ニートを追う藻野、伊東をも得ず。

あんぐろいど

第1話

「よー、藻野。 プリント届けに来てやったぞ」


「ひゃあっ!?」


クラスメイト兼家が隣の幼馴染である藻野の部屋へ入ると、そこに彼女はいた。藻野は自室の中で、全身がすっぽりと納まるほどの大きな鏡と対面しており、何やらふにゃふにゃとしたポーズを決めていた。俺に見られたことでそのポーズを解き、真っ赤な顔で勢いよく突っかかってくる。


「うわぁ、二堂くん!? 乙女の部屋に入るのにノックも無しだなんて、常識はずれにも程があるんじゃないかな!? 死にたいのかな!?」


「死にてえわけねえだろ。 お前みたいな、いい女残して死ねるかよ」


「えっ……」


そう言われるなり藻野は耳を真っ赤にして後ずさりをする。目論見通り隙ができたところで、そこへすかさず、俺は追い討ちをかけた。


「俺が死ぬ時はお前も道連れだ。 俺が先に死んで、幼少期のハズカシー話アレやらコレやらをそこかしこにバラ撒かれたらたまらん」


俺の一瞬の甘い言葉に揺さぶられた藻野が動きを止めている間に、俺はさらに間髪を入れず藻野にとどめを刺す。


「むしろお前は先に向こうに送って、俺がお前のハズカシー話をバラ撒いてやるよ」


「さすが、気安さしかない幼馴染とは言えそこまでサドに徹することが出来る二堂くんには恐れ入るよ」



「粗茶ですが」


「うむ」


藻野が淹れたお茶を一口、口内へ入れた。舌全体に心地の良い熱が広がる。


「相変わらずお前が入れたお茶は美味いな」


「お世辞はいいから……」


「俺は生まれてこのかた、嘘なんてついたことないぞ」


「ハイハイ」


『嘘なんてついたことない』という俺の嘘を軽くいなして、藻野は俺に向き直り本題へ入る。


「……わざわざ時間割いて直接プリントなんて届けに来なくても、お母さんに渡しておけばいいでしょ?」


丁寧にお茶を淹れてくれたサービス精神旺盛な藻野は、思い出したかのようにしかめ面をする。どうやら、入室時に見られたふにゃふにゃとしたポーズの件は、まだ根に持っているらしい。


「バカヤロー、俺はお前に直接言いてえことがあんだよ」


「……言いてえこと?」


藻野にはもちろん心当たりがあるようだったが、とぼけたフリをして頭を傾け、先を促した。


「お前、いい加減学校来いよ。 いじめられてるとかじゃねえだろ?」


俺がここに来た原因__部屋に出入りする付き合いは思春期に突入した数年前に終わったにも関わらず、幼馴染の藻野の部屋に訪れた原因は、そこにあった。家が隣で席も隣の幼馴染が学校を休んだのは、今日で2週間になる。


「いつまでニートやってるつもりだよ」


「二堂くんにはわかんないよ! 私の気持ちなんて」


理解されない苦しみを必死に訴える藻野に対し、強引に登校させようとする俺という構図は、これがテレビドラマの一場面だとすれば、俺の方が分からず屋と蔑まれてしまうかもしれない。しかし、これがテレビドラマの一場面でもなければ、俺が分からず屋でもないということを唯一わかっている俺自身は、何でもない様にただ事実を述べた。


