自衛隊解体

水無月せきな

自衛隊解体

 闇夜に静かに響くさざ波の音に、わずかな布ずれの音がまぎれた。

 浜辺に多数のボートが乗り上げ、軍服に身を包んだ人間が次から次へと島に上陸した。

 ある集団は島の中に分け入り、ある集団は後続のボートが運ぶ資材を荷揚げした。


 西暦2045年11月15日未明。

 こうして魚釣島――尖閣諸島は占領された。


 ***


 2045年11月15日午前8時。

「本日正午、正式に自衛隊が解体され、在日米軍に一部の戦力が移譲された後にその活動を終えます。終戦100年目の記念の年の大改革。これは……」

 リビングの窓際に設けられたテレビから女性アナウンサーのリポートが聞こえる。

 自衛官である宇賀幸重一等海佐は、渋い顔でその声を聞いていた。手元に握っている新聞の一面には、『自衛隊解体』という5文字がデカデカと一面を飾っている。

 いまだ平和にはほど遠い世界の中で、自衛隊は解体されようとしていた。

 きっかけはある自衛官のグループが密かに検討していた「自衛隊による周辺諸国の占領計画」の露呈だった。

 朝鮮半島を支配下に置き、中国東北部・沿海州への侵攻の足掛かりにするという計画であり、100年以上前の大日本帝国、旧日本軍と同じ考えであるとして国内で非難が巻き起こった。

 国外でも韓国をはじめとして、北朝鮮、中国、ロシアから非難され一気に外交関係は冷え込んだ。

 関与した自衛官を処分することで当時の政権は沈静化を図ったが、別のグループによる計画――シーレーンの安全確保のための占領計画――が暴露されるに至り、自衛隊は暴走の可能性を孕んだ危険な組織として国民から認識された。ついには衆参同時選挙で与党だった民自党が大敗し、左派連合「日本の平和を守る会」が大躍進を果たして政権の座を握ることとなった。

 日本の平和を守る会は、自衛隊に対して悪感情を抱くようになった世論に対して大胆な公約を掲げた。

 それが『自衛隊解体』に代表される安全保障体制の転換――極端な平和主義――だった。

 自衛隊を解体し、在日米軍もすべて国外に退去させ、外交によってのみ日本の平和を守る。日本の平和を守る会はそう唱えた。

 実際には、アメリカの強い圧力によって米軍は日本での駐留を続けることになったが、自衛隊の解体については強行された。自衛隊の装備品はアメリカ軍、海上保安庁などに譲渡、もしくは処分されることが決定され、自衛官もまた様々な組織に移ることになった。

 テレビを消した宇賀は、新聞をテーブルの上に放って立ち上がった。

 家を出た宇賀が向かったのは、海上自衛隊佐世保基地。そこには、彼の艦が居た。

 満載排水量10000トン、全長170メートルのネイビーグレーに塗られた堂々たる戦闘艦が岸壁に係留されていた。ステルス性を意識した多角錐系の上部構造の四方には、イージスシステムの特徴たるフェーズドアレイレーダーが設置されている。

 むらさめ型護衛艦一番艦、むらさめである。

 日本の守りの要として期待されて生まれたむらさめは、しかし今となっては海に浮かぶただの鉄の塊と化していた。

 宇賀は岸壁に腰掛けて、むらさめの天を突くような上部構造物を見上げ、静かに息を吐いた。

 今年の4月に1等海佐に昇進し、同じく4月に就役した最新鋭イージス護衛艦むらさめ型、しかもネームシップであるむらさめの艦長に任じられた。しかし、それから間もなくしてむらさめはアメリカ海軍に渡ることとなった。

 イージス艦は重要機密の塊であり、アメリカは自衛隊解体に対する抵抗として在日米軍の駐留の継続と、イージス護衛艦の引き渡しを求めていた。結果として、今日の午後むらさめはアメリカ海軍に引き渡される予定になった。

 目の前に浮かぶむらさめは、寄せる波にも揺るがず朝日の中で堂々としていた。逆に宇賀にはそれが物悲しく感じられ、胸が痛んだ。

「宇賀さん」

 不意に、背後から声を掛けられた。

「野村か」

 振り返った先に居たのは、野村一郎3等海佐だった。

 むらさめ副長に任じられた男で、宇賀の後輩、そしてともに研鑽を積んだ仲間だった。

 屈強な体を制服の下に隠し、ゆっくりと宇賀の元へと歩いてきた。

「いよいよ今日ですね」

 野村は宇賀のそばに立ち、むらさめの姿を見た。

「ああ、そうだな」

 宇賀は言葉少なく返した。実際、お互いに多く語る必要性は無かった。

「宇賀さん」

 しかし、野村は言葉を継いだ。宇賀は眉間に少し皺を寄せた。

「アメリカからの情報です。尖閣が占領されたそうです」

「……どこにだ?」

 宇賀は思わず耳を疑った。しかし野村の声音は至って真剣だった。

「中国だそうです。アメリカの友人がこっそり教えてくれました」

 中国。

 確かに、尖閣諸島の領有権について揉めていた。しかし、武力行使に出れば国際的非難を受けることは間違いない。国際外交での立場を犠牲にしてまで――戦争の可能性まで含んで行うべき行動だったのか? 今までそのような行動には踏みこまなかったのに何故……?

