第31話『 追憶への失踪 』14、遥かなる浜にて…

 アパートに向かった葉山は、駐車場脇の道に、車を止めた。

( ここからなら、305号室の玄関ドアが見える。 さて… 出て来るかな? )

 ビデオカメラを取り出し、電源アダプターを、車のシガーライターに差し込むと、小さな簡易スタンドをカメラ本体に装着し、ダッシュボード上に設置した。 地図やタオルなどを置き、カメラの存在をカムフラージュ。 カメラの電源を入れると、玄関をズームして撮影ポジションを決め、いつでも録画を開始させられるようスタンバイし、電源を切った。 これで、とりあえず3~4時間は、待機するのだ。


 長時間、出て来ない場合は、幾つかの手段を取る。

 名刺を玄関に差し込み、電話を掛けてそれを本人に回収させる、留守訪問を装った方法。 軒下の錆び、壁の亀裂などの補修事項を電話し、本人が確認に出て来るのを狙った営業誘導による方法…… 架空名刺も業種別に、常に幾つか持っている。

( ま、とにかく… しばらくは、このままだな )

 何も手を出さず、本人が自然に出て来てくれれば、それに越した事はない。 他の手段を取った場合、いくら整合性を持たせたとしても、やはり、いくらかのリスクは付いて回るものだ。 出来れば、何も画策しない方が一番良いのである。

 まずは、ノーマルな張り込みから始めた葉山。 窓に黒いフイルムを貼った後部座席に移動した。

( 五木さんには、1泊の予定で、と言ってある。 今日がダメなら、明日もやるか…… まあ、居住は、ほぼ本人に間違いない。 気長に待とう )

 後部座席で、少し横になり、じっと玄関をうかがう葉山。

 …ここで、すぐ眠気を感じたら、それは気合が入っていない証拠だ。 対象者は、いつ出て来るか分からない。 常に観察をしていなければ、『 そのタイミング 』を手にする事は不可能だ。 研ぎ澄ました精神を持続させるには少々、努力が必要だが、緊張感があれば、不思議と睡魔に襲われる事は少ない。 まあ、連日の調査業務で疲れていれば、眠気を感じる事もあるが……


 しばらくすると、駐車場に1台の軽自動車が入って来た。 白いYシャツに、ネクタイをした若い男が運転している。 助手席には、同じく、白いYシャツにネクタイ姿の中年男性が乗っていた。

 車を降りた2人が、後部荷台のリアハッチを開け、何やら話している。 荷台には、小さな段ボール箱が、たくさん積まれていた。 洗剤の箱も見える。

( …新聞の勧誘員か? )

 彼らは、1つの段ボール箱に、洗剤や石鹸・タオルなどの生活品を詰めるとリアハッチを閉め、アパートの階段を上がって行った。 やがて、3階に着くと、廊下を進み、あの305号室の扉を叩いた。

「 ……! 」

 葉山は、寝そべっていた体を起こし、彼らの行動に注目する。 カメラに電源を入れ、テープが支障なく回り始めた事を確認すると、そのまま、じっと観察を続けた。

 扉が開かれ、1人の老婦人が出て来た。

( …あれが、宗治氏の妻か…? )

 年齢的に、間違いないだろう。 3人で、何か喋っている。

( 何か、更なる情報が、得られるかもしれないな…! )

 葉山は、ボイスレコーダーを手にすると、車を降り、小走りにアパートへと向かった。 レコーダーのスイッチを入れ、シャツの胸ポケットに忍ばせる。 そのまま、階段を駆け上がると、305号室の方へ進んだ。

 玄関先では、3人がまだ話しをしている。 何気なく、3人に近付く葉山。

 やがて、話し声が聞こえて来た。

「 他には、どうですか? 」

「 有難うございます。 そうね… 先月のものが残ってるし、大丈夫ですよ 」

「 先生は、今月の定例会、ご出席されますでしょうかね? 」

「 多分、行くと思いますが… あなた… あなたぁ~? 定例会の出欠、まだなんでしょう~? どうするの~? 」

 婦人が、部屋の奥に向かって、呼んでいる。

 葉山は、3人とすれ違い様、玄関越しに部屋の方を見た。

 白い割烹着姿の老婦人。 かなり、やつれた雰囲気が感じられる。 壁に片手を付き、もたれるように立っていた。

 部屋の奥には、老婦人と同じ年代と思われる男性が確認出来た。 ヤセ気味で、黒い縁取りのメガネを掛けている。 おそらく、この男性が、宗治氏なのだろう…!

