18.優人のやさしさと共鳴の痛み

「君の好きに、すればいい」

「え……っ」


 優人は、驚くほど優しい声音で答えてくれた。普段の、ぼそぼそとしゃべる声しか知らなかった由香利は大いに困惑して、そして同時に、胸がまたドキドキした。

「……じゃあ、そうする」

 胸の鼓動を抑えながら隣の椅子に腰掛ける。ランドセルを傍らに下ろし、本を開いて読み始めるが、優人との距離が近い事を意識した途端、鼓動はさらに強くなった。

(ドキドキ、する。でも、なんだか……心地良い)

 普段の優人よりも、もっと柔らかい雰囲気が彼の周りを取り巻いていた。だから、隣に居ても、ちっとも嫌な気分はしなかった。

 次第に鼓動は治まって、由香利は読書に没頭し始めた。二人のページをめくる音だけが静かに響いている。

 やがて時は過ぎ、最終下校を促す音楽が流れ始めた瞬間に、由香利はやっとページをめくる手を止めた。

「あっ、最終下校だよ、榊乃く……ん?」

 左側に座っていたはずの優人の姿は消えていた。いつの間にか、帰ってしまっていたらしい。

(用事があって先に帰っちゃったのかな。もしかして、声をかけなかったのは、気を遣ってくれたからなのかな?)

 優人の意図は分からない。しかし、ここで悩んでいても学校から出られなくなってしまうので、由香利は急いで読みかけのページに栞紐を挟むと立ち上がった。

 ランドセルを乱暴に引っつかみ、早歩きで1階のカウンターへと向かう。カウンターに座っていた司書の先生に貸し出し手続きをお願いした。処理の間、優人の姿を探すが、夕日が入り込んだ図書室には、その姿は無かった。

「気をつけてお帰り」

「はい、さようなら」

 本を受け取ると、急いでランドセルの中にしまいこみ、背負いながら図書室を出た。渡り廊下を歩きながら、由香利は優人の言葉を思い出す。


『君の好きに、すればいい』


 すっと心入り込むような優しい声に、心がじんわりと暖かくなった。

(なんか、不思議だな、この気持ち)

 恩と居る時とも、家族と居る時とも違う、どこか惹かれ合うような、説明のつかない暖かさに戸惑いながらも、由香利は口元に微笑を浮かべて学校を出たのだった。



***



 真っ赤に燃える夕日の中、学校から出てきた優人は、やはり破れた金網をくぐって市の最終処分場に入り込んでいた。簡単に人に見つからないように、廃棄物でバリケードを作り、ランドセルを抱えるような格好で座っていた。

(あの子、もう、話しかけないと思っていたのに)

 優人にとって、由香利があの日以来頻繁に声をかけてくる事自体が、不思議でしょうがなかった。そもそも教科書を貸してくれた事だって、優人にとっては既に奇跡に近かった。からかっているに違いない、そう優人は感じていた。

(でも、今日は……)

 図書室で交わした会話を思い出す。まさか、本のある場所を聞かれるとは思っていなかった。あまつさえ、お礼を言われ、そして。

(肩を並べて、隣で本を読むなんて)

 信じられなかった。この自分が、誰かの傍に居る事がまずありえなかった。大体の人間は自分を嫌って離れているからだ。


「あの子、暖かかった」


 小さな独白が漏れた。あの子の……天野由香利という女の子の傍は暖かくて、居心地が良いと思った。だから、冷たくするのを忘れてしまった。

 だけど、あまりにも居心地が良すぎて、自分が自分でなくなる気がした。だから、そっと先に帰った。読書に夢中になる彼女に気づかれないように。気配を消すのは得意だった。

「……でも、苦しかった」

 あの子は僕のことをいじめないかもしれない。嬉しかったのと同時に、強く胸が痛んだ。誰かと一緒に居る事が、急に罪のように感じられた。母の言葉が脳裏に浮かぶ「お前は役に立たない」「生きていても無駄な屑だ」「お前なんか死んでしまえ」「お前など要らない」――昨日母から殴られた場所が痛んだ。

 あの子が僕のことをいじめないなんて、どうしてそう思ったんだろう? 

(そんなこと、あるわけないんだ。そう、僕は……)

 優人の胸の痛みが増した。それは、単なる胸の痛みではなかった。

(なんで、こんなに胸が痛いんだろう……)

 まるで胸の中に、別の何かが在るような感覚だった。しかし、優人はそれが何なのか、全く分からなかった。

 痛みは全身に広がって、優人を侵食していく。そしてまた、日が落ちていくと共に、優人の意識も深い海に潜るように落ちた。



 夜を迎えた先地市の工業地帯は、まばらに人が歩くだけで、昼間の活気が嘘のように静まり返っている。

 その中でも一際人気の無い路地裏で、男性が短い悲鳴を上げ、ばたりと倒れた。その傍らには、両腕を広げて生体エナジーを吸収する黒い人影……ロスト・ワンの姿があった。

「もうこれで5人目ネ、可愛い坊や。今日はどうしちゃったの、調子がイイのネ」

 ロスト・ワンの横に、急にサルハーフが現れる。日が落ちてからの三十分間で、ロスト・ワンは工業地帯に居た人間五人をバラバラの場所で襲っていた。紫色の光で切り裂く『かまいたち』と、生体エナジーを巻き上げる『つむじ風』を使う彼の攻撃は、風のように早く、静かであり、誰にも気づかれる事は無かった。

