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二階堂ウチ
etc.1 サクラ
桜の木。
四月になっても花を咲かすことができない木が、稀に存在する。
三月下旬から気候が緩くなり、様々な花々が色をつけ始める。
五分咲きの木や満開の木も、ちらほら見受けられることからそろそろ春本番といったところか。
そんな最中、未だ蕾すらつけられていない、寂しげな姿の彼に、私は出会った。
他の子たちは節々にオシャレな装飾をしている。とても楽しそうに咲き誇っている子もいる。
私の目の前の彼だけは、ありのままの状態。葉もつけておらず、枝の一つ一つに隙間がある露わな状態。
支えとして、人工的に添え木をしている木も朽ちてきている。
長いこと、この子だけ手を入れられてないのだろうか。
急に涙が、こみ上げてきた。目の中に水が溜まり、視界が下からぼやけてきている。
私が、愛する人の愛している人になれなかったからではない。
この哀愁漂う彼を見つめると、急にざわめきが込み上げてきて、私の全てが溢れてしまった。
サクラの花言葉にある『優美な女性』とはよく言ったものだ。
彼の見た目は、『優美』という言葉とかけ離れている。
今にも枯れてしまいそうで、立っているのがやっとなくらい貧相な体。
弱々しく、簡単に折れてしまいそうな枝。
まるで、鏡に映った私を見ているかのようだ。
呼吸が整わない。
今まで胸の中に、なにか大きなもので埋め尽くされていたはず……。
急に胸の中の”なにか”が、すっぽりなくなって、空の状態になっている。
苦しい。辛い。
誰のせいでもない、やり場のないこの気持ち。
繋ぎ止めていた糸が切れ、人形のように、膝から崩れ落ち、
胸の中を埋めるために、地面を強く握りしめ、赤ん坊の如く大声をあげた。
さながら、その格好は何かに懇願しているようだ。
私の頭の中には絶望という二文字だけ、はっきりと映っているような気がした。
人は誰しも、真っ暗な闇の中で一人歩いている。道中、様々な出来事があるだろう。
楽しい事、悲しい事、嬉しい事、辛い事。その色々な出来事が思い出となり、心に蓄積される。
後ろを振り返った時、その辿ってきた道が軌跡として、行く末を決めるきっかけになると言っても過言ではない。
そのきっかけを左右するものが、家族、友達、恋人あるいはペットなど千差万別だ。
私は唯一の指針となる一本の松明が、消えてしまった。
再び真っ暗な闇の中に、突如放り出された。
どうすればいいか、わからない。
どこに進めば正解か、わからない。
赤ん坊が泣くように、周囲に助けを求めてみる。
当然闇の中。誰も助けは来ない。誰も導いてはくれない。
しかし、微かに声が聞こえる。
囁くような小さな声。
すごい……安心する……。
『僕はあなた。あなたは私。この場所に、この地に、全て置いて行きなさい』
母親のように優しい口調で、端的に伝える彼はもう二度と、声を発することはなかった。
私は立ち上がり、膝についた土を振り払う。
その一言で全て救われた気がした。
私は彼だった物に歩み寄り、朽ちている添え木を外し、地面に置いた。
『今まで、ありがとうございました』
涙を拭い、彼だった物に向けて丁寧に一礼し、遠ざかっていく。
力強く一歩ずつ胸を張って進む姿は、堂々としていて、とても美しく感じた。
彼の枝の頂には、小さな小さな蕾が出来ていたことを、彼女はもう、知ることはないだろう……。
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