花はひとりでいきてゆく

市來 茉莉

1.月に叢雲、花に風

 月に叢雲、花に風。

 よいことには、とかく邪魔が入りやすいもの。


 姉の美月が事故を起こしてあっけなく他界した。

 三歳のちいさな息子と夫を残して。

 その時、花南(カナ)はまだ学生。親の脛を大いに囓って、芸大生を謳歌していた最中に。

   

 七つ離れた大人の姉は、カナの憧れであって、最大の味方でもあったから、突然の死が受けいられず何日号泣したかわからない。

 いまカナが恵まれた環境で、『ガラス職人』でいられるのは、姉のおかげでもあったから。

   

 姉は妹のカナを本気で『工芸作家』にしようとしてくれていた。

 カナの仲間の作品にも目を配ってくれ、カナの工芸グループの『パトロネス』になるつもりでいたらしく、学生グループのうちからバックアップをしてくれた。

 おっとりお嬢様の雰囲気に溢れている姉だけれど、優等生で社交的。そんな姉の行動は早かった。

 先輩作家が創作したおおぶりトンボ玉のネックレスは、姉が首につけてくれると人目を惹いた。ただ展示しているだけでは見向きもされなかった奇抜な作品が、如何にもお嬢様な姉がつけることで、この界隈を締めている政財界の夫人達に知れることにもなった。

 『倉重のお嬢様が目にかけている若手作家の個性的な作品』だと、流通にない物珍しさもあって、一時的だったが夫人方が夢中になってくれた。

 学友達と、姉の注文に添って作成したアクセに、テーブルウエアは数知れず。姉は専業主婦ではあったが、カナ達にとっては優秀な営業マンでもあった。

 妹の作品を、身につけ、自宅で使い、夫人方に惚れさせてくれた。

 その姉と来たら、家業には厳しい父にまで売り込んでくれるようになった。

 なんと、父が経営するホテルの土産物売り場に、学生グループの作品を置いてくれるよう頼んだのだった。

 最初は渋っていた父だったが、既に姉がカナの作品を各方面へ名を売り知れ渡るようにしてくれたので、試しに――と置いてくれることに。

 手作りのトンボ玉が飛ぶように売れるという結果を招いた。

 だが姉の逝去で、ぷっつりとそのバックアップがなくなることに。姉の力を借りていたカナの講師も、カナと活動をしていたグループも解散をした。

 しばし、真っ当な苦労をすることになる。だがこれはカナにとってはいちばんの経験となる。それでも姉の死を忘れられず……。ガラスを吹いて過ごした、涙と一緒に。

 その数年後。この地方で廃れた『ガラス』を復活させようという動きが見えた頃。その波に乗って今度、カナを助けてくれたのは、姉の夫『義兄』。

 

   

 姉が逝って十年が過ぎた。

   

 今年もカナの庭に、ささやかながらシャクヤクが咲き始めた。

 切り花にして、生けよう。花鋏を片手に庭に出ていた。

   

 今日は、黒いスーツ姿の彼が来ている。

 

「おまえの切子グラス、やはり評判がいいらしい。もう少し造ってくれないかと工房に頼まれた」

 シャクヤクを生けたダイニングテーブルに、骨張った大きな手が、群青色のグラスをことりと置いた。

 すべて売れたと聞いたのに。義兄は何故か、カナが制作した切子グラスを持っている。

 幾何学模様の柄をすり抜けていく昼下がりの日射しがテーブルに映る。その文様を義兄が静かに見つめている。いつも険しいしかめっ面の義兄だけれど、その硬い眼差しが、きらめきを見つけて少しでもやわらいだ――と、思いたくなる。

「いいよ。前回と同じ文様がいいですか」

「カナの好きにしていいと言われている。出来るのか。他にも仕事があるのだろう」

「義兄さんの頼みを断れると思う?」

 無精髭の顔が、ちょっと困ったように口元を曲げている。

「俺じゃない。工房からの頼みだ」

「義兄さんの会社でしょう」

「いやなら断ってくれてもいい。どうせ、カナが造ったものはすぐに売れてしまう。キリがない」

 彼がネクタイを緩めながらため息をついた。

 庭で咲いたばかりのシャクヤクを切りばさみで落としていると、それまで話しかけてきた義兄が静かになった。義兄が饒舌に話すのは、仕事の話だけ。いや、もうひとつ。姉が遺していった息子のことはよく話す。他に会話がないわけではないが、彼はどちらかというと無口。いつもそう、仕事など必要最低限の話が終わると静かになる。

