#火を吹く怪物の夢-MONSTER-(2/3)
【SCENE 1/7】
●○○×○○○
電波さん、という人種に出会うのはこれが初めての経験だった。
「…………名前は?」
「山田イカロス」
「そうかい。で、本名は?」
「鳥になりたい……」
お構いなしだった。ほとんど前髪に隠れた右目で雲一つない青い空を見上げる。食い入るように見ているので何かあるのかと視線を追うが、やはり雲一つなかった。
困り果てて雪音さんを見ると、既に諦観しているような微笑を返されてしまった。
「――――色々、あったらしくてね……」
――境内、平常通り参拝客はなく、空は青一色だった。真昼の涼しい大気が流れ、乾いた風で大地を撫でて舞い上がっていく。
そんな見慣れた光景の真ん中に佇み、呆然と風を受けているほつれた制服の少女。呆然と、本当に魂の抜けたような顔をして紙ヒコーキみたく揺れていた。
その風を切る両手に何の意味があるだろう――まさか、本当に飛ぼうとしてんじゃないだろうな。
「…………ばさ、ばさ」
頭が痛くなってきた。妄想遊泳だ。あいつは真っ青な空を目に映し、飛ぼうとするのではなく既に飛んでいたのだ。
「あー……何を、」
何をさせようってんですかい雪音さん、そんな満面の偽物笑顔を浮かべて?
「えーと……ね?」
「あたい、ギャドラを観たいのよ」
気付けば腕を掴まれていた。暗澹と光る電波ちゃんの目が、強い意志を宿して訴えてくる。
意味は頭に入ってこない。
「……は?」
「あたい、ギャドラを観たいのよ」
そんなことを、まるで「病気のおっかさんに会いたいのよ」みたいな風に言われてしまった。
「えーと……」
がっしと何考えてんだか分からない握力で掴まれていて、振り払ってもまるで逃げられない。仮にも狩人見習いである俺がだ。
「はい、劇場版ギャドラのチケット2人分。夜に本部から迎えが来るまでの間、その子をよろしくね」
俺はトカゲのような乾いた微笑みを浮かべていただろう。
【SCENE 3/7】
×○●×○○○
屋根のある商店街の出口辺り、マクドナルドの数件隣に隠れ潜むようにしてその映画館はあった。
掲示板みたく無数のポスターが貼ってあって、その下をくぐるように歩く地下鉄の階段ハーフサイズがある。傾斜が急すぎて山田がつまずき、危うく支える。
ようやく映画館にたどり着いて、ここまでの道のりで俺はどっと疲労したのを感じた。
「…………?」
ぽややんと不思議そうに見られるが、こいつ、ものすごく危なっかしい。隙あらば転ぶしふらふらと車に轢かれそうになるし、歩けばべごんと頭からぶつかる。
「ぽっきー、たべる?」
などと犬にご褒美ビーフジャーキーの
「…………敵の施しは受けねぇ」
「おおっ、ラストサムライ」
「ラストじゃねぇ! 断じて最後の生き残りじゃあねぇ! 侍は永遠だーっ!」
「ふぁーすと? 元祖好き? 私もギャドラは元祖がステキ……」
頬に手を当てほわほわしてる。魂が抜けていくのを感じて、俺は視界の中に劇場版ギャドラFINALのポスターが貼ってあるのをみつけた。
――――劇場版ギャドラ。あの映画を見せてやるお守りに俺が抜擢されたらしい。
「………なんでだ……?」
キョトンとされる。夜にお迎えが来るまで? この子を? よろしくね?