 サルハーフは紫色に光る触手を動かし、ロスト・ワンの頭から足のつま先までを丁寧に撫でる。ロスト・ワンはぬるぬると動く触手に動じる様子は無い。サルハーフは、物言わぬロスト・ワンの意識を読み取ろうとしていた。

「あら、アナタ、今日は酷く心が乱れているのネ。でもいいのヨ。フェイク・クリスタル・ベータは、それこそが、力の源。アナタがもがけばもがくほど、アナタが慟哭どうこくすればするほど、アナタの力は強くなるノ」

 触手を戻し、今度はロスト・ワンの頬をゆっくりと撫でる。

「そうやって、成長なさイ、可愛い私の坊や……。そう、愛しいマイ・マスターのために……ネ」

 ロスト・ワンはサルハーフの言葉を最後まで聞かないまま、つむじ風に乗って宙に浮かび、次の獲物を探しに飛び立っていった。


***


 5月の連休からずっと快晴だったの五月の空が、今日ばかりはネズミ色の雲に覆われている。

 放課後の図書室2階は、いつものように静寂に包まれている。

しとしとと窓越しに聞こえてくる雨音を聞きながら、由香利は図書室の椅子に座り、ページをめくっていた。隣には同じように、黙ったままページをめくる優人の姿があった。


 異次元モンスターの再来から、2週間が経った。


 相変わらず異次元モンスターは夜に出現し、由香利はそのたびに夜に出かける事が多くなった。

 ユカリオンに変身して戦う事に、由香利は慣れつつあった。訓練も欠かさず続けている。誰かが襲われるのは由香利にとって許せない事だった。どこにいてもすぐにかけつけよう。由香利はそう思っていた。

 そんな生活の中で、由香利には新たな習慣がついた。放課後、時間のある時に、図書室で読書をするようにしたのだ。そして大概、優人の隣に座るようにした。

 優人は相変わらず、教室では話をしない。しかし図書室にいるときだけは、彼の陰鬱で、人を寄せ付けない雰囲気が和らぐ事に気がついた。

 最近では何も言わずに由香利は隣に座るようになり、優人におすすめの本を聞くようになった。嫌がられるかと思ったら、彼は本棚まで黙って案内し、黙ってその本を指さす。そんな優人の様子にもすっかり慣れてしまった。

 選んでくれた本は、どれも面白いものだった。小学生の3人組がいろいろな事に挑戦するシリーズや、大怪盗が活躍する冒険活劇……。

 読む事に集中出来る所為か、由香利の読書ペースは速くなり、今まで1週間で1冊が精一杯だったのが、たくさんの本を読めるようになった。

 そして由香利は、人の居ない時を見計らって、小声で感想を伝えた。あまりうまく言葉には出来なかったが、そのたびに優人の頬がほんの少し緩んでいる気がして、嬉しかった。宇宙人と友達になる話を読んだ時は、まるでお父さんと早田さんみたいだという感想を思わず漏らしそうになった。

 雨の降る今日も、同じように本を選んでもらう事にした。いつものように無言で本棚に向かった優人の後を追った。

 しかし、いつもならば指さすだけの彼の手は、本棚へと伸びていた。

(あれ、いつもと違う?)

 戸惑う由香利を気にする事なく、優人は本の背表紙に手をかけた。

「これ」

 そして手に取った本を、由香利に差し出す。思わず由香利は優人の顔をまじまじと眺めてしまった。いつもと同じ無表情の顔。だけど悪い気はしなかった。むしろ、優人から何かをしてくれた事がうれしかった。

「あ、ありがとう!」

 由香利は本を受け取ろうと手を伸ばしたそのとき、お互いの指先が触れた。

(えっ!?)


 

 そして、指先を通じて、優人と繋がるような感覚に陥った。

 思わず優人の顔を見た。琥珀色の瞳が一瞬だけ、を帯びたのが見えた。陰鬱さをたたえた、酷く暗く、恐ろしいものがあった。

(何、今の……!)

 突然の出来事に、由香利は思わず手を離す。ばさっ、と激しい音を立てて本が床に落ち、静寂の中に響き渡った。由香利の手が震えていた。それが恐怖から来るものだと気がつくのに、時間はかからなかった。

【これは、何だ、何の衝撃なんだ!?】

 アルファも由香利と同じように動揺していた。しかし、アルファが動揺したという事実は、ただの勘違いではないという証拠のようなものだった。

「あ……ご、ごめん!」

 我に返った由香利はしゃがんで本を拾い、おそるおそる立ち上がり優人を見ると、彼は琥珀色の瞳を見開いた顔でこちらを見ていた。先ほど感じた恐ろしさは、欠片も見つからなかった。

 お互いにかける言葉が見つからない。そのうちに優人は借りた本をしまい、ランドセルを背負ってその場から去った。

 何も言わず、由香利の方を1回も見ず、まるで逃げるように。

「待って!」

 由香利は矢もたまらず、ランドセルを乱暴に背負い、本をかかえ、優人を追いかけるように図書室を出た。


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