戦国時代 「下剋上 強いものが勝ち、弱いものは滅びる。」
群雄割拠
守護から発展した守護大名: 今川 武田 大内 島津 大友
守護代・国人から発展した戦国大名: 上杉 織田 伊達 徳川
不明: 北条(北条姓は勝手に名乗っているだけで鎌倉幕府とは関係なし)
下剋上で、下の者が上の者を倒す風潮あり
国が豊かでないと戦争もできないので、大名たちは農業商業の発展に尽力した。
100年ほど戦乱が続いたのち、織田信長が台頭し、部下の秀吉が天下統一し、同盟者の徳川が江戸幕府を開く。
群雄割拠の中から織田信長が出て、明智光秀に裏切られ、秀吉が天下統一を果たし、その死後石田光成と天下分け目の関ヶ原で勝って、徳川家康が江戸幕府を開く、その後大阪冬・夏の陣を経て豊臣家滅亡・・・・。と言った経緯に関しては詳しい人が時々いたり、面白い解説たくさん出ているし探してみてください。
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出るのは「分国法」
戦国大名はそれぞれ法律や家訓で統治した。
「喧嘩両成敗」や結婚 土地の売買に至るまで様々
朝倉氏「朝倉孝景条々」(なぜか「一乗谷に居を構えた」というのが頻出)
今川氏「今川仮名目録」 武田信玄「甲州法度之次第」
城下町 楽市楽座
指出検地(年貢を取るためにしっかりと検地)
この頃は貫高制(とれる年貢を貨幣換算する) 江戸時代には石高制(とれる年貢を米高で換算)
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【鉄砲&キリスト教の伝来】
世界的には大航海時代
ポルトガルとスペインはキリスト教を広めたのちに征服するという政策をとっていた。
鉄砲の後にキリスト教も伝来し、南蛮貿易始まる。
南蛮人=南欧系の白人 スペイン ポルトガル イタリア
紅毛人=北欧系の白人 イギリス オランダ キリスト色なし 純粋に交易目的 そのため江戸幕府が鎖国政策をとってもオランダは交易を許された。
輸入するのは 鉄砲火薬 鉄 絹 木綿
輸出するのは 刀剣 漆器 銀 硫黄
大変儲かるので、キリシタン大名が現れる。
大友宗麟(大分) 天正遣欧使節を派遣
有馬晴信 黒田如水
しかし中には信仰を抱き続けて江戸時代に国外追放(マニラ)を選んだ者もいた。→高山右近
[キリスト教関係の専門用語]
伴天連(バテレン):ポルトガル語で「パードレ」神父 宣教師のこと
セミナリオ・コレジオ:イエズス会の学校 セミナリオが中等 コレジオが高等教育
南蛮寺:教会 慈善事業も行ったので信仰を集めた。
天正遣欧使節団:九州のキリシタン大名3名が4人の少年をローマに送った。8年で帰国。ローマ法王に謁見して地球儀や時計などを持ちかえった。1590年に帰った後、秀吉がキリスト教を禁止にしたので、4人中1人棄教、1人殉教 1人追放
慶長遣欧使節:これは江戸時代に入って1615年伊達政宗が交易目的で送った。キリスト教関係ないが切り離せない。支倉常長は交易の交渉には失敗したがローマ法王に謁見した。
外来語:金平糖 カステラ ビロード 天ぷら メリヤス 等々
活版印刷術:宣教師のヴァリニャーニが伝える。宗教書以外にも刊行多数。「天草版」ともいわれる。「天草版伊曽保物語」(イソップ物語 ローマ字で表記)とか。
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【キリスト教&貿易禁止の流れ】
貿易は「朱印船貿易」朱印状を持つ船だけが交易してよい
輸出 銀 輸入 生糸
[秀吉] だんだん禁止にした。宣教師を見せしめに殺した。
1587 バテレン追放令 宣教師の20日以内国外退去 貿易は許したので実効力なし
1596 サン=フェリペ号事件 船員が宣教師の派遣はスペインの他国征服の手段であると言ったので、26聖人殉教(26人の宣教師・信徒が処刑)
[江戸幕府] 禁教→鎖国へ 鎖国はほとんど3代家光がやった。
流れとしては、
貿易統制(糸割符仲間)→禁教→さらに貿易統制(奉書船)→島原の乱→完全鎖国である。
最初江戸幕府はキリスト教だけ禁止しようとしたが、貿易が続いていると難しかった。
また、貿易は莫大な利益をもたらすので、江戸幕府に反抗する資金になりかねなかった。
1600 オランダ船リーフデ号漂着 水先案内人のイギリス人「ウィリアム・アダムス」が家康に気に入られて外交顧問となる。日本名「三浦按針」平戸のイギリス商館設立に尽力。イギリスの商館は鎖国中に閉鎖。航海士のオランダ人「ヤン・ヨーステン」(日本名「耶楊子」)も平戸のオランダ商館開設に力を尽くす。オランダ商館は鎖国中も残る。
1604 糸割符制度 ポルトガル商人の言い値で買わないようにするため、生糸を糸割符仲間で一括購入させた。有名大商人:茶屋四郎次郎
1612 禁教令 その後大迫害開始
1613 伊達政宗がこっそり慶長遣欧使節団
1623 イギリス商館閉鎖
1624 スペイン来航禁止
1631 奉書船制度 朱印状の他に奉書(老中の許可文書)がいる
1635 日本人の海外渡航と帰国の全面禁止 この頃海外には日本人町があった。
1637 島原の乱
1939 ポルトガル船の来航禁止 鎖国
1641 オランダ商館も出島に移転。中国・オランダとのみ長崎の出島で交易できる。
【重要です!天下人秀吉の天下統一事業】
・太閤検地
全国の検地を統一基準で行う。枡は「京枡」を基準にした。
単位も「町・段・畝・歩」と「石・斗・升・合」に
度量衡の統一は、天下統一の一大功績である。
生産力を金額から米へ「貫高(かんだか)」から「石高(こくだか)」に変えた。
それに「一地一作人」の原則を用いて、持ち主が何人もいる複雑な所有関係をなくした。
・刀狩・兵農分離
大仏建立の釘にするという名目で、百姓から刀や鉄砲などの武器を没収した。
さらに身分統制令で士農工商の先駆けを作った。
・全国の鉱山の支配
佐渡の金山 生野・石見の銀山から金銀が取れたので財政が豊かだった。
・朝鮮出兵
文禄・慶長の役で、2回にわたり朝鮮に出兵した。目的は中国の征服だった。
多大の犠牲を払いながら大失敗して大名の不満を招き、秀吉政権の崩壊の下地を作った。
1度目の文永の役は平壌まで征服できたが、朝鮮義勇軍の活躍で停戦。
2度目の慶長の役は李舜臣(リシュンシン)の亀甲船のために補給路を断たれて苦戦。秀吉の死により停戦。
【安土・桃山文化】
中心人物:狩野一門
ほとんどすべての重要文化財が、狩野一門の描いた絵である。
例外は長谷川等伯くらいである。
自由闊達、勇壮。
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