俺だけが襲われない街

クー

東京パンデミック アウトブレイク

phase:1『最初の感染者は目覚めた』


 現実から切り離された光景が目の前には広がっていた。呆れるくらい平穏、普通だった、変わらない日常は目覚めと同時に地獄絵図。


 何処かの道路の中心で意識が覚醒した俺はその時点で疑問が尽きない。な、なんだこれ……?


 あちらこちらで車同士が衝突し、煙をあげて炎上している。ガソリンに引火した炎はその激しさを増し爆発する。衝撃、轟音が空気を震わせながら伝わり、肌をビリビリと痺れさせた。


 眼前に広がるこの現場だけで崩壊の一途を辿っているのは明白だった。あちこちで悲鳴や、怒声など様々な感情の籠った声が聞こえる。


 これだけだと大規模な交通事故で済ませれたのかもしれない。だけど俺がここにいる時点でおかしい。


 なんで、こんな非現実的な環境に晒されているのか。

 なんで、ここに至るまでの記憶が欠落しているのか。

 なんで、こんなにも悲惨な物を目の当たりにして心穏やかなのか。


 まるで悲劇を喜劇と捉えてるような違和感に陥る。そう、解消すべき謎は多い。そして、それは自分の異常。


 さらに、それよりも常軌を逸しておかしい所がこの空間にはあってしまう。



 ──人が人を襲っている。それだけ聞くと有り得そうだろ? しかしそれが阿鼻叫喚の原因であり、異常の正体なのだ。

 一次災害が人の異変。それが起因してこの大災害だろう。

 なんて考えてる間も、体が所々燃えている、目から生気を失った男が俺の傍らを通りすぎ、獲物を狙ってノロノロと歩いている。


 まるで映画でみるゾンビのような風貌。もしかしたら、まるで、ではないのかもしれない。これは現実であり、今起きている現象は創作でよくある物でしかない。そう言えるのではないだろうか? なんで、こんなことになってしまったんだ。



 思い出してみよう。俺がここに辿り着く前。それ以前に何をしていたのか。このパンデミック、そして恐らくバイオハザードのような現状の理由を──




 俺、斎藤さいとうじんはいつも通り営業でこの寒空の中を歩いていた。昼休憩でも取っていいだろう、なんて考えていた時間帯。先週から体調の優れなかった俺は温かい飲み物でも飲みたいと思い自販機の前に立っていた。

 今年の風は長引くとテレビでも言っていたし、きっとそれだろうと思っていたのだが、なにやら様子がおかしいとも思い始めていた。日が経てば経つほど俺の体調は悪化している気がしたからだ。寒気が止まらない。それがピークに達していた。

 財布から小銭を取り出そうにも、手が震えて中々難しい。


「クソ。一体どうしちまったって言うんだ」


 やっとの思いで100円を1枚、震えを意思とは別に激しくしながら、10円を1枚、2枚。3枚目を取ろうとした時、踊るように飛び出した1円を体が反射的に追いかけて、財布を落としてしまった。


 チャリンチャリン! と、結構な量入っていたお金を全て地面にぶちまけてしまう。


「あー、ついてないな」


 俺はしゃがんで落ちた小銭を拾い上げる。この時点で徐々に視界が霞み、意識もかなり定かではない状況だった。そこで後方から声を掛けられた。


「大丈夫ですか?」


 それは年若い女性のもの。彼女も仕事の休憩か何かでこの自販機を利用しようとしたらしい。


「だ、大丈夫ですよ」

「ほ、本当ですか? かなり顔色が悪いように見えますけど……」


 顔に手を当ててみると、確かに冷たい。まるで死んでいるみたいだ。手も命が宿っているのかも分からないほど蒼白い。これだと見ず知らずの人に身を案じられても仕方がないと言わざる終えないだろう。


「心配されるのも当たり前な顔をしてるようですね。すみません、この頃体調が優れなくて。仕事柄、休みも取れなくて。今度病院に行きますね」


 こんなこと話してもな。と、思ったが心配されたのだから、一応考えを伝えるのが礼儀かな?


「そうですか? なるべく早く行って下さいね」


 どうやら、かなりお人好しな人物らしい。俺が落としていた小銭を一緒に集めてくれた。それを丁寧に手渡してくれる。


 だが、俺の記憶はここで途切れている。渡された時、微かに彼女の手が触れた。その瞬間、俺の意識は暗転したのだ。


 ──気を失う直前、耳に届いたのは、何かを炸裂させたような、大きな音が一つ。その正体は分からない。



 ──そして、気付くとここにいた。



 この空白の時間に何があったのか。全く想像できない。でも、妙な胸騒ぎがする。このパンデミックと関係が有りそうな、馬鹿らしいほど突飛な胸騒ぎ。


 だけど、俺の体調は良くなっている。この短時間に何があったのか。あの女性とはどうなったのか。気掛かりがあるうちは、次の事を考えれない。


 1つずつ解消していこう。そうなると、まずは彼女と出会った自販機まで行くか。様変わりしているので、今まで気付かなかったが、ここは見知った通りじゃないか。


 あそこまでの道は分かる。とりあえず戻るか。俺は不思議と軽い体を動かした。




 ──誰も彼も、此方を見向きもしない。歩く死人は無差別に人を襲っているのに。ソイツ等はこっちを見ない。この異質な状況を最初は軽々しくバイオハザードだと決めつけたが、あながち間違いではなかったらしい。

