ディスオーダールーム
第十六呪 凍てつく弾丸
「ここが目的地……?」
「せや。この蕎麦屋の地下に、お目当てのディスオーダールームがある」
まさか、こんな何の変哲もないような店が目的地だとは思わなかった。地下室をカムフラージュするために、わかりにくい廃墟や、路地の奥なんかを想像していたけれど……。
けど、今こうして私が驚くという事は、やはり隠れ場所としては正解なのだろう。
思わぬ場所、という点ではまさしくここが相応しい。客が多く出入りを繰り返す飲食店に地下室があるなどと、誰が考えつこうものか。
「今日は店が定休日や。扉の鍵は
「……警察官が不法侵入、ね」
「誤解されるような言い方は勘弁してほしいわ……」
立て付けの悪そうな音と共に扉が開き、店内へと私たちは入っていった。
「なんや、外観もそうやったけどぼろっちい店やのぉ。ほんまに流行ってんのかいな」
店の中は閑散としており、なんだか湿っぽかった。何十年と使い古されたであろう木製のテーブルが外から入る風に軋み、粘つきすらおぼえる床が靴の底と擦れて不快な音を立てる。
長年使われたところどころ錆びれた厨房からは、蕎麦粉の匂いがほのかに香ってくる。
「なになにぃ……? 店主のおススメ海鮮そば。かぁ、海老やらいくらやらが蕎麦に入ってんのか? こないなモン美味そうと思えへんわ」
目日臼は壁に張られたメニューの張り紙を眺めて苦笑いを浮かべている。壁に目を滑らせると、入り口近くにはサイン色紙がぎっしりと詰められて貼られていた。
私もこの店に直接足を運んだことは無かったが、たしかに有名人もよく来ているようだ。店は清潔感があまり無さそうだが、料理の味はたしからしい。
「……ほら、はやく地下へ通じる扉を探すわよ」
「はいな。そこらへんの床に取っ手とかついてへんか?」
「……この辺りには見当たらないけれど」
「んー……まぁもし頻繁に出入りするんやったら、客がぎょうさん座っとるところにはあらへんか……となると」
私も彼女の後に続き、カウンター席を過ぎて厨房へと入る。より多くの客をもてなすためか、厨房は極力狭く作られているようだ。並んで二人が通れるかどうかというくらいに細く狭い。
料理店の厨房というものは、こういうものなのかしら?
調理鍋や食器は乱雑に積まれ、流しや換気扇は錆びついており、床もいろいろ零しているのか全体的に薄茶色く汚れが染みついてしまっている。
実際に料理を作る際は関係ないのかもしれないが、客はこの厨房を覗き込んでなお食欲が少しも失われないものなのだろうか。
……まぁ、私にはわからないことだけど。
「おっ、これっぽいな……
厨房の端へと移動して、目日臼は床に付けられていた取っ手を引っ張る。
すると床の模様だと思っていた切れ目が徐々に浮き上がり、地下へと通じる階段のようなモノがその隙間から見えた。
「ビンゴみたいやなぁ」
「……手伝うわ。ちょっと横にどいて」
浮き上がった床の隙間に手を入れて、そのまま上へと持ち上げていく。厨房の床の三分の二ほどが開いて、人が通れるくらいまで上がると自動的に突っ張り棒が床を閉じてしまわないように固定してくれた。
下を覗き込んでみると、かなり急な角度の階段が下へ下へと続いている。間接照明が付けられているのか、奥にある白い扉までしっかりと見ることができる。
「……さて、行こか」
「ええ」
私が先導となって、階段を下っていく。地下へ通じる階段には手すりがなく、一段一段と下っていくには少し神経を使った。
半ば階段に対して半身になりながら、五十段ほどの階段を下りきる。
(……
この扉の先が、ディスオーダールーム。家篭くんが連れていかれた地下室。
私は白い扉の取っ手を握り、回して開けた。
「……うお、なんやここ」
扉を押し開けて入ると、左右に広がる長い廊下に出た。
気味の悪いくらいに壁も床も天井すらも真っ白に染められた廊下と、いくつかの扉。きっと、この扉のうちのどこかに、家篭くんはいる。
「けったいな場所やなぁ……白、白、シロ。こないなとこに閉じ込められとったら気が滅入るで」
「……呑気なこと言ってないで、警戒くらいしなさい。もうここは敵のアジトなのよ」
私はそう言いながら、肩に背負っていた竹刀袋から刀を取り出す。いつでも抜刀できるように腰ほどの位置で刀を構えた。
……警戒しろ、ここは敵のアジトだぞ。……か。
昔見ていた特撮番組で、同じようなことを主人公のヒーローは言っていた。まさか、自分が正義のヒーローと同じ台詞を言うとは思っていなかった。私みたいな殺人鬼が、人を守るヒーローの台詞なんてね。
自嘲気味な失笑が鼻から抜けていく。
「なにわろてんねん、刕琵道。うちかてちゃんと警戒くらいしとるわ。……けど、やけに人の気配が無さすぎんで、ここ」
目日臼はそう言うが、たしかに私も感じていた。
この真っ白に染められた空間が感覚を麻痺させるのか、この地下室からは人の気配が感じられない。
生活感のまるでないようなこの無機質な廊下。薄ら寒い空気が停滞して、一種の寂寥感すら感じさせる。
この空間をどう表現していいのか、いい言葉が思い浮かばない。
たださっきからずっと感じるのは、この白く染まった廊下に対する、気味の悪さ。
白を基調とした部屋というのは、清潔感があり、広く見えるものだ。実際この廊下も、10メートルあるかないかくらいだろうが、30メートルはあるように感じられる。
ただここはそれだけじゃなく、それ以上に不気味さを演出している。
「……まるで実験室みたいや」
目日臼がぽつりとそう呟いた。
「真っ白な部屋で、真っ白な服着た奴らが、これまた真っ白な服着せられた人に実験するような……こないな所、実際見るんは初めてや。……実際見ると、気味が悪いどころとちゃうな、これは」
「……同感ね」
こんな不気味な地下室に、一か月も家篭くんは閉じ込められていたの?
