#雑踏-HERE-(2/3)

「ミイラ女?」

 風呂上りに金スプーンでヨーグルト食べてた先生がこちらを振り返った。頭にタオル。せめて乾かしてから食べて欲しいもんである。 その長いまつげに守られた潤んだ黒曜石の瞳は宝石より美しかった。

 こちらも、冷蔵庫に背中押し付けてヨーグルト食ってたんだが――

「はい。なんか、すげー大柄でパワーファイターでした。アユミほどじゃないけど剛力でしたね」

 俺は金スプーンを教鞭のように振るって語る……こんなヨーグルト食べながらのおざなりだが、れっきとした業務報告だ。

「はぁ。そいつはまた面倒そうだな」

「ええ、なんか、そいつ肌がものすげーヤケドみたいになってて、包帯で隠してんですが、見るな見るなって延々叫んでるんですよ」

「分かりやすいな。おおかた、火事で大やけどでも負った人間の呪いなんじゃないか?」

「……………」

 ――苦痛憎悪絶望渇望、それら人間の怨嗟は“呪い”となって具現化し、いつしか人を喰らうバケモノとなる。

 “異常現象”。

 第一の亡霊に始まる五大異常現象に加えて番外現象etc、それらの有害異常現象を処断するのが俺たち“狩人”だ。

 縁条市所属異常現象狩り。俺も先生も、アユミも同じだ。

 風呂場の方から聞こえるシャワー音はアユミのもの。あいつにもあとで全部教えてやらないとな。

「……なるほど、火事で大ヤケドっすか。確かに、呪いっぽいですね」

「ああ――やけどってのは酷いもんさ。大きなものになると、脱水に体液喪失に臓器不全感染症と目白押しだ」

「え。そこまで……」

「ああ、オレも詳しかないが、浸透圧どうので大量の輸液が必要になるらしい。そんな治療も大変だが、何にもまして――」

 覚えている。見るな見るな。そりゃあ、女でなくともそうなっちまうだろう。

「――醜いやけど痕。特に顔なんかに残ったら最悪だろうね、どこにいても、何をしてても自分自身の顔からは逃れられない……」

 あるいは、移植手術なんて手段もあるのだろうが――現実的な選択肢なんだろうか?

 あいつは全身がヤケドだらけだった。頭頂からつま先までぜんぶを包帯で隠し、しかし隠しきれるはずなどない惨い有様。私を見るな――――哀れに過ぎる。しかしそれも、理性なき亡霊なんだが。

「呪いを遺すような末路だ、どのみち、どう転んだってろくなもんじゃない」

 恐らくは病院のベッドで、死ぬまで悶え続けたのだろう。火事でいろんなものを失って、生き残った自分はしかし、見る影もない様な無残な身体にされてしまった。まるで怪物――そんな現実、受け入れられるだろうか? 鏡の中に怪物がいる。昨日まで化粧して着飾って美容院で髪を切っていた一人の女性が、正気でミイラの自分を受け入れられるだろうか。

 発狂するような負の情念は、毎日毎日蓄積され、そうしてこの世にあんなバケモノを遺してしまったのだ。噛み締めた金スプーンが苦かった。と、そこで思い出す。

「そうだ――先生。あいつ、俺の目の前で霞んだんですよ。一瞬消えて現れた。こう、バチバチって。やべぇですよ、ステルス迷彩なんてマジ厄介な呪いだ」

 俺がまくし立てるとしかし、先生は何故だかすごくプラスチックな目をして俺を見た。まるでいざ組み立てたらガンダムのはずがジムだった、くらいの温度のない。ニヒルに皮肉そうに、それさえも美しい所作で魔女は俺を嘲った。

「おい少年、ひとつ聞くが? それは本当に“ステルス迷彩の呪い”なのか」

「はぁ。なんか、違うんですか」

「お前、自分の霊視ランクを言ってみろ」

 霊視ランクとは、霊視のランクである。どれだけ呪いとかそういった幻想、擬似現象、半実体の類を見極められるかという視力の話。通常の視力と違って大雑把にアルファベットで表される。

「まぁ参考までに、オレはB++、雪音はA-、どこぞの双子が特級……さて、もう一度問うが少年、お前の霊視ランクは?」

 ずい、と前に立って見下ろされる。実に高い。遙か高みのヘリの上、上空5000mから見下ろすブルジョワの顔だった。庶民な俺は、拗ねるように自分の無情なステータス値を呟く。

