呪錄記(仮題)

天樛 真

家篭呪錄 編

呪われた六人

第一呪 空虚な少女

 ―――人生で後悔したことランキング第二位、現在進行中。



 たまったもんじゃない。こうなることを予想できていたにも関わらず、僕はその予想に対する自己防衛本能を裏切り、今こうして夜の帳を走り回っている。

 現在の時刻は午後九時、たぶん二十分位。なぜ時は正確に言えるのに分は曖昧なのかというと、理由は二つある。一つは、ついさっき電話をかけた時にちらりと見た時刻が九時だったこと。しかしなにしろ走りながら見えた画面だ、画面の右上に小さく表記された時間を正確に読み取る事なんてできない。そしてもう一つは、僕の持っている携帯電話の上に浮かび上がるようにして表示されたノイズ、00:00:03:42というノイズの時間が気になってしまって携帯に表示された現在時刻があやふやにしか覚えられていないということ。

 両腕を前後に動かし、呼吸を荒げながら全力でダッシュし続ける。全力と言えば聞こえはいいが、何しろ小・中・高校と文化部一本の人生を送ってきた僕だ。百メートル走での記録がいつもクラス最下位だったことを知っていれば、そのスピードの程が知れると思う。


 右手に握りしめた携帯電話をちらりと視る。ノイズは00:00:00:04と表示されている。マズい。非常にマズい。この携帯、最近買ったばかりの最新式のものなんだ、今までナンバーワンの売り上げを誇ってきた機種の最新型。本体の値段も馬鹿高かったんだ。まぁ、僕が金を出して買ったわけじゃないんだけど。

 しかし未練に足を引っ張られて殺されるのはごめんだ。いくら高価な財産を持っていたとしても、その所有者が死んでしまったらそれはその所有者の物ではなくなる。そこのところをはき違えた輩が世間には少なからず一定数いるようだが、僕はその数には入っていない。

 握りしめていた手を緩めて、携帯電話を後ろの方へと軽く投げるように手放した。その次の瞬間だ。携帯電話のノイズが00:00:00:00を指した瞬間、後方から飛んできたナイフが最新機種の携帯電話を突き刺した。あぁあくそ、最近ハマってたゲームアプリの引継ぎコード、まだ発行してなかったのに。そんなくだらない未練を感じていると、携帯に突き刺さったナイフはいまだその勢いを衰えさせておらず、そのまま真っ直ぐに僕の右足に突き刺さる。


 ナイフの柄と僕の右足の太もも、そして間に挟まった携帯電話。まるで前衛的なサンドイッチのようなものが完成した。とはいえ流れ出るケチャップのような赤い液体は、ともに激痛を引き連れてきてしまう。その痛みに耐えかねて、僕はひっきりなしに交互に動かしていた両足のバランスを崩し前のめりに倒れこんでしまった。

 スピードが出ていなかったのが幸いだった。ズリズリとアスファルトに身体を擦りつけずに済んだ。怪我は擦り傷というより、打撲に近い。

 右足がひどく熱い。心臓の脈動に合わせたリズムで右足の骨が痙攣しているように感じる。ナイフが突き刺さっている部分だと思われる、その一部分だけが熱い。銃弾で身体を撃ち抜かれると、焼けた鉄の棒を突っ込まれているという表現がありふれているが、ナイフで刺されたときの感覚は、まるで筋肉痛のような感覚だ。あの揉んでも揉んでもやるせない痛み、あの感覚が一番近い。太ももの筋肉が突っ張るような感覚、激痛と言うよりかは鈍痛。

 傷の深さはどの程度か確認しようと、うつ伏せだった体勢から仰向けに寝がえりをうつ。空を仰いでいた視線を自分の足元へと移そうとするが、その前に僕の視線には少女のシルエットが映った。首を動かすまでもない、目線を少し下にしただけで、月明りに照らされた人影が倒れた僕を跨ぐようにして立っている。


「……勘弁してよ」


 僕を眼下に見据える少女―――乂真かるま黒雨流くろうるは両手に何本ものナイフを指の間に挟み込んで持っている。半分に欠けた月が丁度彼女の後頭部に重なるような位置にあって、表情は暗く影があってよくわからない。彼女のナイフと瞳だけが、月明りと同じような白銀の光を放っている。


「―――忠告は幾度となくしてきた筈だぞ、家篭いえろう呪錄じゅろく。あの女とは手を切れと。なぜ彼女から離れようとしない、なぜ私たちのところへと来ない。奴は貴様にとって不利益しか生まない存在なんだぞ」