「伊東にパンツ見られたからって、そんなんで2週間も休むなよ」



「うわぁぁぁ! ちょっと! 言わないでよ、恥ずかしい!」


その場で尻餅をつき、手で器用に地面を押しやることで、後ずさりをする藻野。何が恥ずかしいのかはわからないが、乙女心というのは面倒臭いものだ。


「過度に恥ずかしがり過ぎなんだよ、お前は。 パンツがなんだっつーんだ。 俺なんか部屋の立地的に、晴れの日は毎日お前ん家で干されてるお前のパンツ見てるっつーの」


「干されているパンツは衣類だから平気」


「……過度に恥ずかしがらな過ぎなんだよ、お前は」


俺と伊東とでここまで反応が違うとは、さすが気安さしかない幼馴染である。


「パンツ云々がどうとかじゃなくて、履いているパンツを伊東くんに見られたかどうかが重要なんだよ! インポータントなんだよ!」


「そんな、アメコミ原作の亀の忍者みたいな横文字は知らん」


「それはミュータントタートルズだよ! タントしか合ってないよ! 相変わらず、顔に似合わずおバカだね!」


「だから、顔と性格に見合わず利口なお前に勉強を教えてもらいたいんだよ。 だから学校に来い」


今度こそ嘘偽りのない俺の言葉が少なからず響いたのか、藻野は頭を抱えながら、嬉しいような顔と困ったような顔を繰り返すばかりだった。


「二堂くんが私のことを必要としてくれていることはありがたいんだけど、でもなあ……あああ」


「伊東のことなら気にするな。 あいつは何でもなかったみたいだし、そもそもあいつ彼女いるしな」


「えっ!? うそ!?」


信じられないようなキレの良さでこちらを向く藻野は、その勢いが存外に強かったらしく、顔をしかめて首を抑える。


「ふにゃふにゃしたポーズが嫌いとも言っていたし、伊東の好みを聞く限り、お前とは正反対のタイプが好きとも言っていたな」


「がーん……」


「露骨なショックの受け方だな」


口に出して言う奴を初めて見たな、その擬音。


「そもそも、あのふにゃふにゃしたポーズは何なんだ?」


「な、なんて言うか…… 可愛く見えるポーズの研究、的な…… もういいでしょ! 忘れてよ」


「忘れられないよ。 あれは素晴らしかった。 後世に残すべきだ」


「……バカにしてる?」


「そんなわけないだろ。 心外だな、俺のことを疑っているのか? それならそれとして、もう一度真面目に頼むぞ。 B級スタンダップコメディーなんて目じゃないぐらい面白味満載の、あのふにゃふにゃしたポーズを、もう一度俺に見せてくれ。 爆笑してやるから」


「やっぱりバカにしてる!」


両手を握りしめ、ポカポカという擬音が似合いそうな拳を何度も俺の肩にぶつける。擬音ほど可愛い威力のパンチでもなかったが、そこは持ち前の器量で受け入れてやった。


「お前が来ないと言うなら、学校で言いふらしてやるぜ」


「性格ひん曲がってやがる!」


「まあ、俺の性格はさておき…… 言いふらされたくない、伊東に彼女がいるか確かめたい、というなら、お前の目で直接確かめに行けばいいさ」


「……でも二堂くんの言う通り彼女がいたらショックだし、いなくても学校には行きたくないし。 ……言いふらされるのもクソみたいに嫌だけど」


「ワガママな奴だ」


「ワガママだもん」


藻野は、ベッドに置いてあった正方形のクッションを取り、そこに顔を埋めた。


「ずいぶん、伊東の奴に入れ込んでるんだな」


「……誰のせいだと」


「ん?」


「なんでもない」


何かを口にした藻野だったが、その言葉はクッションに吸収されてしまった。


「二堂くんこそ、貴重な青春の1ページをこんなニート女の相手することに費やさなくてもいいんじゃないの? あの可愛い彼女にでも費やせばいいじゃん!」


「……ん? 彼女なんかいたことないぞ」


「嘘ばっかり! 知ってるんだから! 何度も一緒に帰ってるところ、見たんだから! 死にたいのかな!?って思ったよ!」


「お前は、俺を死なせてばかりだな」


そう言いながら、俺は心当たりの女の子を思い浮かべ、頭を掻いた。


「あの子は本当に何でもない。 好きな本が同じだったとか、好きな音楽が同じだったとか。 あるいは好きな映画が同じだったか何かでちょっと話すようになっただけだ。 ハッキリと、何がきっかけだったのかすら覚えてない。 それだけだよ」


「共通の趣味が持つ魔力を知らないの? 男の子と女の子が仲良くなるのなんて、そんなことで十分なんだよ!」


「だから」


語気が熱くなってきた藻野を制するように、彼女に手のひらを見せる。さながら、飼い犬に『待て』でもするかのように。


「そもそも、本当にそういう話でもない。 相談に乗ってもらってただけだ。 向こうも俺のことは、『話しやすい友達』としか思ってないって言ってたし。 彼氏がいるとも聞いていたしな」


