灰色
男は、灰色だった。
スキンヘッド、そして全裸、下は丸出しで、剃ってある。短いが太い丸出しも当然灰色だった。長い手足に猫背でもわかる背に高さ、縦長な頭に耳たぶの大きな耳、黄色い瞳だけが色を残していた。
その灰色は、建物の灰色と同色、即ち迷彩色だ。
周囲と自身の服装の色を似せることで存在を隠蔽し、隠れ、忍び寄る。壁か床を削った粉を全身にはたいたのだろう。その効果は出ている。
こうして前にしても影で輪郭がわかる程度、高速で切り結べば、見過ごせない見過ごしが起こり得る。
「マジかよー。二人組かよー」
要約すれば『足音が去ったから出てきた。まさか二人ずれとは思わなかった』だろうか、灰色は耳障りな声で現れた理由を自白する。
「それも女の子とかよー。デートかよー」
灰色でもニタリと笑ったのが見える。
「デートデートデートデート、うっらやっましー」
おちょくる言葉、合わせて灰色の右手が二枚の刃をくるりと回す。それは一本、握りの両端にそれぞれ諸刃の刃がある、一本のナイフだ。見たことも聞いたこともない得物、それもご丁寧に灰色だった。
「どうやった? 泣き落とし? それともベットテク?」
黄ばんだ歯を見せて笑う灰色、あの斧男はこいつが仕留めたのだろう。飛び散る脳みそから見るに背後からの一撃、それができる隠密力、加えてその死体を餌に誘い込む狡猾さ、紛れもない、こいつはプロだ。
それが何のプロか、狩人か、軍人か、あるいは暗殺者かまではわからないが、こうして向かい合うこと自体が手練れの証でもある。
そんなやつと正面切って、得意でもないスティレットなんぞで戦うなど、愚策だ。
……だが、それでもこいつは、今、殺さなければならない。
「なんだよー。おしゃべりは嫌いかよー」
こいつは、喋りすぎる。
俺とプシュチナ、この状況で共闘など奇跡だ。だから誰も想定しない。それが最大の強みだ。
現に今もそれでこいつは出てきた。プロ相手にも通じるのだ。
だがそれを敵であるこいつに、喋りすぎるこいつに知られた。情報漏洩、命乞いであれ独り言であれ、第三者に露見する可能性が高い。それでは二人組という秘匿が消え、効果が薄れる。
それは後々の悪影響となる。
どうせ最後には全員殺すのだ、なら、今殺そう。
思った矢先に動いた灰色、すらりと伸ばした左手が。内開きだったドアに届いて掴み、パタリと閉めらた。
逃げられる。
ドアを蹴開けて中へ。
正面、いない。
影、残像、左の端、いた。
恐ろしく素早く、身軽で、静かな移動、そこより繰り出される突き、咄嗟に反応して盾で弾く。
確かな手応え、儀式始まって以来のまともな戦闘行為、これに灰色は口笛を吹く。
「まっじかよー。防ぐかよこれー。お前ってば軍人さんだったりー?」
軽口、だけども灰色はすでに、こちらのスティレットの間合いの外まで、移動を終えている。
静かで素早く、死角を作っては潜り込む、この動きは軍人、その中でも一時共にした偵察部隊のものだ。ならば出くわしたのは不運、ここで戦えるのは幸運だった。
戦えば殺される可能性は高い。
だが逃げ出せば、この場で見失えば、こいつはもう二度と、今回みたいに迂闊に姿すようなミスはしないだろう。
そして次こそは、こちらにとって最悪と言える場面、時間、条件で襲ってくる。
……それに怯えて進むのは最悪の浪費だ。
だから殺す。犠牲を払っても、ここで、確実に殺す。
こちらの覚悟が伝わったのか、灰色が黙る。
重心をより低く、腰を落とし、両腕は軽く開いて、拳は乳首の高さに、右足を前にすり足で、ナイフの切っ先を細かく揺らしながら、間合いを図る。
典型的なナイフの構えから瞬時に襲ってきた。
「シッ!」
短く歯の隙間から抜ける掛け声、合わせて灰色のナイフが突き出され、こちらが身を引きかわすとすぐに戻る。
それが連続、小さく、素早く、細かく、そして絶え間なく繰り出される斬撃の数々、狙いは腕、時折足、そこへ時折フェイント、そして空の左手による視線誘導、攻め立ててくる。
