第3部

第1話 夜行(前編)

 ――― みなとみらい線 馬車道駅 ―――


 地下とは思えない程の広い空間は暗闇で塗りつぶされ、その中心で灯りが1つ揺れている。僅かな光に照らされて、ぼんやりと存在が分かる壁と床と支柱、いくつかのオブジェクト。自動改札、切符販売機、点字ブロック、ゴミ箱、エスカレーター。大きな円を描く天井の下は、さながら役者の降りた舞台だった。


 光の近くに2人の少女の輪郭があった。片方は立って、片方は屈んでいる。2人の少女が見下ろす床には1つの死体が横たわっていた。

「シャルル、目を逸らすな」

 名前を呼ばれた少女が呼んだ少女の方を見る。青みがかった黒のショートヘアが、手に持ったランタンの灯りに照らされて光の波をうった。

「……お知り合いですか?」

 質問に「いや」と答えた少女は、シャルルからランタンを受け取って地面に横たわった死体を頭からつま先までゆっくり照らしていった。シャルルの方はやや不安げな面持ちのまま耳を澄まして周囲を警戒している。

「タムさん、やはり一旦地上に戻りませんか?」

「どうした? ビビったか?」

「そんな事ではありませんよ。ただ、この場所は広い割に上下の逃げ場が無く、もしジーズに囲まれればひとたまりもありません。地上に出て、カリスさん達と合流した方が安全なのでは無いかと思います」

 シャルルの意見などまるで意に介さぬようにタムは答える。

「そう怖がる必要はない。これをやったのは、少なくともジーズじゃないからな」


 シャルルが目を細める。対して、自分のペースを崩さないタム。

「見ろ、携帯用の砥石だ。120ある能力の中で砥石を使う物は?」

「『斬波刀』か『インフィナイフ』だけだったかと」

「正解だ。だがこいつのスーツにはナイフホルダーがついてない。『インフィナイフ』を持ってる奴は大抵能力を封じられた時用に1本はあらかじめ召喚しておくんだよ。数に制限が無いのは利点だからな。という事は、こいつの能力は『斬波刀』だったって事だ。しかも刃こぼれを気にするあたり、衝撃波ではなく接近して戦うタイプ」

「ですが……」シャルルが言いかけた言葉をタムが繋ぐ。

「その通り。『斬波刀』を握っていない。それがどういう事だか分かるか?」

「発動する前に殺されたか、あるいは発動はしたものの殺された後に持っていかれたか、ですか?」

「惜しい。召喚してから24時間が経ったという可能性もある。召喚したアイテムはオプションが無い限り24時間で消滅するからな。それに、持っていかれたというのも不自然だ。『斬波刀』の使い手以外が持っていってもロクに扱えんだろうし、争った形跡自体を隠したいなら死体を放置するのは矛盾している」

 シャルルはすかさず指摘する。

「でも、この死体はおそらく亡くなってからそこまで時間が経っていませんよ」

「その通り。だから犯人を追跡出来る」

 タムが立ち上がり、無線機のスイッチを入れた。「カリス、フィロ、今すぐ降りて来い」灯りに照らされるタムの横顔は仲間の死体を前にしても一切の冷静さを失わなかった。


「タムさん、お待ち下さい。敵がジーズではないという根拠の説明がまだです」

 2人が立って並ぶとシャルルの方が10cm程背が高い。タムの髪型は独特に縮れた毛で、その隙間から見えた眼差しは例え上を向いていても相手を見下しているように見えた。

「『斬波刀』に自信のある奴が、発動すら出来ずに殺された。そしてチームメイトは彼女の死体を放置してどこかに行ってしまった。となれば、考えられるのは2つに1つ」

 タムが2本の指を立て、順番に折り曲げる。

「裏切り者か、覚醒者か」


 周囲は静まり返っている。シャルルは改めてよく観察するように努めたが、争った形跡はない。タムが言う通り、この人物はこの場所において、何の反撃も出来ずに死んでいったという事は間違い無さそうだ。

 タムは平然と言い放つ。

「前者ならそいつは仲間のフリをして近づいてくるはずだし、後者なら警戒するだけ無駄だからな。だからビビる必要は無いって事だよ、新人ちゃん」

 棘のある言い方に内心ムッとするシャルルだったが、それくらいの事で和を乱すのは良くないと判断して感情を抑える。


 赤髪の少女カリスとチームのサポート役であるフィロの2人が合流した。タムの指示で地上に残って周囲の警戒にあたっていた。

 横たわる死体の顔を見て、2人が息を飲む。

「知ってるか?」

 タムがそう尋ねると、カリスは目を伏せたが搾り出すような声で答える。

「……先輩です。1つ上の」

「て事は私の3つ下だな。知らない訳だ。名前は分かるか?」

 カリスは頷き再度ランタンで照らされたその顔を見て、心から無念そうに答える。

「ベルム先輩です。『斬波刀』の達人的な使い手でした」

 先ほどの推理が当たっていた事が証明された形だが、そんな事は少しも気に留めずに質問を続ける。

「他の能力は?」

「『フリーズ』と『スライド』。少し交流がありました。……共通の後輩をかわいがっていたので」

 タムは再び死体の側にしゃがみこみ、指で瞼を開けて覗き込んだ。

「『フリーズ』も発動していない」

「見ただけで分かるんですか?」と、シャルル。

「勘みたいなもんだがな」


 シャルルにとってはこれが「裏の世界」における初任務であり、チームメイトは3人共知らない人間だった。そんな中、何の相談もなくリーダーとなって指揮するこのタムという人物が、果たして信頼に足るのかどうかもまだ怪しく、判断に迷っていた。


「犯人を追うぞ」

 タムの言葉に、カリスが異を唱えた。

「待ってください。今回私達に与えられた任務は『新たなジーズ拠点の探索と調査』なのでは?」

 指摘は正しい。最近、東京を出て横浜方面に向かうジーズの流れが確認され、新たな拠点が作られているという予測がエフから上がった。その裏づけの為に横浜に派遣されたのがタムのチームだった。

 カリスの意見にシャルルも心の中で同意する。亡くなったベルムには同情を覚えるし、もし犯人が裏切り者だとしたら許せない。しかし、任務は任務だ。チームリーダーといえど、独断で任務目的を変えるのは違う。そんなカリスの意見に同意しようとした時、タムがうすら笑いを浮かべた。


「お前ら、何か勘違いしてるな」

 その「ら」にはカリスはもちろんシャルルやフィロも含まれている。

「私達の任務は、メンター達のいる世界を守る事だ」


 タム。学園の1期生であり、そのメンターは不動のランク1位穂刈雄介。PVDOへの貢献度は、全少女の中でもトップクラスに位置する。


「ベルムが何故ここで殺されたのか、よく考えてみろ」

 タムの言葉で、シャルルが先に気づいた。

「……裏切り者が隠したかったものが、この先にあると言うのですか?」

 タムが肩をすくめて答える。

「こっちはただの勘だ。そう簡単に私の言葉を信じるな」


 タムに信頼をおけるかどうかはまだまだ分からない。ただ、敵に回したくはない人物である事は間違いないとシャルルは思った。

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