怪盗スクーロ~Phantom Scuro~

星下 輪廻

1

​「今宵,〝夜空の貴婦人〟をいただきに参上 Phantom Scuro」


~Rome Itary~


バロック様式の大きな建物の前に一台のパトカーが止まる。年の頃は三十だろうか、がっちりとしたがたいの男が降りてきた。

「わざわざご苦労でしたな。話はゆっくり中で」

展示室を素通りし、なんの飾り気もない商談用の応接室に通された。

「それで、怪盗スクーロなる人物から予告状が届いたとのことですな?」

「えぇ。これが届いたのはつい数時間前のことでありまして。我々一同大慌てであなた様に連絡を差し上げたというわけですよ、アルメリコ刑事」

この博物館の館長だという男は、洒落た封筒をアルメリコに渡す。が、館長の訴えにも、予告状なるものにも、ちらりとも興味を示さずにこう言った。

「ばかばかしい。今のこの世の中に怪盗?何をおっしゃっているんですか。どうせ漫画の影響を受けた模倣犯でしょう。一応、警備に当たらせますが」

「おぉ、ありがたい。ぜひお願いします」

あまり乗り気ではないアルメリコとは対照的に、館長は安堵の表情を浮かべ深々と首を垂れる。

「それで?その〝夜空の貴婦人〟とは一体どんなものなのか、拝見してもよろしいですかな?」

「えぇ、どうぞこちらへ」

館内は眩いばかりの白に統一された開放感のある作りとなっている。普段ならそれなりに客足もあるのだろうが、状況が状況である、今は至る所に沢山の警官で溢れかえっていた。

「ささ、こちらでございます」

厳重に鍵のかけられたステンレスの厚い扉を開けると、外の展示室とは打って変わった、厳かな空気が漂っている。その部屋の中央、これの為に特別にあしらわれた台座の上に〝モノ〟はあった。

三センチくらいの楕円形、闇のような黒い背景の中心に満月を模したような黄色い円形の模様が、煌々と妖しい光を放っている。

「こちらが〝夜空の貴婦人〟でございます。十九世紀後半ドイツ帝国の山中で、領民の農夫が発見したものだと伝わっております」

何とも引き込まれる美しさだ。アルメリコは自分でも知らず知らずのうちに、収められているガラスケースに引き寄せられる。

「その何とも言えぬ美しさに引き寄せられ、うっかり触れようものなら....」

突然けたたましいベルの音とサイレンが館内に響き渡り、無数の足音がドタドタと近づいてきた。

「何事でございますか!」

鬼の形相で警備員がなだれ込んでくる。各々の手には機関銃が握られ、セーフティーロックは解除されている。

「一分もしないうちに警備員がすっ飛んできます。すぐにお縄頂戴というわけですよ。スクーロは、これに指一本触れられません」

館長は鼻を膨らませ自信ありげに言うと、警備員を手で追い払う。

そんな男の隣で、アルメリコは周囲を隈なく見回した。この手の犯罪者はどんな隙間でも、出入り口を見つけて必ず侵入してくる、彼が長年刑事として培ってきた、数多くの犯罪者に共通して言えることだった。

だが、ここは金庫のような部屋だ。空気口はおろか、ネズミ一匹入る余地なぞ当然あるわけがない。

では、奴はこの部屋からどうやって盗もうというのだろう、いやそもそも盗むことは不可能だ。これだけの厳重警戒に加えこの金庫である。しかし奴は盗むと予告している。盗まれてはならない、絶対にだ。

彼の目に、久しく忘れかけていた刑事としての誇りが燃え盛る炎となって宿る。

「あの、お取込み中のとこすまねぇんだけどもよ、ここの掃除に来たんだが、してもいいかの?」

その声でふと我に返ると、白髪の男性が訛りのひどいイタリア語で話しかけてきた。

「なぁに、短時間で終わりますでの。ちょっと勘弁じゃ」

男性はモップで床を磨き始める。だがおしゃべりなのか、口は開いたままである。

「みんなさん、渋い顔してどうしたでの?」

「お前には関係のないことだ」

「いんやぁ、そうは言ってもよ、表にも館内にも数えきれないほどの警官、ここには刑事さんとお見受けする方に館長さんが渋い顔で立っているとあらば、こりゃ何か一大事があるとみるのが普通じゃないかねぇ?」

「しゃべりすぎだ、じじい。掃除が済んだら早く出ていけ」

館長に一喝され、彼はペロリと舌を出して出ていった。

「さぁ、ここに長居しても仕方ないので我々も出ましょうか。」

アルメリコは最後に獲物に一瞥すると、先ほどの決意を改めて自分に言い聞かせ館長に続き部屋を後にした。

だが彼らは気が付いていなかった。もうスクーロの手の中で転がされていたことを。




空高くあった太陽は、いつの間にかアペニン山脈の奥に身を隠し、代わって盆のように丸い月が冴え冴えと辺りを照らす。

博物館の警備も、日が傾くにつれ少しずつ強化され、今や100メートル四方は完全立入禁止という厳重体制がとられている。夜空には数基のヘリが道という道を照らし、猫の子一匹見逃さない。

「各班、異常はないか」

現場主任のアルメリコは館内から無線で部隊にコンタクトを取る。

「A班、異常なし」

「B班、こちらも異常なし」

「航空隊C班、異常ありません」

どこも異常はないようでほっと胸をなでおろす。しかし気は抜けない。大胆にも予告状なるものを送り付けている輩なのだ、この厳重な警備に慄き、すごすごと引き下がるとは到底思えない。