「……生憎、僕だってそうしたいんだよ。だけどこっちの事情も少しは考えてほしいもんだ、離れられないんだよ。離れたくとも離れられない。きっと僕たちには磁力が働いてるんだ。僕はN、彼女がSだ。サウスでありサディストでもあるね」

「北だろうが南だろうが、マゾヒストであろうがサディストであろうが関係ない。言い訳を聞く耳は持ち合わせていないぞ家篭いえろう


 乂真かるまは持っていたナイフを一本だけ残して、そのほかを全て僕の両手両足に突き刺した。右手掌みぎしゅしょうに二本、左手掌ひだりしゅしょうに一本、左足首ひだりあしくびに三本、右足首みぎあしくびに四本、先ほど太ももに刺さったナイフも合わせて計十一本の刃が僕の身体に穿たれる。

 これだけ串刺しにされれば痛覚も職務放棄したくなるものだ。じんわりと痺れるような感覚が四肢を支配する。これは参った。痛覚どころか全身の感覚そのものが僕の意識から離れつつある。痛みを感じることなく、傷口からドクドクと血液が流れだしていく音が骨に響いていく。まるで心臓があちこちにあるみたいだ。


「貴様を生かしておく理由は何一つ無い。たとえ蜂惑はちわくさんが貴様を必要としているとしてもだ。貴様という存在は―――【呪われた体質】を持った存在は死んだ方がいいと言うのが私の持論だ」

「……となると乂真かるま。君も、蜂惑はちわく怠躯だるくも死ななきゃいけないことになるけど」

「そうだ。だけど私と蜂惑はちわくさんはこの呪いを解こうとしている。呪いさえ無くなればただの人間だ。治療すれば完治するかもしれない病人を、わざわざ入院中に殺す医者がどこにいる?」

「……じゃあ僕も、その入院中の病人じゃあないのか」


 乂真かるまは膝を曲げ、僕に馬乗りになるような体勢を取り、最後に持っていた一本のナイフを僕の腹に突き立てた。へその丁度真上あたりの位置に銀色のナイフが肉を裂いてずぶずぶと内部を犯してくる。痛覚が鈍っていたとはいえ、さすがにゆっくりと、じっくりと味わうようにナイフが刺さっていくのは、じわじわと肉の繊維が引き裂かれていくのは、生々しい痛みが伴う。


「あっあぁ……あぁぁ」


 ナイフの柄の部分が腹と密着するまで、僕は喘ぎ声に似たような情けない悲鳴を絞り出していた。完全にナイフが刺さり切り、その動きが止まった時点でようやく悲鳴は息切れのような息遣いに変わった。


「勘違いするなよ家篭いえろう呪錄じゅろく。貴様は手術を心待ちにする病人などではない、悲観的な自殺志願者だ。虚無主義者が。絶望しただと? 身の程を知れ」

「ぅう……いいだろう別に、勝手にさせてくれよ……! 僕はもう疲れ切ってるんだよ、世界に、人生に、僕自身に……!」

「泣き言も聞く気はないぞ。今なら免罪の余地が小指の爪ほどなら残っているぞ、家篭いえろう。すぐに刕琵道りびどう尼静でいしずと手を切れ。さもなくばこのまま腹から喉にかけてを切り裂くぞ」


 すると乂真かるまは突き立てたナイフをゆっくりと僕の身体の上の方へ動かし始める。ブチブチと音を立てながら、傷口がどんどん広がっていく。

 なんてこった。手を切るか腹を切るか選べと言うのかこの女は。痛い痛い痛い。こうして黙っている間にも僕の腹は切開されていく。しかし彼女の脅しに対して、首を縦に振ることは出来ない。なんて聞き分けの悪い女だ、僕と尼静でいしずは離れられないって言ってるだろう。


「―――時間切れだ」


 ナイフは遂に肋骨の真下まで到達した。乂真かるまのナイフは切れ味抜群だ、きっとこのまま骨すらも切りながら僕の内臓を殺していくだろう。生きたまま腹や胸を裂くなんて、医者が聞いたら激怒するぞ。なんせ麻酔無しだ。感覚は麻痺してきているけど、傷口から零れだす血液が多すぎる。僕は僕を殺すナイフの行方を最後まで見届けることなく、薄れて消える煙のように、意識を失った。

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