第32話 北海道
とても良いアイデアが唐突に浮かんだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。それは実に画期的で、強い魅力を感じる物だったので、居ても立っても居られずに確かめるべくサロンに入った。時刻は夜の6時半、今日から始まる7回戦目の戦略は既に決めている。
ちょうどよくサロンのメンバーが揃ってた。もちろんリーダーの真嶋以外だ。
「お前ちょっと勝ってるからって調子乗ってんな?」
開幕浅見先輩から因縁をつけられたが仕方ない。ここ2戦、浅見先輩は僅差での負け越しを続けてしまったようで、すこぶる機嫌が悪いらしい。雨宮先輩と橋本はどちらも1勝1敗でランクに変化なし。ちなみに2人とも7だ。
「いやいや、これも一重に皆さんの助言あってこそです」と一応は人格者ぶってみたが、「うるせえ」と一蹴されてしまった。嫉妬って醜いよね。
さて本題に入ろう。
「雨宮先輩の家って、確か北海道でしたよね?」
「そだよ。札幌。実家は沖縄だけど」
どんな事情があって日本を縦断して引っ越したのかは知る由もないがとにかく、確かめたい事はもう1つある。
「近くにラーメン屋さんってあります?」
「あるよ〜。むっちゃ美味しい所があるよ〜」
おお、これは僥倖。
「実は俺、ラーメンの中でも札幌ラーメンに目がなくて、前に旅行に行った時に食べて感動したんですよ。それから通販で買ったりもしてるんですけど、やっぱり現地で食べた時の味が忘れられなくて……」
そう、俺の思いついたアイデアとは。
「なので、サロンから雨宮先輩の家に戻る時について行けば、一瞬で札幌東京間を行き来出来るんじゃないかって事に気付いたんですけど、良ければ協力してくれませんか?」
普通なら電車やら飛行機やらで4、5時間はかかる道のりが、ドアからドアで10秒で行ける。これはいくら金を持っていたって出来ない事だし、サロンに付随する隠れたメリットなのではないか。ならばそれを利用しない手はない。コクのある濃厚味噌スープに縮れた太麺が俺を待っている。
すると今まで俺の交渉を黙って見ていた橋本が言った。
「あー、田。それは……」
「橋本ォォォォ!!!!」
浅見先輩がいきなりそう叫んだので俺はその声のデカさにひっくり返りそうになった。ちょっと経っても耳にキーンが残ってる。
「札幌ラーメンが好きだって言うんだから、行かせてやればいいじゃねえか。なあ、雨宮?」
「うん、全然いいよ〜。あたしも夜ご飯まだだからラーメン一緒に行くし」
若干不穏なやりとりはあったものの、雨宮先輩の了承は得た。
「橋本と浅見先輩も一緒にどうですか?」
「俺らはやめとく。これから作戦も立てなきゃいけないし、な? 橋本」
という事で俺は雨宮先輩と一緒にサロンのドアを通り、あっさりと札幌にやってきた。雨宮先輩は1人暮らしで、2DKの部屋はサブカル系多趣味女子って感じで汚くはないが雑然としていた。知らない劇団のポスター、短編マイナー漫画が並ぶ本棚、ビニール袋を被せて飾ってる新品のギター。何故か分からんがテレビの前に馬謖のフィギュアが置いてある。
「やあ、あんま見ないで。ほら、さっさと行こ」
うっ。雨宮先輩の事をちょっとかわいいと思ってしまった自分がいる。いやいや、俺はタマル一筋。いやいやいやいや、別にそういう意味ではなくて、今はPVDOに集中する必要があるという事だ。惚れた腫れたの色恋沙汰など真の漢の能力バトルには不要よ。
雨宮先輩の言った通り、ラーメン屋は家を出て2分くらいの所にあった。本格派札幌ラーメン「伊織」去年建て直したばかりという綺麗な店構え。格式の高ささえ感じる店名だと思ったが、ただ単に店の主人がアイマスオタらしいという雨宮先輩情報。
