6:竜になるまで逃がさないには?
エザリントンに逗留するようになって、早三週間以上が経過した。
そのあいだ俺たち四人は、ほぼ毎日ウォーグレイブ丘陵へ赴いている。
相変わらず地域一帯を探索しながら、竜化魔法の訓練を継続していた。
とはいえ、状況に好転の兆しは見当たらない。
ドラゴンブレス放射までの所要時間は、やはり僅かしか短縮されていなかった。根が真面目なメルヴィナには、野外で全裸になる羞恥心も、完全に克服するのは無理だろう。
尚、まぐれメタルとは、最近もう一度戦闘になった。
ほんの三日前の出来事だが、丘陵地帯の南西部で、思い掛けなく遭遇したのだ。
取り巻きには、
俺たちは、すぐさま臨戦態勢を取ると、そのまま突撃を仕掛けた。
一気呵成に攻め立てて、日頃想定していた通りに戦況を繰り広げた。
なにぶん今回は、敵の群れが意外に小規模だったから、
「これなら、ひょっとして
と、途中までは、淡い希望を抱かせる展開だった。
なぜ、そんな少数の妖魔しか連れていなかったのかについては、細かく考えている余裕もなかった。
――しかしながら、やっぱりまぐれメタルを取り逃がしてしまった。
ゴブリンやトロルは圧倒できても、メタルラットの希少上級種だけは、またもや駆逐することができなかったのだ。
メルヴィナも、竜化後にドラゴンブレスを放射したけれど、結局は間に合わなかった。
とにかく、これで通算四度目の討伐失敗となったわけである。
……この結果を鑑みても、メルヴィナ一人が訓練するだけじゃ、どうにもなりそうもないことが実証されつつあった。
まあとにかく、そうして進展に乏しい日々が続いていた。
この日も夕食を済ませたあと、俺たち四人は「美しき雌鹿」亭でテーブルを囲んだ。
もはや、打ち合わせも形式だけで、やり取りに漫然とした空気が漂っている。
「このままじゃ良くない」と、当然誰もが肌で感じていたと思う。
だが、何をどうすれば、目の前の壁を打ち破れるのか?
あれこれ知恵を絞っても、具体的な手段は容易に着想すら得られない。
皆で歯痒い思いを、ただ共有することしかできずに居た。
ところが、事態解決の糸口は、思い掛けないところに存在していたらしい。
「随分と長いこと、引き受けた依頼に手を焼いているみたいなのね」
気遣わしそうに声を掛けてきたのは、店の女主人であるジュディスだった。
「そこまで扱いに困る仕事っていうのは、どんな内容なのかしら?」
問い掛けられて、俺は他の仲間と互いに顔を見合わせた。
ジュディスが仕事の仔細を聞き出そうとしてくるとは、かなり意外だったからだ。
冒険者の店の主人は、依頼主の身元を検め、信用できる取引かを選別する立場である。
だが、依頼内容そのものには、あまり深入りしようとしないことが多い。下手に関わると、無用な揉め事に巻き込まれてしまう場合もあるためだ。
一方で、冒険者も同様の話題を、店の中では持ち出さないのが普通である。仕事の詳しい背景を、依頼主が内密にしたがることは少なくない。
それゆえ、お互い余計な詮索はしないのが、
「……どうして、この件に首を突っ込もうとするんだ?」
ジュディスの様子を窺いながら、俺は単刀直入にたずねた。
迂遠なやり取りは、この際無意味だろう。
「今、アシュリーたちが関わってる仕事なんだけどね。この店へ市庁舎の官吏が最初に持ち込んできたのは、もう一年近く前のことだった」
ジュディスは、微苦笑を浮かべて、かぶりを振った。
「それからこれまで、実は同じ依頼に関わってきた冒険者の
つまり、この店は長期間に渡って、未達成の依頼を抱え続けているわけか。
もう何年も仕事を斡旋してきたけれど、こんなことは珍しい、とジュディスは言う。
「これでもし、あんたたちまで断念するようなら、今後この依頼を達成できる見込みがある冒険者なんて、他に現れないかもしれないわ。だって、アシュリーは勇者さまなんでしょう」
「それで、この依頼に限っては、あえて私たちに仕事の詳細を聞いてみたいと、そういうことですか?」
メルヴィナが問い掛けると、ジュディスは軽く肩を竦めた。
否定の言葉はなく、こちらの推量を暗に認めたわけだ。
この件の顛末を、それだけ気に掛けてるってことか。
まあ、いつまでも依頼を解決できない冒険者ばかり紹介する店なんじゃ、商売として恰好が付かないっていうのはわかる。
もちろん、実は「問題があるのは、仕事を引き受けた側より、仕事内容そのもの」だっていうのも、とっくに雰囲気で察してるんだろうけど。
「……どうするの、アシュリー」
いつもの淡々とした調子で、プリシラが判定を求めてきた。
不意に皆の視線が、こちらへ集まる。
俺は、少し考えてから、決断することにした。
「わかった。今回の件に関しては、俺たちが引き受けている依頼について、ジュディスにも話を聞いてもらおう」
冒険者としての慣例に背くのは、あまり本来は望ましいことじゃない。
それはたとえ、俺たちが勇者の一行であっても、である。
しかし当然、この店の都合も、それなりに理解できなくはなかった。
そもそも、仮に俺たちが手間取ったりせず、とっくに依頼を片付けていたとしたら……
根本的にジュディスは、店の体裁をここまで心配する必要もなかったはずなのだ。
その点には、多少の責任を感じないでもない。
そういうわけで、俺たち四人は依頼の内容を、大まかに説明してみせた。
とはいえ、街の市庁舎で頼まれた仕事には、正直複雑な内情なんぞ何もない。
やらなきゃならんことは、何たって単なる魔物討伐なんだからな。
なので、実は開陳すべき情報自体が、極端に言うと討伐対象に関することぐらいしかなかった。
「……なるほど。まぐれメタルねぇ」
ジュディスは、ひと通り話を聞き終えると、考え深げに唸った。
さっきから俺たちと同じテーブルで席に着いて、打ち合わせに加わっている。
「これまで同じ依頼を、あれだけ沢山の冒険者が失敗してきたってことは、たぶんとんでもなく厄介な魔物なんでしょうね」
「厄介な魔物と言っても、攻撃能力そのものは大した敵じゃないのだがな」
レティシアが腕組みしながら、渋面で言った。
「とにかく守りが硬くて、逃げ足が速い。それで、どうしても討ち取れんのだ」
「逃げられる前に回り込んで、退路を塞いだりはできないの?」
ジュディスの発案には、皆が一斉に首を振って応じた。
まぐれメタルの素早さは、戦闘時の判断で、適宜対処し得る水準を超えている。
そもそも相手の行動に先回りできなきゃ、逃げ道は塞げない。
「もっと何か、発想の転換が必要なのかもしれないな」
俺は、誰に語り掛けるともなく、思い付きをそのまま口にした。
「敵が逃げる前に何とかしようとするんじゃなく――メルヴィナが竜化するまで敵が逃げないように、相手の行動自体を鈍らせるようなやり方を考える、とか」
「……でも、まぐれメタルに魔法は効かない」
プリシラが、いつものようにぼそっとつぶやく。
「だから、睡眠、麻痺、石化とか……そういう手段で足止めすることも、おそらく不可能。状態異常付与の魔法も、全部無効化される……」
まあ、その通りなんだけどさあ。
だからこそ、無属性攻撃のドラゴンブレスに頼っているわけだし。
けれども。
あるいは、どこかに何か――
例えば「竜の息」と同じように、魔法耐性を無視して効果が対象に及ぶような、特殊な攻撃手段はないものだろうか。
物理効果でも魔法効果でもない、しかし敵の行動を阻害させ得るような方法が――……
「相手の身動きが鈍る方法ねぇ」
沈思黙考し掛けたところで、不意にジュディスが口を開いた。
ちょっと諧謔的で、おどけたような物腰だった。
「もし、吟遊詩人のダリルが今生きてここに居れば、あたしたちにちからを貸してくれるのかもしれないけど」
「……どうして、そんなふうに思うんだ?」
俺は、素朴な疑問を抱いてたずねた。
吟遊詩人ダリルの名前を、なぜ急に持ち出してきたのか。
ジュディスの意図が、咄嗟に把握できなかったのだ。
「ああ、そうね。これはあんまり、有名な逸話じゃなかったかしら……」
店の女主人は、取り繕うような素振りで、場に居合わせた面々を見回した。
いかにも、うっかりしていたという様子だった。
「『生前のダリルは、不思議な楽器を奏でることで、魔物の心を幻惑する術を持っていた』――この街には、そんな言い伝えが残されているのよ」
「ダリルが奏でた不思議な楽器、ですか?」
