(8) 風羽の過去・上


 それは二年前の夏。

 二年前、十四歳の喜多野風羽は能力者ではなかった。

 都内の中学に通う、異能とは無関係の生活を送っている学生。周りと違うとこといえば、父親が警察で、しかも警視総監ということぐらいだろう。

 風羽の父親、喜多野風太郎は厳格で厳しい人。そんな父親に反して、母親は優しく穏やかな人だった。家族は他に兄がいるものの、異能を嫌う父親により、後天的な能力者となってしまった兄は勘当されて一緒に住んではいない。


 風羽の家は一軒家だった。いまもそうだが、あの頃より家は一回り、二回り小さくなっている。二年前の風羽の家は、見た目からしても豪華な造りで、使用人が数人いた。

 産まれたころからあたりまえの生活を、風羽は気にすることなく当然と暮らしてきた。

 だけどそれは二年前まで。

 二年前、風羽に後天的な異能の力が芽生え、豪華な家はなくなり――幼馴染が死んだ。



 風羽の幼馴染、相原乃絵は近所に住む同じ年の少女だった。どうして仲良くなったのか、小学校に入学する頃にはもう一緒にいたため、思い出すことはできない。恐らく、近くに住んでいる同じ年の子供が、乃絵以外にいなかったからだろう。

 乃絵は、細い瞳が特徴の少女だった。年齢の割には背が小さく、だけど態度は男の風羽より大きい、好奇心旺盛な少女だった。髪は肩で切りそろえられており、走るたびに髪が躍るのを後ろから見ているのが風羽は好きだった。

 外に興味がなく、引きこもりがちになる風羽をいつも外へ連れ出してくれたのも乃絵だ。乃絵は虫取りが得意で、中学になったいまも変わらない。


「蝉取りに行くわよ」


 玄関から出てきた風羽の腕を引っ張り、乃絵は走り出した。髪から香るシャンプーの匂いに惹かれながら、風羽は文句を言わずについて行く。

 それが、二年前の夏休み一日目のことだった。


 近くの公園まで行き、虫捕り網を構えた乃絵が木に止まっているアブラゼミに狙いを定め、網を一閃させる。アブラゼミは羽を幅叩かせておしっこをすると、どこかに飛んでいってしまった。乃絵が名残惜しそうにその背中を眺め、手を振る。


「今度は捕まえるからね!」


 風羽は微笑まし気にその背中を眺めていた。


(今日も元気だなぁ)


 そんなことを考えていたと思う。

 風羽はなんとなく手を伸ばし、異変を感じた

 手に風がまとわりついてくるような、不思議な感覚。

 だけど風羽は気のせいだと思い、その日そのまま家に帰った。


「また明日ね!」


 という乃絵に手を振り返し、家に入る。


「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」

「……ただいま」


 家に入ると、使用人の内の一人、黒い髪を後ろでしっかりと束ねた女性に出迎えられた。眼鏡越しの目は優しく歪められているが、彼女を怒らすと目が細くなり鋭利な刃物のように鋭くなるのを風羽は知っているのでやけに緊張してしまう。幼い頃は風羽もやんちゃで、いろいろ怒られたものだ。


 夕飯を食べお風呂を済ませてから、風羽は布団に仰向けに寝転がった。

 天井で光っている照明に向かって手を伸ばしてみる。


「あれ?」


 そこでやはり異変を感じ、風羽は体を起こした。

 この体が、自分の体じゃないような……。

 髪の毛に風が当たる。室内なのに、どうしてなのだろうか。

 風羽は思考を放棄して、悪寒と共に眠りについた――。



 次の日、部屋の中を吹き荒れる強風と共に風羽は目を覚ました。

 バサバサとカーテンが揺れる。夏用の掛布団は部屋の隅で踊っていた。学習机の上にある教科書がぱらぱら捲れ、部屋の壁に飾っていたカレンダーが落ちる。そして回転椅子が部屋の壁にぶち当たった。