「……C……です」

「よかったな少年、補修はナシだ。期末試験でいうところの41点だよ。いやぁよかったよかった」

 それはなんだ、ギリギリの最低ラインって意味か。先生はひょいと手に持っていたものをシンクに投げて立ち去っていく。

 スプーンはたらいに、ヨーグルトのカップはゴミ入れに見事ゴールインした。意味のない神業。最後まで見届けもせず階段を上がっていく。

「……つまり、ステルスでもなんでもなくて、単に俺の霊視がヘボだから視えなくなったと?」

「肯定。」

 そんな軍人みたいに言わんで下さい。

「まったく、隣町を見習えよ少年」

「隣町?」

「斉藤姉妹というのがいてな。三人揃って腕の立つ狩人をやっている。少年もその、何だ、やる気があるなら三人に増えるくらいはやって然るべきだろう」

 アメーバかよ。しかも無能の三分の一なんて、俺が言うのも何だが酷すぎるんじゃないか。

「次は必ずアユミを連れていくように。ま、ヤバそうならオレも出るから、無理だけはするなよ、少、年――」

「あ、羽村くんおかえり。お風呂あいたよ……ってどうかした?」

 入れ違いで赤い髪の少女が現れた。

「………ただいま、B。」

「はい?」

 俺は腐る。



 翌日昼間、俺はアユミと共に昨日の場所を目指して歩いていた。マクドナルド前を通らないように避けながら。

「でも、よく分からないねぇ羽村くん。昨日の夜、わざわざこんな遠くまでジュース買いに来たの?」

「ああ、不意にマックスコーヒー飲みたくなってな。ハハハハ、アハハハハ。」

「ふーん……?」

 考えこむように首を傾げるアユミちゃんなのであるが、重度の添加物中毒としては、そのような禁断症状とそこから来る愚行をわざわざ教える道理はない。

 そう、マックスコーヒーだ。俺は知っている、ちょっと先の自販機でマックスコーヒーが百円で販売されていることを。

 ――まだ日は高い。青い空はなんだかかすれていて、秋風は今日に限って爽やかだった。砂っぽい乾燥したアスファルトを蹴って進む。

「で、なんだっけ。もうこの辺なの?」

「えーとな……ああ、ここだここ。ちょうど――」

 ちょうど、アユミが止マレ表示のマの上で立ち止まった。街灯に枝先を振れさせている木。夜と昼、暗闇と日中という差こそあれ周囲の風景は昨日と重なる。

 大通りから少しばかり外れた小道ってとこ。車はたまに通るが、別段センターラインが引かれているわけでもない。両隣の塀の向こうに緑を覗ける、奥まった袋小路ってていだ。

 夏のかき氷を連想させる澄んだ大気――少し冷え始めた秋には、昼間だってのにここだけ早朝のような清涼さ静けさをみせていた。

「えーと、な。俺はあっちの方からこっちの方へ歩いて行こうとして、そこらへんに差し掛かったら気が付いたわけだ。なんか、風景がループしてるなぁと」

「うんうん」

 実況見分。特に細部が重要なわけではないだろうが、なるべく正確に押し進めていく。

「で、だ。どうにも双子の気配を感じたんでやっぱりそうか、と歩き出そうとしたらあいつらが目の前に――――ってちょっと待てアユミ、いま、誰かに呼ばれなかったか?」

「はい?」

 突然のことに目をしばたくアユミ。こちらも不思議だった。振り返っても静かな小道。いま、確かに背後から呼ばれたような気がしたんだが。

「……………まさか、」

 あのミイラ女に取り憑かれちまったのか? 四六時中監視されてんじゃないだろうな。

 ――なんて、ばかな不安。

「悪い、気のせいだアユミ。それよか双子が現れて、で――」

 話しながら俺は、アユミが不思議な顔して自分を見ていたことに気付く。

「んあ? どした」

 有り体に言えば、『なにか言いたそうな顔』だった。しかしアユミは言葉を飲み込む。

「ううん、なんでもないなんでもない。それより続けて。できれば、そのミイラ怪人との戦闘のあたりを入念に」

「ああ――」

 で俺は、身振り手振り付きでその時の出来事を克明に述べる。前だけを、アユミとその背後の風景だけを見ながら。



 真昼の商店街大通りを流されていく。周囲に視線を巡らせながらだが、こんな場所に怪人ミイラ女がいることはないだろう。

 見るな見るなっていう亡霊が、好きこのんで人混みへ来るなんてあり得ない。

