溶けて、焼けて、落ちて、死ぬ。
……最後に踏んだのはプシュチナの背中だ。
あとは訳がわからなくなる。
上、階段、紐、敵、痛み、下、赤、前、蟻、何もかもが混ぜこぜになりならが、頭のどこかで階段を転げ落ちてる最中だとは理解していた。
ブチブチと鳴るのは潰れた蟻ども、酸っぱい臭いに包まれて、ようやく二人、転がり落ち終えた。
ここはまだ階段中程、周囲全てが赤の蟻、だけども齧られることもなく、スゥっと引いて灰色の円ができた。
その中心、寝ているのはモジャモジャ、仰向け、頭は階の上方向、その上に、俺が座っていた。
馬乗り、マウントポジション、狙った結果ではないが、俺が有利となれた。
こうなればモジャモジャは逃げられない。
まだ自由な両手はあっても、この体制では俺の体重を押し返せないだろう。
そこへ、一方的に拳を叩きつける。
全力、殺すはもちろん、拳を破る勢いでの打撃、連打、ここで殺す。
…………だけども手応えがおかしい。
モジャモジャ、むき出しの顔、そこを庇う両腕、それらを守る長い紐、束なるそいつは硬く、なのに弾力があって、いくら叩こうとも効いている気がしない。
それでもこれを逃せば、という焦りが拳でリズムを刻ませる。
打撃、打撃、拳が握れなくなれば平手で打撃、あらゆる角度で目一杯叩いて叩いて、だけども呼吸が荒くなるだけで、体力を消耗するだけで、攻撃になっていなかった。
それでも、と思う思いとは裏腹に、打撃が止まる。
瞬間的な疲労にこれまでの蓄積してきた疲労、合わさり腕が上がらない。
そこへモジャモジャが動く。
顔を庇っていた両腕を開くや、俺の両手をそれぞれ掴み、開いて引き寄せ、階段へ、押し付けた。
意味のわからない動き、それからもがれようと腕に力を込めた刹那、焼けるような激痛が両手に走った。
食いしばり、目を見開き、声を押し殺して見た俺の右手、影のように蟻が群がっていた。
耐えられない。
あらん限りの力で暴れ、崩れてマウントポジションが外れた。
中央柱へ転がり当たった俺、外側階段縁で立ち上がったモジャモジャ、対峙し睨みあったのは一瞬、俺は手を見ずにはいられなかった。
……つるりとした骨が、小指の外側から中程まで、露出していた。
もはや出血もない。ただむき出しの内部が荒くなった俺の息に当たる度に激痛が、まだ生きてると叫ぶ。
「……話したよなぁ?」
モジャモジャ、いつに間にか階段の下側へと移動していた。
一段一段、蟻が開けたステップへ、足を下ろしながらもニヤつく顔は俺に向けたままだ。
「これはゴムと言う。樹液を固めたものだ。樹液、知ってるよな? 樹木から出るベトベトだ。人ならまだしも小さな虫が触れればそれでお終い、囚われる。だから臭いだけでも本能的に逃げるのさ」
一言で理解する。
こいつの戦略は、最低だ。
この儀式における、蟻、というギミック、一箇所に籠るの防ぐための、追い立てる炎、全てはそれに特化している。
ゴムのモジャモジャ、これで蟻から身を守り、守れない他が力尽きるまでひたすら待つ。この儀式を事前に知らなければ決して思いつかない戦略だ。
最善を言えば、そのまま蟻の中で、最初の小部屋から出ないでいるのが確実だ。それをしなかったのは、ゴムが不完全なのか、確実性を求めたのか、ただの高慢というのが最もそれらしい。
思考を焼いて遮ったのはまたも蟻だ。
足、脚、尻、床に触れてる面から喰われている。
激痛に恐怖が加わる。慌てて立ち上がるも力が入らず、まだ足を齧られてるのに足踏みもできない。
沼に沈むように、食われていた。
「おーー怖、逃ーげよっと」
茶化す声、モジャモジャ、トントンと階段を降りていく。
逃げられる。逃げられたら、殺せない。
激痛と恐怖とを押し込めて、重力を味方に、階段を駆け下り追いかける。
ベチャリと鳴る足音、反射する感触は硬く、骨が当たってると痛みの中でもわかる。
それでも足って、駆けて、落ちて、転がって、だけどの届かないモジャモジャ、ギリギリの距離で遊ばれていた。
それでも、最後の力、滑りながら踏み切った最後の一歩、落ちるとしか言いようのない一跳びが、俺の左手をモジャモジャの紐の一房へと届けた。
同時に両膝を打ち付ける。
骨に響いた痛み、それもすぐさま焼け付く激痛に塗りつぶされる。
「全く、しつこいなー」
そう言って腰から伸びた紐を引っ張る。
ピンと張り、伸びるゴム、いくら引き寄せても伸びるだけでどちらも動かない。
そんな俺へ、モジャモジャは右腕を大きく振り引いた。
あの鞭、また来る。
防御、回避、選択する頭が、急に悟った。
どうせ。もう助からない。
消耗、脇腹の傷、食われてる全身、痛みによるショック死もありえる。
助からない。
なら、こいつも、引き摺り殺す。
もはや無心、痛みもない世界で、右手を蟻の中へ、それでも齧られる感触がある中で、ありったけを掬い上げ、モジャモジャの顔面へ、投げてかけた。
飛び散る蟻は、光に煌めいて、まるで血飛沫みたいで、咄嗟に庇った左腕を抜けて、降りかかる蟻は、ほんの数匹だが、むき出しの、ゴミのない顔に、降りかかった。
「うぎゃあああああああ!!!」
絶叫、そして同時に起こった。
モジャモジャの振り引いてた右手の鞭は俺の頭上を空振り、俺が掴んでた紐は千切れ、モジャモジャの右足が階段を踏み外し、クルリと回ったかと思えば、手すりのない階段から、踏み外して、するりと落ちた。
…………絶叫が聞こえた気がした。
だがもはや力尽き、右半身から蟻の中へと落ちた俺は、ただただ激痛を感じるだけで、体の何もかもが動かなかった。
そして、食われながら、痛みの限界が来て、俺は神経が焼き切れた音がした。
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