メルヴィナが、意表を衝かれたように訊き返す。
「ええ」と、ジュディスはうなずいてみせた。
俺も、ついテーブルへ身を乗り出して、耳を傾けてしまう。
ダリルのこととなれば、興味を引かれないわけにはいかない。
「その楽器は、『幻魔の竪琴』っていうの」
ジュディスは時折、身振りを交えながら、言い伝えを語りはじめた。
話の大筋を要約すれば、次の通りになる。
* * *
……遡ること、遥かな昔。
エザリントンから程近い土地に、酷く奇怪な魔物が現れた。
その魔物は、姿を見せたと思っても、瞬きする間に身を隠す。
しかも魔法使いの異能はすべて、掻き消されてしまった。
歴戦の傭兵が挑んでさえ、追い詰めることはかなわなかった。
このままでは、どうやっても魔物を倒せない。
誰もが為す術なく、頭を抱えて嘆いていたそうだ。
ところがあるとき、吟遊詩人のダリルが魔物討伐の役目を自ら買って出た。
荒野で魔物と対峙したダリルは、いきなり手に持っていた竪琴を奏でたという。
すると、不思議な音色が敵を惑わせ、挙動を鈍らせたらしい。
同行していたダリルの仲間は、この機に乗じて魔物へ襲い掛かった。
そうして、ついに魔物を打ち倒したのだった――……
* * *
まるっきり、初めて聞く逸話だった。
これでも王都に居た頃、ダリルの伝記は何度も読み返したんだが。
まあ、ジュディスは「街に残された言い伝え」と言っていたから、エザリントン以外の地域じゃ知る術もない話なんだろう。
思わず唸っていると、レティシアがこちらへ視線を寄越した。
「アシュリー。今の話だが、おまえはどう思う?」
「……急に訊かれてもな。古い逸話だし」
我ながら身も蓋もない返事だが、客観的な見方としては間違いないだろう。
個人的なダリルに対する思い入れを、安易に仕事へ持ち込むわけにはいかない。
ただ、そうは言っても、俺たちにとって傾聴せずに居られない話だ。
むしろ内心じゃ、密かな期待が膨らみはじめている。
「けれど、仮に言い伝えが本当だとしたら」
メルヴィナが、心情を代弁するように言った。
「その竪琴には、何らかの特殊なちからが宿っていたことになるわ。――それもひょっとしたら、特定の魔法系統に属さない、状態異常を付与する強いちからが」
これは、単なる憶測に過ぎない。
しかし事実とすれば、言い伝えの楽器――
「幻魔の竪琴」は、対象の魔法耐性を無視して、状態異常効果を及ぼす公算が高い。
ドラゴンブレスと同様、まぐれメタルに対抗し得る数少ない手段になるのだ!
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
そこへジュディスは、心底驚いた様子で、慌てて口を挟んできた。
「まさか、本気で言い伝えの竪琴を探すつもりなの? まあ、あたしが教えておいて何だけど……」
「何、駄目で元々さ。調べてみる価値はありそうだ」
レティシアは明るい表情になって、前向きな姿勢を示した。
その意見には、いまや俺も賛意を抱かずに居られない。
無論、不確かな話だから、外れクジだとしても恨み言は言えないけど。
だがそのとき、プリシラが小首を傾げ、率直な問いを投げ掛けてきた。
「ん。でも、その竪琴は今、どこにあるの……?」
そうだ、それは一番重大な問題だった。
肝心の「幻魔の竪琴」を手に入れられなければ、たとえ言い伝えが事実だったところで、どうにもならない。
折角の計画も、頓挫を免れ得ないだろう。
もっとも、この点については、どうやらジュディスに心当たりがあるらしかった。
「はあ、まったく。勇者さまたちの考えることは、あたしにはよくわからないねぇ……」
呆れ返った表情で前置きしてから、しかしすぐ楽しげな口調になって続ける。
「だけど、それなら――たぶん、街の北東に位置する
「北東の地下遺跡……というと、ホロウ渓谷の?」
確認のために訊き返すと、店の女主人は深く首肯した。
「これも古い逸話なんだけどね。ダリルは亡くなる直前、大切にしていた身の回りの品々を、あの遺跡の最深部に封印したと言われているのよ」
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