4: What was the little witch made of ?
これは心の奥底にしまわれた、遠い記憶だ。
『こわいの?』
丸く大きな瞳が問う。
首を傾げ、わたしの顔を覗き込む。長いツインテールが緩やかに宙を跳ねた。
愛らしくて小さな女の子だった。
だれかに優しくされてだれかに優しくすることを、当たり前として生きていた女の子だった。
そんなことは、同じくらいに小さかったあの頃のわたしにわかるはずもないのだけれど。 それでもきっと、感覚的にそれらをすべて理解した。
髪を結うリボンがひらひらと風に揺れる。
あの頃の季節はもはや定かではない。なぜなら、彼女はきっと『春』そのものだったから。『冬』のわたしとは、違ったのだから。
淡いギンガムチェックのワンピースの裾をふわりと広げ、葉風ぼたんはとびっきりの笑みを浮かべた。
『大丈夫』
その笑みは、こわいものなんてひとつもないよ、と安心させようとするようで。
そんな顔、小さな女の子なんかができる筈がないのに。
『あたしが守ってあげる。これから、ずっと、どんなときも』
わたしより背が低いくせに。
学年が違うって言ったって、早生まれだから誕生日は二ヶ月しか違わないくせに。
わたしよりずっとずっと、子供っぽいくせに。
「だってこれから、あたしはきみの『お姉ちゃん』なんだから!」
それなのに。
──どうしてそんなに、強く信じられてしまうの……?
一層明瞭になる声に、すべての景色が霞んでゆく。
眩しい笑顔と差し伸べられたその手だけが、強く瞳
脳裏に刻まれてゆく。
どこにも行けないわたしの心はその日にやっと、すとんとあるべきところに収まった。
その日から、わたしは『葉風ぼたんの妹』であればよかったのだから。
「……だけど。ねえ、ぼたん。わたしまだ、あなたのことを『お姉ちゃん』と呼べてなかったんだよ。なのに」
うそつきうらぎりもの。
あなたはどうして、しんでしまったの。
*
夢うつつのままぼんやりと目を開ければ、やけに暗い朝の部屋。
ばらばらと雨の降る音がする。昨夜止んだはずの雨はぶり返してしまったようだ。
鈍く重い雷の音。
目が、覚めてしまった。
【起きたかい?】
ベッドの上から覗き込む、半透明、というよりは『四分の一透明』くらいの白い顔と赤い瞳。
「……おはよう、フラウ。んっ、けほっ」
喉が引っかかる。わたしは溜息を吐いた。
どうやら何もかも夢じゃなかったみたいだ。
【体調はどうかな】
「そこそこ、かな」
悪いというのは前提条件で。
昨晩、雨に濡れた後の冷えた体で家に帰り、急いでお風呂に飛び込んだものの、嫌な予感が拭えなかった。
案の定、変な時間に絶不調で目を覚ました。予感通りわかりやすく風邪だった。
熱を測って空きっ腹にかまわず薬を流し込んで、水だけたっぷりとって親宛のメモを残して、もう一度寝たのはぼんやりと覚えている。
現在時刻は授業開始くらい。
休みの連絡は多分、お母さんが入れておいてくれたんだろう。
なかなかに不本意なゴールデンウィーク延長だけど、まあ。
……どうだっていいか。
空っぽの胃に薬だけは悪いと聞く。
何か口にしなくちゃ、と部屋を出るとフラウは小さな足で音もなくついて来ようとする。
白い足に繋がれた黒い鎖がうるさく鳴らないのが不思議だった。
今更だけど、フラウの格好はなんなのだろう。
重厚な鎖に貫頭衣じみただぼだぼの白い服 まるで、古い物語の囚人みたい。
「フラウ、部屋で待ってて。すぐ戻ってくるから」
【ん わかった】
朝ごはん代わりの缶詰を開けて部屋に戻る。桃缶はなかったからみかん缶だ。
うちには常備の保存食が多い。
わたしは料理ができないわけではないけれど、あまり好きではないから都合が良かった。
【あのさ お互い聞きたいことは沢山あると思うんだけどその前に】
「うん」
【『その中』に入っていいかな】
フラウが指差したのはわたしの携帯。お姉ちゃんのとは違って真新しいスマートフォン。 お姉ちゃんの頃にはまだ折りたたみ式のが結構使われていた気がするけど、今やこっちが主流だ。
ぼんやりとした頭でフラウが何を意図したのかを察する。
「別にいいけど」
【いや動揺とかしろよ】
「だって、ぼたんの携帯に入ってたし」
【──普通 電話がかかってきただけって思うだろ?】
缶詰みかんを刺す手を止める。
「日記を見たの。ぼたんの。魔法少女だとか直前まで信じてなかったけど、もう諦めた」
【ああ 理解が妙に早かったのはそういうわけか】
「まあ、ね」
二年。わたしはそれを、信じないふりをして生きていた。
「でもなんでスマホ?」
【ボクはここに存在していないから そうしたモノを介した方がこちらと繋がりやすいんだ 具現化のエネルギーは自前だけど この姿のままというのは燃費も悪いしね】
「ふうん。わかるような、わからないような」
まあ……どうだっていいか。
「ちょっと待ってて。見られちゃまずいものとか、色々あるし」
【見ないよ!】
失敬な、と頬を膨らませる。
「って言っても、通知ぐらいは見えちゃうでしょ」
どういう仕組みかはわからないけど。
わたしはメッセージアプリを開き、次々と削除する。
りこからメッセージが来ていたけれど、少し迷って『大丈夫』のスタンプだけで返答した。
そして履歴を最後まで遡ってしまって、気がつく。
折りたたみの携帯電話から先に行けなかったぼたんとのメッセージがあるはずもなく、そして同様に、『彼』とのメッセージもないのだ。
メールアドレスは残っている。
