもいいか?」


「何だい?」


 急に改まって問われ、幹人は不思議そうな顔をしつつ水を飲む。

 そんな彼に、真一は重々しい真面目な口調で告げる。


「もうザザさんと子作りした?」


「……はぁ?」


 あまりにも突飛で明け透けな質問に、横で聞いていたセレスの方が呆気に取られてしまう。

 ただ、言われた幹人本人はといえば、少し驚いた顔をしたものの、すぐに猥談も得意な男子らしくノってきた。


「へいへいへい! 真一は結構ぶっ込んでくるね! その精神性【ソウル】があるんなら高校じゃなくて、高専を受けてくれてても良かったんじゃない!?」


「そ、その、あ、で、でも、質問の、意図は、わ、分かる、と言いますか」


 魅依も顔を赤くはしていたが、何の話か理解してくれていた。

 しかし、異世界人のメイドには分かるはずもなく、真一の顔面に怒りのアイアンクローを食らわせる。


「異世界からの客人に向かってセクハラとは、頭の中に○○ピーでも詰まってい

るのですか、このゲス野郎は」


「ぐあぁぁぁ―――っ! 待って、これ本当に重大な質問なんだって!」


 よほどセクハラな猥語を口にするセレスに、真一は悶絶しながら必死で言い訳をする。

 それを見て、幹人は苦笑しながら止めに入った。


「セレスさん、真一に罪はない、彼の質問は極めて真っ当なんだ。そうなんだよね、まるで同じ人間みたいな見た目はしてるけれども」


「生物、的に、交配が、可能かというと、それは分からない話、ですよね……」


「……ヤればデキるのでは?」


 二人の話を聞いても、科学の『か』の字も知らないセレスには、やはり理解できない。

 ただ、『遺伝子』という概念を知る真一達にとっては、むしろ明白な問題だったのである。


「見た目は同じだ、食べ物も同じだから、体が水とタンパク質と脂肪でできているのも同じだろう……だがはたして、遺伝子レベルで見た時に、同じ生物なのだろうか」


 人間とチンパンジーのDNAは九十九%も一致するという。

 そして、人間とチンパンジーの交配種が作れないかと、一九二〇年代にソビエトの生物学者が禁断の実験を行ったが、それは失敗に終わった。


 たった一%の違いでも、異なる種族は子孫を残せなかったのである。


 では、地球人と異世界人のDNAは、いったいどれだけ違うのだろうか。


「俺は科学が好きで勉強はしていたけど、学者じゃないから詳しい事は分からない。ただ、異なる世界の生物が、全く同じ遺伝子を持っているなんて都合のよい確率を、お気楽に信じられないんだ」


 真一はそう言いながら、楽しそうに遊ぶアリアンを見つめた。

 彼女は人間と竜の交配種・半竜人であり、その証拠として首元に赤い鱗がある。


 姿も大きさもまるで違う種族で、どうやって子供を作れたのか不思議であると共に、異なる種族でも子供が作れるのなら、世界の異なる人間同士でも作れるのではないかとは思う。


 けれども、それは竜という絶大な存在――魔王すら凌駕するかもしれない、正体不明の存在だからこそなしえた、奇跡にすぎないのかもしれない。


「仮に子供が作れたとしても、その子供に疾患が出ないかも気になるしな……」


 ライオンの父とトラの母から生まれた交配種・ライガーは、繁殖能力がほとんどなくて子孫を残せないらしい。

 地球人と異世界人の間に生まれた子供にも、そういった弊害がないとは言い切れなかった。


「もっとも、某野菜な戦闘民族と地球人みたいに、スーパー異世界人が誕生しないとも限らないけどな」


 真一は最後にそうおどけてみせたが、幹人も魅依も笑って返す事はできなかった。


「俺は機械屋だし、みぃちゃん先輩はプログラム屋だし、生物は専門外ではあるんだけど、かといって無視のできる問題でもないんだよな……」


「う、うん……」


 重い課題を改めて認識し、二人の表情が僅かに陰る。

 そんな暗くなった雰囲気を吹き飛ばすように、真一は口の端を吊り上げて、いつもの悪い笑顔で告げた。


「まぁ、幹人さんには不要な心配かな」


「何で?」


「同じ地球人の可愛らしいお相手がいるからさ」


「あ、うぅ……」


 チラッと横目で窺われた魅依は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 それに幹人が気づくよりも早く、セレスが冷たい目で真一を睨んだ。