 余りもの光景に、すっかり目が覚めた風羽は部屋の中を見渡す。

 何が起こっているのか分からずに茫然としていると、部屋の扉が開いた。


「お坊ちゃま。おはようござい……」


 使用人の言葉が途中で止まる。

 部屋の中の光景をみて、彼女は言葉を失った。


 風羽の心臓が、どくんと脈打つ。

 ミツカッタ。

 恐怖が背筋を駆け上がる。

 兄のことを思い出した。異能が芽生えたがために、勘当された兄のことを……。

 オワリダ。

 風羽は思わず逃げ出そうと立ち上がる。風はもう止んでいた。


 茫然としている女性の横を通ろうとして、腕を掴まれた。ものすごい力だ。

 風羽は怯えた目で女性を見上げる。

 彼女は優しく微笑んでいた。眼鏡をくいっとあげて、彼女は口を開く。


「お坊ちゃま。早くお着換えくださいませ。朝食の時間ですよ」

「……ッ。でも」

「部屋が散らかっておりますね。わたくしがお片付けしておきましょう」

「い、いや」

「どうしたのですか、お坊ちゃま?」


 不思議そうな使用人の顔。風羽は鋭い目で睨まれたわけじゃないのに、思わず目を逸らす。


(なんでっ。どうしてっ。確実に見られたはず)


 風羽は怯えながらも、使用人に言われるがまま私服に着替えた。今日もこの後、乃絵と約束がある。

 父はもう仕事に行ったみたいだ。母はいつもと同じように、穏やかに外に出るのを送ってくれた。

 家を出て、道路を挟んだ向かい側の家の前にいる人影に気づき、近寄ろうとすると後ろから声をかけられた。


「風羽様」


 落ち着いた女性の声。

 風羽は背筋を強張らせる。

 振り返ると、使用人の女性がいた。いつもの落ち着いた色合いの服ではなく、黒のパンツスーツに見えを包んだ姿は、違和感がある。瞳は穏やかに細められていた。


「風羽様。貴方に、会っていただきたい方がいます」

「いますぐ?」

「ええ。早い方が言いと思いまして」

「……この力のこと?」

「はい。貴方の力について、教えていただきましょう。いまのままでは、貴方は自分の力の暴走により身を滅ぼしてしまいます」


 どうしてわかる、とかいろいろ言いたいことはあったものの、風羽は言葉を飲み込んで女性の後についていくことにした。乃絵には遊べなくなったと、メールで連絡を入れた。



 使用人の女性に連れて来られたところは、風羽の家から一時間はかかるところにある診療所だった。象牙色の外壁で、一見すると普通の家に見える診療所。

 診療所の中に入り、風羽は違和感を覚えた。

 誰もいない。

 いまの時刻は午前十一時。いまは診療の時間だ。壁に貼ってある、診療時間のご案内を見てみるが、今日は休診日ではないようだ。

 風羽は疑問に思い女性を探すが、彼女は受付で何やら話し合いをしていた。

 暫くして戻ってきた女性が風羽に言う。


「行きましょうか」


 どこにと訊くことなく、風羽は彼女の後についていった。

 診察室Dというところに、女性に連れられて風羽は入った。

 回転椅子をぐるりと回し、座っている人物がこちらを向く。


「喜多野風羽クンだね」


 白衣を着て、聴診器を首にかけた姿は医者そのものだった。

 風羽はその人物の風貌に驚く。

 桜色の髪を一つで結び前に垂らして、丁寧に化粧をした姿は女性そのものだ。だけど風羽が驚いたのは、その人の声。

 野太い男の声だった。


(男なのか……?)