 製作所を兼ねたこの一軒家も、この義兄が見つけてくれた。芸術家は、いいパトロンを見つけるのも才能で仕事でもある。

 カナは恵まれている。父親がこの地方のちょっとした資産家でホテル持ちの名が知れた社長で、そして、歳が離れた姉に作品を愛してもらい、家族がパトロン、そのまま後ろ盾。

 同業者にはよく妬まれる。一緒に学んできた芸大の学友達の中でも、この恩恵を一緒に授かろうと仲間になってくれる者もいれば、作家としてのプライドがないと蔑む学友もいた。親が最初から金持ちで、人脈があって、家族がなにもかも手助けをしてくれて生意気に作家を名乗っている。『末のお嬢様の道楽じゃないか』と。

 逆に、腹の中ではなにを思っているのかわからない愛想で近づいてくる者もいる。が、これでもカナには人の腹がわかる勘があり、人の底意地には敏感だったので、もうこちらからは近づかない。

 いまはそんなマイナスを運んできそうな者は、義兄が見極めてくれ、カナが制作に専念できるように気を配ってくれている。義兄さんはいいパトロン――と、呼んでいる。

   

 そんな頼もしい義兄は、姉と結婚する時に『婿入り』してくれた。父と養子縁組をし、姉とは婚姻を。元より、父が気に入って姉と結婚させたようなもの。つまり見合い結婚。

 姉と義兄は相性が良かったらしく、見合い結婚だったはずなのに、まるで恋愛結婚のような幸せな新婚生活をみせつけてくれたものだった。

 父が気に入っただけあって、義兄はみるみる間に父の右腕となるやり手の婿殿となった。

 ただ。姉はそんな義兄を見届けるまでには至らず、まだ新婚といっても良い時に、逝ってしまったから。

   

 姉さん、どうして。

   

 腑に落ちない。姉の事故には不可解なものがある。

 姉の車は夜遅く、萩の海に転落した。ブレーキ跡がないことから、居眠り運転だったのではないかと結論づけられた。

 夜中に。どうして。大人しく眠っている小さな息子を置いて、仲睦まじく耽る夜を分け合っていたはずの夫を置いて。

 誰もが『夜中にふらりとでかけるような美月ではない』と訝しんだ。それでも、もう理由もわからず、居眠り運転で転落とされた。

   

 しかし。カナには胸迫るものがあった。

   

 誰にも言わないで。カナ。お願い。

   

 姉には秘密がある。妹のカナしか知らない秘密がある。

   

 それが関係しているような気がしてならない。でも、誰にも相談できない。

   

 秘密を抱えたまま、十年が過ぎた。

 小さかった甥っ子の航(わたる)が中学生になり、義兄は父の補佐である副社長を務めながら、地域に貢献できる産業をとガラス工房の会社を起こした。

 義兄は跡取り孫の父親として、倉重観光グループの婿殿として、その手腕を存分に発揮している。親族にも認められ、姉が亡き後も倉重家の一員として籍を置いたまま。

 息子のために、亡くなった妻のためにと、邁進し続ける義兄。そんな彼に相談なんかできるはずもない。

 きっと、姉が一番知られたくなかった人だから。

 そして姉がもし、その秘密のせいで死んでしまったとしても、そうでなくても、義兄もきっとカナと同じように『気がついてしまうだろう』から。

 

「やらなくてはならない仕事がある。ここ、借りるぞ」

 そんなことはなにも知らず、十年も息子のために、倉重家の男として生きてきた義兄。

 この家の主であることが当たり前のように、カナが暮らしているリビングで、仕事をするためにもってきたノートパソコンをセットする。

 シャクヤクをもう一輪、切り落とす。手に取りリビングに戻り、義兄が集中し始めた傍にあるガラス花瓶に挿した。先に生けてあったシャクヤクとの形を整える。

 生け終えた手を離そうとしたら、仕事の画面に夢中だったはずの義兄の手が、カナの手を掴んでいた。

「今夜、泊まっていく」

 目も見ず、仕事の横顔でひとことだけ。

「どうぞ」

 実家は日本海の古い街ある。だがカナは西の京と呼ばれる市街に住まう。遠く離れた義妹のガラス製作一軒家に、義兄はひと月に二、三度『様子伺い』と称して訪ねてくる。

 そしてそれは、ふたりがあらゆる関係を絡ませているものを、ほどく日。絡みに絡んだしがらみを、宵闇に潜んでふたりだけでほぐしてしまう。

 シーツの上でほどけたふたり。男と女というとシンプルな関係だけが残る。それはとても淫靡ではしたない重篤な関係。

   

 サビエル聖堂の鐘が鳴る刻――。

 義兄は黒いネクタイをほどいた。

   

 月に叢雲、花に風。

 姉は月、妹は花。

 父は名付けを誤ったのだと、カナは思っている。


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