会いにいかなくちゃいけない。
浅くて長い、溜息を吐いた。
【終わった?】
心なしか目を輝かせてフラウが催促する。
わたしは通知の設定を丸ごと切って言った。
「いいよ」
許可を出した途端、フラウの姿は消えて、ぱっとスマホの画面が付いた。
中で手を振る少女がいる。
【なにこれ すごい! 居心地がいいなんてものじゃないな!】
声はスピーカーを経由した分、ほんの少し枯れていた。
わたしは苦笑いをする。
なんだか変な感じだ。幽霊めいた姿でいるよりも、こちらの方が違和感がある。
ファンタジーが現実を侵食してしまったという実感が強く得られるからだろうか。
ベッドの上で膝を抱え、壁にこつんと頭と背を預ける。
「ねえ、フラウ」
さて、そろそろ現実に目を向けよう。
「ぼたんの日記、はっきり言って雑だったからさ。全然書いてない時期もあるし……だから、教えてよ」
「ぼたんは、どんな風にフラウと出会って、どんな風に魔法少女になったの?」
画面の中、フラウの表情が凍ってゆく。
平坦に、平静に。そしてわずかに苦悩を浮かべるかのように。
【そうだね どこからそしてどこまで話したものか──
端的に言うとね ボクはこの世界で迷子みたいなものだった
そしてたまたま 落ちている最中のボタンに出会った
それだけなんだ】
「落ちて……」
どこからどんなふうに、わたしの心臓が軋む。
【物騒な理由は想像しないでおくれ ボタンはごく普通に 足を踏み外したんだ
駅のホームだけど──自殺なんかじゃないよ保証する さっきまで自殺しようとした人間が あんなふうに目を輝かせられるもんか】
その答えに沈黙を貫こうとして、小さく言った。
「そう、よかった」
相槌代わりにフラウは頷く。
【あとはキミがよく知る通りだろう ボタンはとんでもないお人好しで ボクは 甘えて 巻き込んでしまった】
そう、あとは日記にある通り。
甘い甘い砂糖菓子の日々。夢と希望、そして正義の物語。
しかしそれは未完だ。
このままでは、最悪の結末のまま。
【ボクの記憶はある時を境に途切れている 二年のタイムラグは 一度こちらの世界とのリンクが途切れてしまったせいだ】
「……遅かったね」
【──すまない】
わたしは横に首を振る。
「いや……もっと建設的な話をしよっか」
ああ、頭が痛くなってきた。
熱が上がる前に確かめておかなくちゃいけないことはまだあるのに。
「単刀直入に。はぐらかさずに答えて。あなたが何を言っても、わたしの答えはもう変わらないから」
「『徒花』について。アレが生まれる条件は何? アレのエネルギーを集めている誰かは、何をしようとしているの?」
フラウが言葉を探すように、口を開いては閉じる。
【条件は『落下』 種自体はどれだけ蒔かれているのか見当がつかない 芽吹くだけのエネルギーを最初に用意できるのは 『落下』した人間だ】
想定の範囲内だった。
問題は、『落下』の定義だけ。
わたしはフラウに続きを促す。
【──敵の目的は 今は言えない けれど何か大きなものの破滅を導くことは 間違いがない】
単位は町か国か大陸か、あるいは星か。
答える気はなさそうだし、追及する気もさほどない。
【キミが寝ている間に『徒花』の活動痕跡を調べた この二年何があったのかはわからない しかしその発生は比較的沈静化していた だから──まだ手遅れなんかじゃない】
「いい知らせ、だね」
ゆるく微笑む。
どうしてかわからないけど、フラウは液晶画面の中で悲しそうな顔をした。
【ツバキ ひとりで戦うことない 全部を背負う必要なんてない だから仲間を見つけて──】
ひとりの顔がふと浮かんだ。快活な、腐れ縁の友達。あの子が二つ返事で同意する未来が見えた。
けれど、わたしは首を振る。
「いらないよ。いらない」
【え?】
「だってぼたんは、ひとりだったでしょ」
その沈黙は正解を意味していた。
さあ、そろそろ時間切れだ。
熱が上がってきた。わたしの理性がもう危うい。
「色々聞かせてくれてありがと、フラウ。それじゃあ……わたし、もうひと眠りするから」
そのままベッドに倒れこみ、わたしはそして目を瞑る。
明日にはすべて良くなっていると信じて。
【おやすみツバキ ありがとう そしてごめんなさい】
それはきっと、わたしの台詞だと思う。
長い朝の闇の中。布団の中で頭をぐるぐると回し続けて、そして、わたしは答えを確定させた。
*
なんでもないような話だ。
わたしは母の連れ子で、ぼたんは義父の連れ子で、同じ年に生まれて、違う学年を背負っていた。
ぼたんとつばき。奇しくも同じような名前の子供。
母と義父の気が合うのはすぐにわかる。
けれどそれが、幼いわたしには置いていかれたみたいだった。
わたしは怖かった。なにもかもがわたしを置いて変わっていく気がした。
そんなわたしの側にいてくれたのがぼたんだったというだけの話。
わたしたちはあっという間に仲良くなった。
いつか、姉妹みたいだね、と笑って。
いつか、姉妹なんだよ、と笑い返した。
『──ねえ、つばき。間違ってたんだ。ぜんぶぜんぶ。あたしが』
ぼたんの泣き顔を覚えている。
涙に濡れてさえ、きらきらと輝く女の子だった。
けれどもう、『春』はとうに終わってる。
『……ねえ、本当に。あたしが、間違っていたのかなぁ?』
あなたは間違っていなかった。
いつかの答えは、今日も変わらない。
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