引きずる男
十字路、左の道へ曲がって中央へ向かおうとした矢先、血と糞の臭いで足を止める。
警戒、斧を構え直し、身構える。
「止まるな」
プシュチナへ、同じく臭いを嗅ぎ取ったのか足を止めたその背に命令すると、一瞬だけ振り返り、その表情を完全に見せつける前に前を向いて、一歩を踏み出した。
それとほぼ同時に、右の道より男がふらりと歩いて出てきて、出くわした。
その歩みは老人のように力無く、ただただ真っ直ぐ歩くだけ、それがかえって足音と気配を消し、幽霊のように現れて、プシュチナの一歩を止めた。
図ったようなタイミング、だけどもこちらを向かずに前だけ見ている横顔から、向こうはこちらに気づいてないようだった。
「ひぃ!」
それをプシュチナの小さな悲鳴が台無しにした。
後ずさるプシュチナ、その頭をかち割って殺す前に、男はゆっくりとこちらを一瞥した。
短い金髪、目の下にクマ、こちらに向けた左の頰には十字の切り傷、ただし古いものだ。それに首の後ろに黒いの刺青の一端、カタギではないのは見て取れる。
青い目は虚ろ、土気色の肌、覇気も表情もない顔は死人のようで、吐血でもしたのか、下顎が顎髭のように赤く染まっていた。
その手に武装はなく、代わりにピンクの塊を抱きかかえている。
それは、男の内臓だった。
腹を斬られたのか破かれたのか、臍の辺りをばっくりと裂かれ、溢れ出た中身がこれ以上溢れ落ちないよう、抱き抱えるように、両手で押さえていた。
その押し込む手だけは硬く、力強く、だけども溢れ出た大腸小腸がずり落ち、足元に絡みながら、男の足跡を塗り潰すように、引きずられて、擦れて破れて少しずつ、中身の血と糞を漏らして、灰色の地面に塗りつけていた。
一目で助からない重症、だけども歩き続ける様子に、驚きはなかった。
……内臓が表に出てもすぐには死なない。
痛みでのショック死はありえるが、それさえなければ、なかなか死なない。
だから、腹を開いての手術ができる、だから諦めるなと、軍では習った。
だから、内臓出しても油断するな、ちゃんと殺せと、戦場で学んだ。
この男は、助からないが、暫くは生き続けるだろう。
内臓損傷での機能不全、消化器関係ならば栄養が取れず、循環器系ならば血が濁って、具合悪くなり、戦えなくなり、苦しんで、死ぬ。
殺すなら内臓そのものを斬り裂き、出血させなければならない。
これをやった相手は、それを知らなかったのか、あるいはしくじったのか、とにかく死なずに歩いていた。
死人のような、もうすぐ死人になる男は、もはや意識も死につつあるのか、こちらを一瞥しながらも何もせず、また前を向いて歩き続け、俺たちの前を通り過ぎていった。
そして長い影のように、腸が引きずられていく。
ピンクのヒダのある肉の紐、卑猥にも見えるそれが完全に通り過ぎるのを確認すると、一歩も動こうとしないプシュチナの横を通り過ぎ、男の出てきた方を覗く。
……血の跡は遠く、向こうの曲がり角までしか見えない。
少なくとも、内臓引きずり出した相手も、その痕跡を辿る相手もいないようだった。
次に男の進む方を、塔へ向かう道は折れ曲り、果てが見えてない。物陰、ドア、各種死角、できれば進みたくない危険な道だ。
……これは、利用できるかもしれない。
引きずる男、助からない男、ただ歩くだけの男に脅威はない。それどころかほっとけば死ぬのだから、手を下す必要もない。
だけども何も知らない待ち伏せは、そうと知らずに出てくるだろう。
つまりは囮、使い捨ての斥候、その腸の跡を辿れば、安全性は上がるだろう。
……少なくとも、こいつよりは役にたつだろう。
思い、振り返る。
あれから一歩も動けてないプシュチナ、真っ直ぐ下ろした両手はシャツの裾を力強く握り、残る目でただただ無為に跡を見下ろしてるだけだった。
使えない。
死体で吐く、悲鳴をあげる、挙句に立ち止まる。
使えない。
なら交換の時期かもしれない。どうせいつかは殺すのだから、これは好機だろう。
思案し、斧を握り直す。
ズデン。
小さく間抜けな音が思案を止める。
見れば引きずる男、腸に足をとられたほだろう、派手に転んだところだった。
しかも半端に手を突こうとしたらしく、派手に内臓の残りもぶちまけて、まるで夜の繁華街の道の端、吐き捨てられたゲロのようになっていた。
その中で足掻く男、溺れてるかのように両手を動かし、ぶちまけた中身を集めようともがいている。そしてなんとか一定集めてと立ち上がろうとして、滑り、崩れ、また中身をぶちまける。
おそらくは、これはこの男が死ぬまで繰り返されるだろう。
……これで、引きずる男から価値がなくなった。
使えない。
思い戻ろうと一歩、踏み出すやガクリと滑った。
腰を落とし、重心を下げ、バランスを取り戻す。
……落ち着いてから足の下を見れば腸の跡、この距離で見れば滑るような煌めきがあった。
これは、内臓脂肪、それが地面に塗りつけられて滑りを良くしている。だから引きずる音も軽減されれ、気配が隠れていたのだろう。
これは、危ない。
この跡をたどって狙撃されれば避けそこない転ぶリスクがある。
価値がないならこの道にこだわる意味はない。
「戻るぞ」
まだ動けてないプシュチナに命じると、今度はすぐに従った。
これなら、まだ利用価値がありそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます