第2話 キャプテンのこころは復讐でいっぱい

2-1

 ただただ、荒涼とした舗道を歩いていた。


 ひび割れ、色の薄れたアスファルトには砂ぼこりが挟まっている。塗り直しもされずかすれた黄色い中央線。生きているとも死んでいるとも判別できない、くすんだ雑草。


 この二車線道路の周囲には荒野しかなく、その茶褐色の土地は、この世すべての悪意を孕んだような夜の暗雲に覆われていた。


 ときたまびゅうと風が吹き、舞い上がった砂ぼこりが鼻孔に入って鼻をむずむずさせる。


 曇天はゆっくりと胎動し、いまにもはちきれそうだった。はちきれたらどうなるのか。きっとこの世界の終わりがくるんだろうという気が、なんとなくする。


 道のはるか奥――そこには巨大な都市があるようで、そこから太い塔のようなものが伸びている。塔はぼんやりと明滅し、たるんだ雲のなかにその身を深く突き刺していた。塔も、街から発せられるサーチライトも、雲が秘匿するものをあばこうとしているようだった。その部分だけ空が奇妙に明るく、昼のようだ。僕には街から伸びるあの塔と光たちがなんらかの手術道具に――だらしのない脂肪をかきわける鉗子に見える。


 僕が歩いてきた方は対照的になにもなく、ただ暗闇が広がっているだけだった。


 たまに、この空間に迷い込むことがある。


 この〈果て〉と呼ばれる虚無な空間は、僕ら“場所”を支配する〈王さま〉が時空と時空を渡るさいに通る空間を、ひたすらに堕ちて行った先にある。


 ここがなんなのかは経験が短い僕はまだよく知らないし、僕より長いこと〈王さま〉をやっている先輩――炊井戸タクイドヱイラ先輩も詳しくはないようだった。


 この空間には道以外なにもないと言って良かった。たまに錆びた道路標識が立っているけれど、それらも都市へ向けた矢印が書いてあるだけだ。


 それ以外だと、巨大なポールサインのネオンが明滅を繰り返す朽ちたガソリンスタンドや、灯りはついているものの誰もいないコンビニなんかと遭遇することもある。人の気配がない建物は、建物本来が持っている奇妙な波動を放出させていた。その波動はどこか懐かしく、同時に怖く、そして僕を落ち着かせた。


 たぶんそれらの店で働いていた名前も知らない彼らあるいは彼女たちは、決して帰ってくることはないだろうと、どこか本能で感じ取っていた。


 では、消えた人々はどこに行ったのだろうか。皆、あのきらびやかな都市に行ったのだろうか。それとも僕がやって来たはるか後方に、があるのだろうか。あの、暗闇の奥に――




 歩を進めても進めても、街に近づいている様子はない。左手首のジーショックを見てみるけれど、デジタル表示は止まったままだし、ストップウォッチ機能も当然のように動かない。果たしてどのくらい歩いたのか、見当もつかない。


 この空間では時間の流れ方が僕の世界と違うか、もしくは時間という概念がないのかもしれない。


「今日はもう、いいか」


 若干疲れてきた自分に言い聞かせるようつぶやくと、アスファルトに寝転がった。どうせ誰かが通りかかることもないんだ。普段道路に自由に寝っ転がる機会なんてないんだし、やってもいいだろう。なにせ僕は道を支配する〈王さま〉なんだから。


 右の頬にアスファルトや小石のかけらが食い込む感触と、ひんやりとした温度を感じる。土ぼこりのにおいが近い。ちらりと視線をうつすと、荒野に面した舗装のひび割れから枯れた雑草が生えていた。枯れ草はときたま吹く風に吹かれるまま揺れ、生命のいぶきなんてものは一切感じさせない。


 この荒野にいま――この場所に“いま”という概念があるのならの話だけど――生きているのは、たぶん僕だけなんだろうと思うと、胸の奥に寂しさと同時に安堵がこみあげてきた。


 ここにいるのは僕だけ。ここにいるのは僕だけ。


 お腹に抱えたショルダーバッグから白いチョークを取り出すと、僕は寝そべったままからだの輪郭をアスファルトに描きはじめる。


 交通事故後に遭った人が遺した痕跡のように――


 ここにいたことを、誰かに見せつけるように――


 これは謂わば、記録のようなものだった。自分がどこまで歩いたかの記録。次回のためのチェックポイント。


 僕はやがて、白線に沿ってやわらかくなった黒い泥に、ゆっくりと沈んでいく。


 屋上へと通じる大切な銀色の鍵をぎゅっと強く握る。


   □ □ □


「また、あそこへ行っていたんだね」


 頭上から声をかけられたので、目を開ける。学帽をかぶった黒髪の少女が顔を覗いていた。肩口で切り揃えられた髪が暗幕のように垂れている。


 先輩――炊井戸ヱイラ先輩だ。


「習慣、みたいなものですから――っと」僕は上体を起こした。


 手に触れる地面はやや灰色で、固い。緑色のエリアや、黄色い路面標示などもあり、小さなタイヤが積み重なってコースを形成している。かなり広い。まるで――というか、ここはサーキットだった。横浜にあるショッピングモールの屋上にある、おとなもこどもも楽しめるというスポーツカートのサーキット場だった。ちょうど休業日なのか、それとも人が消えてしまった世界なのかはわからないけれど、いまは僕と先輩しかいない。


 屋上を支配する炊井戸先輩が〈果て〉に行った僕を迎えるのは、だいたい“屋上”と“道”の双方の性質をあわせ持ったこの場所だった。渇いた砂のにおいがした〈果て〉と打って変わって、ここはゴムとオイルのにおいがつんとした。


「ついてるよ」


 先輩は言うと、僕の後頭部に手を伸ばす。細い指先と一緒に、柑橘系のかぐわしい香りが鼻先に触れた。


 確かに違和感がある。僕も触れてみると、毛先に硬いものがついていた。こちらに戻ってくるさい、どろどろになったアスファルトが毛先に付着してしまったのだろう。何本かの髪の毛を巻き込んで固まっている。


「動かないで……」


 彼女はいつも腰からぶら下げている黒いホルスターから、細くて鋭利なハサミを取り出す。まるで古い西部劇に出てくるガンマンがそうするように、ハサミを手のなかでくるりくるりと回転させた。沈みかけた陽を浴びて、銀色のハサミが鋭い光を放つ。


 、という感触が毛先にはしったと同時に、付着していたアスファルトの些細な重みが消え去った。


 あの荒野から発せられる奇妙な引力もぷつりと切れたようで、僕はすっきりしたような名残惜しいような複雑な気持ちになってしまう。


「まあ、こんくらいですんでよかった」カットし終えた先輩はアスファルトに覆われた何本かの髪の毛をしげしげと見つめ、それを適当に放る。「前みたいにざっくり切りそろえるレベルじゃなくて」


 あまり、深いところまで潜りすぎちゃいけないぜ? 先輩は、困ったように微笑んで忠告した。

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