 様子のおかしい人達は、同種であるはずの人類を食している。人間の三大欲求である食欲だけを残してしまったようだ。だが、他の生物は対象ではないらしい。

 同族だけを標的にした食事と言うわけか。まだ、断定するのには早く、ただの独り合点かもしれないけど。


 とりあえず、何故かは分からないが俺は襲われないと。他の人には悪い気もするが、その利点を生かさない以外の選択肢はないだろ。この危険な環境を安全に、そうノーリスクで生きれるのであれば、それに越した事はないのだ。


 そう考え、道の真ん中を悠々と歩いていた。まだ、依然として悲痛な叫びは聴こえてくる。助けに向かうつもりはない。

 折角、安全圏にいるのにわざわざ自ら進んで、危険な環境に身を投じる理由がない。俺は創作の世界に登場するヒーローじゃないんだ。自分にメリットがない行動なんて死んでもお断りだ。タダ働きなんてしてたまるか。


 だから、あえての無視。今は俺の過去の行動を確かめないと。自分勝手などではない。意識なく動いた俺が何をしたのか、それが解明できてないと、俺自身が果たして大丈夫なのか判断が不可能なのだ。


「何かあったときの為に護身用の物でもないと困るか」


 抜け落ちてた危機感を拾い上げる。言ってみて気付いたが、こんな非常時。何が起こるか予想できたものじゃないんだ。用心しておかないと。備えあれば憂いなし、ってやつだな。


「ナイフとかでいいかな。それとも持つなら銃とかの方がいいのかな? ……銃なんてこの近くで売ってたっけ? こんな状況で銃刀法違反で逮捕とか嫌だけど。まだ、警察が機能してるのかも分からないけどな」


 この現状で逮捕されて身動き取れなくなるなんて死以外の何物でもないからな。


「俺の足で、ほぼ時間は経っていないのにあそこまで離れた場所まで行けるのって可能なんだろうか?」


 不意に過る疑問は、人間業ではない長距離の移動について。それを成し遂げたのであろう俺の無意識下での脚力は尊敬に値するな。


「茶化してる場合じゃない。本当に人間だと無理な行動だからな。それも踏まえて考えないと。最悪な仮説は残念ながらひとつあるのだけど」


 その仮説は自販機の前まで行けば、ただの妄想か、現実かハッキリする。

 信じたくはない部類の物だから外れている事を祈る。


 独り語りの最中。誰も話しかけてなんて来ないだろう。と、高を括っていたのに、助けを求められてしまった。相手は女子高生。それも無視して立ち去っても良かった。だけど、それはあまりにも可哀想で良心が痛んだ、なんて人間味のある理由なんてはずがない。

 これからは情報が大切になる。どうやら、友人がゾンビのように変化した人物に噛まれてしまったようだ。助けを呼んでいる女子高生の横で仰向けになって倒れている。


 仕方がないので近寄る。遠目で見た限り、顔も整っているようだったからな。

 下心なんてこの際、隠す意味はないだろ?


「どうかしたか?」

「友達が変になった人に襲われて、噛まれてしまって……逃げてきたんですけど、そしたら、急に苦しみだして。お、お願いします! 助けてください!!」


 案の定、噛まれたようだな。俺もどの程度襲われないのか把握してない今。これはリスクのある行動だからな。なんて言おうかな。


「……君はゾンビ映画とか見たことあるか?」

「え? ないですけど……なんでそんな事を聞くんですか!? 今はそれどころじゃ──」

「まぁ、そう怒るなって。俺はここでは救世主でもなんでもない。聖人でもないぞ。助けるかどうかの判断は俺次第だ。だが、それが出来るのかは俺次第ではない」

「ど、どう言う意味ですか?」


 それくらいは自分で考えなよ。子供ってのは質問ばかりして、頭を使おうとしない。そう率直に言ってやっても良かったが、事は一刻を争いそうだ。


「さっき質問したゾンビ映画。どれもフィクションの物語だが、その全てが今起きてる内容に類似している。ゾンビ映画ではおかしくなってしまった者達に傷つけられた人は、時期にその者達と同じようになってしまう。ってのが定番だ。つまり君の友達は残念だが、助からない」

「そ、そんな……で、でもそう決まった訳ではないじゃないですか! それは所詮作られた物語の中での事です! 私の友達がそうなるとは限らないじゃないですか!!」


 現実を受け入れれず無意味な反論をする彼女。隣のお友だちさんの様子は徐々に変わっているよ。君達を襲った人のようにね。それに気付けないほど、君は愚かなのか?