 尽きることの無い疑問が宇賀の頭を駆け巡った。

 しかしこれまでに鍛えた精神力で疑問の奔流を抑え込み、野村に尋ねた。

「上は動いているのか?」

「政府は外交ルートで抗議したそうです。しかし……」

「効果は無かった、か」

 宇賀は野村の言葉を引き継いで言った。

 自衛隊が解体される中では外交ルートしか道はない。むしろそれが政権の選んだことなのだが――

 そこではたと、宇賀は思い至った。

「この日を狙ったのか」

「ええ、そうでしょうね。安全保障体制でアメリカとも揉め、自衛隊が解体される今日ならば、我々に打てる手は限られる」

 宇賀は唇を噛んだ。してやられたと思った。

 日本を守るべきはずの自分が、何もできない。

 自分のこれまでの努力が無に帰した現実を、まざまざと突き付けられた心地になった。

「宇賀さん」

 途方にくれた宇賀を、野村はまた呼んだ。

「むらさめを、お借りします」

――むらさめを、借りる?

宇賀は首を傾げた。

「どういうつもりだ?」

「尖閣に行きます」

 宇賀は目を見開いて野村の顔を見上げた。

「何をバカなことを言っている。それがどういうことなのかわかっているのか?」

「分かっています。しかし、今ここで何もしなければ、我々は何のために今まで訓練を積み重ねてきたのですか」

 宇賀は黙り込んだ。野村の言いたいこと、考えていること、感じていることが痛いほどわかったからだ。

 それでも、宇賀は納得できなかった。

「お前は戦争を起こすつもりか」

「引き金を先に引いたのは向こうです。立派な正当防衛です」

「だが、ここで日本も拳を振り上げたら中国を非難することはできなくなる。俺たちはもう自衛官ですらないんだぞ」

「では何もせずに指をくわえて見ていろと言うんですか? それでは日本はなめられてしまう。殴っても何もしてこない都合の良い国だと。中国の横暴を許せば他の問題にも影響します」

「だが……」

 思い付く限り挙げた説得の言葉も、野村には届かなかった。野村が覚悟を決めた様子を、宇賀は既に感じ取っていた。

「お前、正気なのか?」

 最後に絞り出した言葉。

「正気です」

 失礼します。そう言って野村は宇賀の元を去っていった。

 

 ***


「栄えあるアメリカ国民よ」

 薄暗いホールの中で、数多の観衆が固唾を飲んでいた。

 ただ一点スポットライトを浴びた壇上では、恰幅の良い中年の男性が手を大きく広げて声を張り上げた。

「我らが祖国はこのままで良いのか? 我らが祖国は何をなすべきか?」

 熱気に満ちたホールに響く男の声に、観衆は自然と体を震わせた。

 男は拳を振り上げ、熱意とともに観衆に語り掛けた。

「なぜテロリストはこの世界から消えないのか? なぜ我々は危険にさらされ続けているのか? その答えは簡単だ。我々は問題の解決を先送りにし続けてきたのだ。我々は今こそこの問題を解決しなければならない。立ち上がるのだ。私利私欲のために世界の平和を脅かすものたちに断固たる力と姿勢を持って臨むべきなのだ!」

 演説の終了とともに、スタンディングオベーションが巻き起こり、カメラのフラッシュが一時的にホールに光をもたらした。

 男は自信満々に右手を挙げた。観衆たちの、全アメリカ国民の期待に応えるという固い意志を込めて。

 この男こそ、第49代アメリカ合衆国大統領グラード・タイラーである。

 グラードの大統領就任から、およそ10か月後の11月15日午前9時。

「リチャード、何だって?」

 ホワイトハウスの大統領執務室でグラードは声を発した。デスクに座るグラードの前には、紺のスーツに身を包んだ長身のリチャード・ジャクソン大統領首席補佐官が居た。

「中国が尖閣諸島を占領しました。偵察衛星の画像から発覚し、中国政府も公式に発表しました。詳細な報告はお手元のファイルの中にあります」

 リチャードはごく簡潔に事務的な口調で答えた。

 グラードはひとつ唸ると、濃紺のファイルを手に取って開いた。

 ファイルの中には、中国の起こした軍事行動に関する衛星写真や、現在の状況、取り得る対処法などの資料がまとめられていた。

 一通り資料に目を通すと、グラードはリチャードの目を見据えて告げた。

「リチャード。我々は武力も辞さない姿勢で世界の平和を脅かすものと戦うと誓った。それは相手がどこだろうと関係ない。すぐに尖閣諸島奪還の作戦を開始する。関係者を集めてくれ」

「了解しました。閣下」

 リチャードは恭しく頭を下げた。しかしその隣で不安げな声が上がった。

「よろしいのですか、閣下……下手をすれば中国と全面戦争になりかねません。大変なリスクではないかと」

 声の主はウィリアム・スミス国務長官だった。彼は白髪交じりの頭に手をやった。

「ウィリアム。さっきも言っただろう」

 グラードはウィリアムに体を向けた。

 グラードの鋭い眼光に射抜かれ、ウィリアムは身震いした。

「我々はもはや妥協しない。世界の平和への挑戦は断固として挫く。それがたとえ大国であったとしてもだ。例外を認めればそこに付け入る輩が現れる。私がこの椅子に座った時点で、もう後には引けないのだ」