「 高橋君には、言ってあったんだがね。 午前中に、検診があってね。 少し遅れるが、出席するよ 」

 男性の声を背中に聞きながら、葉山は、そのまま玄関先を通り過ぎ、突き当りの角を廻った。 レコーダーをポケットから取り出し、壁際から彼らの方にマイクを向け、その会話を聞きながら録音する。

 会議や、講義の話し。 生活の話し…… どうやら、訪れて来た2人は、役場の職員らしい。 宗治氏は、生活保護のような制度を受けているらしく、彼らが持って来た品物は、配給されるそれら生活用品らしかった。

 壁際から、そっと様子をうかがうと、宗治氏らしき人物は、玄関先まで出て来ている。あの位置なら、カメラに写っているはずだ。

 職員と思わしき1人が、宗治氏に尋ねた。

「 飯島先生は、お酒は? 」

「 私は、やらんよ。 まあ、席の都合で、たしなむ程度だね 」

「 分かりました。 今度の香川との親睦会では、こちらとしては、飯島先生をオブザーバーとして進めて行きますので、宜しくお願いします 」

「 こちらこそ。 私で、お役に立てれば光栄だね 」

「 坂出水産大学の豊川教授が、飯島君とは、久し振りに膳を合わせられる、って喜んでらっしゃいましたよ? 」

「 おお、豊川君とは、久しく会ってないからな。 元気にしてるのかな。 お互い、もうトシだからね 」

 やはり、この老人男性が、宗治氏のようである。 職員との会話で、姓名共に確認する事が出来た。

 話の内容から、本人である確証を得られた葉山は、そっと階段を降り、車に戻った。

「 …ビデオは… よし、よし。 元気に回ってるな…! 」

 何事もなく回っているビデオカメラを確認し、アパートの方を見やる、葉山。 しばらくすると、先程の職員が乗った軽自動車が、葉山の車の横を通り過ぎて行った。

 撮影した映像を、ビューパネルで確認する。 宗治氏の姿は、ハッキリと、撮れているようだ。

「 …これで、全て終了だな…! 」

 ビデオを止め、小島の携帯に電話を掛ける。

「 もしもし、小島さん? 映像、撮れたよ。 まだ町役所? そっち、迎えに行こうか? 」

『 お疲れ様。 本人確認、終了したのね? 今、こっちも終ったわ。 何と、宗治氏は、仮寓( かぐう )住民よ。 8年前からね 』

「 仮寓… なるほどね……! 」

 文化事業や学術的研究の為、知識人を、仮市民として受け入れる制度だ。 市町村によっては、範囲内での生活保護を受けられるようになっている所もある。 宗治氏は、その制度を受けていたのだ。


 …これは、相当、念密に計画された失踪である。

 全ては、研究の再開・継続の為であろう。 ここまで用意周到に計画し、研究を再開したいと思う宗治氏の執念には、只ならぬ気迫すら感じられた。


『 葉山さん、ゴメン。 役場の隣の施設で物産展、やってるの。 どうしても買って行きたいものがあって… あと15分、いい? 』

 小島も、この案件の終了を示唆したのだろう。 仕事中では絶対見せない、プライベートな行動を取ろうとしている。

「 ははは! いいよ。 調査は終了だ。 買い物でも温泉でも、付き合うよ。 この件では、随分、協力してもらったしね。 …でも、今夜の宿、どうする? 」

『 役場の観光課で、パンフレットもらったわよ。 いいトコ、あるのよ~! 』

「 準備万端だな。 じゃ、適当に時間潰して、30分くらい経ったら、そっちに行くよ 」


 車を反転させ、海岸へ向かう。

 200メートルも行くと、防波堤のある海岸道に出た。 幹線道路ではなく、地元民しか通らないような、防塵舗装の道だ。

 路肩の空き地に車を止め、車外に出る葉山。


 夕日が、太平洋上に、美しく映えている……


 タバコに火を付け、しばらく、その眺めを見つめていた葉山は、宗治氏の書いた文献の事を思い出した。

( この辺りの海岸も、研究調査区域だな )

