3: Built up with hope and dreams.

 変身は完了した。

 貧弱な女子高生は今から休業。わたしはフラウのナビに従ってひた走る。

 硬い地面の上をトランポリンのように跳ね回るのも二度目。適応はもうできているみたいだ。

 勘がいい、とフラウが褒める。多分それは的外れ。

 わたしは頭が固いから魔法少女なんてふわふわしたものに向いているわけがない。

 それに十五歳はきっと引退時だ。


「見えた」


徒花あだばな』は元の歩道橋から左程離れていない道路上を悠然と──あれは、歩いていると形容していいのだろうか。それとも、這うと言うべきか。

 わたしの前に現れていた時には流動的な不定形だった『徒花』は一旦の形を定めたらしい。

 大きさは象くらい、しかしその四足は蛸のように地面を撫でながら進む。頭は無理矢理に花弁を広げ今にも千切れそうな百合のよう。

 霧のように摑みどころなく見えた暗黒の肌は、今や不気味なつやを放ってはぶつぶつと気泡を浮かせている。


「これで、害はないって言うの?」

【うん まあ 気持ち悪いのは認めるよ】


 時折『徒花』の触手は、その下をお構いなく走る車を突き刺していく。それはもう容赦なく。突き刺すならまだいい方だ。さっきの大型バスなんて、ぺちゃんこにされていた。

 ……まあ、全部幻影なんだけど。

 ぐちゃぐちゃに破壊されたように見えても、次の瞬間にはなにもなかったように車は走り去っている。

 なるほど。無害らしい。どうりでニュースとかで見ないわけだ。


【正確には 触れた物の寿命はほんの少し削れているんだけどね】

「それ、中にいる人は大丈夫なの……」

【生きているものは腐敗しないだろう? 『徒花』との干渉は生きていないモノのみに限られる】


 なるほど、と頷いた。

 わたしは足を止める。敵はまだわたしに気がついていない。もっとも、一体なにがアレの感覚器官なのかまったくわからないのだけれど。


 腐臭じみた強烈に甘い匂いが、街の淀んだ空気と混ざり合う。


「それで、どうすればいい?」

【胚珠──アレの『核』を奪い取れ】


 醜悪な怪物の中に、ガラスのような透明な輝きを見る。

 思い出した。あの男の人の胸に刺さっていた花は確か宝石に変わっていた。

 あのとき影の中央に嵌め込まれていたはずの赤い石は今、頭部のうごめく花弁に囲まれて雌しべの位置に収まっていた。


「了解。手順を教えて。それともフラウがわたしの身体、操作する?」

【いや あれを乱用するのはあまりよくない 基本的にキミ自身で間に合わない時のセーフティネットだ それにキミが魔法少女として適応していくほどにボクは割り込めなくなるからね 今後のことも考えてできる限りはキミ自身に頼みたい】


 恐ろしいほど早口なのに、どうしてすらすらと聞き取れてしまうのだろう。頭に直接意味を流し込まれているような……ああそういうことか。


【キミの思考まではハッキングしてないからね!】


 心を読むようなタイミングの弁明に、くすりと吹き出した。弁明が逆に疑わしい。


【さて本題だ キミの武器はなににしよう? なんだって出せるよ】


 そんなこと言われても。魔法少女ってどんな戦い方をするのだろう。幼い頃に見ていた番組の記憶はとうに薄れている。魔法と言われても思いつかない。


「ぼたんのは、なんだったの」

【形状は弓だったね】


 なんだ、そういうのでいいのか。


 じっと『徒花』を見つめる。ソレはゆらゆらと落ち着きなく、ざわざわとうざったく道路を這い回っている。なんてみっともないんだろう。

 さて、わたしは、あのバケモノを。

 どうしたい?


 ……決めた。


「──串刺しに!」


 イメージしたのは槍。古い洋館に飾られた甲冑が構えているような。

 そういえば、昔。確かお姉ちゃんと一緒に何かRPGに夢中になったことがあったっけ。もうタイトルもろくに思い出せないけれど。 

 ポリゴン仕立ての加飾気味な武器の数々が、曖昧な記憶の中で踊る。……ちがう、掻っ攫われる。


【──インストール完了 はは なんだまったく色気がないなぁ!】


 声と同時。手の中になにかを握る感覚を得る。

 そっと視線を向ければ、そこには柄も刃も同じ硬質な白色の槍があった。槍はほんのりと緑がかった光を放ち、硬質ながらもどこか砂糖細工のような危うさを感じさせた。

 ふと、後端に括り付けられたリボンに気がつく。こんなのイメージした覚えはないんだけど。

 フラウがどこかでにっと微笑んだ気がした。フラウの仕業らしい。やっぱり、わたしのイメージにはメルヘンが足りなかったみたいだ。リボンひとつでごまかされてくれないほどには無骨だろう。


