#5 君はボタンを押すほうの人間だ。
「もとはハリウッドの技術なんだ」
「ハリウッド、ですか、映画のハリウッド?」
「そうだよ」
ミシェルは笑う。唇のはしにピスタチオの緑色がついている。
「映画の技術を軍事的に応用したものなんだ」
彼は楽しそうだ。
それがピスタチオ・アイスクリームの味がいいせいなのか、その技術を気に入っているからなのか、それとも僕の先の質問が間抜けだったからなのか、それはわからない。
「かんたんに説明しておく。それを聞くと、君は我々が、平和な技術をろくでもないことに使っているような印象を持つかもしれないが……」
「いえ別に」
僕は紅茶を飲んだ。
「あまりそういうことは思わないと思います」
「戦争はハリウッドにたくさんのものを与えたんだから、ハリウッドだって戦争になにか返してくれないと。そうだろ?」
「映画は最初から軍事技術です」
と、僕はうけあう。これは少しうけた。
「視覚にある種の検閲をかける」
ミシェルは僕の目をじっとのぞきこんだ。
「標的となる人間の体はすべて、テディベアの映像がかぶせて表示される」
「テディベアの?」
「そう可愛くはないけどね。体型は人間のままだから、どちらかというとひどく歪なものが視界に映ることになる。エイリアンかなにかのように見えるよ。
もともとは、生身の俳優に、合成したキャラクターの画像をかぶせ。人間のリアルな動きをする架空のキャラクターを作り出す技術だ。映画産業では、もう当たり前になりすぎて、だれも驚かない技術だ」
「それを戦争に?」
「そう、使うんだ。兵士が不快なものを見ることがないように!」
ミシェルは興奮したようすで、クラシックの指揮者みたいな手振りをする。
「ポリアンナ、というプログラムだ!」
僕はちょっと気圧されながら、また紅茶を飲んだ。
採用ミーティングという場を考えると。明らかにミシェルはちょっと興奮しすぎていた。ポリアンナは彼が開発したプログラムだと知ったのは、だいぶ後のことだ。
「血や内臓、そのほかグロテスクなものは、すべてマスキングされてお菓子の画像がかぶせられる。君の視界からすべての不快なものは消えてなくなるんだ。たとえ君がどんな凄惨な場所に立っていてもね! 例えば大戦末期の
ミシェルはピタリと停止する。
「大変失礼した。悪意はない」
「かまいません」
僕はアイスクリームの残りをすくう。
「ええと、そういうことには興味がないタイプなんです。話の続きを」
「テロリストは、しばしば捕虜の顔に袋をかぶせる」
ミシェルはハンカチをとりだし、ひろげて、顔を僕から隠してみせた。彼の顔は四角く消える。ハンカチはネクタイと揃いの布地だった。
「殺すときだけかぶせるときもあるし、普段からかぶせておくときもある。べつだん政治的でない犯罪者にも見られる行動だ。なぜか分かるかい?」
「顔を隠したいから?」
「なぜ顔を隠そうとする?」
「感情移入を防ぐため?」
「そうだ」
ミシェルはハンカチを下ろす。
「倫理って、かなり視覚的なものなんだ」
「倫理が視覚的……ですか」
「たとえば、猫を殺すことはとても残酷なこととみなされる。政治家が子猫を殺したら失脚するだろう。だが、猫じゃなくて豚だったら批判のトーンはぐっと弱くなるだろう。豚は猫ほどの同情はうけない。カワイクないから」
「ヘビやクモだったら、もっと同情されない」
「そのとおりだ」
「問題は見た目だけ」
「言いたいのはそれだ」
彼はとてもゆっくりハンカチをたたんだ。
「人間は、人間を殺すことにかなり心理的抵抗を覚える。個人差はあるが、多かれ少なかれ、それはある。たいへん結構なことだが、問題なのは、それが理論的なものというより、どちらかというと感情的な反射だということだ」
「反射?」
「本物の人間にそっくりな人形があったとしよう。それをナイフで刺すのは、同じ大きさのシリコンの塊をナイフで刺すより心理的な抵抗を生む。人間に似ているからだ」
僕はその場面を想像する。
「人形は刺しづらい。もしその人形が知っている人に似ていたらさらに刺しづらいし、表情が動いたり、意味の有りそうなことを話したりしたらなおさらだ」
