すきのカタチ

相浦チカ

1. どうして気になるの

01 スクールカースト

 ひんやりした下駄箱の取っ手に手をかけて開ける前に、いつものように辺りを見回した。きょろきょろと大きな瞳を左右に揺らして人がいないのを確認すると、"月丘百子つきおか ももこ"の文字のある蓋をそっと開けた。

 やっぱりだった。毎度恒例の嫌がらせは今日も健在だ。下駄箱の中には、ルーズリーフを不恰好な四角にちぎった紙切れがわんさか盛られている。そこにはバカだの死ねだの尻軽だの淫乱だのと、罵倒文句が乱暴になぐり書きされていた。

 百子はふうとため息をついてまた辺りを見回す。何人か生徒が玄関に向かってきていたが、気にせず中の紙切れを片手で集めた。その手で紙切れをくしゃくしゃに小さく丸めて、とりあえず下駄箱を閉めた。

「うわー今日もやってる〜」

「超かわいそー」

 背後を通るギャルたちの笑い声が耳に入ったが、百子はもう気にしていなかった。いや、やってるのお前らだろと思いながらも別にどうってことはなかった。仲のいい友達もいるし、男子からはすこぶるモテるし。一部カースト上位のケバいギャルグループからいじめられることくらいへのかっぱだった。

 高校二年の半ば、自分に自信がないわけでもなければ勉強に支障が出るほどのこともなかった。だから百子は、嫌がらせをやめさせようと奮闘することはしなかった。

 ちなみにクラス内の女子はその派手なギャルグループの他も完全にグループ化している。女子特有の習性なのだろうか。

 百子は手の中の丸まった紙切れを、玄関近くのゴミ箱にぽいと投げ入れる。

 下駄箱に戻り、上履きとローファーを入れ替えた。その矢先、

「モテる女は辛いね」

 背後から唐突に、おどけるような口調で投げかけられた。

「なによ」と百子が振り返ると、そこで楠木くすのきヒカルが腕組みして立っていた。

 彼女はギャルグループのひとりではあったが、連んでいるというよりはそこにいるだけの存在であった。誰からの庇護も受けず誰の味方もせず、グループに固執しない性格をしている。だから百子に対して直接危害を加えることもしなかったし、その行為を止めさせることもしなかった。

 とは言え、やはり百子にとってヒカルはいじめてくるギャルたちの一員であることに変わりはない。そんな彼女が声をかけてきたことに百子は少しドキリとした。

「毎日大変だね、嫌じゃないの?」

 ひと事だという声色で彼女は高い腰を曲げ、百子の目を覗き込んだ。

「別に。もう慣れたしどうでもいい」

 面倒臭そうにそう吐き捨て、百子はローファーをトンと投げ置いて足を下ろした。

 ヒカルは興味なさそうに「ふうん」こぼすと、百子を真似るように靴を履き替えた。

「それじゃわたし帰るから。さよなら」

 百子が言うと、ヒカルは笑顔で手を振って

「じゃあね」と言葉を返した。

 コツコツと踵を鳴らし足を進めると、なぜかヒカルがあとをつけてくる気配がした。

「ついてこないでよ」

 怪訝な顔をして振り返った百子が言い放つと

「だって家こっちなんだもん」

とヒカルは赤いグロスで彩られた唇を尖らせた。

 彼女のぱちっとした猫目の周りはつけまつげで縁取られている。カラコンで少しだけ大きくなった黒目がまっすぐ百子に向けられた。

 まるでその視線に心の奥底まで見透かされているようで、気持ちが悪くなり百子は目をそらした。

「一緒に帰らない?」

 突然にヒカルが口を開いた。

「はあ? なんであなたと」

「どうせ方向一緒なら帰ろーよ」

 駆け足で百子の隣につけ、彼女は歩みを進めた。

 百子は黙ったまま仕方ないというような顔でヒカルの隣を歩く。

 ちらりと横目で彼女を見ると、肩甲骨あたりまで垂れたポニーテールが跳ねていた。

 もう夕方だというのに溺れそうに蒸し暑く、その場に倒れてしまいそうだった。

 二人の半袖の制服から細く伸びた四本の腕には、うっすら汗が滲んでいた。

「百子ちゃん好きな食べ物は?」

 突拍子もなくヒカルが言った。不審に思いつつも百子は一言で答える。

「焼きそば」

「好きな色は?」

「ピンク」

「好きな動物は?」

「猫」

 たわいのないヒカルの質問ぜめがしばらく続き、二人の向かう道が反対方向になったところで手早く別れた。

 ニコニコと笑顔で大きく手を振るヒカルに対して百子は小さく返し、家へ帰った。

 百子はさっさと靴を脱ぎ捨て自分の部屋に向かう。ドアを開けて、すぐさまエアコンの電源を入れる。制服も脱がずベッドのスプリングに身を任せた。その瞬間、どっと肩に重くのしかかる疲れを感じた。