名前は山田イカロスさんというらしい。
「おとなにまい」
「いらねぇよ。さっきのやり取り聞いてなかったのか」
べし、と後頭部にツッコミを入れる。微笑ましそうにしている受付のおばさんにチケット2枚をもいでもらって、王道に飲み物ポップコーンを買って、ようやく入場した。
「おーっ」
山田が喜びを表現する。本当に小さな、学校の教室2つ分くらいしかない映画館だった。
平日昼間もあいまってほぼ貸し切り。先頭最左の席で見知らぬじーさんが寝こけてるだけだった。
とてててと真ん中辺りに駆けていく山田を見て、俺はようやく気付いた。
「おい山田」
「ひょ?」
「なんで上履きなんだ? おまえ……」
「あー……」
山田は何故か、学校の薄汚れた上靴なんかを履いていたのだ。ひょいと席に腰を下ろして何も映らないスクリーンを見つめる。よく分からない。
「…………どこかに忘れてきたのか? 靴の一足くらいなら、」
ぶん、ぶんと首を横に振って拒否された。まっすぐ前を向いたまま言った。
「……………………最後まで、学生で、いさせて?」
――――つくづく、よく分からない。
「そうかい……さって、んで何なんだ大怪獣ギャドラって。ゴジ○か? モ○ラか? キ○グギドラか? いわゆる3大怪獣のどれに近いんだ」
「違うわお兄さん、3大怪獣というものはだね――」
それから映画が始まるまで宇宙語を聞かされた。まったくもって、何を言ってるのかは分からなかったが、まぁ好きなんだろうなということは伝わった。
それだけお好きなはずなのに、映画が始まった途端に目を閉ざして背筋を伸ばして寝てるのは謎だったが。
「…………?」
気のせいか、眠る山田の手が小刻みに震えているように見えた。スクリーンの中は悲鳴。
「…………おい? 山田?」
「ひょ?」
念のために起こしてみたのだが、瞑想したまま返事された。もしかして、別に寝てたわけではなかったのか?
映画は進み、山田は耳だけで映画を楽しみ、別に良設備でもない音響が怪獣の悲鳴を響かせる。
――大怪獣ギャドラは、人間たちの環境破壊、汚水垂れ流しや大気汚染や酸性雨、それらの行き過ぎた『汚れ』を星の自浄作用が一顧の個体にして吐き出したという設定だ。因果応報ってやつだろう。人々は自らの傲慢さが招いた
なるほど確かに物語として悪くない。問題は、どう見たっていわゆる『核の落とし子』のパクリな辺りだが――
「…………怪獣の声は、悲しい声なんだよ」
「へ?」
いつの間にか山田が目を開けていた。その意思のこもらないすっからな瞳に、大怪獣ギャドラが都市を破壊する場面を映して。
砲撃を受けるギャドラの咆哮――悲しいと言われてみれば確かに、決して楽しい状況ではないのだろう。
「――考えたことがある? 人類を、軍事を科学を敵に回してすべてを破壊し尽くす怪獣」
「ああ……ま、怒り狂ってるよな。ギャドラさんは何なんだ? 科学ってものが気に入らないのか? 地球を汚すなって義憤や縄張り意識は、ある意味動物的っちゃ動物的だよな」
ギャドラとて好きこのんで人間を殺したくはないだろう。怪獣に意思なんてものがあるのかは知らないが、出来れば出来るだけ共存していけることが望ましい。その方が不幸にならないからだ。
そんな怪獣映画初心者の意見をしかし、博士はぶんぶんとまた首を横に振って否定した。
「………そのような高度な知性はギャドラにはないよ。ギャドラは戦う。目の前に現れるヘリや戦車や軍艦を徹底的に破壊し尽くす」
「? 分からん。それのどこが悲しいってんだよ、なんてか、それこそラストサムライなんじゃねぇの――って、観たことねぇけど。ああ、地球環境のために人類をブチコロってんならそりゃ正義だ。滅びろ人類。地球のために消えたほうがいいね、まったく」
映画終盤、俺はあっさりと感化されていた。人は醜い。ギャドラは強い。
慌てふためく人類の最終兵器、やはり核。東京から人々を一斉避難させて吹っ飛ばすなんてな、あまりに愚かな末路だろう。
吹き飛ばされる東京タワーを鼻で笑ってやるさ。映画の中でだけ。本当にあんなもん現れたら、なんと俺たち異常現象狩りが出動させられる恐れがあったり――
「ギャドラはね――――――――――“ひとり”なんだよ」
「………………」
