5:万能勇者と努力の魔法使い(後)

 案の定、悩みの種は竜化魔法の件らしかった。

 概ね予想通りだが、俺には相変わらず同情してやるぐらいしかできない。


「メルヴィナには、一人だけ苦労を掛けて、すまないと思ってる」


「何度も止してよ。どうしようもないことだっていうのは、もうわかってるから」


「……いいのか? 俺が責任取らなくても」


「あ、あれは、あのとき、思わず口走っちゃっただけだもの」


 メルヴィナは、慌てた素振りで、少し口篭もった。

 どうやら痴態を曝した際は、一時的に自棄になっていただけらしい。

 だが、そう改めて聞かされると、逆にちょっと残念な気がするな。



「――ただ何て言うか、納得はできても、まだ気持ちの整理が上手くできてないの」


 メルヴィナは、ぎこちなく続けると、膝の上で魔導書を閉じた。

 革張りの黒い表紙を両手で持って、伏し目がちに見詰める。


「自分が仕事で、あんな恥ずかしい目に遭わなきゃいけなくなるだなんて、これまで想像もしてこなかったから」


 その心理は、俺にも多少理解できる気がした。


 理想と現実は、必ずしも一致しないと思う。

 それは「たとえ勇者でも、世界中の人間すべてを貧困からは救えない」というような問題から、たった一人の女の子が抱えている心の中の問題に至るまで――

 きっと、かなり様々な意味合いで。



「私は、子供の頃から、魔法の勉強が大好きだったのよ」


 メルヴィナのつぶやきは、悲しげでありながら、それ以上にどこか悔しげだった。


「だから、魔法使いを目指して、ずっと勉強してきた。他の子たちから、たとえだって馬鹿にされても、耳を貸さずに頑張って……」


「……その、ガリ勉って、どういう意味だ?」


「トラドルズ地方の慣用句よ。魔導学者でもあったガリアーノ男爵みたいに、四六時中勉強ばかりしていて、友達が少ないことを揶揄するときに使うの」


 魔導書を胸の前で、メルヴィナはきゅっと抱き締める。

 可愛らしい顔が僅かに歪んで、苦しそうに見えた。


「もちろん、みんなが私を受け入れてくれなかったわけじゃないわ。田舎のお祖母ばあちゃんは、何度も頑張れって励ましてくれた――『立派な魔法使いになって、いつかは勇者さまのお手伝いをして、世の中の役に立つ人間になりなさい』って……」


 しゃべり続けるうち、少女の声音は震え、徐々に掠れて明瞭さを欠いていった。

 ふと気付くと、深い海のような碧眼は、ほのかに潤んで、綺麗な光彩を帯びている。それを手の甲で、メルヴィナはこしこしと拭った。

 昼間は気丈に振る舞っていたけれど、急に抑えが効かなくなったんだろう。

 子供じみていたものの、なんだか愛おしくなる所作だった。


 ――つまり、この子は努力で夢をかなえていたんだ。

 そんなことを、俺はようやく理解した。


「私は、伝説の遺失魔法だって復活させたのよ。ねぇ、アシュリー。もちろん貴方の助けも借りたけどね。でも、それは私が本当に魔法使いになって、勇者と旅ができるようになった証明でもあるわ」