「しかし、日本が快く思わないのでは?」

「日本が我が国の同盟国であることに変わりはない。たとえ拒否されようともわが国には守る義務があるだろう」

 グラードの頑なな言葉に、ウィリアムはため息をついた。最初から分かっていたのだ。グラードの意思が固いことは。

「愚か者に、世界に改めて我々の立場を示す機会だ。尖閣諸島からやつらを排除する」

 グラードは決然と言い放った。

 一旦執務室を辞した二人がジョージ・ジョシュア海軍作戦部長、ヘンリー・ジョンソン国防長官を連れて戻ってきたのはちょうど二時間後のことだった。

 危機管理室に移動し、全員がテーブルを囲むように着席したのを確認してグラードは口を開いた。

「諸君。迅速に集合してくれてありがとう。我々が現在直面している問題について話し合おう」

「まず中国がなぜこのような行動に出たのか、その分析から始めなければならないでしょう」

 リチャードはそう指摘し、言葉を続けた。

「近年中国は内外共に成果に乏しく様々な問題を抱えており、国民の間にも不満が広がっていました。今回の行動は国民の目を外に向けさせる目的があるのかもしれません」

「しかしそれだけで今回の軍事行動に踏み切ったと言うには無理がありませんか? 国際的に非難を浴びるのはほぼ確定であり、日本だけではなく台湾とも争っている場所です。直接的な軍事行動を起こすのはリスクが高すぎる」

 リチャードの分析に、ウィリアムが疑問を呈した。リチャードが何事か言う前に、ジョージが口を開いた。

「そうは言っても中国に残された行動の余地があまりなかったのは事実です。軍は中国軍の動きに注意を向けていましたが、南シナ海か台湾、尖閣諸島のどこかで問題を起こすだろうということは予測していました。流石に直接的な行動に出るとは思っていませんでしたが、何かやらかす可能性は非常に高いものでした」

 続けてリチャードが言った。

「各機関から寄せられる情報も、同様のものでした。日本の自衛隊が解散した今、あの海域で中国の相手になるのは我が国か台湾です。しかし、どちらも正面衝突は望まないだろうと踏んだのではないでしょうか」

「つまり、中国の直接的軍事行動に対して、我々は直接的には返さないと?」

 グラードの言葉にリチャードは頷いた。

「そうです。閣下が武力の行使も辞さないことは全世界に知れ渡っています。しかし、中国は腐っても大国。我々も真剣に真正面から事を構えることはしないと思っているのでしょう」

「本当に愚かな……」

 グラードは唸った。それをウィリアムが遮った。

「閣下。中国が追い詰められているのは事実です。内政の不調の解決策を外部に求めるのは昔にもありました。これまで度々領有権に関する問題については強硬的だったがゆえに、並のことでは満足のいく結果は得られないと考えたのでしょう。南シナ海は東南アジア諸国の抵抗が強い。台湾を占領すると戦争は確実。となれば尖閣諸島に目を向けたこと自体は納得できます」

「ふむ。では我々はどうするかだ。殴ってこないと思っているやつらにパンチをかましてやるのは確定している。我々はあそこで何ができる?」

 ジョージが口を開いた。

「ちょうどエンタープライズ空母打撃群がパトロール航海のために台湾海峡に居ます。今すぐに行動を命じれば明後日には展開を完了できるでしょう。海兵隊の方がより近いですが、現場海域に中国軍が少数ながら展開しているため、先行させるのは危険でしょう」

 ウィリアムが驚愕して言った。

「我々が濃密に展開している状況の中で占領を実行したということですか。よほど自分たちの見立てに自信があったのでしょうね」

「その通りだと思います。国務長官閣下。さきほどリスクが高いとおっしゃいましたが、それに見合うリターンも実はあるのです。我々が強大な軍事力を置いている海域において成果を挙げれば、我々の軍事的プレゼンスは相対的に減少し、彼らは増大する。他の係争地においても有利に事を運べるようになる以外にも、彼らは国内での政情を安定化できる。問題は我々がこれまで通り直接衝突を避けるという想定に全面的に依拠していることです。そして彼らは我が国の大統領の強硬度を見誤るという失敗をしでかしたわけですが」

 言い終えると、ジョージは笑みを含みながらグラードに視線を送った。

 グラードはこほんと一つ咳ばらいをして言った。

「迅速な行動が必要だ。時間を与えれば与えるほどやつらは有利になっていくだろう。我々からのメッセージを的確に顔面に突き付けてやらなければならない。エンタープライズ空母打撃群には台湾海峡に睨みを効かせながら、海兵隊の支援にあたってもらいたい。作戦の概要をまとめたら私のところに持ってくるように」

 一旦言葉を切ると、グラードはウィリアムに目を向けた。

「ウィリアム、宣戦布告がなされなかったことも含めて正式に中国政府に抗議する。並行して制裁の準備も進めるように。それと、我々が動くことを日本に通告しなければならない。調整を頼む」

「了解いたしました。閣下」

 グラードは四人の顔をぐるりと見回すと、背もたれに体を預けて言った。

「諸君、必要最小限の行為で最大限の効果を挙げよう。早急に事態を収拾しなければならない」

 

 ***


 2045年11月16日午前11時。

 その艦は夜が明けて間もない洋上に、白い軌跡を真っ直ぐに描いていた。

 一般的な水上艦とは異なる多角錐の上部構造物。乾舷は内傾し、鋭く尖った艦首が波の下で海を貫いていた。

 アメリカ海軍駆逐艦ズムウォルトⅡ。

 ステルス駆逐艦として建造されたズムウォルトを改装し、技術実証艦とした艦である。

 満載排水量16000トン、全長183メートル。目立った変更点は前部砲塔が改装前の2基から1基に減った程度であるが、内部では様々な試みが取り入れられていた。

 艦ミッションセンター(SMC)には戦術AIが搭載され、艦首部にはスーパーキャビテーションシステムのための気泡発生装置が取り付けられた。

 シャーリーと名付けられたその戦術AIは、アメリカ海軍が密かに進めている無人戦闘艦の布石として搭載された。操舵・戦闘など艦の運営に関わる全ての事柄をAIに任せる(もしくは遠隔操作する)という構想だが、ズムウォルトⅡに搭載されたそれはオブザーバーとして助言するという形を取り、AIの判断の的確さや柔軟性を検証するためのものだ。