さすが――――博士は、ひとつ視点が違ったらしい。
「……ギャドラは突然現れる。母親はいない。兄弟もいない。家族はいない、友達も決していない」
この地上に、自分と似た形のものはひとつとしていない。ある日突然そんな世界に産み落とされる。それはどんな孤独か絶望か。
「環境がどうとか、惑星のためだとか義憤だとか、そんな高度な知性はないの。ギャドラは怖い。ただ恐ろしい。ギャドラ自身がこの世界に、おぞましい人類の築いた地獄に怯えて恐怖して、いますぐに破壊し尽くさないと大変なことになるって生物的直感で理解するの」
「……そうか……ギャドラにとって、都市はお化け屋敷以外の何者でもないんだ」
あまつさえ、次々と気の狂ったような化学兵器が襲ってくる。戦艦なんて徹底的に壊し尽くさないとならない。戦車の列なんか一台だって生かしておくことはできない。
業火を吐き、地上を破壊し尽くし、矮小なくせに恐ろしい結束力を持った悪魔どもをひねり潰して――しかし、永遠に安心など出来ない。
画面の中でギャドラは、核兵器の爆破に都市ごと巻き込まれ光に飲み込まれていく。
月に向かって咆哮する。ついぞ救われることのなかった迷い子、ただ怯えていただけのこの世界の異物が。
風景が変わるほどの大破壊、きのこ雲、そしてそれらをモニタで見守る登場人物たち。
――――――だが、
「……ギャドラはね……悲しいくらいに、強大な力を持っているんだよ……」
生きて、いた。
消し飛んだ都市の真ん中で、体表をグチャグチャに融解されて筋肉がむき出しになったような姿でまだ生存していた。
泥のように滴る眼球の残骸――ああ、溶け崩れてなお、怪物はゆらゆらと前進していく。
脚を止めたら死ぬのだ。人々も恐怖する。自らが殺しそこねた異形の無残さ、そのおぞましさに金切り声を上げて逃げ惑う。
凶相のギャドラは、凶悪ではあるが苦しそうだった。苦しそうな熱の吐息で、人類を皆殺しにするため一歩一歩と歩き続けていったのだ――
いつか、血の海と化し静けさを取り戻した無人世界で、たったひとりで安堵するために。
『生き残るのは人類か大怪獣か』そんなキャッチコピー。
「…………なんつーか……すごい映画だった、な」
劇場を出てしばらくの間も、俺は衝撃から立ち直れないでいた。
グロイ。ありゃホラーだ。家族連れが発狂すんぞ。
「♪」
山田はゴキゲンだった。踊るように商店街を歩き、電柱にぶつかって悲鳴を上げる。
アホめ。
「…………いたた」
「しっかりしろ、おい」
手を貸して立たせてやる。不意に商店の隙間から見えた遠いビル群に、山田はギャドラを重ねるように目を細めた。
俺たちは人の街に住んでいる。悲喜こもごもあるが、無条件に人類の一員としてここに立っている権利を与えられているのだ。
「ねぇ――――もし、」
「あん?」
もしも自分が怪物になってしまって、ギャドラのように街を食い荒らすようになってしまったら、
そのとき自分は何を思うのだろうか? 何を思って叫ぶのだろうか?
もしも自分が
そんな意味合いのことを、山田は言った。
「………………」
その手がまた震えている。少し苦しそうだったのを、俺は見ない振りをしてやることにした。
「………さぁな。やっぱ、怖くて泣き叫ぶんじゃないか?」
「そ?」
「俺ならそうする。――ああ、そのくらいの権利はあってもいいじゃないか」
「…………そ……」
またトテトテと駆けていく。おぼつかない足取りで、かつては真っ当だったらしい少女が。
真昼の、零れそうなくらいに日差しが差し込む大通りの前で振り返った。
「もし“その時”がきたら――――」
おい、やめようぜそういう話。最悪の場合なんて考えるもんじゃない。
なのに山田はどこまでも無邪気で、冷え切った晴天の秋風が駆け抜けていって。
「――――決して迷わないでね。地球防衛軍さん」
怪獣オタクに、眩しい笑顔で敬礼されてしまったのだ。
苦々しいったら無い。
「…………お前……」
「るんたー」
儚い微笑は幻影だったかのように、歩き始めた山田は元通りボケボケだったけど。
俺は言葉もなく、腰の後ろの短刀・落葉を意識した。
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