第十七呪 留置所

「撃ちなさい目日臼めびうす―――ッ!!」


 今にも凍え死んでしまいそうななか、震えた声で叫ぶ。

 しかし、目日臼は銃を構えたまま、引き金を引こうとしない。


「く……ぅぅ……」


 私は薄目を開けて目日臼を見る。

 そんなに怯えた表情を浮かべて、どうして引き金を引こうとしないの。私たちはこのままだと殺されてしまうのよ。何もせず、扉の陰からこちらを見ているだけの子供に。あなたが人差し指を少し動かすだけで、あの子を死に至らしめ、この冷気から解放されるというのに。

 どうにかして、私の身体が動かないものかと身じろいではみるが、やはり私の身体はもう凍り付いてしまったのか動かすことが出来ない。持っている刀を投げようにも、指は柄に貼り付いてしまっている。


「この……っ!」

「―――やめなさい、剥血はくち


 冷気を発する子供の逆方向。背後に続く廊下の奥の方から別の声がかかる。薄く開いた瞼の隙間から、廊下の奥に霞む人影が見えた。

 もう一人の敵……この状況がさらに悪化してしまった。


「さ、桜さんっ」

「もうやめなさい。あとは私が引き受けるから……部屋に戻って」

「で、でもっ……」

「いいから。」

「……はいっ……」


 どういうことだろうか。あの子供が私たちの身体を蝕んでいるあいだに、背後から攻撃を仕掛けてくれば私たちは間違いなく死ぬというのに。

 部屋に戻れ、とその声は言った。それに従い、子供は部屋に戻って扉を閉める。するとどうだろうか、先ほどまで全身を突き刺していた鋭い冷気が一気に失せる。


「な……なんや……?」


 凍り付いた身体はまだ動かないが、少しづつ胸の奥から体温が戻りつつある。先ほどの子供が廊下からいなくなった途端、凍てついていた空気も徐々に正常に戻っていった。

 白くなり貼り付いていた睫毛をゆっくりと剥がすように、瞼を開いていく。


「……どういうつもりなの」


 しっかりと目を開き、廊下の奥の声の主を視認する。どういうことか、またしてもその姿は幼い子供。この真っ白な廊下にとても目立つ黒い服を着た少女だ。

 少女は廊下の奥の扉を開けて廊下に出てきたようで、私たちに近づくことも、部屋に戻ることもなくその場に立ち続けている。


「あなたたちがここへ来ることは『知って』いたから……いまはまだ動けないでしょう? 脚が動くようになったら、私の部屋に来て。温かいコーヒーでも淹れてあげるわ」


 どういう意図があるのかわからない。

 少女はそれだけ告げると、部屋へと通じる扉を開けたまま、部屋へと戻っていく。


「……どういうことや? どないなってんねん」

「私に聞いてもわかるわけないでしょう。……ともかく……っ」


 足はどうやら動くようになったようだ。両足を床に擦りつけるように引きずりながら、私は少女が入っていった部屋へと向かう。

 目日臼も私に続いて部屋に入り、そして後ろ手に扉を閉めた。


「はぁー……この部屋は暖房きいてるなぁ、生き返るわぁ……」

「椅子を用意してあるから、どうぞ座って。コーヒーで身体の中も温めるといいわ。……先に言っておくけれど、私はあなたたちに危害を加えるつもりはないの。警戒しなくてもいいわよ」

「……まぁそりゃ、君みたいな女の子を頭っから警戒なんざしやんけども……」

「体質のことを気にしているのなら、それも心配ないわ。私はさっきの子みたいに干渉する体質じゃないから」


 妙に態度の大きく感じる少女は、真っ白なソファに腰かけ無防備に脚を組んでいる。彼女の前にあるテーブルの上にはコーヒーの淹れられたカップが二つ、湯気を立ちのぼらせている。

 テーブルの傍には二脚の椅子が用意されているが、私も目日臼もその椅子に座ろうとはしなかった。


「……んと、な。気持ちだけ受け取っとくわ。……君らは、ここに連れてこられたんか? それとも、信じられへんけど、赫遺あかいっちゅう奴の味方をしとるんか?」

「どちらかと言えば後者ね。ディスオーダールームの住人はみんな、自分の意志でここに来ているから」

「……つまらない問答をするつもりはないわ」


 私は用意されていた椅子を横に蹴り払う。苛立ちをぶつけるように強く蹴り飛ばした椅子は大きな音を立てて転がり、背もたれの部分が割れ、中の茶色い本来の色が露出する。

 切っ先を少女の額に向ける。しかし少女は自分の目の前に突きつけられた刃をまるで意に介せず、じっと私の瞳を見つめ返している。


家篭いえろうくんはどこにいるの」

「おい、刕琵道りびどう!」

「……呪錄じゅろくから聞いていた通り。ずいぶん殺気立った人ね、あなた」

「……ッ!!」


 あなたのような小娘が、家篭くんの名前を呼び捨てるな。この一か月で家篭くんと過ごした程度で、親しくなったつもりなのかしら。

 私は殺意の籠った腕を振り上げて、少女の頭に向けて刀を振り下ろす。


「―――ちょっと待ちぃ!」

「っ……! 目日臼めびうす……!」


 刃が少女の頭を裂くまであと数センチというところで、私の腕は止まる。左肩を目日臼に掴まれている所為だ。彼女の呪質に拘束され、歯ぎしりすらできない。


「子供も見境なく手ぇかけんのやな、アンタは。……しばらく動かんときや、この子もなんか話したいことがあるんやろ」

「……」


 心の中で舌を鳴らす。私だってそんなことはわかっている。少なくとも、この少女には敵意が無い。どういうつもりかはわからないけれど、椅子と飲み物まで用意して、私たちと語らいたいつもりらしい。