「もちろん、わかってるよ」


 俺は、ゆっくり首肯してみせた。

 ミドルウッド山林地帯にそびえる「白霧の塔」で、俺たちは古文書から失われた古代魔法を蘇らせた。エザリントンに来る少し前のことだ。

 それこそ他ならぬ、竜化魔法ドラゴンシェイプなのだった。


 ――だから、今まぐれメタル討伐に挑戦できるのも、メルヴィナのおかげだ。


 俺は、心の中でそう思ったけれど、口に出しては言わなかった。

 竜化魔法の使用を要求されている現状は、本来メルヴィナが望んだ立場じゃない。

 ここで殊更事実を告げて、余計に追い詰めたくなかった。


 まあしかし、仮にこの子が最初から、

「魔法使いになって勇者と旅をすると、いずれ野外で全裸になることもあり得る」

 とわかっていたとしても、別の将来を選択していたかまでは、判然としないが……。

 考え事が気になって眠れないときまで、屋外で魔導書を抱えてるほど勉強好きなんじゃ、魔法使い以上に適性がある仕事なんて他になさそうだからな。



 そのあとも一頻り、メルヴィナは自分のことを話していた。

 でもしばらく経つと、かなり平静を取り戻したみたいだ。


「……ねぇ、アシュリー」


 次いでメルヴィナは、たどたどしく問い掛けてきた。

 自分ばかり打ち明け話をするのは、不公平だとでも言いたげだった。


「貴方は、どうして勇者になったの?」


 こうして水を向けられると、適当な答えが返し難い。

 もっとも、だからって偉そうに語れる何かがあるわけでもないから困るのだが。

 俺が勇者になった経緯は、お世辞にも積極的な選択の結果とは言い難い。


「俺んは、父親も勇者なんだよ」


 直立したまま夜空を仰ぎ、瞬く星を眺め回す。

 そう言えば、仲間と旅するようになってから、自分の身の上を誰かに話すのは、案外これが初めてかもしれない。


「それで、あとを継ぐことになったんだ。要するに成り行きだな」


 勇者には、誰でもが努力すればなれるわけじゃない。


 血筋、運命、神の啓示……

 そういう、個人の意志とかけ離れた要因でしか、名乗ることは許されないのだ。



「でも、それじゃ――」


 メルヴィナは、控え目な口調で、しかし尚も質問を重ねてくる。


「昔からアシュリーは、いずれ将来は勇者になるって決めてたの?」


「いや、さすがにそんなことはないな。もっとなりたいものなら、他にあったよ」


 返答してから、俺は失敗を悟った。

 うっかり余計なことを言って、相手の興味を引いてしまったのがわかる。

 視線を地上へ戻して、そっとメルヴィナの反応を窺ってみた。

 こちらを碧眼で暗闇越しに注視し、明らかに次の言葉を待っている様子だ。

 どうにも誤魔化せそうな雰囲気じゃない。


「……子供の頃は、吟遊詩人になりたかったんだ」


 俺は、観念して、素直に白状した。


「ダリルみたいな、大衆向けの抒情詩を作って生活できるようになりたかった」


「大衆向け抒情詩って――よく酒場で耳にする、喜劇物みたいなうたのこと?」


 虚を衝かれた面持ちで、メルヴィナは訊き返してきた。

 ほぼその通りなので、うなずいてみせるしかない。


「地元の王都じゃさ、祝祭日になると街区の広場に吟遊詩人がやって来るんだよ」


 まぶたを閉じれば、あの日の光景が脳裏に蘇る。

 陽気な音楽を聴いて、笑い、賑わい、街中で楽しむ人々。

 あの温かい空間が好きだった。


 ――吟遊詩人が歌う物語には、みんなを幸せにするちからが宿っている! 

 かつて、子供心にそんなことを考えていた。


「剣で何かを斬ったりするより、俺には吟遊詩人の方がずっと立派な仕事に思えたんだ。……正直言うと、今でもそう感じているし、憧れもある」


「何だか、思いも寄らなかったわ」


 メルヴィナは、心底驚いているみたいだった。


「だって、勇者みたいに魔王と戦うのが男の子の夢だって、世間じゃよく言うじゃない。アシュリーは、自分のお父さんを身近に見ていて、尊敬していなかったの?」


「尊敬はしているさ。そういう夢を持つ子供が居るのもわかる。でも、父親を見ていたせいで、勇者の仕事の知らなくていい部分まで、俺は昔から知ってたんだよ」


 身近な人間が同じ立場だと、そういう微妙な現実だって生ずるんだ。

 勇者はいつも命懸けだし、剣や魔法で戦い続けて、それで本当に世の中が良くなるのかも、実はよくわからない。

 しばしば懐疑的になるし、報われない職業のような気がしてしまう。


「勇者の仲間に加わることを目標にしてきた」っていうメルヴィナの前で、こんなことを直接話すのは申し訳ないけれど。

 とはいえ、これは包み隠すところのない本音だった。


「だから、俺の夢は吟遊詩人になることだったのさ。果たされなかった夢だけどな」


 まあ、それこそ「ただ夢見ていただけの夢」だ。

 夢のために大した努力をしたわけでもないから、勇者になったことにも納得している。

 自分では、上手い抒情詩が書けるようになりたかったけど、剣や魔法の方が得意だったんだよな俺は。


 好き嫌いと向き不向きは、必ずしも同じじゃないと思う。

 着たいと思った服が、似合う服かどうかは別問題なのだ。



「……今更気付いたんだけど」


 やや複雑な表情を浮かべて、メルヴィナがつぶやいた。


「ミドルウッド山林地帯を冒険したあと、たしか『次はエザリントンを目指そう』って最初に言い出したのは、アシュリーだったわよね?」


 唐突に後ろ暗い話を持ち出され、俺は反射的に顔を強張らせてしまった。

 それを見るや、メルヴィナはいよいよ確信を抱いたらしい。


「やっぱり。ここが吟遊詩人ダリル所縁ゆかりの街だったから、あのとき真っ先に提案したのね」


「ちょ、ちょっとぐらい、別にいいだろ。……メドウバンク地方に来たら、どうしても一度は立ち寄ってみたい街だったんだ」


 うーん、バレてしまったか。

 古い記録によると、吟遊詩人ダリルは「ミドルウッドの山林を彷徨さまよい、白霧の峠を越えて、エザリントンの地へたどり着いた……」って、記されているんだよな。でもって、晩年をここで過ごし、恋愛抒情詩から英雄叙事詩まで、幅広い作品を書き続けたと言われている。