 若かりし頃…… 今の葉山と同じように、彼もまた幾度となく、この美しい夕日を眺めた事だろう。 実際、目の前に広がる海岸を、まさに歩いていたとも考えられる。

 本の巻末にある、あとがきの一節が、葉山の脳裏に甦った。


『 由岐の海を眺むるに、いつの日か、再びこの地に立ち、研究の再開を心に誓ふものなり 』


 潮風によって風化した防波堤コンクリート階段を下り、葉山は、砂浜に出てみた。

 穏やかに、葉山の足元へと打ち寄せる波。 さらさらと、幾つもの小さな白い貝殻が引き寄せられ、また新たに寄せる波泡が、それらを包む……


 今、若かった頃の宗治氏と同じように、海岸に佇み、葉山は、彼の心境を思った。

( 念願叶って、世捨て人になり… やっと、自分がしたい事に、打ち込めるようになった訳か…… )

 沈み行く夕日を見つめながら、しばらく万感の想いに、心を寄せる葉山。

「 残る余生… 出来れば、このまま、やりたい事をさせてやりたいもんだな…… 」

 ここ数週間に渡って、宗治氏を追い続けて来た。 その生い立ちから、人生の経緯・現在の状況… 全てだ。 葉山は、宗治氏の研究に対する情熱が理解出来る分、今後の成り行きが気に掛かるのだった。

( これでいいのだろうか? 全てを、五木さんに報告したら… 彼は、ここまでやって来るのだろうか……? )

 おそらく、そうなったら宗治氏は、研究などしていられない状況に陥る事になるだろう。 名士としての称号も、捨て去らねばならない。


 葉山は、苦慮した。


 このまま『 同姓同名の間違いでした 』と、報告する手もある。 調査料金は、経費以外、全額を返却しても良いとさえ、葉山は思った。 どうせ、五木氏が宗治氏に賠償請求したところで、返済は不可能だろう。 しかも、『 一言、現状を伝えたい 』と、言っていたに過ぎない。 それならば、このままの方が……

 しかし、葉山は、自身を叱咤した。

( だめだ! オレは、探偵なんだぞ…! 向こうでは、オレの報告を、首を長くして待っている依頼者がいるんだ。 依頼者の期待に応えるのが、オレの信条じゃなかったのか……! )

 人の人生の… 裏の、裏側までをも見る機会の多い稼業、探偵……

 葉山は、これまでも幾つか、他人の人生の裏側を見て来た。 いつも、最後に報告書を提出する時に感じる、矛盾にも似た心境……


 この報告書を出せば、あの家庭は崩壊する。

 この報告書によって、あの子らの運命は翻弄される……


 いちいち心情に流されていては、この稼業は務まらない。 それは充分、承知している葉山ではあったが、特に今回の案件は、心に響くものがあった。


 短くなったタバコを吸い、ふうっと、ため息を尽く葉山。 煙が潮風に流され、暮れ行く由岐の、遥かなる海原の空へと消えて行く……

「 …これも、彼の人生の一部なんだ。 荒れる海もあれば、こんな穏やかな海もある…… 最後を、どちらで締めるか… それは、彼、次第だな 」

 車に乗り込み、ゆっくりと発進させる葉山。


 翌日、後ろ髪を引かれる想いで、小島と共に、葉山は四国を後にした。

 その後、依頼者である五木氏が、由岐を訪ねたかどうかは、定かではない。


 葉山の仕事は、終った。



               〔 追憶への失踪 完 〕

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