「それもそうだ。だが、俺は確信している。君の友達は助からない。そして、君を襲った人達のようになってしまうって事は、その後、君がどうなってしまうかも分かるよね?」


 俺の言葉に彼女は息を詰まらせる。どうなるか、想像するのは容易だったのだろう。

 酷な話かもしれないが、俺には関係ない。判断を誤って死にたくはない。犠牲も時には必要だ。


「でも、私は……」


 選べないか。だろうな。そうなるとは思っていた。


「君だけを助ける選択は俺にも出来る。でも、その横にいる友達は助けれない。俺は最初に言ったが救世主ではない。仮に君の救世主であったとしても、その別物に変わろうとしてる、彼女の救世主ではないんだ」


 彼女は突きつけられた真実に目を回している。まだ、若い女の子に迫るには非情すぎる現実なのかもしれない。だが、しかし悠長にしている暇などない俺にはこれしかないのだ。暇があってもこの選択を取るだろうけど。


「わ、私は……」


 彼女が何か言おうとした時。荒く乱れた呼吸をしていた友達の息が止まった。これはヤバい。雰囲気ががらりと変化したのを肌で感じた。俺は咄嗟に座り込んでいた彼女を力任せに引き寄せる。


「え?」


 突然の出来事に驚きの声が自然と漏れた様子の女の子。勢いよく起こしたせいで抱き寄せるような体勢になっている。体のあちこちに女性特有の柔らかな感触がする。それに意識を持っていかれてる隙なんて与えてくれるはずもない。


 低い獣のような唸り声と共に彼女の友人は息を吹き返した。もう、人間ではないが。


 身長差ですっぽりと腕に収まっている彼女を見ると、恐怖で顔は蒼白になっていた。小刻みに震えている。さっきまでいた友達が姿形を変えぬまま異形になってしまったのだ。当然だろう。


「な、だから言っただろ? これからどうする。俺と一緒に来るか? それともさっきまで友達だったアレに食われるか?」


 それは嫌だと。強い拒否の意思を持って首を振る。逃げるのは決定だな。さて、どうするか。肝心のプランはない。端から助ける気なんて更々なかったのだから。産まれた時から欠如していた人間性がひょんなところで顔を出したおかげで、念頭に置いてなかった事をしないといけなくなった。


 はぁ、面倒だな。この場をどうにか切り抜けれたら、体でも提供してもらうか。


 ゾンビは食欲があるようだが、俺にはどうやら、性欲があるようだ。脳味噌と下半身が同じ考えを持ってるだけマシだろ。脳味噌と下半身がバラバラに動作してるような奴が多い時代なんだから。


 曇った目でこちらを見る、女子高生だった何か。人の形をした何かでも、これは違うな。物と同じだ。間近で見ての感想がそれだった。


 友達を目の前で殺されるのはこれからの関係に支障を来すだろう。やはり、逃げの一手だな。


 俺は女の子の安全に配慮しながら、女子高生ゾンビを蹴り飛ばした。俺は敵として認識されてないからな。肋骨の軋む感触が蹴り飛ばした足から伝わってくる。世にも奇妙で今までの人生の中では到底感じた事のない部類のもの。渾身の力を込めたので折れていてもおかしくない。いや、相手はおかしい奴だった。蹴られたのなど関係ないとでも言いたげに、ゆっくりとした動きで不気味に立ち上がろうとしている。


「走るぞ!」


 声を掛け、手を掴んだまま駆ける。なるべく遠くに。俺に引っ張られるような形になっている女の子は必死に俺の速度に合わせようと足を絡ませながらも、真剣な表情で懸命にその絡まる足を動かした。


 遥か後方で誰かが俺達を呼び止める声が聞こえた気がした。それは、もしかしたら化け物に変わった女子高生ちゃんの心から漏れた悲痛な叫びだったのかもしれない。なんて、ロマンチックな思考が許されるような世界ではないか。

 でも、脳内でくらい自由にさせて貰いたい。なんて、ちょっと我が儘を言いつつ俺は走る。彼女を連れて──





「──はぁはぁ」


 息を切らしながら辿り着いたのは、世にも珍しい裏の店。いや、珍しくはないか。

 ざらにあるな。ここでは日本では扱えないだろ。アメリカかよ。と、指摘されそうなもの。つまり銃器の類いや、爆発物を取り扱っている。勿論、表向きは普通の店を装っている。


 知り合いの紹介で知っていたここに来た。


「どうやら、捲れたようだな」


 一息つきながら、誰もいない店内の物色を開始する。


「なんで、貴方はそんなに落ち着いていられるのですか?」


じんだよ」


「え?」


「いや、名前ね。貴方とかだと呼びにくそうだし。知っていると何かと便利じゃん。記号でしかないけど」


 怪訝な面持ちになる女の子。彼女は多分こう考えたのだろう。


 この人は常識とは何処か外れてしまっている、と。

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