「……遠回しにフられたんだね。 なんかごめん」


「何でそうなるんだ」


言わせちゃってごめんね、と藻野は本気の申し訳なさそうな顔を見せる。何と釈明しても、わかってもらえそうな気配はない。


「その子も、伊東くんも…… 恋人持ちのリア充ばっかりだね。 死にたくなるよ」


「ああ、俺もだ。 だから学校に来い。 死にたくならないためには、お前という暇潰しの相手が必要なんだよ」


「すごい言われよう」


「今さらだろ?」


あはは、と力なく笑う藻野。伊東に彼女がいるということに対し、少なからず傷付いているようだった。


「そういえば、伊東のどこが好きだったんだ?」


「……うーん、わかんない」


「わかんないってことはないだろ」


「本当に、わかんないんだよね」


藻野は両手を後方に置き、天井を仰いだ。


「一番近い言い方をするなら、お手頃な王子様だったから、かな」


「お手頃?」


「顔が良くて、運動神経も良くて、成績も良い。 まさに完璧な男の子だったから、最適だったんだよ。 心の隙間を埋めるのに__っと」


言い過ぎた、とばかりに口を覆う藻野。


それだけ聞ければ__十分だ。


「……いいか? おさらいしておくぞ」


俺は立ち上がり、藻野との距離を詰め寄る。


「伊東には彼女がいて、お前のパンツを見たことなんて気にも留めていないし、俺には彼女もいない」


藻野と向かい合った俺は、両手を彼女の肩に乗せる。ビクッと身体を揺らしながらも、彼女はその手をどけようとはしなかった。


「……俺は、出来ればお前より先に死にたくないし、お前が死んだ後に一人残るのもごめんだ」


言葉を紡ぐまでのほんの少しの間が、静寂に彩られる。まるで、世界に俺と藻野しかいないような__大袈裟に言えば、そんな感じだ。


「それならせめて、しばらくは一緒に生きてほしい。 お前とたくさんの思い出を作った後なら、死ぬ時も後悔は残らないだろう」


「に、二堂くん」


「……わかるな?」


「……うん」


そう言って、ゆっくりと目を瞑る藻野。


俺はその彼女の顔を眺める。


そして__


「痛ったぁ!!」


その無防備なでこを、中指で思い切り弾いてやった。


「やーい、騙されやがったな」


「また騙された!」


先ほどよりも数倍勢いのある握り拳を避けた勢いをそのままに、俺は後方にある出入り口のドアノブを開け、するりと部屋から退出した。扉を少しだけ開けて中を覗く形になった。


「もう! いつもいつもいじわるばっかり! そんなことしてたらモテないよ!?」


立ち上がって後を追おうとする藻野。


「安心しろ。 俺は好きな女にしか意地悪はしないから」


言うだけ言って、俺は扉を閉める。後ろで、すとん、という音が聞こえたが、俺の後を追ってこなかったのは、案の定腰でも抜かしたのだろう。


玄関を出ると、心地の良い風が吹いた。

事実確認もせず、あることないことを捏造した伊東には申し訳ないことをしたが、まあ男から見ても王子様みたいな伊東のことだ。彼女の一人や二人いることだろう。



「よー、藻野。 やっと来やがったか」


翌日、登校した俺が靴を履き替えていると、物陰から藻野が現れた。


「……二堂くん? き、昨日の話なんだけど」


耳を真っ赤にして口ごもる藻野。そんな彼女を見ていると笑いを堪えきれず、噴き出してしまった。


「も…… もしかして。 昨日のアレも、嘘……?」


「さあ、どうだろうな…… ブフッ」


酷いだの嘘つきだの、様々な言葉と流れるような拳で罵倒してくる藻野を、軽くいなす。やはり藻野と学校で、そんなくだらないやりとりをすることは楽しかった。


「やっぱり藻野は、いい女だな」


「嘘ばっかり!」


藻野が『いーっ』と歯を見せて走り去って行く。そんな藻野を見送りながら、そろそろ始業時間だな、と他愛のないことを考える。


「今日もいい天気だ」


俺の言葉が嘘か真かを、彼女が知るのは__もう少し、後になってもいいだろう。

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ニートを追う藻野、伊東をも得ず。 あんぐろいど @atamagonashi

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