初めて来る店ではメニューから1番ベタな物を選ぶ。割り箸は先に折って2つを何度かクロスさせて前後させる。棘刺さると痛いしラーメンの味に集中出来ない。程なくして、味噌の匂いと湯気立ち上る熱々の1品が出てきた。
店や器の雰囲気のみならず味の方も完璧だった。麺を一度啜っただけで口の中に黄金色の小麦畑が広がる。レンゲ1杯のスープは口内に入るなり、舌をガツンとぶん殴り俺の喉でモッシュを行う。なんたる暴力的うまみ成分。そこからほのかに香る魚介だしが、雄弁な北の幸を背景に豪気かつ優雅な調べを奏でる。
美味い。来てよかった。しかも何が嬉しいって、これからはサロンを通してこの名店に足繁く通えるという事だ。いちいち雨宮先輩の家を経由するので迷惑をかけるかもしれないが、そこはまあ我慢してもらうとして。
「前にさ、ルカっちょ連れてここ来た事あるんだ〜」
ルカっちょとは、雨宮先輩の所に来た少女の名前だ。ルカ、と名付けた本人がまずルカっちょとしか呼ばないので、どちらが正式な名前なのかもう分からなくなってる。
「その時もルカっちょ、めっちゃ喜んでくれた。今のチャンデン程じゃなかったけどね」
俺の先程の感想はしっかり表情に出ていたらしい。
「あたしはさ、一人っ子だから、ルカっちょが家に来た時は妹が出来たみたいでめっちゃ嬉しかったんだよねぇ」
い、いつの間にか雨宮先輩が食い終わっている。俺と同じ大盛り頼んだのに。スープまできっちり飲み干してる……。時空が歪んでいるのか。一体何の能力だ。
「だから絶対この子を守ろうって思って。能力バトルとかあんまり詳しくないから漫画とか読んだりして。でも本当は戦いなんてさせたくないんだよね。一緒に楽しく暮らせるならそれがベストじゃんか? 同じように思ってる人が対戦相手にもいるだろうし」
確かに、理想はそうだが、PVDOはそれを許さない。試合1つ棄権するのは良いが、バトル参加の意思が無いと見なされると、所持能力が無くなった時と同様に少女達は処分される。
「せめてチャンデンにはタマリンをちゃんと守ってあげて欲しいんだよね」
雨宮先輩、悪いがそんな事わざわざわあなたに言われなくても、だ。あと勝手にあだ名つけんな。
「だから言うんだけど、のんきにラーメン食べてないで早く帰った方が良いよ〜」
ん?
「同じサロンだし、アドバイスはしてあげたいもんね」
なんか……風向きが変わってきたぞ。
「サロンの裏仕様。1回ドアから出ると入り口がそこに上書きされるから〜」
……。
……????……?。
えっ……? …………ポ? …………????
「多分チャンデンは今、あたしの家からサロン戻ってそこから自分の部屋に戻れると思ってるんだろうけど、出た時点であたしの部屋に上書きされちゃってるから戻れないよ。自宅からはサロンに入れるけど」
ほう、なるほど。それってやばいんじゃねーの? 俺は時計を見る。時刻は夜の7時過ぎ。ここから空港行って飛行機乗って空港から電車で最寄駅、そこからタクシー飛ばして、23時50分に間に合うかどうか。
「ぐわ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」
店内での絶叫はお控え下さい。この店には来週からそんな張り紙が貼られる事になるだろう。
その後、俺は土下座してタクシーを譲ってもらい空港へ。当然そんなにすぐ飛行機なんて取れないので、銀行で100万下ろし、方々に金を積み、頼み込み、チケットを譲ってもらい東京へ。再度土下座してタクシーに乗り、どうにかこうにか間に合った。
汗だく喉からからで何故か震える俺を見てタマルがドン引きしている。本日用意したおやつは白い恋人。浅見先輩にはいつか復讐する。
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