 縄張りを天敵に好き勝手踏み倒されたような気分だった。


 次の日の教室でヒカルは、昨日と一変して一切百子に声をかけようとしなかった。彼女はいつも通り、窓際の席でギャルたちに囲まれている。彼女へちらりと送った百子の視線はふいと目でよけられ、えも言われぬ靄がかった気持ちになる。ヒカルはギャル達の輪に視線を戻した途端、楽しそうに笑い声をあげた。昨日一緒に下校したことをまるでなかったことにしたような振る舞いに、百子はひとりギクシャクしてしまった。

 --昨日あんなに気さくに話しかけてきといてなんでそんな態度なわけ……? なんのために話しかけてきたのよ。やっぱり内部調査なの?

 心の中でぶつくさと文句を垂れた。

「百子どうしたの? 眉間にシワなんか寄せて」

 横から友達の茉里まりが楽しげに話しかけてきた。

「別になんでもない。疲れてるだけ」

 自分に言い聞かせるように呟くと、百子はスッと席を立ち次の授業の支度を始めた。

「ねえ百子、今日放課後空いてる?」

「なんで?」

 茉里がニヤリと企み顔で百子の手を取った。

「カラオケ行こうよ、男子も誘ったからさ」

 百子はするりと茉里の手を抜け、

「今日はパス。帰って課題やんなきゃ終わらないし」

と間髪入れずにその誘いを断った。

「えーーっ! 百子来るって言ってあるのに」

「いい加減わたしをダシにして合コンのセッティングするのやめてくれる?」

「別にダシにしたわけじゃ〜」

 百子と付き合いのある友達の中で茉里はどちらかというと派手なタイプだ。色恋沙汰にとても積極的で、口を開けば彼氏欲しい彼氏欲しいと言葉を覚えた九官鳥のように繰り返している。

「百子だって彼氏作ったら毎日絶対楽しいのに〜〜。そんなに可愛いのにもったいない、宝の持ち腐れだよ!」

 茉里が教室によく響くそこそこ大きな声で騒いだため、百子は人差し指を唇に当てるジェスチャーをしてから続けた。

「わたし彼氏できても続かないからさ。付き合ってもその相手好きになれないんだよね」

 あまりにも単調な声に茉里は目を丸くするも、すぐに「エ〜〜!? でも〜」とブーイングをした。

「さ、移動教室なんだから行くよ」

と百子が急かすと、茉里はいつも一緒に行動している絵美と世那せなを呼んだ。いつもの決まったメンバーみんなで教室の外へ向かう。

 百子は教室の戸を閉める間際、もう一度ヒカルの方に目をやった。ギャーギャー騒ぐ化粧の濃い集団に紛れていて、その姿をしっかりと捉えることはできなかった。

「あんたそれどうしたの?」

 廊下に出たところで、世那がギョッとした顔をして百子に問いかけた。

 目線は百子の腕の中に向いていた。

「あーこれ? いつものだよ」

と言って日本史の教科書を掲げパタパタと波打たせてみせた。

 教科書の裏表紙に、隙間なく大胆に落書きがされていた。裏表紙のデザインが罵倒文句や意味不明な絵でぎっしり上書きされている。

「マジか、ドンマイ百子。よく黙ってられるねそんなことされて」

 隣にいる絵美も口を開く。そう言いながらも百子の友達各々はその件について関わり合いにならないように行動していた。

「でも百子気にしてないみたいだからよかったよ〜!」

と茉里も続けた。

「まあね。幸い中身は無事だし。そこまでやられてたら少し応えたかもね」

 百子は親指で教科書をパラパラっとめくりながら、「はぁ」と諦めきったみたいなため息をこぼした。

 茉里や絵美や世那は、百子といてもギャルグループからの嫌がらせにあうことはなかった。もし3人に被害が及んだら百子はそこを離れようと思っていたが、今の所その必要はなかった。

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