 スーパーキャビテーションシステムは人為的に艦体を気泡で覆うことで流体中での摩擦を軽減し、高速航行を可能にしようというものだ。一部の魚雷で実用化された技術を応用し、ズムウォルトⅡはカタログスペックでは30ノット程度であるところを最大40ノット程度で航行ができる。

 事実、ズムウォルトⅡは40ノットで台湾海峡を北上していた。

 ジミー・ミッチャー中佐はズムウォルトⅡの艦橋に立っていた。

 今年で40歳になるが、若々しく筋骨隆々の体を維持しており、鼻筋の通ったハンサムな顔立ちはまだ数少ない女性士官の中で密かに話題になっていた。

「艦長、各種のシステムチェックが終了しました。異常ありませんでした」

 彼の傍から発せられた声の主は、ズムウォルトⅡの副長たるビル・ウォード少佐だった。

 キリッとした印象のジミーに対して、ビルは親しみやすい印象であり、物事をそつなくこなす能力の高さにジミーは一目置いていた。

「そうか、わかった。予定通り作戦は行う」

「イエス、サー」

 ビルと入れ替わりで下に向かいながら、ジミーは今回の作戦に思いを巡らせた。

 中国に占領された尖閣諸島を奪還するための作戦で、ズムウォルトⅡに与えられた役割は非常に大きなものだった。


 ・作戦海域に展開する中国軍を退け、エンタープライズ空母打撃群本隊が到着するまで制海権、制空権を握り、維持すること。

 ・尖閣諸島に上陸する海兵隊のため、また後続の航空攻撃のために島の危険要素を除去すること。


 ここまで大きな役割が与えられたのは、ズムウォルトⅡに搭載された各種技術の試験も兼ねてのことだった。

 命令文書の末尾には、空母打撃群司令官レイモンド・コール准将から次の言葉が添えられていた。

『可能な限り暴れろ。しかし無茶はするな』

 狭いタラップをいくつか駆け下りて、ジミーは艦体中央付近に位置するSMCに入った。

 SMCは従来の戦闘指揮所(CIC)を発展させ、主機操縦室や群司令部指揮所の機能を持たせたものだが、ズムウォルトⅡでは改装にあたって群司令部指揮所の機能は撤去され、代わりに戦術AIユニットが組み込まれた。

 二層にわたる高さはそのまま残されており、艦長席は全体を見渡せる二層目に設けられていた。

 薄暗い室内では当直の乗組員たちが目の前のディスプレイに注意を向けていた。

「諸君、異常は無いか」

 ジミーがインカムで尋ねると、各区画からすぐに「異常なし」という報告が続いた。

「さあ、俺たちの初陣だ」

 今度はインカムを切って、呟いた。


 ***


 2045年11月15日午前11時。

「出港準備、完了しました」

「よろしい」

 野村はむらさめの艦橋に居て、今まさにむらさめの指揮を執っていた。

 普段通りに振る舞っていたが、胸中には宇賀に対する後悔の念が湧いていた。

(宇賀さんに知らせるべきでは無かったか……)

 むらさめで行く。そう決めた時、艦長であり尊敬する先輩である宇賀には話を通さなければならない気がしていた。あわよくば共に行ってくれないかと期待してもいた。

 しかし宇賀が渋い反応を返した今となっては、逆に知らせない方が良かったのではないかと思い始めていた。

 下手に知らせたことで宇賀を悩ませ、責任を負わせることになってしまった。

(もう過ぎてしまったことか)

 艦橋の窓の向こうに広がる、晴れ渡る空に目をやって雑念を断とうとした。

 そんな時、予期せぬ声が聞こえた。

「準備は終わったのか」

「⁉ 宇賀さん⁉」

 驚いて振り返ると、そこには確かに制服に身を包んだ宇賀が立っていた。

「こら、艦長、だろ」

「し、失礼しました!」

 慌てて敬礼をする野村に、宇賀は静かに敬礼を返した。

「総員に告ぐ。これより本艦は出港する。機関始動!」

「機関始動、了解!」

 指示を飛ばす宇賀に、野村はためらいがちに尋ねた。

「艦長、良かったのですか……?」

「何がだ?」

「いえ、その……艦長も行くということでしょう?」

 はっはっは、と宇賀は快活に笑った。艦橋に居た全員の目が宇賀に向いたが、そんなことは気にしなかった。

「むらさめ最後の艦長として、その最期はしっかり責任持たないとな……それに、この国を守りたいのは私も同じだ」

 臆することなく言う宇賀に、野村は頭の下がる思いがした。

「両舷微速前進!」

 宇賀の号令でむらさめの艦体がわずかに震え、ゆっくりと動き出した。

 護衛艦むらさめは、今まさに尖閣諸島への航路を進み始めた。


 ***


 2045年11月16日午後9時55分。魚釣島から100キロの海上。

 ズムウォルトⅡは所定の位置に到着していた。

「偵察機とのデータリンク良好。目標解析に入ります」

 総員戦闘態勢が発令された艦内。薄暗いSMCで、ジミーは前方にある3台のモニターの内、真ん中のモニターを見ていた。魚釣島の輪郭が描かれており、そこに偵察機からの画像が重ねられた。データ解析の後にそこに攻撃目標を示す赤い点が次々にプロットされていく。