 わたし自身、槍の扱い方なんて少しも知らないけど、この無茶苦茶な身体がなんとかしてくれるはず。

 バトンのように振るってみる。ヒュンと軽い風切り音がし、徒花の腐臭が払われる。

 質量はほとんどないのだろう。わたしの身の丈には長すぎるのに、持て余す予感がしない。

 わたしは察する。

 この槍もまた、『徒花』と同じ幻影なのだと。

 それにしても。あの掻っ攫われる感覚からしてこの槍、参照はわたしの記憶だ。

 まったくフラウったら。わたしの思考、


「ちゃっかり抽出はするわけ、ね!」


 フラウの悪びれのない詫びをそこそこに聞き流し、わたしはアスファルトを踏み切った。


 僅かの距離を助走に費やしガードレールを踏み台に飛び上がる。湿った風が肌を撫でた。

 せいぜい二階ほどの身長のバケモノは容易く飛び越えられる。

 視界の下方へと移っていくその背中を眺める。四足動物みたいな形を取っているけれど、尾はない。

 はたと飛び上がった後に気付く。

 さてどこを、どんなふうに刺せばいいのだろう?

 わたしはどうやら勢いだけで動いてしまったらしい。ほんのりと後悔をしたその時、


 ごぼりと、アレの濁った黒い肌が水面のように波打った。

 怖気が走る。

 黒い肌の全面から視線が飛んで刺さるようだった。


 見つかった。

 青褪める間も無く慣性無視で身体がぐいと後ろに引っ張られる。フラウの無言の干渉。

 次の瞬間、本当なら私がいたはずの位置に黒い腕が棍棒のように振り下ろされていた。


 無理矢理に空中で体勢を変更させられたわたしは呆気なく墜落した。

 べしゃりと尻餅をつく。さいわいちっとも痛くはない。

 でも結構に不愉快だ。

 弾みで白い槍は手元を離れてしまった。からんからんと乾いた軽い音を鳴らしながら、徒花の方へと転がっていく。

 まったく目玉ぐらいわかりやすく付けていたらどうなの、なんて無茶苦茶な悪態を口の中で吐いた。


 バケモノは先程まで背中を見せていたのに、とっくに振り返っている。

 わたしをはたき落とそうとしたのは前足か後ろ足か、それとも頭の百合の花弁か。


【右前脚だね】


 朗報。そもそも不定形だったから、新しく手足が生えていたらどうしようかと思った。もう形を変える気配はないから、あれで固定されたらしい。


 バケモノがまたわたしを見つけたみたいだった。

 のろのろと動いてるかと思ったけれど、敵意を発したら結構すばやい。


 第二陣の予兆がした。

 わたしは早々に立ち上がり、後ろに飛び退く。

 すっかり忘れていたけど、ここは道路上なのだ。ほんの少し立つ位置がずれただけで車は容赦なくわたしを轢いていく。

 けれど車は魔法少女わたしを透過していく。その感覚は鉄の塊の断面図を脳裏に流しこまれたよう。

 表情のない運転手と衝突する。興奮状態で感覚の鋭敏になっているわたしは全ての景色を拾ってしまう。頭がパンクして弾けそうだった。


 二台目に轢かれる前に車線の隙間に転がり込んだ。

 大丈夫かい、とフラウの心配そうな声が響いた。 

 わたしは軽く息を吐く。


「結構難しいね、これ」