「それは感情的な反射だと?」
「論理的とは言い難いだろう。理屈だけでいえば、いかによくできた人形でも、人間よりシリコンの塊のほうにずうっと近い。でも、人はそれらを同じようには扱わない」
しばらく彼は黙って、僕の目を見ていた。
「その反応は逆にも利用できるってことさ」
「人間を人間に見えなくする」
「そう、テロリストの覆面をデジタルでやるんだ。顔と……あと手だな。顔と手を隠してしまうと、それだけでかなり人間に見えなくなることは経験的に知られている。最初はそういうプログラムだった」
「今は?」
「もう少し洗練されている。君の前に立ちはだかるのはみんな不細工なテディベアだ。君はそれを、ゲームをする時と同じように、ただ作業的に撃っていけばいい。それだけで仕事になり、報酬も得られる」
「なるほど」
「ぜんぶ地球の裏側の夢だよ。すべては、君が今まで行ったこともなくて、これからも行かないような場所で起こる。こういうジョークがあるだろう、押すと、どこかで知らない人が死ぬボタンがあって、それを押すと大金が手に入る。君は押す?」
「それ、ジョークかな?」
「違うかなあ? 個人的にはジョークにしか思えない」
ミシェルはウェイターを呼んで、クレジットカードを渡した。
「一度も会ったこともなくて、これからも関係がない人に同情できるんなら、国際ボランティア団体にでも所属するか、あるいは詩人にでもなるといい」
ユキの顔が頭にふと浮かんだ。
「君はそういう人間じゃない。ぜったいそうだ。君はボタンを押すほうの人間だ。じゃなきゃ、こんなこと話しはしない」
「最後に、アンケートを取らせてもらっていいだろうか」
ミーティングの最後に、ミシェルは僕にいろいろな質問をした。
「これは、統計データ収集のための質問なんだが」
そう彼は前置きしてから、僕の家族構成や、頭部や脊椎に外傷を受けた経験があるかまで訊いてきた。
神経に関わる疾患または既往症があるかな? ティーンエイジャーの時期に問題行動を起こした? 人の心がわからないとか言われたことはある? 偏頭痛はある? セックスにどのぐらい関心がある? 飛蚊症、その他視野の障害は? 子供のころのドッジボールはどんな展開になりがちだった?
僕はそれらの質問に、正直に答えていった。
そして最終的にミシェルは、僕の血液と毛髪のサンプルを持って帰った。
『面接、終わったらどうだったか教えてね』
ユキからメッセージが来ていた。
わからない。むこう次第だと思う。と返信した。
『結果は今はどうでもいいと思う。ゲームから離れて部屋から出ただけですごい進歩だよ。本当にそう思う』
ユキのメッセージは、あいだに挟まれた絵文字なんかをのぞけば、そういう内容だった。僕が就職面接をしたことを、けっこう喜んでいるようだった。
『自分の習慣を変えていける人ってそう多くないし、そういう人は必ず望んだものになれる』
そんな言葉で、メッセージは結ばれていた。
望んだものってなんだろう?
自分が何になりたいか考えてみたが、とくに思い浮かばなかった。
僕は何度も文面を書きなおして、使い慣れない絵文字まで使って、お礼のメッセージを送った。送ったあとに多少後悔した。『ありがとう』ぐらいのかんたんな返答で良かったはずだ。そう思った。
なんにせよ、ユキは僕の面接が不合格だと予測し、はげまそうとしているようだった。
家に帰りながら、ユキのメッセージをふたたび読む。
やりとりを読みかえしながら、僕がゲームで仕事を得たことを知ったら、ユキはどう思うだろうか。と考えた。
ユキは僕がシューティングを好むことをとても嫌がっていた。むりやり止めさせることはなかったけれど。その方向に話題が向くと機嫌が必ず悪くなった。彼女には、僕がかなり残酷なものに魅入られているように見えていたようだった。
僕はその一点だけにおいて、彼女に反感を覚えていた。
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