「艦長、こちら火器管制。ロックオン完了しました」

「こちら艦長、了解。レールを上に挙げろ」

「火器管制、了解」

 主砲の前で前部甲板の一部が割れ、内部に格納された。

 開いた空洞から姿を現したのは、無骨に真っ直ぐ伸びるレールガンの砲身。

 右に少し旋回し、仰角を調整した。

「艦長、こちら火器管制。弾道修正完了。いつでも撃てます」

 ジミーがちらりと左手にはめた腕時計を見ると、時刻は……午後十時ジャスト。

「こちら艦長。作戦開始だ。ぶっ放せ」

「火器管制、了解!」

 発射ボタンが押されるとともに、前部甲板ではプラズマが煌めいた。

 ストロボのごとく発光は繰り返され、その度にズムウォルトⅡの艦影が浮かんでは消えた。

 電磁誘導によって撃ち出される砲弾には、爆薬の類はいっさい無い。

 純粋な質量兵器――運動エネルギーのみで目標を排除する――なのだ。

 ズムウォルトⅡの甲板でレールガンが砲弾を吐き出し続けていた時、魚釣島では陣地の設営が進んでいた。


 ***


 魚釣島に上陸した特務大隊を指揮する宋翔中校は、満天の星空を見上げた。

 2個特務中隊と2個設営中隊を隷下に置く彼は、頭上の星々の光ですら晴らすことのできない不安を抱えていた。

(何事もなく帰れれば良いが……)

 宋に与えられた任務は、魚釣島の占領と安定した陣地の構築。それが終われば彼は本土に帰還し、2階級特進で大校になることが約束されていた。

 しかし彼は今回の作戦を危険なものだと考えていた。

(台湾と米国が黙っている訳が無い)

 現に、米国の空母が動き出したという。

 この時点でもはや上層部の見立ては崩れたのだが、それでもなお上層部は、軍事的衝突はありえないと請け負った。

(唯々諾々と従わなければならないとは、なんと情けないことか)

 自分のために、家族のために今回の任務を引き受けないわけにはいかなかった。もちろん、上層部の意向を表だって批判する訳にもいかなかった。

(せめて、人事は尽くそう)

 拳を握り込み、目線を下げた。眼前では防空陣地の設営が終わろうとしていた。

「同志中校。防空陣地の設営、完了しました」

「ご苦労。防衛線の構築を急げ」

 駆け寄ってきた若い青年兵にそう告げると、彼は踵を返して別の設営場所に向かおうとした。

 しかし突如、彼は爆風によって地面に押し倒された。伏しながら背後を見ると、幾人かの兵士が地面にへたり込んでいるのが目に入った。

「おい、お前たち! 何をやって……」

 言いかけて、すぐに気が付いた。

 目の前の対空砲がひしゃげているのだ。人力ではありえない、異常なほどに。

「な、何が起きて……」

 混乱する彼の前で、次々と対空砲がひしゃげていく。

 たちまち特務大隊は統率を失った。


 ***


 1発目発射から15分後。発光はやんで、闇と波の音が戻って来た。

「命中確認中……」

 尖閣諸島はるか上空を飛ぶ偵察機とのデータリンクで、SMCのモニターにプロットされた目標に×印が重なっていく。

「全弾命中! 撃破率100パーセントです!」

「これ以上ない成果だな。操舵、こちら艦長。両舷微速前進、面舵5度」

「両舷微速前進、面舵5度、了解!」

「これより本艦は電波管制を開始する。さあ、やつらの海軍にも挨拶するぞ……」

 事前情報によると、中国軍の艦艇が四隻、魚釣島から200キロの海上に居るはずだった。

 ズムウォルトⅡは新たな獲物を求めて、闇に隠れて待ち伏せを始めた。


 ***


 約1時間後。

「艦長、探知機がレーダー波を探知しました。解析中です」

「こちら艦長、了解」

 ジミーは手元のディスプレイに戦況図を呼び出した。ズムウォルトⅡに向かう四つの点が表示された。進路軸はズムウォルトⅡのものと平行――つまり互いにほぼ正面から接近していた――だった。

「解析終了。目標を発見です!」

 シャーリーからの交戦開始を勧告するポップアップがジミーの手元で開いた。

「向こうはこちらに気付いていると思うか?」

「いいえ。走査パターンに変化ありません」

 ズムウォルトⅡのレーダー反射断面積が最小となる方向から接近しているためか、相手はズムウォルトⅡに気付いていないようだった。

(実に都合が良い)

 ジミーはディスプレイの光の中で、にやりと口を歪めた。

「全レーダー、アクティブ。電子戦開始! イージス、〈半自動〉に設定、交戦開始!」

 ズムウォルトⅡは戦闘艦としての本性を明らかにした。

 四隻のレーダーにはホワイトノイズが流し込まれ、目潰しを受けたように何も見えなくなった。

 前部VLS(垂直発射システム)のハッチが開き、ハープーンが8発空に舞い上がった。星明りを無にする爆炎と共に轟音を轟かせ、獲物を求めて飛翔する。

 ズムウォルトⅡから約30キロ離れたところでは、駆逐艦西寧、銀川、杭州、福州の4隻が混乱に陥っていた。

 実際にはわずかな間だったが、ズムウォルトⅡから飛び立ったハープーン8発にとっては、その程度の時間で十分だった。

 4隻の戦闘態勢が整った時には既に、ハープーンは至近距離まで迫っていた。

 杭州と福州はズムウォルトⅡに比較的近かったこともあり、迎撃はワン・テンポ間に合わなかった。1発目が艦橋下部に着弾して上部構造物の前部を粉砕し、2発目は前部VLS付近に着弾してミサイルの誘爆を招いた。