 アユミと共にゲーセンを歩いて1円も使わず、しつこく見回りだけして外へ出た。いちおう警戒してはいるが、亡霊も狩人も、本分は夜だろう。怪異に暗闇は付き物なのだ。

「さって、ちょっと小腹空いたな」

「そうだね。どこか行く?」

「ああ――」

 と顔を上げた俺の目に入ったのは、またしてもだんご屋さんだった。

「…………………………」

 固まる。釘付けになる、その、窓ガラスに貼られた肉厚極まりない写真ポスター。

 制服女子3人組が楽しげに会話しながら出てきて、ポスター前を通りすぎていった。マジヤバだよねー、グラキャニまじやばだよねー。

 ――――描写が遅れて申し訳ない。

 では、今回の主演とも言えるこの『グランドキャニオンバーガー』について、縁条市のCランク霊視・羽村リョウジが徹底的完璧に観察・霊視・解説しようと思う。

「羽村くーん。戻ってきてー」

 ――反則である。一体、どこの誰が想像し得たであろうか? まず、ここに3つの殿堂がある。心して聞いてみて欲しい。文殊の知恵と申しまして、

「ていっ!」

「いで」

 ごすん、と額にチョップされて目が覚めた。ここはどこだ。だんご屋の目の前だ。いけない、思考があらぬ方角へ成仏してた。

「……ねぇ羽村くん、大丈夫?」

「ちぃ、まだ冒頭のさわりの部分だけだったんだけどな……」

「依存症? 禁断症状出た?」

「ああ、禁断症状出た」

「そっか……」

 アユミさんの目がヤク中を憐れむ色になる。視界が真っ赤に染まるほどの暴走ぶりだったので否定はしない。

「はぁ――もう、分かったよ。食べたいんだね? じゃ入ろう」

「おう、悪いな」

 いらっしゃいませー、教育の行き届いた挨拶で思わずニコニコしてしまう。アユミとマクド入るのは確か36時間ぶりだ。

「あ、どもっす」

「あぁー! いらっしゃいませ、またグランドキャニオンバーガーですかぁ?」

「はは。」

 ここ数日ですっかり顔なじみになってしまった俺を見て、アユミがげんなりした。きっと荒みきった食生活を想像したんだろう。延々と同じバーガー詰め込んでるわけだからな。

「ねぇ羽村くん、わたし、そろそろ胸焼けしてきたよ……」

「俺も、一週間後にはソースの味がゲシュタルト崩壊してそうな気がするよ」

 ははは、あははと爽やかに会計を済ませ、店員がオーダーを飛ばす。

 まったくどうなってんだか――俺はぼりぼりと背中を掻いた。



 薄いコーラのストローくわえながら不意に思ったんだが、「他人」ってなんだろう?

「…………」

 チーズバーガーはむはむするアユミの向かいに陣取り、俺はガラスの向こうの雑踏を観察する。真昼の白さ。道行く老若男女誰も彼も、見たことのない顔ばかり。

 他人ってなんだろう。

 彼らは俺にとっては他人で、ただの流れていくマネキンでしかなくて、向こうからすれば俺がマネキン。

 なんか、不思議だよな。とアユミに言ったらキョトンとされた。

「ああ……たしかに、なんか、“伏せられたカード”みたいだよね」

 変わった喩え。俺はポテトの塩味を感じながらアユミの言葉を聞いた。

「ねぇ羽村くん、きっと、一人のプレイヤーにめくれるカードは限られてるんだよ。人間の知覚には限りがある。そして、めくれる枚数の個人差もある」

「…………ああ、」

 ゲーム開始時、世の中はすべてのカードが伏せられている。『他人』っていう伏せカードだ。カード柄、つまり人間性の見えない未知の札。

 最初は一枚たりとも明かされてはいない、裏面ばかりを向けるカードで埋められた世界だ。そんな無情なテーブルに放り出され、生まれたばかりの赤子は『私にとってこの世界は他人しかいない』と泣き叫ぶ。

 そりゃあ怖ろしいだろう、だって、人間って生まれた瞬間はこの世に知り合いが一人もいないんだからな。

 まず親っていうカードをめくり、家族や親戚っていうカードをめくり、友人恋人そうやって、1枚1枚カードを明かしていく。

 いつしか、自分を中心としたカードめくりは一顧の日常を形成できるほどの範囲となるのだ。

 出会ったばかりの他人同士では、相手にとっても自分にとってもお互いが伏せカード状態。その札をめくることが楽しいと思う奴がいれば、怖ろしいと感じる奴もいる。その辺りは過去の経験値なのかも知れないが。