「警備のほうはどうですかな、奴が来る気配はありますか?」

いつの間にいたのだろうか、館長が隣でぼそりと話しかけてきた。

「現在鋭意警備中です。しかしながら未だに連絡はありません」

「そうですか。ところで、奴のキャッチフレーズをご存じですか?」

知らないと答えると、館長は胸を張って自慢げにこういった。

「煙のように現れ煙の如く消える、謎のベールに包まれた大怪盗。そう世間では言われております。しかし、今宵はもう一つ覚えていただきたい。そう....狙った獲物は確実に奪い取る、そんな怪盗だとね」

刹那、アルメリコの身体に電撃が走る。その悲鳴に数人の警官が振り向くと、膝からがっくり崩れ落ちるアルメリコとスタンガンを彼の右腰に当てている館長の姿をとらえた。

「いたぞ、奴だ!」

向かってくる幾万の弾丸をさらりとかわしたスクーロは、至って冷静に対処し懐に忍ばせていたPPKをシャンデリアに向かって発砲する。耳を刺す甲高いがしゃんという音と同時に、館内の明かりはいっきに途絶えた。

「追え、追え!」

誰かが叫ぶも、急に暗闇になった為にスクーロを完全に見失ってしまった。




「これで、よし」

スクーロは、横で伸びている館長から奪った鍵を使って部屋に侵入する。そして目的のものが収まるガラスケースに近づくと、懐から拳銃を取り出して発砲。ガラスケースは粉々に砕けてしまった。

〝モノ〟を傷つけないようにハンカチで包み、そっと取り出すと大事に懐へしまい込んだ。あとは脱出するだけである。

「いたぞ!スクーロだ!」

警備員が機関銃を構えるも、一足早くスクーロのPPKが火を噴いた。

掛け声と銃声に気が付いたのだろう、無数の足音がこちらに向かってきているようだ。しかしハンドガン一丁では応戦のしようがない。

逃げるか、応戦するか....。


そうこうしているうちに、銃を片手にアルメリコを先頭に警官と警備員が部屋になだれ込んできた。だが既にガラスケースは破られ、中身は盗まれていた。急所を撃ち抜かれ絶命している警備員の変わり果てた姿が壁に寄りかかっている。そして肝心の怪盗の姿はそこにはなかった。

全ては終わった後だったのだ。

「逃げられたが、やつはまだ近くにいるはずだ!探せ!とらえよ!」

唾を飛ばし、部下に指示を下すアルメリコ。しかし、彼の頭は言動とは裏腹に至って冷静にこの場を分析していた。

待てよ?これは罠、奴の策略なのではないか。みると脱出したけしきがない、この混乱に乗じて逃走するつもりなのではないのだろうか?

頭の中で警報が鳴り響く。この指示は奴の思うツボだと。

「しまった、してやられた!」

彼は血相を変え、踊り場へかけだした。おおい、やめろぉ!

と突然警報音が響き、館内はそこだけスコールに打たれたようになる。人間はどうにかなるが、災難なのは数々の貴重な展示品である。水に濡れ、ものによっては書かれた文字が判別できなかったり形を失なってしまったものも多くある。

「これはどういうことだ!何が起きている!」

これには警官をはじめ、中の警備に当たっていた人間は上を下への大騒ぎである。これではスクーロの逮捕どころの話ではなくなってしまった。

「どうやら、金庫室からの発煙だそうです!」

「なに?」

アルメリコは金庫室にとんぼ返りする。なんということだろう、部屋全体に煙が充満し視界が閉ざされてしまっていた。

発煙元を確認すると、空き缶ほどの大きさの機械が展示台の下、隠されるように張り付いていた。これはあの時、白髪の男に化けたスクーロが取り付けたものに相違ない。

「くそ、やられた。これも計画のうちだったというわけだ」

今頃、遠くからほくそ笑んでいるに違いない。いや、もしかすると近くでこの様子を眺めているかもしれない。

彼は、自身の経験から得た予想を遥かに凌駕する奴の行動に臍を噛む。と同時に、今まで相手をしてきたそんじょそこらのコソ泥とはわけが違う、一筋縄ではいかないと強く深く心に刻んだのであった。




どこも欠けているところのない丸い月の青白く柔らかな光が、高い宙から地上へと降り注ぐ。その光はどこも余すところなく照らしていた。流石は古より人々を魅了してきた身近な星だ。その輝きは他のどの物体が発する輝きよりも、幻想とえも言われぬ情緒とに満ち溢れた白銀の輝きである。

博物館を見下ろす丘の上で満月を見上げるはかの有名なかぐや姫....ではなく、スクーロその人であった。スクーロは警備員の装いを脱ぎ捨て、懐から盗み出してきた宝石を取り出し月にかざす。宝石の月は、本物の美しく薄い銀のレースを取り込み更に輝きを増し、妖艶さを滲ませている。

が、スクーロはその宝石を下ろすと、チーフに包みそっと懐に戻してしまった。そして再び夜空に煌々と冴えわたる満月の正面を見つめる。その目は固く閉じられ、唇はきゅっと一文字に結ばれていた。

頭の中のキャンバスには幼き少女が二人、コロコロと笑いその明るい声が響く。場所はどこかの庭園だろうか、芝や枝は均一に借りそろえられ大きな噴水に青々とした樹々が生えている。がそれも束の間、幸せな光景は暗転しあちこちから火の手や血しぶきがあがる。そこかしこから男女の悲鳴が上がる。あぁ、もう見ていられない―――。

スクーロははっと両目を見開く。その目は赤く腫れ、涙を湛えていた。


待っていてくれ、必ず再び興してみせる―――


その瞳の奥には、熱いものがメラメラと烈火のごとく燃え上がっていた。

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