 周囲に轟く大爆発により、2隻は艦体前部の大半を失って隊列から落伍した。

 西寧と銀川はかろうじてCIWS(近接防御火器システム)による迎撃が間に合った。しかし、銀川は迎撃したハープーンの内1発が間近で爆発し、艦橋、前部フェーズドアレイレーダー、CIWSに若干の被害を負った。

 後に続いていた2隻は沈みゆく前方の2隻を回避するために回頭し、大きく陣形を崩してしまった。

 イージスでその様子を捉えていたズムウォルトⅡのSMCでは歓声が上がった。

「静かに。まだ喜ぶのは早いぞ。あと2隻残っているからな」

 ジミーは歓声を制してモニターに目を向けた。

 大きく左右に回頭している2隻は、ちょうどズムウォルトⅡに舷側を見せる格好になっていた。

 シャーリーがポップアップで追撃を進言していたが、言われずともジミーはその気だった。

「残りの2隻にもハープーンを撃て!」

 再びVLSのハッチが開き、2隻それぞれに2発ずつ、新たに4発のハープーンが飛び立った。

 残った西寧、銀川は無抵抗では無かった。ハープーンを撃ちおとそうと海紅旗九をVLSから発射し、チャフを撒いた。さらにそれぞれが2発の鷹撃六二を発射した。

「こちらに向かうミサイル4発を補足!」

「ESSM(発展型シースパロー)発射、チャフ散開!」

 新たな8発の細身のミサイルが発射され、ブースターの炎にズムウォルトⅡが照らされた。

 各々のミサイルが闇に飛び交い、静寂を破る爆発をもたらした。

 ESSMで撃墜できたのは半数の2発、そしてチャフで逃れたのは1発。残りのもう1発はズムウォルトⅡの小さなレーダー反射断面積を捉え、海面上5メートルの高さを飛行した。

 ズムウォルトⅡから5キロ地点に至ると鷹撃六二は上昇し、シーカーを起動させた。

 CIWSが砲門を鷹撃六二に向け、砲弾をばらまいた。上昇中だった鷹撃は撃ち抜かれ、途中で爆発して散った。

「すべて撃墜! やりました!」

「相手もなかなかだな」

 戦況図を見ながら、ジミーは素直にそう評した。

 事実、ズムウォルトⅡが発射したハープーンはすべて撃墜、もしくは目標を見失って爆発した。

「ハープーンをさらに4発、発射します」

 イージスからの言葉通り、三度ズムウォルトⅡの甲板が炎に照らされた。

 西寧と銀川はさきほどと同様の回避行動と迎撃を試みた。

 今度は2発の鷹撃六二がズムウォルトⅡに向かって発射された。

(これではどうにもならないな)

 ESSMが発射されるくぐもった音を耳に感じながら、ジミーは考えた。

 西寧も銀川もズムウォルトⅡも、またもや個艦防衛に成功していた。

 彼我の戦力差はほぼ無し。しかし数は向こうが多い以上、戦いを長引かせるのは得策とは言えなかった。それに、奇襲で始まったことによる優位が、時間が経つごとに失われていく。

(どうすれば良い……?)

 シャーリーのポップアップを見るが、有効と思われる打開策は示してくれなかった。

 接敵から1時間、搭載されたハープーンの半数を消費して、銀川を戦闘不能に追い込んだのが精一杯だった。

(そろそろ潮時か)

 既に魚釣島の危険は排除し、周辺を遊弋していた艦隊にも打撃を与えた。レイモンド・コール准将の言葉が脳裏に浮かんだ。

 ジミーが撤退を指示しようとした矢先、イージスから報告が上がった。

「艦長、こちらイージス。所属不明艦を発見」

「敵性の識別を急げ!」

 もし増援だったら――戦況図に示された所属不明艦のアイコンを見てそんな考えがよぎった。

 所属不明艦は北東方向から戦闘海域に進入しつつあった。

「IFF識別中……こ、これは」

 イージスからの声が絶句するように途絶えた。ジミーは思わず苛立ちを露わにした。

「イージス。ありえないようなことでも報告する義務がある」

「し、失礼しました。これは、これは海上自衛隊です! 海上自衛隊です!」

 今度は、ジミーが絶句する番だった。シャーリーも「ありえない」として困惑していた。

 解体されたはずの海上自衛隊が、なぜここにいる?

