エピローグ いつまでも燃え続ける星

 異次元ゲートを抜けて、ユカリオンとリオンナイトは夜の闇が広がる処分場へ降り立った。

 降り立つと同時に、2人は変身を解いた。由香利は優人の胸に顔を埋めたまま泣いていた。

 2人は力なく地面にへたり込んだ。由香利は優人の腕の中で泣き続けていた。

 手に持った早田の白衣に気づくと、白衣を顔に近づけて、頬ずりした。いつもの早田の残り香が由香利の鼻をくすぐって、さらに涙が溢れ出た。


 そして由香利は、やっと母が死んだ時の事を思い出した。

 アルファが封印していた、辛い記憶。ずっと、もやがかかっていた霧が晴れていくような感覚だった。


 幼い由香利は、やはり今と同じように泣いていた。どれだけ重三郎や早田が言葉をかけても、由香利の涙は止まらなかったし、泣くのが止んだと思ったら、今度は何も感じられなくなった。突然世界が灰色になってしまったように、由香利は何も考えなくなってしまった。消えてしまいたい。何度もそう思った。

 その時に、早田が読んでくれた絵本があった。早田は何故か、その本だけを繰り返し由香利に読んで聞かせた。無反応になってしまった由香利の心に届くまで、何度でも、辛抱強く。


「――あの人は、よだかだったのかな」


 突然由香利の意識が12歳に戻った。その柔らかな声は早田ではなく、優人の声だった。

「よだかの星……?」

 そして優人は、一字一句間違えずに、『よだかの星』の冒頭を諳んじてみせた。その語る声は柔らかく、いつまでも聞いていたいと由香利は思った。

「……早田さんは、異次元ゲートに入る前に呟いてた。『焼けて死んでもかまわない』って。そして、君のお父さんにも言っていた『』って。あの人は、よだかの星を知っていたの?」

「うん。よだかの星、何度も読み聞かせてくれた。他の宮沢賢治の作品も、たくさん読んでくれたけど、よだかの星は、その中でも、何度も、何度も……」

 そして由香利は思い出した。司書の先生から聞いた話を。

「優人くんも、よだかの星、好き、なんだよね。暗記できるくらいなんだもの」

「好き、なのかな。僕は、よだかみたいになりたかった。高く高く飛んで、燃えて、星になりたいって」

 優人は首にかかった、ペンダントの紐を握り締める。

「あの人は僕にこれを託してくれた。僕が、由香利を守れるようにって。それは、ずっとあの人が、君にしていた事だよね」

「うん、早田さんは、いつも私を守ってくれていた。優しかった……。宇宙人だったけど、本当の叔父さんじゃなかったけど、そんな事関係なかった。私の大事な、お兄さんなの」

 由香利はたくさん早田の事を伝えたかった。早田がどんな人だったのか、どんなに優しくて素敵だったかを、優人に知って欲しかった。

 由香利は早田の事を、たくさん話した。

 宇宙からやってきた事、リオンスーツを、重三郎と共に作ってくれた事。

 料理と家事が得意だった事、実は家族の中で一番怒らせると怖かった事、いつでも由香利と重三郎の事を心配し、気にかけてくれていた事。

 優人は由香利の話を、時々相槌を打ちながら聞いてくれた。時折流れる涙で話が中断しても、優人は最後まで、辛抱強く聞いてくれた。

 そして、由香利の話を一通り聞いた後、優人は空を見上げ、ポツリと呟いた。

「きっと、あの人は、高く飛んで燃えたんだ。由香利や、由香利のお父さん、そして僕を助けるために」

 優人の頬に涙が流れた。まるで由香利の気持ちと同調したように、しゃくりを上げて泣き出した。そして、その言葉で、由香利は改めて、早田が『よだかの星』を語って聞かせた気持ちが、少しだけ分かった気がした。