「番号札ナシでお待ちのお客様ー」

「へーい」

 慣れたもんである。気の抜けた返事の俺と、いきなり無茶ぶりしてきた店員をみやってアユミがポロリとピクルスを落とした。

「はい、グランドキャニオンバーガーお待ちどう。通算何個目だっけ?」

「あんたは、いままで食べたパンの枚数を覚えているか?」

「累計1293枚でーす」

「ドラえもんの身長体重胸囲か……」

 気怠い、まったくキレの悪いやりとりだが、そいつはケラケラ笑ってて楽しそうだった。サバサバした女。バーガー屋の制服着た、もちろんこの店のアルバイトだ。

 さっきのレジ担当と同じく、顔なじみになってしまった店員。ちょっと化粧は濃いがノリがいい。

「で、こっちは彼女さんと。」

「妹です」

「まぁ、そんな感じだ。ところで――おい、この店大丈夫なのか」

 昼時だというのに、客は俺たちだけ。バイト嬢も複雑そうな顔をして、厨房の方を気にしながら声を潜めて言ってきた。

「……そんなに長くないよ。秘密だけど」

「そうかい……」

 あまり聞きたくなかったかも知れない。レジの方を見ると、さっきのおっとり系のバイトさんが少し苦そうに笑って手を振っていた。典型的な縁条市のファーストフード店の末路である。

「まぁ、ごゆっくり。でもいい加減にしないと胃袋壊しちゃいますよぉ?」

 そこだけ楽しそうに、営業スマイルで高い声で言ってひっこんでいった。特に『胃袋壊し』のあたりが楽しげだった。

 背中は軽快にゴキゲンに、安時給も何のそのである。

「……ま、あんな奴もいるわけだ」

「そっか――添加物中毒もついに、新たな交友関係を開拓してしまうほどに……」

「いや、俺が言ったのは、あいつみたいな、客相手にタメ口で接してしまえる羨ましい性格の奴のことなんだけどな?」

 当然ながら最初は赤の他人だったはずなのに、気が付けばこうして普通に接してしまえている。あっちのレジ嬢が声を掛けてくれるようになったのもあいつがきっかけだ。

 あいつはもしかして、伏せカードをめくることに何の躊躇もないんだろうか。



「おらぁ――!」

 金切り声が耳をつんざき、大音声と共に一帯の大気すべてが俺を殺そうと呪う。

 振動する大気は重く、押し潰されそうになるが決して退かない。滴り落ちる血。俺の短刀は、ミイラ怪人の手のひらを捉え縫い付けていた。

 掴み合うような形なのだから、当然ながらすぐさま相手の左手が振り上げられる。右手1本に対してこちらは両手で均衡。吹き出す冷や汗、バケモノの拳を素手で受け止めるかと覚悟を決めたその時――

「そこッ!」

 横から割り込んできた戦車の主砲の威力が、ミイラをかっさらってどこかへ連れて行った。目を向けると、吹っ飛ばされた怪人は漫画みたいに背中を信号にぶつけていた。

 信号柱が歪む――俺の目の前に着地したのは、体長2mもある筋肉ダルマのマッチョ戦士だった。

「羽村くん、大丈夫!?」

 マッチョ戦士が可愛い声を発する。もちろんすべて俺の錯覚、本当は、華奢で折れそうな赤髪の少女の背中だった。

 その細腕、兵器。

「ああ――問題ない。それよりどうする、アユミ」

「うん。正直、わたしも羽村くんの霊視を疑ってたよ。ごめんね――」

 今宵の風景は昨日と同じく万華鏡じみた無限回廊、しかし趣向が違った。場所は宵闇の交差点。双子の呪いによって、4方向すべてを同じ風景に変えた怪奇時空だった。

 まだ少し空が彩度の残照を残している。こんな時間から現れやがったミイラ怪人なのだが、まぁ、逢魔が刻なんつー言葉もあるくらいだから仕方ないのかも知れない。

 苦しそうに立ち上がるミイラ――――その姿が、連続ストロボのように消えたり現れたりする。

「そうか…………お前でも、視えないのか」

「うん。あれ、不可視化の呪いだよ。見るな見るなっていう『見られたくない願望』が、そのまま結果かたちになってるんだ」

 あとで先生に報告しよう、やっぱり悪いのは俺じゃなかったって。本当、Cランクだからといってバカにしてもらっては困る。俺は、アユミの隣に立ってくるくると短刀を回し逆手に構えた。

 ――厄介極まりない。どうする?