「実妹との子作りを勧めるとか、どれだけ鬼畜外道なんですか」


「そっちじゃねえよ!」


「咲は超可愛いし愛してるけど、それはないなー」


「…………」


 みき君はともかく、咲ちゃんの方はどうなんだろう?――と魅依は少し不安を抱いたが、藪蛇になっても嫌なので黙っておいた。


(それにしても……真一さんは、帰らないつもりなんだ)


 セレスと漫才を繰り広げている彼を、長い前髪の合間から窺い見る。

 異世界人との間に子供が作れるのか、その問題を本気で考えていた事からして、真一が自分を慕うアリアン達を置いて、元の世界に帰る気がないと伝わってきた。


(みき君は、どうなんだろう?)


 バトミントンもどきに白熱するあまり、地面に転がって汚れた咲の服を、優しく微笑みながら手で払うザザの姿を窺う。


『死にたがり』と呼ばれて、冷え切った氷のような顔をしていた彼女が、こうして笑えるようになったのは幹人のおかげだ。


 そして、魔物から助け出し、魔法を教え、大量の魔道具を無料で提供し、幹人達があの異世界で生きていける基盤をくれた、命を救ってくれたのはザザで。

 だから、二人がそういう関係になる可能性は高くて……その時は、幹人もきっと真一と同じ選択を取るのだろう。


 それが分かってしまうから、魅依は――


「あ、あの……みき君……」


「うん、何?」


「…………いえ、何でも、ないです」


 喉元まで出かかった言葉も、彼の手を掴もうと伸ばした指も、すんでのところで引っ込めてしまう。

 臆病な自分に嫌気が差して、魅依は深い溜息を吐き、そんな彼女の内心を知ってか知らずか、幹人は明るく声をかける。


 二人の何とも言えない微妙な距離感を見て、セレスはもどかしそうに溜息を吐いた。


「チキュウの男は甲斐性なしばかりですね」


「何故、俺の方を見て言う?」


 心外だという顔をする真一に、もう一度溜息を吐きながら、セレスはようやく遊びを終えたリノ達に水を配ろうと、コップの用意を始めるのであった。


                   ◇


 次の日、帰還の魔法陣が描かれた部屋に、一同は集まっていた。


「あぅ~、咲お姉ちゃん、あっちに帰ってもお元気でです」


「うん、リノちゃんも元気でね」


 せっかく仲良くなれたのに寂しいと涙を流すリノに、咲も少し目尻を濡らしながら手を握り合った。

 そんな妹分と妹の頭を撫でつつ、真一と幹人も別れの挨拶を交わす。


「じゃあ、幹人さんも向こうで頑張ってくれ」


「うん、希望も見えたしね」


 こちらの世界からあちらの世界に戻れるのなら、あちらの世界から地球にだってきっと戻る手段があるのだろう。


 もちろん、あちらには魔王がいないし、魔法の仕組み自体が違うようだから、そう単純に事が運ぶはずもない。


 だが、異世界に飛ばされてから、また別の異世界に召喚されるなんて極小確率の奇跡に出会えたのだから、地球に戻る程度の幸運だってきっと解明してみせる。


 そんな固い決意を込めて、幹人は真一と握手を交わした。


「ザザさんも、お体にお気をつけて」


「はい、貴方もお元気で」


「ご健闘をお祈り申し上げます」


「は、はい……っ!」


 アリアン達もそれぞれ別れを告げて、魔法陣から離れる。


「忘れ物はないな? ではいくぞ」


 幹人達の準備が整ったのを見て、魔王は高々と呪文を唱え上げた。


「再び開け星界の門、境界を越えて縁を手繰り、彼の者達をあるべき時と場所へ運びたまえ、『次元超越帰還【リターン・ホーム】』ッ!」


 魔法陣が眩い光を放ち、手を振る幹人達の姿を飲み込んでいく。

 そうして光が収まると、四人の姿はこの世界から消えていた。


「無事に帰れたかな?」


「我が魔法をしくじるとでも思っておるのか?」