【論点はそこなのか もうそういう次元じゃないんだけどな キミちょっと躊躇なさすぎだろ 何かやってた?】

「なんにも。生粋の文化部。運動神経にはちょっと自信があるタイプの」


 そして体力にはあまり自信がないタイプの。

 軽い溜息が耳元に届く。今のはどういう意味だろう。


「武器落としちゃったけど、もう一回出せたりする?」

【コストが高い 消費エネルギー的にギリギリ 出せても変身を維持する分がなくなる】


 なるほど、高さが足りなかったみたい。所詮は四階程度からの飛び降りだったのだし。

 落とした武器は取りに行けということだ。


 徒花はわたしよりも足元の槍の方に気を取られていた。

 あれが嫌なものだと分かっているのだろうか、さっきから繰り返し蛸のような脚を振り下ろしている。槍を壊そうとしているのだろう。

 けれどそれは叶っていない。脚は槍をすり抜けている。

 ふと疑問に思う。すり抜けてしまうのにわたしはあれで刺せるのだろうか。


「ね、フラウ。今のわたしは触りたいものに触れられて、ぶつかりたくないものを通り抜けるようになってる、でいいんだよね?」

【ああ そこはまだボクの裁量の範囲にあるところだけど】


 実体のない幻影か、実体のある幻影かということだとでもいうのだろうか。説明する暇はないとでも言うようにフラウは沈黙する。

 変身を解いたときの『装備換算』という言葉を思い出す。あの槍もわたしの一部とされているのだろう。


【『徒花』に触れるということは『徒花』もこちらに触れられる状態ということだ 迅速に触れられない状態に切り替えることは簡単じゃない】

【これが障害物とは違い攻撃は避けなければいけない理由だ ゆめゆめ忘れることのないように】

【ツバキ 撤退もアリだからね 無理に倒せなんて言わない キミが魔法少女をやる必要はないんだよ】


 淡々とした声音の最後に、心配の色が混ざる。


「わかった。それじゃあ…… 」


 呼吸を整える。胸に手を当て動く肺に息を確かめて、


「仕掛けてくるね」


 わたしは前へ踏み出した。


「今から無茶するから。フラウ、わたしの身体をよろしく」

【──は?】


 フラウの異論は後回し。

 落ちた槍と格闘している『徒花』との距離を測り、雨に濡れた道路を走る車を見据えた。

 爪先に力を込める。飛び上がる。フライパン上のオイルが弾けるように。

 着地点は車上、白い乗用車の屋根。

 飛び上がった勢いは殺さぬまま前の車へと跳び移る。

 すり抜けられるとはいえ車道の合間で動き回るには邪魔で仕方がなかった。これなら視界が広くなる。

 車上を動く地面にすることで、速度と僅かな高度を追加、車体の屋根を蹴って黒い巨体の前に躍り出る。

 地面に転がるだけの武器と魔法少女わたし、どちらが脅威だなんてことバケモノにもわかるだろう。

『徒花』は顔面に位置する百合の花弁のような触手を震わせ、砕けたガラスを地面に擦り付けるような煩わしい声を上げた。

 おそらく攻撃ではなく威嚇。頭の片隅がぴりぴりと痺れる。

 花弁に囲まれた真っ赤な核が光を浴びて、くすんだ輝きを放った。


「フラウ」

【ああもう 後で覚えてろよー!】

 