「ヤバイのはあれだぜ。あいつさ、突進の途中で呪いを発動しやがる。そうなるともう、どこからあの馬鹿力の拳が飛んでくるのか謎だ恐怖だ」

「だね。でも、その力任せの一撃さえなんとか出来ればいいんだよね?」

 ああ、と俺がうなずいて作戦会議終了。同じ結論に至る。相方というのはこういうもんだ。

「いくぞ――!」

 俺たちがバラバラの方向へ駆け出すと同時、ミイラも正面特攻を仕掛けてきた。走破、走破。相変わらず暴走列車の破壊力だ。

 それを真正面に真剣な目で見返すのはアユミ、怯えもせずに正面から向かっていく。

 駆けながら、アユミが大鋏のような音を立てて非対称の二刀短剣を抜き放つ。鋼鉄の翼のように広げられた二刀を視認して、怪人はいっそう敵意をむき出しにする。

「!」

 ――――絶叫。そして、消失。空から雷撃されたような衝撃と共に消えてしまった。

「ちぃ……またかよ」

 どこから来る? どこから襲いかかる? 俺もアユミも不用意に足を止めるしかない。

 アスファルトに跳ねる小石も、重々しい足音も動作音もすべてそこにある。しかし高速すぎて察知が追いつかない。

「アユミ! 後ろだッ!」

「!?」

 アユミの周囲を激走した気配が膨れ上がり、不意を突くように具現化して背後から殴打しにかかる。

『見ル、ナァァああああ嗚呼あああああああああああああああああ――!!!!』

 見開かれた少女の眼球を、そこから上の頭部を陥没させてしまうようなハンマーパンチが容赦なく振り落とされた。

 衝撃は長く重く、そしてなにより硬い。

「早いね。びっくりしたよ」

 振り下ろされた剛力の渾身を、白い両手に込められた怪力が制止させていた。掲げるように突き上げた左短剣のナックルガードが、ミイラのハンマーパンチを受け止めたのだ。

 ミイラも目を見開く異常腕力、優しげに撫でるようなしかし質量を支配しきった少女の手。

「――いまだよ」

「らああッ!」

 頭頂に、杭打つように短刀を振り下ろす。どれだけステルス能力持ちだろうといなくなるわけじゃない。攻撃の瞬間はそこにいて、ましてや不可視化が解けてるんだから一撃を完全に止めてしまえば隙だらけだ。ここまでが新人コンビの判断。

「は!?」

 しかしここで俺の無能ぶりが露呈する。拳銃射撃基礎、いきなりヘッドショット狙うのは無知のやること。短刀による刺突も同じく、頭部を狙うべきではなかった。

 俺の短刀を嫌うようにわずかに首を逸らされてしまったことによって、重心がずれ、刺突は頭蓋骨の丸みで滑って決着をつけそこねる。

 ――――包帯が千切れ、目の前で顔を顕にしそうになったミイラが圧壊するような絶望を浮かべる。

 そこからは発作じみた海の如き呪いの濁流。大海がまるごと酸性に変わったかのような感電だった。

 あわや噴出する呪いに飲み込まれそうになった俺はかろうじてアユミの腕を引っ掴み、双子の声が呼ぶ方へと必死で退避した。夢幻空間はまたしても破られ、ミイラ怪人に2度目の逃走を許してしまったのだった。



「この無能」

「返す言葉もございません……」

 俺たちは地下鍛錬室で正座して、先生に見下ろされていた。特に俺。アユミが作ってくれたせっかくのチャンスをむざむざ逃してダメにした。

 だからといって、喉元に切っ先突きつけられてるこの状況はどうかと思うが。

「はぁ……もういい、各自勝手に反省しろ。以上」

 刀を納めて去っていく先生の背中に、アユミが身を乗り出した。

「あのっ、先生」

「なんだ」

「不可視化の呪いでした。わたしでもだめです、無理です」

 もっともである、というか、ステルス迷彩の呪いっていう俺の予測を否定したのは先生だったじゃないか。

 そんな弟子たちに先生はうっすら笑みさえ浮かべてこう言った。

「そうかい。じゃ、お前もまだまだ気合いが足りんということさ」

 ゴーンなんて分かりやすい効果音付きで俺たちは灰色になった。気合い。気合いですか。

「つまり……ああ、そういうことですか。ステルス迷彩の呪いかどうかなんて関係なくて」

「ああ。視えないっていうのなら、それは視えないお前らが悪い。土台考えてもみろ、視えないと嘆いた所でどうなる? 黙って死ぬのか? 視力検査じゃないんだ、『視えません』と素直に訴えることに意味はない」

「勝てと」

「肯定。」

 そんな軍人みたいに言わんで下さい。そのまま先生が階段を上がっていってしまうので、受験不合格を確認してしまった高校3年生のように厳しい顔してるアユミをなだめつつ、俺は必死ですがるのだった。