 自分の身をとして、由香利と、重三郎と、早田の命を救った、由利への罪悪感。宇宙人の自分をも守ってくれた、その大きな自己犠牲。

 自分が生き残り、幸せな家族との時間を過ごしている事に、もしも大きな罪の意識を感じていたとしたら。

 いつか自分が由利と同じような立場になった時、その身を燃やす事が出来るように……。

 あの笑顔の下に、そんな気持ちと、この星で長く生きられない身体の事を隠していたとしたら。

 もちろん、今となっては推測でしかなかった。よだかの星の主題とは、少し違うかもしれない。しかしそれでも、早田も優人も、そして由香利も、その物語に心揺さぶられた。

 2人はまた、泣いた。早田のために、生き残ったお互いのために。そして泣いているうちに、地平線から、燃えるような橙色と、青色のグラデーションが現れた。


 夜明けが訪れたのだった。


 ふと気がつくと、倒れていた重三郎が上半身を起き上がらせ、呆けた顔で夜明けを見ていた。やっと泣き止んだ由香利は、優人の腕から離れて、重三郎の前に座った。

「ただいま、お父さん」

「おかえり、由香利」

「早田さんが……」

 えっ、と由香利は声を上げた。父親はずっと、この地上で眠っていたはずだった。

「分かってたんだ、あいつがいつか宇宙に戻る事。最期の姿を僕に見せない事。あいつ、精神感応が使えるだろ。だから、気を失う時に伝えやがった。……ほら、空に星が光った。あれ、きっと早田だ」

 重三郎は呆けた顔のまま、空を指差した。きらりと何かが燃えるような光があった。見間違いかもしれなかった。朝日が段々と顔を覗かせていたからだ。

「お父さん、早田さんが『愛してました』って」

 由香利はそのまま、早田の言葉を伝えた。男の人が男の人に「愛してる」という事に、少しだけ不思議な気持ちがあったが、この2人ならば、それでもいい気がしていた。

「それも知ってる、僕も早田を愛してたよ。あいつとどれくらい一緒にいたと思ってる。あいつは僕の弟だ。僕と由香利の事を何でも知ってる、ずるい奴だったよ」

 そこで初めて、重三郎の目に光るものが見えた。握り締めた拳がぷるぷると震えていた。しかし、何度か瞬きをして、涙をごまかすと、掛け声をかけて突然立ち上がった。

「さ、2人とも、家に帰るぞ。由香利も榊乃くんも疲れただろう。家でゆっくり休もうじゃないか、今日は土曜日だろう? 学校も仕事も休み、休み!」

 重三郎はおどけるように笑った。

 父として、大人として、子供たちを導くのが僕の使命だといわんばかりの顔だった。

「今は、君たちの事を考えなくてはね」

 父の思いを感じ取った由香利は頷く。しかし、優人だけは困ったような、遠慮するような顔でそのまま地面に座っていた。

「こら、榊乃くん、君も。さあ、一緒に行くぞ」

「僕、ですか。でも僕は――」

「気にするな。君はこれから、色々しなくちゃいけない事があるだろう?」

「行こう、優人くん」

 由香利と重三郎が、それぞれ優人の右手と左手をつかんで、ゆっくり身体を引き上げた。由香利の柔らかい手と、重三郎の、ごつごつした父親のような手に繫がれると、優人は俯いた。

「暖かい……」

 そして呟いた。こぼれるような囁きだった。しかしその言葉には、今まで違って、幸せをかみ締める声音が含まれていた。

「お願いです。僕の家に……母さんの様子を、見に行きたいんです」

 優人は顔を上げて、はっきりと言った。これからの自分の未来と向き合う意志が、琥珀色の瞳に現れていた。

 そして空には太陽が上っていた。真っ青な空と、燦燦と輝く橙色の太陽がまぶしくて、由香利は目を瞑った。そして、手を繋いだまま、空へと想いを馳せた。


(お母さん、早田さん。私と、私の大事な人たちはここに居ます。これからも色んな事があると思います。でも、私は負けません。一緒に戦ってくれて、信じてくれる人がいます。だから、2人とも、見ていてください。私たちが、生きる姿を)


 由香利は強く願い、誓った。


 この世界で生きるための、強い意志の力を信じて。



 終

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