「改めて、自己紹介するわ。……私の名前はさくら無幸むこう。後ろにいるあなたは私のこと子供って言ってるけど、こう見えても22歳よ。私」

「に、にじゅうにぃ? ほんまかいな……全然そんな風に見えへんけど」

「まぁ、私の年齢なんてどうでもいいわ。……私に斬りかかろうとしたのは刕琵道りびどう尼静でいしずでしょ? あなたの名前は?」

「あ、あぁ……うちは目日臼めびうす勹牢ほろうっちゅうんや。よろしゅう……」


 少女は私たちに用意したカップの一つを手に取り、自ら口をつける。カップに満たされた真っ黒なコーヒーを熱を冷ましながら啜る。

 この桜という姿幼き彼女は、なぜこうも落ち着いているのだろう。私は目日臼に拘束されているが、目日臼も拳銃を持っている。私たち二人には人間を死至らしめる道具があるということに変わりはないのに、桜は瞼を閉じる動作にも淀みがない。


「……さっきの質問に詳しく答えるけれど、赫遺あかいに『協力』しているのはほんの数人よ。ディスオーダールームの住人のほとんどは、ただここに住んでいるだけ。誰にも危害を加えるつもりはないし、危害を加えられる理由も無いわ」

「……桜ちゃんは、協力してる方なんか?」

「私? そうね。……赫遺に協力していた……過去形かしらね」

「ほんなら、他に赫遺に直接協力してんのは誰や? ……うちは警察官やからな、ほんまに悪い奴だけを捕まえやなあかんねや」

「赫遺に協力してるのは死晴ですはれ喰怒くうど海老世えびせ等命とうめいだけよ。もともと、赫遺に協力していたのはそこに私を含めた三人だけだったから」


 死晴ですはれ。その名は家篭くんを攫っていった男の名だ。そして海老世えびせ。私を執拗に誘い、殺し合いと称して私の足止めをしていた老人。

 その二人はもとから殺すつもりだった。あの男、赫遺あかいからすもだ。そしていま目の前にいるこの少女も、あの男に協力していたというのなら殺すに値する。


「赫遺っちゅう奴と、その二人……いまはどこにおるんや? うちらがここに来ても姿一つ現さんっちゅうことは、ここにはおらんのやろ?」

「ええ。死晴は今ごろ蜂惑はちわく怠躯だるくの所へ向かっているでしょうね、海老世もきっと、蜂惑が向かおうとしているところに向かっているわ」

「目日臼、私はそんなことを聞きたいわけじゃないのよ……」


 どうでもいい。いまはどうでもいいんだ、そんなこと。殺すべき相手がどこにいようが、何をしていようがいまはどうでもいい。

 私がいま最優先しているのは、家篭くんを助けてあげること。家篭くんがどこにいるのか、ただそれだけを知りたいのよ。


「家篭くんはいまどこにいるのか。それを答えなさい」

「……彼は、ここにはいないわ。海老世に連れ出されて、彼も蜂惑の向かっている場所に行こうとしてる」

「……だったらもうここに用はないわ。離しなさい目日臼、私たちも蜂惑に合流して、家篭くんを見つける」

「無理よ、ここから出ようとしても」

「なんですって?」

「さっきあなたたちを殺しかけた……剥血はくちりぼんという子が、地上に通じる階段に座り込んでいるでしょうから。……あなたたちをここから外へ出さないように」


 あの雪女のような子供か。……たしかに、あの子に不用意に近づけば、また凍り付くような冷気にてられて動けなくなってしまう。そして果てに死ぬだろう。

 だけど、それがどうしたというのだ。階段で座り込んでいるのなら、そこへ向けて刀を投げればいい。動けるなら問題ない。近づかずに殺す方法なんて他にいくらでも思いつく。


「それどころか、この部屋から出ることも出来ないでしょうね。一歩も動くことも」

「……なにを考えているか知らないけど、見くびらないで欲しいわね。一歩どころか、動けるようになれば少し手首を動かすだけであなたは死ぬのよ? ……はやく離しなさい、目日臼」

「……無理だって言ったでしょう? ……ここまでお疲れさま、勹牢ほろう。」


 目日臼は私の肩から手を離そうとしない。それどころか、さらに力を入れて私の肩を掴み続ける。

 彼女は手をそのままに私の前に回り込み、私の眼を見る。彼女は目を細め、口元だけを引きつらせていた。


「ごくろうさん、刕琵道。これであんたをここに閉じ込めることが出来たわ」


 彼女のその表情は、嘲笑うような微笑みだった。

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