「せ、先生。何かこう、コツとか攻略法みたいなものは」

「霊視のコツか? そうだな。怖れればいいんじゃないか」

「怖れ……え?」

「人間というのは不思議なものでな。ほら、怪談とか思い出せよ。ビビってる奴とか疲弊してる奴ほど過敏で、脅されやすくて死にやすい」

 なるほど眉唾だ、理屈が通ってるようで先生の顔は思いつきで喋ってる時の、つまりいつも通りの意地悪な顔である。

「過敏になれよ少年。もしかしたら呪いと同じ、“負の側”に歩み寄ることがキーになってるのかもな……?」

 怪談の締めみたいに言い残して先生は去っていった。どこまでが真実なのかは誰にもわからない。



 部屋の隅の、何もない空間をじっと注視する。茶のフローリングと、90度で交わる2枚の壁で構成されたカドの部分。

 それなりに掃除しているため埃なんてない。そんな、本当に無機的な一部分を睨み続ける。目に視えない、流動する何かの気配を感じた。

 そこに、いるか――?

「………………」

 かち、こち、虚しく時計の針が鳴る。気のせいだったらしい。何もない。何も視えやしない。どんだけ必死に霊視したところで、Cランク霊視の俺ごときではそこらへんに揺蕩たゆたう雑念なんて拾えやしない。

「…………はぁ、」

 そも、こんななんもない大気から人の記憶の残照まで拾ってしまうあの特級ふたご共がおかしい。これは大気だ。ただただ、人の生活圏に在るというだけの何の変哲もない大気なのだ。

 ふと、アンティークとして飾ってある大型のチェスの駒を掴んでみた。切りつけるような曲線美、クイーンだ。こんなものを握った所で何が感じ取れるわけでもないのに――なのに、たったこれだけの接触で記憶を読み取れる人間もいるそうだ。

 万物に神が宿る――ってのは付喪神つくもがみっていう日本古来の考え方だが、あながち、あれは嘘ではないわけだ。

 神ってのはゴッドのみならず、人間の精神的な面のことも表している漢字なんだからな――。

「…………無理だろ」

 ふっと冷静になってしまった。そも、チェス駒握って何か視えるんなら世の中何の苦労もありゃしない。俺はサイコメトラーじゃないんだ。

「はぁ、やめだやめ。大体『怖れればいい』なんつったって、そんなん火事場のクソ霊視力なんじゃないか――」

 死の淵に追い詰められれば誰だって、目の前の死を、霊を呪いを、自らを殺す存在を視認りかいしてしまうかも知れないっていうただそれだけの話。

 恐れよったって、目の前の大気をどう恐れて、どう火事場ればいいんだ? そんなことやってたらなんだか精神科が近くなってくるような気がする。

「よし…………寝るか」

 クイーンを棚に置いて、寝逃げするように布団にくるまる。ベッドがみしりと鳴った。

「ったく、視えもしないもんをどうやって視ろってんだ……」

 ――その、目を閉ざそうとした瞬間に窓ガラスに写り込んでいた人影は何者か。

「っ!?」

 慌てて背後を振り返る。部屋の隅には埃さえない。いない。誰も、いない。

「……はは、おい。別な意味で過敏になり過ぎだぜ……」

 顎を拭って床に就く。ちょっと霊視をがんばった程度でこれでは、まったく、我ながら神経細いってもんだろう。

 でも、眠りに落ちながら考えていた。そういえば、最近、よく何かの気配を感じるなぁ――なんて。

 ……また、誰かに呼ばれた気がした。

 夢を見る。白い、今にも消えてしまいそうな手が、俺の頬に触れてしまいそうな距離を通って行った夢。

 まるで蝶。

『……………………』

 翌朝目が覚めた時、俺の枕元には何故かポーンの駒がポツンと転がっていた。

 ――――歩兵は、何にだって成れるよ……そんなメッセージを感じた。



 こんな状況で何だが、この日はヤケにすっきり目が覚めた。朝から実に心地いい陽光が差し込んでいたのだ。

 朝食はマヨネーズ塗った食パンにベーコンとチーズをのせて焼いた。特濃北海道ミルクも冷えていて実に美味い。アユミと並んで歯磨きして、服を着替えてとっとと出かけることにした。

 おろしたての少し硬い靴を履き、玄関を開け放てば実に清涼な風が吹き込んでくる。

「――――――…………」

 大気が青く薄光りしてんじゃないかってくらいの淡い冷たさ。目が覚めるってもんだろう。不思議だ、目に映る玄関先の風景は何も変らないはずなのに、人間ってのは気分ひとつでこうも変わるものなのか。