どれだけ孤独だっただろう、どれだけ苦しかっただろう。……あぁ、今すぐ家篭くんに会って、抱きしめて、そして、謝りたい。一か月も待たせてしまってごめんなさいって、謝りたい。
「どないする? って言うても、
「えぇ、距離感も狂ってきそうだから、とりあえず奥の部屋から―――――」
私はまず、廊下の突き当りの部屋の方から調べようとそちらへつま先を向けた。
すると、まるでタイミングを見計らったかのように、奥の方の扉が音を立ててこちら側へと開いていく。
「……っ!」
扉が開ききる前に、私と目日臼は同時に臨戦態勢をとっていた。
私は刀を抜き、目日臼は腰のホルスターから拳銃を抜いて、開いた扉に向かってそれらを構える。
扉の裏から姿を現したのは、まだ小学生くらいの背丈の子供だった。
「……子供?」
「え……っ?」
こちらに気付いていなかったのか、幼い子供は私たちのことを見て驚いた表情を見せる。急に自分に刃と銃口を向けられていたら、子供でなくても驚くだろう。
「あ、あなたたち……だれですかっ」
「
「……私に聞かれてもわからないわよ」
怯えた表情で扉の陰に隠れるようにして、その子は私たちの様子を窺っている。まさかあんな子供が私たちに危害を加えようとはしないと思うけれど、このディスオーダールームにいるという事は、きっと何らかの呪質持ちなのだろう。
私は警戒心を完全に解ききらず、構えを崩さない。
「……心配せんでええで! うちは警察官や! 君もここに閉じ込められてたんやろ!」
目日臼は拳銃を下ろし、扉の陰から動こうとしないあの子に向かって歩み寄っていく。彼女は私と違って、相手が子供なのを確認して警戒を解いているようだ。
「あっ、だ、だめっ! 近づかないでくださいっ!」
「なんでや、うちらは助けに―――うぅっ?!」
目日臼が身構えて足を止める。肩を抱くようにして立ち止まった彼女の様子は、後ろにいた私にもおかしく見えた。
「
「な……なんやこれ……ごっつぅ、寒い……」
寒い、と
そう言えば確かに、あの子供が廊下に出てきてから、少し肌寒さが増したような感覚があった。
「……あなた、何をしたの」
鋭い眼光を飛ばしながら、私は尋ねる。
「あ、あなたたち……あの人が言ってた、悪い人たちですよねっ……ここに住んでる人以外で、ここに来る人はいないからっ……」
「悪い人たち……? なに言うてるんや、うちらは……」
「来ないでくださいっ! 近づいたら、凍え死んじゃいますよっ!」
「……邪魔するなら、殺す」
私は地面を蹴り、子供目掛けて駆けだした。床に膝をついて立ち止まった
しかし、目日臼が止まった位置からさらにその先。私はその先に進むことが出来なかった。
「……これは……ッ」
寒い、というレベルじゃない。
まるで裸の状態で全身に氷を押し当てられているような鋭い冷気が、廊下に充満していた。子供までの距離は数メートルと無いというのに、これ以上近づくことが出来ない。
どうやら、この冷気はあの子から発せられているようだった。空間に干渉する呪質、それがこの子の体質か。
「……それ以上、近づいたらっ……本当に、死にますからっ」
「くっ……!」
ただ立っているだけだというのに、身体の温度がみるみると奪われていくのを感じる。四肢はすでに寒さでかじかみ、動かそうとも錆びた機械のように軋むばかり。
吐いた息が廊下の色に同化し、徐々に指先の感覚が無くなりはじめていた。
「……
「な、なに言うてるんや
「……もう私は足が動きそうにないのよ、あなたも指先の感覚が無くなってきてるんじゃないの。あの子を殺せば、きっとこの寒さもなくなる」
「……ちぃっ!」
目日臼は震えた手で拳銃を構えなおす。銃口が震えた手でぶれてしまわないように、脇を締め、肘を太ももに当てて骨として固定する。
私は近づいて斬り殺すことが出来ない。目日臼の持っている拳銃なら、この距離だ、仮にも警察官の彼女が外すことは無いだろう。
「う……っ」
子供は扉の裏に身体を隠そうとしている。だけどそんなことをしても無駄。薄い扉くらい、銃弾は軽く貫通するのだから。
「どうしたの
「……っ!」
銃口を向けたまま、目日臼は躊躇して引き金を引こうとしない。相手が幼い子供だから戸惑っているのだろうか。このままでは私も目日臼も、逆にあの子に殺されてしまうというのに。
「で、できるわけないやろ……子供を、撃つやなんて……! もう……!」
「なに言ってるのよ、状況を考えなさい! 身体に爆弾を巻き付けた子供なら、軍人は迷わず射殺するでしょう!」
こうしているあいだにも、私の身体はすでに感覚が無くなってきていた。握りしめた刀の柄と手のひらが、手汗で凍り付いてしまっているのか離すこともできない。
口の中に薄氷が張っているようで、喋るにも呂律が回りにくい。いまこうして瞼を閉じていないと、眼球すらも凍ってしまいそうだ。
子供との距離がある目日臼しか、可能性が無い。まだ身体を動かせる彼女でなければ、もうこの窮地を打破することは出来ない。あの子を、殺さなければ。
「―――撃ちなさいっ、
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