 訝しんでいる風羽に気づいたのか、その人物は優しく微笑み疑問に答える。


「ワタシは、生物学上では男だよ。けれどね、人は性別だけでは測れない。少なくともワタシに性別なんて関係ないんだよ。君がワタシを男だって思うのならそう思えばいい。逆に見た目が女みたいだから女だろーと思うのであれば、女だと思ってくれてもワタシは構わない。というより、むしろ女に見られる方がいいね。特に君みたいなイケメンにそう言われると、ワタシは悦ぶよ」


 そう言ってウィンクされて、風羽は思わず引いた顔をする。

 はっはっはっと、その人は野太い声で笑った。


「診断を」


 背後に立っている女性の冷たい声に、風羽は背筋を強張らせた。逆に、医者はにんまりと笑う。


「そうあせらさないでよ、夜名よなチャン。こうして患者と会話をするのも大事だよ」

「能力って、病気なんですか?」


 患者と言われたことにムッとして、風羽は尋ねる。


「それもキミ次第だ。能力なんてね、持ち手により存在が確定される。周りの目なんて気にしなくっていい。キミがそれを病気だと思うのならば、そう思っていればいい。能力を生命の進化と思うのならばそれもありだろうね。少なくともワタシは、生まれ持ったこの能力を、病気だなんて考えていない」

「貴方も、能力者?」

「そうだよ。そして、その後ろにいる夜名チャンもそうだ」


 思わず振り向く。女性がわざとらしくため息をついた。


「勝手に言わないでください」

「いいじゃないか。減るもんじゃないだろ」

「それはそうですが……」

「で、風羽クン。異能の力を、キミは何だと思う?」

「……わかりません」

「ああ、そうだろうね。先天的な能力者と違って、後天的な能力者にとってのそれは、慣れるまでは違和感そのものでしかない。中には、突如現れたそれと上手く接することができずに、自滅してしまうモノもいる。キミも、その一歩手前だったんだよ」

「どうして」

「それを知っているのか? それは夜名チャンに聞いたからだ。彼女のおかげで、キミは能力をあれ以上暴走させずに済んでいるんだよ」

「それ以上は、わたくしの能力について言わないでくださいませ」


 冷たい声が響いた。

 医者が少し顔を引き攣らせる。だけどすぐに穏やかな笑みに戻ると、その人は風羽の額に指を置いた。


「さて、喜多野風羽クン。ここで、キミに質問がある」

「……はい」

「君は、これからどうしたい」


 できれば平穏に、いままでと変わらない生活を続けたい。

 だけどそんなことをできないと、風羽は知っている。能力者になった兄がどうなったのか――家をいきなり追い出された兄のこと思い、風羽は口を噤んだ。


「なるほど、平穏に生きたいね」

「え」

「どうしてキミの心を読めたのか。それはこれがワタシの能力だからだよ。サイコメトリー。それがワタシの能力さ。物の残留思念を読み取ることができる。物じゃなく、人だったらその人の思いや記憶まで見られるんだよ。といっても、サイコメトリーというのは、能力を持たない人間が勝手につけた名前で、一般的な解釈とワタシの能力は少々違うが、いまそれは関係ないだろう」

「……」

「で、キミは平穏に生きたいんだよね」

「はい」

「能力はね、消すことはできない。いまのままじゃ、平穏になんて暮せないだろう」

「……」

「そんなに悲観的にならなくっていい。一般人から見ると、能力者の区別はつかないんだ。能力者は能力者の〝気配〟を抽象的に感じ取ることができるけどね。少なくとも、キミの両親は能力者じゃない。だから、能力を制御することができれば、キミはいままで通りの生活を続けられる」

「……」

「無理じゃないよ。できる。ワタシはね、能力者専門のお医者さんなんだ。治癒能力は持っていないけれど、キミみたいに能力に悩みを持っている人の話を聞くことはできる。それから、能力の制御方法も教えてあげられる」

「……」

「風羽クンの能力は、〝風〟だったね。しかも『四大精霊エレメント』を操れるほどの力を持っている……。これはすごいや。いや、何でもない。忘れてくれ。いや、ちょっと興奮してきちゃったよ。いや、気にしないで。うん。今日の診断はここまでだ。明日また来てね。キミの能力について、調べておくよ」

「……」


 無言で風羽は頷く。

 診療所を後にした風羽は、夜名の車で家に戻った。

 昼はもうとっくに過ぎていた。

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