 そのままアユミが降りてくるのを待つのだが、塀の外を見慣れた近所のばあさんが通りすがった。

「おんやぁ、おはようさんねぇ。朝から学校ご苦労さんだねぇ」

「あ。ども、おやっす」

 挨拶は大事だよな。俺は、学生じゃないけどな。



 ──坂道から見下ろす縁条市全景は、今日も何一つとして変わらない。


 ふと立ち止まってしまった。まるで時間が止まってしまったような錆色の街。ボロボロに赤茶けたガードレールの染みを見下ろす。

 この街で、縁条市で暮らす大勢の顔も知らない他人たち。考えてみれば人々の営みってのは財宝扱いだ。いつだって、どこの時代でだって人間はこんなありふれた景色を維持するために奪い合ってきた。

 ――――戦争も、進歩もずっと昔から変わらず平穏に暮らす人々に宛てられたものじゃないか。ならきっと、これから未来さきもそうなんだろう。

 アスファルトの坂道を下り始めようとして、不意に空から白い羽が降ってきた事に気が付いた。

 ゆるやかに眼の前に降ってきたので掴みとってみる。白く美しい羽。真上の青空を見上げても、上空を高速滑空していった影が視えただけだった。

「…………天使の羽か。なんか、良いことあるかもな」

美しい羽を風に投げた。攫われた羽は街に吸い込まれどこかへと飛び去っていってしまった。


 ──道すがら、神社の前を通りがかる。


 長い長い石畳。

 林に挟まれた壮々たる門構えは歴史の香り。見ているだけでタイムスリップ出来そうだ。

 その頂上、神社の方から、赤い髪の少女が石畳を下ってきた。なにやら疲れたようにこうべを垂れている。

「…………まただよ……」

「そうか。またか」

 上方、鳥居の向こう側きゃーきゃー騒ぐ双子の声と、それを追い回す巫女さんの声。続いて、何かを折り砕くような音が聞こえてきて俺は耳を疑った。

「――おい? いまの音、何だ?」

「竹箒かな。雪音さんがフルスイングして、木にでも当たったんじゃないかな」

 竹箒で木を叩き折るのか。さすが縁条市異常現象狩り総括、つくづく物理に反したミラクル天罰だ。

 気怠い溜息を吐きながら、俺たちはまた歩き出す。


 ──商店街はいつ訪れても新鮮だ。


 通りすがる人々の顔。どうしてかこれだけは慣れない。たぶん、ただの1日として同じ顔を見ることがないからだろう。

「ん?」

 他人だらけの濁流の真ん中で、不意に俺は向かいからやってくる、目立ちやすい髪色の男を発見した。――意外な遭遇。まさかこんなところで会うとは、なんて向こうも同じような顔してる。

「やあ羽村君、奇遇だね。今日も変わらず無能そうだ」

「おう放っとけ。しかしお前は離れてても目立つな。なんつか、銀髪に黒学ランっておい……」

 個性的も行き過ぎてそれだけで退学食らっちまいそうな域である。本当、どうしてこいつは学校に通い続けていられるのだか。

 ……同じ、“こちら側”の住人であるにもかかわらず…………。

「ふーん……」

 皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったのだが、銀一が品定めするように俺を見ていて疑問符。ヤロウは、こんな思わせぶりな言葉を呟いた。

「……変わったものに憑かれてるね」

「何?」

「稀有な呪い……いや、なんでもない。僕の気のせいかな。じゃあね羽村君、アユミちゃん。仕事もいいけど、がんばりすぎてケガしたりしないようにね」

「あ、おい――っ」

 ナンパな感じで軽く手を振って、銀一は味気なく去っていってしまった。大通りに取り残されて俺は、不意に河のように流れていく他人たちを認識する。

「……………………」

 まるで時間の流れが緩やかになったみたいに、人々の声に耳を覆われる。それらは普段は混ざり合って雑音になっていたものだ。その、砂粒ひとつひとつを検品して砂金を抽出するように、聴覚が同時にいくつもの言葉を拾う。

 たー君がね、誕生日にコース料理食べさせてくれるんだっ

 ねぇ知ってる? 安楽自殺ネットっていうサイトがあってね

 もしもし。おう、久しぶりだな。元気してるのかよ

 ――――無論、他愛のない会話ばかりで、拾えた声なんて極小なのだが。

「……他人って、何だ」

 そんな物思い。どうしてそんなことを考える? ……まるで、背後霊の思索をたどってしまってるみたいじゃないか。

 そんなのは思い過ごしだっていうのに、俺は死んでから初めて人々との隔たりを自覚してしまったかのように、周りを見回して、そして孤立している。

 他人って、何だろうね――?