 エザリントンが大陸交易の中継地として発展したのだって、そもそも「ダリルの奏でる音楽聴きたさに、街を訪れる旅人があとを絶たなかったからだ」って説もあるぐらいだ。

 そりゃー、吟遊詩人に憧れる者として、いっぺん観光してみたくなるじゃないか。


 ……まあ、でもそんな軽い気持ちで立ち寄ってみたら、「まぐれメタル討伐」だなんて、厄介事を抱えることになってしまった。

 で、結果的にメルヴィナも、竜化魔法の行使を強いられる立場になったわけだ。

 こればっかりは、勇者一行の世界平和貢献活動の一環ゆえ、致し方ない。



「……はあ。貴方と話しているうち、少し疲れてきちゃったわ」


 言葉通り、やや顔に疲労を滲ませながら、メルヴィナはかぶりを振った。

 魔導書を抱えたまま、切り株から立ち上がる。


「そろそろ眠れそうか」


「おかげさまでね。……言いたいことを言いたいようにしゃべったら、何だかちょっと気が晴れたみたい」


「そうか。そいつは良かった」


「あのね、良くはないわよ。根本的な問題は――つ、つまり、全裸になるのが恥ずかしいってことだけど、何にも解決してないわけだし」


 即座に不服を訴えてから、メルヴィナは傍らの魔法光を消灯する。

 そうして、華奢な身体を翻すと、隣まで来て目配せを寄越した。

 合図に従って、俺も一緒に歩き出す。



「ねぇ、アシュリー」


 宿へ引き返す道の途中で、メルヴィナが囁いた。


「その、ありがとう。私の勝手な話、聞いてくれて」


「……礼を言われるようなことじゃないぞ」


 むしろ竜化魔法の件で悩ませてしまっているのは、こっちに責任がある。

 この子が感情的になってしまうのだって、当たり前だと思う。

 そう考えて、簡単に返事すると、メルヴィナはいったん黙り込んだ。


 だが、またすぐに口を開いて、付け加えるように話し掛けてきた。


「えっと。アシュリー、さっき話したことなんだけど。他のみんなには――」


「わかってる。わざわざ教えたりしない」


 こっちだって、吟遊詩人になりたかったこととか、エザリントンへ来た理由については、あまり話題にされたくないからなー。


 俺が応じると、メルヴィナはようやく、暗闇の中で微笑んだみたいだった。



「……そう。だったら、今夜の会話は全部秘密ね。私と貴方と、二人だけの」




     〇  〇  〇






 ――かくして俺とメルヴィナが、ささやかな約束を交わした一夜のあと。


 ウォーグレイブ丘陵を探索しつつ、竜化魔法の訓練は翌日以降も続けられた。



 野外で魔物と遭遇する都度、これまでと同様の戦術で実戦へ突入するのだ。

 俺とレティシアが前へ出て突撃し、プリシラがそれを支援。

 そのあいだにメルヴィナは、竜化魔法を行使する。


 そして――……


「頼む、メルヴィナッ!」


 俺は、巨大鬼トロルに背を向け、後衛で顕現した黄金竜へ声を掛けた。

 近接戦闘の間合いを、全速力で走って離脱する。

 何秒か間を挟んで、頭上をめくるめく光芒が横断した。

 一瞬遅れて背後の空間から、強烈な爆音と熱風が追い掛けてくる。

 ぎりぎり火炎が届かない距離まで避難すると、安堵の息を大きく吐いた。

 立ち止まって、いましがたまで自分が妖魔と交戦していた場所を振り向く。


 そこにあるのは、極彩色が踊る死と破壊の光景だ。

 ドラゴンブレスの威力には、何度見ても強い畏怖を抱いてしまう。

 凶悪な魔物も、猛り狂う灼熱の渦に呑まれ、たちまち絶命した。



 ……しかしながら、戦闘終了後。


「メルヴィナを責めるつもりじゃないから、誤解しないでもらいたいのだが――」


 焼け焦げた地表を眺めながら、レティシアが難しそうな面持ちでつぶやいた。


「やっぱり、ブレス放射までの所要時間を短縮するのは、そう簡単じゃなさそうだな」


 その指摘については、残念ながら同意せざるを得なかった。


 いや、メルヴィナが魔法を発動させるまでの動作は、この数日間で格段に洗練されている。

 詠唱は滑らかで早く、それでいて正確だ。

 で、まあその、事前に着衣を脱いでおくのも、やたらと慣れたな、と思う。


 けれど、まぐれメタルの敏捷性には、とにかく尋常ならざるものがあるのだ。

 このままだと「竜の息」の放射が間に合っても、あの標的を効果範囲内で捉えられるかは、相当怪しい。



 メルヴィナは、着替えを終えて茂みの陰から出て来ると、悔しげに唇を噛んだ。


「私も精一杯、何とかできないか試しているつもりなんだけど」


「ん。たしかにメルヴィナは、かなり頑張ってる……」


 身繕いを手伝っていたプリシラも、一緒に戻って来て、それを請け合う。戦闘中に後衛の近い位置で見ているから、よくわかるのだろう。


 もちろん俺から見ても、メルヴィナは本当に努力してくれていると思う。

 この子が胸中では、どんな羞恥心に耐えているのかを、知っているからこそ尚更だ。



 さて、だがそうなると、いよいよ手詰まり気味ということになる。

 たぶん現状を打破するには、決定的な何かが俺たちに足りていない。


 戦術に成功の見込みを、もっと上乗せできるような要素が必要なんじゃないか? 

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