 侮るでないと鼻を鳴らす魔王の様子からみて、幹人達は無事に元の異世界に戻れたのであろう。


「さてと、じゃあ俺達も頑張ろうか」


 美味しい食料の確保に加え、また不死身の勇者が刺客として放たれて来るだろうし、問題は山積みであった。

 気合いを入れ直す真一を見て、セレスは微笑を浮かべる。


「子作りを頑張るとは、お盛んですね」


「だからそっちじゃねえよっ!」


「こ、子作りって、僕はまだ、心の準備が……」


「赤ちゃんって、どう作るですか?」


「リノは知らなくてよいっ!」


 いつものように明るい騒ぎ声が、魔王城に響き渡るのであった。


                   ◇


「――おい、幹人、こんな所で何やってんだ」


 聞き慣れた声が降ってきて、幹人はゆっくりと目蓋を開けた。


「……照兄?」


「昼寝するなとは言わんが、午後から魔導杖のテストをするんだ、遅れるなよ」


 目に映るのは見慣れた兄貴分の苦笑と、晴れ渡った大空に浮かぶ三つの恒星。

 飛び起きて当たりを確認すれば、そこは彼らが厄介になっている、ザザの屋敷にある広い庭。


 隣を見れば咲とザザが気持ちよさそうに眠っており、魅依が寝ぼけ眼で起き上がっていた。


「そっか、帰ってこれたんだ……」


「うん、どうした?」


 安堵する幹人を見て、照治が訝しがる。

 その普通な反応に対して、むしろ幹人の方が驚き、そして気づいた。


「照兄、今は何日の何時何分!? 俺達はどれくらい姿を消してたっ!?」


「どうした、まだ寝ぼけてるのか?」


 照治はさらに怪訝な顔をしながらも、質問に答えた。

 それによれば、幹人達が真一達の異世界に召喚されてから、一時間も経っていなかったのである。


「まさか、夢だった?」


「その可能性も、あるけど……」


 魅依の様子からして、彼女も、そしてまだ寝ている咲とザザも、幹人と同じ異世界で一日を過ごした記憶がある。


 四人が全く同じ夢を見たという可能性も、この魔法が存在する世界では否定しきれないが、もっと納得のいく理論が頭に浮かんでいた。


「ひょっとして、時間が連動していない?」


 こちらの世界とあちらの世界は、おそらく全く別の宇宙である。

 同一宇宙の別惑星にテレポートしたのではなく、次元の壁を越えて別の宇宙に移動していた。


 想像もつかない不思議な現象ではあるが、別の宇宙であるならば、同じ速度で時間が流れるなんて、常識に囚われる義理はない。

 そもそも、次元の壁を越えられる力があるのなら、時間の壁くらい容易く越えられるだろう。


 もちろん、タイム・パラドックスなどの問題で、過去の幹人達が存在していた時間に戻すのは難しいだろう。

 だが、例えば一時に召喚された幹人達を、一時一分の世界に戻すくらいなら、造作もないのではないか。


 この推測が真実ならば――


「……ひょっとすると、ロボコペも間に合う?」


「け、けど、浦島太郎、みたいに、未来に行っちゃう、可能性も……」


「何だ何だ、おいおいおい、お前らだいぶ面白そうな話をしてないか? 馬鹿野郎混ぜろよ俺も!」


 思わぬ可能性に愕然とする幹人と魅依の間に、照治が大声を上げて入ってくる。

 その声で咲とザザも目を覚まし、元の世界に帰ってきた事に気づいて笑顔を浮かべていた。


「え~と、どこから話そうか」


 自分達がまた別の異世界に召喚されていたと聞いたら、照治は夢だと疑うだろうか。


 きっと「何で俺も召喚されなかった!」と本気で嘆きつつ、「帰還魔法だと!? いったいどんな仕組みだ!」と好奇心を爆発させる事だろう。


 実に高専生らしい姿だと思い、幹人は笑みを浮かべつつ、自分達の身に起きた不思議な出会いを語り出した。


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