「そりゃ……質問が悪いだろ」

 俺は薄笑みを浮かべた。そんな風に意味のない問いかけをしたって答えはでない。そうはっきりと答えを出したいのなら、まず質問からしてはっきりしたものに変えないといけない。

 脳裏をよぎる他人たち、そして他人から知り合いになったマクドの店員たちに、アユミや銀一や先生。

 そしてまた、この縁条市に暮らす大勢の“他人たち”について考える。

「――――“俺にとって”、他人って何だろうな……?」

 そんなものは決まってる。俺は狩人で、世に巣食う異常現象を狩る役割で、なら、俺にとって他人とは守るべきものなのだ。

 俺は、守る。

 誰に知られずとも構いはしない――ただ、あこで笑ってる学生たちが、明日も怪異を知らずに笑っててくれればそれでいい。



 他人なんてどうだっていい存在だ。自分からは知覚できない、関わり合いになることのない存在。――そんなの、ショーウィンドウで飴色のスーツ着せられてるマネキンと何が変らない?

 それはある意味正しいだろう。だって、顔も知らないんだ。名前も知らない、声すらも知らない言葉も交わしたことない人間を他人っていう。

 なら、どうだっていいじゃないか。そんなやつ生きてようが死んでようが関係ないし、そいつが自分に与える影響なんて何もない。

 そんなふうに考えるのが普通なのかも知れない。

 だが――――その夜、寒空の下で缶コーヒーすすりながら俺はふと考えた。

 例えばそう昼休み前の掃除なんかは、クラスみんなが“別々の場所を”掃除したりなんかするよな――?

 と、そんなところで俺の携帯電話が1コールだけ鳴った。

「………………来たか」

 物思いを中断する。軽く右手首を回してほぐしておこう。ここから先はもう、踏み外したら無事では済まない綱渡りの本番だ。

 果たして、とある公園の横で静かにお地蔵さんの前に陣取っていた俺は、いつかの雨の日に駆け出した方向からバケモノの気配が近づいてくるのを感じた。



 泣くような絶叫をあげたミイラ女は、縄で引っ張られるような異様な速度で夜道を逃走していく。

 もう何度目かになる。そんな背中に必死で追いすがる俺、しかし走行速度を2倍くらいにしないとダメだろう。

「おい、あほ! また逃げられたぞ! おいあほ! いいかげんにしろっ!」

「このむのーは本当にほんきでやくたたずなのです! いっぺんしんでみろ、なのです!」

「るせぇ……」

 俺の横、塀の上を並走する悪霊どもが口々にわーきゃー非難してくる。右耳を塞ぎながら電話と会話。

「もしもし先生ですか」

『ああ少年、やられたね。オレの方も、もっと早くに気付くべきだった』

 誤算だった。そも、2度も双子の呪いを破られておいてどうして気付かなかったのか。

 いつか俺を捕らえて高笑いしていやがった双子の姿を思い出す。こいつらの無限回廊の呪いは果たして、そんな簡単に突破されてしまうような良心的なものだったろうか?

 つまり――

「……えぇと、何なんでしょうねアレ。呪い破り属性?」

『格闘ゲームでいうところのスーパーアーマーかな。どうにも、あいつの突進には“異常現象側の”突貫力みたいなものが働いているようだ』

 それはそれは、呪いやなんかの幻想に対してはえらい威力を発揮するようで――あのミイラの突進体当たり、例えば亡霊なんかは直撃されてしまえばえれーことになってたんだろう。

 もっとも、一切の幻想を保有しない無能おれには直接的には何の関係もないのだが。

 ……だが。

「…………どういうことなんですか、先生」

「ん? 何がだ」

 何がもクソも、俺の隣に相方がいない。やられちまったのだ。至極あっさりと、まるであの一瞬だけ歳相応の少女の腕力に戻っちまったみたいだった。

「………………」

 いいさ――気絶したのを美空が保護してくれたし、いまは深く考えないでおこう。きっとあいつも疲れてたんだ。

「で……どうしましょうか、先生」

『とっとと追いついて仕留めろ。でないとかなり不味いことになるぞ』

「そうは言ってもですね――って、なんですか、何かまずいんですか?」

 確かに逃げ切られる可能性は厄介だが、先生の言葉はまるで刻一刻と状況が悪化してるふうだ。

 なんだ? 周囲を見回してもシャッターの下りたタバコ屋と民家。かなり走ってきたわけだが、俺は一体何を見落としている?

『何かもクソも、周囲を見ろ少年。そのルートを進めばもうじき縁条市“外”だ』

「あ――」

 やばい。俺たちってば“縁条市所属”異常現象狩りなんだった。

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