これらは殺すのではなく殺すために弱らせる攻撃、手堅い攻めだ。
対して俺も重心を引いき、だけども脇は締め、動きも体表も最小に、ひたすら防御に徹していた。攻めたい気持ちはある。蟻が迫ってるのだ。短期決戦を願うは灰色と同じ、だからといって無為に攻めて負ければ死ぬ。だからこその根比べだった。
そうしての幾度かの攻撃、幾度かの防御、幾度かの挑発を無視して幾度めか、ようやく灰色が痺れを切らした。
一度大きく身を引くと膝を折って限界まで身を縮めるや、一気に伸ばして弾けた。
「シィイ!」
一際大きな掛け声、大きく左足を踏み出した、同時に右腕を突き伸ばす。正に全身用いた渾身の一刺し、最大射程の一突きは、だが事前動作でバレバレだった。
軌道を読み切り最小の動作、脇を軽く締めたまま二の腕だけの回転で合わせ、左の盾をその側面へ、擦れる手応え、灰色の突きを、俺の左盾が左へ外へと叩きだした。
外れた刺突、できた間、これを待っていた。
外れて伸びきりがら空きの右腕の内、その中へ飛び込む。スティレットは臍の高さ、柄頭を臍の上に押し当て、同じく灰色の腹へ狙いを定め、左の踵に力を込めて一気に間合いを詰める。
渾身の突撃、これこそが灰色の狙いだった。
「かかったな!」
灰色の左手がその背中に回り、影より長物を引っ張り出す。紐か糸か貼り付けてたか、取り出したのは槍、手のひらサイズの菱形な刃を含めて全長は靴三つほど、当然灰色、そいつが左に握られ突き上げられた。
知ってた。
ヒントは多かった。露骨な左手の動き、視線誘導、何も持ってないアピール、裏を返せば何かあるということ、投擲か打撃を想定してたから槍とは驚かされたが、知ってれば反応できる。
だから踏み込みながらも突き出さなかった右腕、代わりにスティレット持ったままで、突き出す動きでなく捻るように槍へ、その側面へ、拳をぶち当てる。
即興の
これで本当の隙だらけだ。だが灰色、反応速く、一歩引いた。それだけ、だが長い足はそれだけでスティレットから逃げおおせた。
だが、届く。
踏み出した右足の指に力を込めて、残る左足を引き寄せ振り抜き勢い乗せて放つ全力の前蹴り、ぶち上げた。
真っ直ぐ垂直み跳ね上がった足に衝撃、ブニュ、という感触、届いたつま先が蹴り上げたのは、短いが太い丸出しだった。
「ふごぅ!」
間抜けな悲鳴、同時に引いた足の甲に残る感触湿り気、だが失禁だけではない。玉が破けて中身がこぼれ出たのだ。
男なら再起不能の致命傷、だけども命は残る。ゆえに灰色が逃げる。
しかし、それは一歩二歩、震える足で内股で、後ろに下がるだけだった。
戦闘不能、あとは殺すだけだ。
踏み込み一撃、ズン、とようやくスティレットらしい手応え、真下から真上へと突き上げた一刺しが、灰色の顎を下より突き上げ舌を抜き、上顎までもを貫いた。
……刺さらず残った部分を差し引いて、先端は脳まで、致命傷だ。
その証に吹き出る鼻血、目からも耳からも流血し始める。脳への致命的なダメージ、これでは助からない。それでもまだ動く灰色、最後の足掻きを警戒し、スティレットを捨てて距離を取る。
最後の攻撃で負傷しては意味がない。離れたところでゆっくり死ぬのを待つのが上策だ。
灰色は右手のナイフをこぼし捨ててスティレットを掴む。そして引き抜こうと力を込めて、力尽きた。掴んだまま、糸の切れた人形のように、ゆっくりとうつ伏せに倒れていった。
決着、同時に失念していた周囲へ警戒を取り戻す。
……これが最後の最後に隙を作った。
フ、と音もなく上げられた灰色の左腕、その手が握る槍、斬撃とも呼べない一動作、カスリもしない最後だった。
……だが次の瞬間、右目が灼熱に襲われた。
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