 ジミーは信じられない思いで、友軍に変わったアイコンを見た。


 ***


 むらさめのCICでは、ズムウォルトⅡとの通信が行われていた。

『こちらはアメリカ海軍第七艦隊所属駆逐艦ズムウォルトⅡ、艦長のジミー・ミッチャー中佐である。貴艦の名と所属を述べよ』

「こちらは海上自衛隊第2護衛隊群第2護衛隊所属護衛艦むらさめ、艦長の宇賀幸重1等海佐である」

『なぜ海上自衛隊がこの海域に居るのか理由を聞かせてもらいたい』

 怪訝そうなジミーの声に、宇賀は微笑んでしまった。

「有事につき、我々の本来の職務を果たすために来た。貴艦の戦闘に助力したい」

 しばらく、反応は無かった。

 当然だろう。そう宇賀は思った。

『……貴艦の協力に感謝する。データリンクは指定する周波数を使用してくれ』

 そう告げるジミーの声には、わずかな迷いが感じられた。

「こちらむらさめ、了解」

 宇賀は一旦外部通信から艦内通信に切り替え、指示を出した。

「イージス、〈半自動〉に設定、ズムウォルトⅡとの回線を開け!」

 宇賀の声には、迷いは無かった。


 ***

 

 西寧は撤退しようとしていた。

 むらさめの参戦により、形勢が不利になったと考えたからだ。

 ジミーは中国本土へ向けてまっすぐ針路を取った敵艦の意図を即座に読み取り、追撃を中止しようと決意した。

「ミサイルを4発確認しました」

「ESSM発射。続けてハープーンを二発発射しろ」

 発射されたミサイルを撤退のためのものと見抜き、ささやかなお返しにとハープーンを発射させた。

 執拗に被弾を避け続けた西寧はまたしても回避した。

 やがて戦闘海域から艦影が消えると、ジミーは静かに息を吐いた。

 これで戦闘終了、そう思った時。

「こちらソナー、水中に感あり! 方位0-1-5!」

 ソナーから半ば叫ぶような声が届いた。

 ジミーが口を開く前に、もう一度ソナーの声が入った。

「水中推進音複数! 方位0-1-4、0-1-6! 分類:魚雷!」

「回避! デコイ用意!」

 ズムウォルトⅡの巨大な艦体が、回避機動のために大きく傾いた。

 魚雷の出現点は、ズムウォルトⅡから見てむらさめを挟んだ向こう側だった。

 むらさめも同様に回避機動を取っていたが、間に合わないことは明白だった。魚雷の発射点がむらさめにあまりにも近かった。

 ジミーはインカムのスイッチを入れた。

「ASROC(対潜ミサイル)で叩けるか?」

「はい。しかし、むらさめは……」

「言うな。ASROCを出現点に叩き込んでやれ」

「了解」

 ASROCが2発、炎の尾を引いて飛び立った。

(当たらないでくれよ)

 むらさめを示すアイコンと魚雷を示すアイコンを見つめて、ジミーはそう願うことしかできなかった。


 ***


「回避! デコイ射出!」

 CICで宇賀が叫ぶと、むらさめは急激な方向転換を始めた。

 急な傾斜に滑り落ちないようにしながら、宇賀は回避機動がほとんど意味をなさないことを感じていた。

 魚雷はむらさめからほど近い地点から発射されていた。回避機動を行うだけの余裕は残されていたが、この距離ではしっかりむらさめの水中音をつかまれているはずだ。

(頼む、逸れてくれ……!)

 半ば祈るようにディスプレイに映る戦況図を睨んだ。

 刻一刻と魚雷を示すアイコンが近づく。

 数秒後、2つの魚雷のうちの1つがデコイのアイコンと重なった。

「こちらソナー、水中に爆発音! デコイを破壊した模様!」

 ソナーから喜びをにじませた声が上がった。

「まだ1つ残っている。総員、衝撃に備えろ」

 自分でもほっとしそうになる心を引き締めながら、対応策を必死に練った。

 もう1発の魚雷は残りのデコイに脇目も振らず、真っ直ぐにむらさめへと向かっている。回避は不可能だ。

(考えろ、考えろ……!)

 もう当たってしまうのはどうしようもない。いや、本当にどうしようもないのか……?

 のろのろと時間が過ぎていくように感じられた。宇賀の額から汗が滴り落ち、ディスプレイの上ではねた。

 むらさめはあらん限りの力を振り絞って海上を驀進していた。

 魚雷のアイコンが、ついにむらさめのアイコンのすぐそばに迫った。

「面舵一杯!」

 宇賀の指示に応じて、むらさめは右に傾斜して回頭を始めた。

 せめて魚雷の当たる場所を、艦体の中心から遠ざけようとする精一杯の抵抗だった。

「総員、衝撃に備えろ!」

 宇賀の言葉が終わると同時に、魚雷は右舷後部の下に潜り込んで爆発した。

 爆発によって艦尾が大きく持ち上がった。逆に艦首は海中に沈み、前部甲板を少し波が洗った。急激に持ち上がった艦尾は、しばらくその体勢を維持した後ゆっくりと元に戻り始めた。最後は叩きつけるように海面へと戻った。そして前後に揺れながら、次第にむらさめは姿勢のバランスを取り戻した。

 着弾時にCICで大きくよろけながら、宇賀は必死にディスプレイの端にしがみついていた。揺れで右足を捻り、その激痛で声を上げそうになったが、唇を血がにじむほど強く噛んでこらえた。

 やがて艦体の揺れと悲鳴のようなきしむ音が収まり始めるのを、宇賀は信じられない気持ちで感じていた。

 艦体は少し歪み、右舷に開いた穴から海水が大量に流れ込んで来ていたが、奇跡的に浮かんでいた。

「各部署、損害報告」

 宇賀は衝撃で捻った足首の痛みに耐えながらCICの中を見回した。

「イージス、異常ありません」

「ソナー、同じく」

「通信、同じく」

 次々と続く「異常なし」の報告。もちろん、右舷艦尾は被害を受け浸水が続いていたが、それ以外には大きな被害は出ていなかった。夢かと思うほどに。

 しかし、唯一と言っていい右舷艦尾の被害は、かなり大きかった。

「艦長、現状では作戦機動はおろかミサイルの発射にすら支障を来します。総員退艦を進言します」

 被害の確認にあたっていた野村が、CICで宇賀に報告した。

 宇賀は長く考えこんでから口を開いた。

「機関部は生きているか?」

「左舷機関部は問題なく使用できそうです」

「速度は何ノットまで出せる?」

「安全を考慮して5ノットが限界かと」

「よし、わかった」

 宇賀は顔を上げ、野村の目を見据えた。

「総員退艦はもう少し先だ、野村。むらさめを動かす」

「正気ですか⁉」

 驚いて野村は声が大きくなった。自然とCIC中の視線が2人に集まった。

「正気だ。機関始動、左舷微速前進。面舵5度」

「左舷微速前進、面舵5度、了解」

 ゆっくりと、むらさめの巨大な艦体が前へと進み始めた。

 野村は宇賀に詰め寄って声を潜めた。

「どうなさるおつもりですか」

 宇賀は、変わらぬ調子で言った。

「島に乗り上げ、固定砲台とする」

 野村は目を見開いて言葉を失った。

 宇賀はただ前だけを見据えていた。


 ***


 ズムウォルトⅡが発射したASROCは、逃げおおせようとした晋級原子力潜水艦の鼻先に着水した。

「ASROCのモーター始動を確認。行け、行け、行け……」

 潜水艦の目の前に落とされたがゆえに、晋級には回避する時間は与えられなかった。魚雷を撃ち返す時間さえも。

「水中に爆発音……二次爆発を感知! 敵潜水艦を沈めた模様!」

 ソナーからの報告に、SMCでは小さな歓声が上がった。

 ジミーはその歓声を止めなかった。

「イージス、敵影はあるか?」

「いいえ、ありません」

「よし。警戒はおこたるなよ」

「了解」

「両舷半速前進、取り舵10度。さあ、傷ついた僚艦を助けに行くぞ」

 ズムウォルトⅡはゆっくりと回頭し、傷つきなおも浮かぶむらさめの救援へと針路を取った。


 ***


 ゴリゴリと削れるような音を立てて、むらさめは浅瀬に乗り上げた。

「総員退艦用意!」

 宇賀の命で後部甲板に集まった乗組員たちによる君が代の斉唱に合わせて、艦尾の護衛艦旗が下げられた。

「己の信念を貫いた友たちに、敬礼!」

 沖合に停泊するズムウォルトⅡの甲板には乗組員が1列に並び、護衛艦旗が下ろされる間敬礼をしていた。

「総員退艦!」

 むらさめとズムウォルトⅡに積載されていたボートで、乗組員は皆ズムウォルトⅡへ移った。

 宇賀はボートの上からむらさめの最期の姿を見つめ、自然と手を挙げた。

(ありがとう。ご苦労様。君の艦長であったことを誇りに思う)

 ズムウォルトⅡに着くまで、宇賀は敬礼をし続けた。


 ***


 2045年11月22日午後6時。

「今回の事件は人民解放軍内の急進派の暴走によって起きたものであり、我々政府は何ら指示を下していません。しかしながら関係諸国に影響を与えたことを考慮し、事件の首謀者と実行犯には厳重な処罰を下します……」

 スクリーンに投影されたニュース画像の真ん中には、記者会見に臨む劉玄重中華人民共和国国家主席の姿があった。劉国家主席の言葉はすぐに英訳され、音声が被されていた。

 プツ、とリチャード大統領首席補佐官が映像を切った。

「中国は更なる軍事行動には出てきませんでしたね」

「我々の対応が予想外で今回は大人しく引き下がったんだろう。全然大人しくは無いがな」

 グラードはしかめっ面で答えた。

「日本は今回の事件で変わるでしょうか」

「どうだろうな。あの国は今、サムライの行動について世論が荒れている。変化があるとして、悪い方向にしか転ばないんじゃないかと心配だよ。それはそうと、我が国内の世論はどうだ?」

 リチャードは手元のメモに目を落として答えた。

「おおむね支持を受けています。ライバルたちは声高に非難していますが、評価する人の方が勝っています」

「そう、か……」

 グラードは椅子から立ち上がると、大統領執務室の窓から暮れた空を見上げた。

「世界を滅ぼす結果にならなくて良かったと、心底神に感謝しなければなりません」

「まったくだ。自分の選んだ行動が正しかったかどうかは、後からわかることだ。我々は正しいと信じた道を選び、進んでいくしかないんだ」

「これからが大変です、閣下」

「ああ、そうだな」

 再び椅子に座り、グラードはため息をついた。

「たとえ悪魔と呼ばれることになろうとも、今回のサムライのように私は戦い抜く。この命の限りな」

「では大統領閣下。さっそくお仕事です。1時間後に記者会見が予定されています。また、農業政策について上院議員との会談が――」

 リチャードの話の途中で、グラードは笑い声をあげた。

「やれやれ、神経をすり減らす戦いをしたというのに、休む暇もないな」

 そして前かがみになってリチャードを見た。

「我々にはまだまだやるべきことがある。そうだな、リチャード?」

「ええ、その通りです」

 リチャードは不敵に微笑んだ。


 ***


 2年後の2047年11月15日。

 横須賀に、2隻のアメリカ海軍艦艇が入港した。

 1隻は艦種記号DDG 艦番号1000 艦名はZumwalt2

 1隻は艦種記号DDG 艦番号1100 艦名はMurasame

 この2隻は第1特別任務部隊として第7艦隊隷下に置かれることになった。

 再び、守るために。

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自衛隊解体 水無月せきな @minadukisekina

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