 着地と同時、振り下ろされた触手を避ける。一本目は自力で、二本目はフラウの介入付きで。

 目では追えてるのだけれど身体がついてきていない。というよりも、身体の性能に頭がまだ順応していない。

 つまり、慣れが必要だ。バイトと変わらない。

 でもって慣れた頃にお皿を割る。

 バイト先はファーストフード店だからお皿なんてそもそもごく少数なんだけど。


【そんな余裕綽々してないで!!】


 ごめんなさい。

 身体の操作権をフラウに半ば預けているからだろうか。フラウ自身に思考を覗く積極的な意図がなくとも、ある程度はふわりと伝わってしまうみたいだった。

 そういや覗かないとは言ってなかったな。多分、思考を改変しないという意味だったんだ。ああ、タチが悪い。


 気をつけないと。

 余計なことを、考えてしまわないように。

 伝わってはいけないことなんて、いくらでもあるのだから。

 そう、つまりは考えなければいいのだ。なにも。


 大きく踏み込み上体を倒し、スカートを翻して地面に手をついて、時に人体にあるまじきフラウの操作を受けながらも攻撃を避けていく。

 距離が近すぎる。花弁五本に前脚二本。速度は然程なくとも文字通り手数が多い。

 けれども、着実にわたしは前へと進んでいた。


「──っ」


 とうとう『徒花』の花弁が肩を掠める。透過は間に合わなかった。

 冷たい。

 氷水を流し込まれたような寒気が痛みの代わりに走り抜ける。

 心臓をざわめかせるその感覚に顔をしかめ、けれどわたしはわずかに笑んだ。

 ──取った。

 脚の間を通り抜け、やっと武器を取り戻した。


 槍を手にし即座に身体を起こす。

 槍を構成していたエネルギー分が追加され、『徒花』の認識上でわたしの脅威度が上昇したのだろう。

 でも、もう構ってあげるつもりはない。

 走り抜ける。

 真っ直ぐに。

 回避をフラウに投げ出して、身体はぐらぐらと揺れに揺れる。

 速度だけを欲しがって、わたしは『徒花』の腹の下を潜り抜けた。


 わたしを弾き飛ばそうとした後脚は刃で薙ぐ。ばつりと開いた切り口から水滴のように黒いものが散った。


「フラウ! 槍、伸ばして。それからしなりも欲しい」

【そういうことは早めに言え!】


 振り回した槍の勢いはそのまま。

 そして先端を地面に引っ掛けた。

 言葉少なで意図は伝わりきる。

 わたしは棒高跳びの要領で、勢いよく宙へと浮かび上がった。

 視界は逆さまになり、『徒花』は下へ。

 両手には長さの戻った槍。

 バケモノが伸ばした脚はわたしに届かない。

 跳び上がったなら、後は落ちるだけ。


 合図代わり、こくりと頷く。

 上昇が臨界点に達し落下が始まるその前に

 わたしは背後の標識を蹴って『徒花』目掛け突っ込んでいく。


【変身維持を最低限に 残り全てをこの攻撃に変換】


 白い槍が熱を放つ。

 落ちるほどに増していく。

 リボンが解けて散った。構成分は熱量に変換されたのだろう。

 接近は限りなく、そして『徒花』が腕を伸ばす。

 進路はもう変えられない。

 瞬きすらもできはしない。

 直撃。白熱する槍が腕を食い破る。

 通り抜けた先にはコンマ数秒後到達予定の、バケモノの胴がある。

 唇を噛み締めた。

 槍の熱は最早痛みの域にあり、痛みに至った途端にフラウの介入で感覚からは排除された。

 握っているのかもわからないから、手が壊れるほどに握りしめる。


 そしてわたしは『徒花』を貫いた。


 全身に衝撃が渡る。これが落下のあるべき姿とでもいうように。

 震える瞼を開けてみれば、黒い水面みなものような肌は波打ち、貫通点より波紋を広げていた。

 その波紋は広がり切って消えるのではなく、途中で固定される。

 ぴしり、ぱきりと、陶器にひびが入るような音がした。


【ツバキ 核を】


 こくりと頷く。

 喉はまだ、震えて声を出せそうにない。

 もうすぐバケモノが死ぬ。

 もうすぐわたしの変身が解ける。

 背をよろめきながら進んだ。 不思議に靴の踵はカツカツと硬い地面を歩くような音を立てていた。

 程なく顔面の位置へ。

 動かなくなった『徒花』の花弁の隙間から、赤い宝石へと手を伸ばす。

 指がつぷりと核の周りの肉に入り込んでいく。

 掴んだ。

 そう認識し、わたしはそれを力任せに引き抜いた。


 薄いガラスが割れるように、黒い体は粉々に砕けちった。



 *



【お疲れ様】


 フラウの労いを、ぼうっと聞き流す。

 変身が解けるまで、まだ少し時間があるようだった。

 とりあえずは車道を出て、いつ姿が元に戻ってもいいように、ビルの裏手に隠れたけれど。

 わたしは核を手に握ったまま途方にくれる。

 間近で見ると赤い石は天然の結晶のように歪な形をしていた。

 大きさも相まって、まるで幾重にも花弁を重ねた花のようにも見える。


「ねえ、これどうしたらいいの」


 生かすな殺すな、それが『徒花』への対処だったように思う。

 この石が核で、取り憑かれた男の胸から咲いていた花なのならどう扱えばいいのだろうか。


【飲むんだよ】


 さらりとフラウは言った。

 その言葉に困惑する。

 フラウは相変わらず声だけで姿はない。困惑の視線をどこに向けるのかも定まらなくて、結局手の中の花に戻ってきてしまう。


【生かさず殺さず 魔法少女のモノに変えてしまうんだ】

「そういうことなら」


 合点がいかないこともない。

 あんなバケモノについていたものだ。生理的に不快と主張したくはなる。


 せめて美味しいといいのだけど。

 おそるおそる、口元へと近付けた。

 石の花は大きさなんて関係がなかったかのようにするりと口の中に入り、噛み砕くことも必要なく水のように嚥下される。


 徒花は、ほんのりと冷たい味がした。

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