十三

「ここで合ってる?」


 右隣の愛菜花に確認する。


「……うん、間違いない。ほら」


 そう言ってスマホの画面を見せてくる。地図アプリで目的地として示しているのは、確かに目の前の高層ビルであった。


 何階建てなのだろう……試しに見上げると、昼時の最も高い太陽が目を眩ませ、一番上まではちゃんと確認できなかった。

 いくら一角とはいえ、都内一等地の高層ビル内に事務所を構えているのは凄い。胡散臭くはあったけれど、本物であったということだ。


「中に入れてもらえるんですかね?」


 こそこそ話が終わったところで、僕は左隣にいるトーさんに訊ねてみた。


「どうですかねぇ」一つ大きく息を吐いた。「芸能人でも何でもないただの一般人ですからね、我々」


「そうですよね」


 僕はそう応えるも、一部否定したい。僕と愛菜花はまごうことなき一般人だけど、イチさんとトーさんは一般人というには少し特殊過ぎる。芸能人なんかよりもよっぽど稀有だ。


「今更心配しても仕方ねえだろ」さらに左隣のイチさんが反応する。「試しに行ってみようって行ったのはそっちだろ」


 イチさんは竹刀袋を背負い直すと、「ほれ行くぞ」と、そそくさ歩き出した。


 後に続き、僕たちはビルの中へ。スーツ姿の男性やお洒落着に身に纏った人たちがいた。格好はバラバラだけど、社会人って感じ。


 名前のキベを頼りにネットで検索をかけたところ、人材斡旋やイベントの企画運営などイベントプランニング会社、K・eventキーベントの代表として名前がヒットした。

 本名は木部きべ郁人いくと。役員紹介の写真ではサングラスをかけていなかった。けど、あの黒いハットは被っていたから、多分同一人物だろう。

 プロフィール欄にはテレビ局や映画制作会社、雑誌編集の会社を渡り歩き、そのノウハウを活かしてこの会社を立ち上げたという経歴が記載されていた。そういう時に築いた人脈を考えると、呪いの言葉が幅広に拡散されてきた理由も腑に落ちた気がした。


 エレベーター乗り場に着き、上の矢印ボタンを押す。使われることなく一階で待機しているエレベーターが早速反応する。

 すぐ乗り込み、十三階のボタンを押し、閉まるボタンを。他には誰も乗り込んでこなかった。狭い空間にいるのは僕ら四人だけだ。


「そういえば、授業は?」


 トーさんは数が重ねられていく表示を見ていた僕に声をかけてきた。


「ああ。今日はありません」


「お休みだったんですか」


「いや、元々授業を取っていないんです」


「授業を……取る?」


 え? その反応の理由が一瞬分からなかったけれど、言い方から察するにシステムそのものなのだろうと気づいた。


「ええっと……」


 まずは何から話せばいいのか。


「大学ってそれまでの高校とかとは違って、必ず受けなければならない授業もあるのですが、基本的には自分で授業を選択できるんです。学びたい科目とか、受けたい教授とか、あとはまあ単位を取るのが楽な授業とか、そういうので自分なりに選んで受けることができます」


「へぇ。それはいいですね」トーさんは目を輝かせる。「それは、お二人の通われている大学は、ということですか?」


「いや、どの大学もそうだと思いますけど……」


「そうなんですね」


 真新しい反応に思わずたじろぐ。


 愛菜花は身体を傾け、覗き込んできた。「ちなみに私は休みました。今日ので出欠日数ギリギリです」


 キリッとした顔をする。


「いや、自慢にならないから。ていうか、大丈夫なの?」


「さあね」姿勢を戻す愛菜花。「これで、テストとちったら、洒落にならないけど」


「いや、本当に自慢じゃないじゃん」


「真面目ちゃんは心配性だね。大丈夫よ。まだ取り返しのつかないところまで来てるわけじゃないんだから」


 来てても、まぁいっかー、と受け答えしそうだけど……


「またこことはな」


 また? イチさんとトーさんのこそこそ話に意識を傾ける。


「ね。気が良くないのかな」


「壊れたりしなきゃいいけど」


「そんな何度もあっちゃ、困るよ」


 一笑するトーさん。


「何かあったんですか?」気になり、つい聞きたくなって訊ねた。


「いや、以前ね」


 そう話し始めたところで、エレベーターは目的の階へと着いてしまった。


「続きはまた今度」


 そう言われちゃったので、僕は頷き交じりに引いた。


 扉が開くと、銀色の案内板が。左右と手前奥の四方向に矢印が向いていて、それぞれに会社名が載っている。出て右奥らしい。

 青い絨毯が引かれた廊下を、壁にある方向指示通りに進んでいく。次第に、K・eventの文字が掲げられた部屋が見えてくる。


 受付のお淑やかな女性は手元を見て、何やら作業をしていた。


「すいません」


 そう声をかけると、顔を上げ、「はい?」とにこやかな笑顔を浮かべた。


「代表の木部さんはいらっしゃいますでしょうか」


「アポは?」


「アポは……とっていません」


「失礼ですが、お名前は?」


 そりゃそうか。ええっと……


 言葉に詰まっていた僕を押し除け、イチさんが変わる。少し受付が高いせいで、かかとを上げている。


「いるの?」


「はい?」


「今、ここにいるの?」


「あっ、えっ、ああ、はい、おりますが」


「じゃあ、昨日助けた奴ら」


「え?」


「そう伝えてくれ」


「しかし、お名前を……」


「言えば、本人には分かっから」


 押し切られ、訝しげに僕たちを一瞥すると、受話器を手に取った。


「あっ、受付のちなみです。ただいま、ご来客が。ええ、アポはないそうなのですが、昨日助けた、と名乗っている方々がお見えに……えっ? あっ、はい。分かりました」


 驚きの顔で、受話器を置く。


「すぐに来るとのことですので、お待ちを……」


 言葉半ばで奥から「いやぁー」という声が聞こえてきた。


「お待たせしたようで、大変申し訳ありません」


 深々と頭を下げてくる木部さん。


「よくぞお越し頂きました。ここの代表を務めてます、わたくし、木部と申します」


 名刺を一人一人に手渡ししてくる。昨日と同じハットとサングラスをかけている、ということは、この格好を相当気に入っているんだろうな。

 いや、プロフィール紹介のページにもあったから、もう名刺代わりになっているのかもしれない。


「どうぞどうぞ、お入り下さい」


「代表」受付の女性は立ち上がる。「この後の会議は? もうまもなくの予定ですが」


「今日はバラせ。今はこっちが優先だ」


 声色低く告げられて、「は、はい……」としか答えなかった。


「すいませんね。ささ、こちらへ」


 またも声が高く、にこやかになる。そして、物理的に腰を低くし、案内してくれる。


「こちらです」


 通された部屋は黒を基調とした作りになっていた。黒い絨毯が一面に敷かれており、手前側にはパイプフレームの黒いソファと脚が黒いガラステーブルが置かれている。奥には黒い高級机や黒い本棚がある。そのほか細かな小物まで黒、黒、黒。大きな窓から差し込む光が無ければ、真っ暗になってしまうんじゃないかってくらいだ。


「どうぞどうぞ、おかけ下さい」


 僕と愛菜花は二人掛け、イチさんとトーさんは向かいの一人掛けのソファにそれぞれ座った。


「あっ、そうだ、すいませんね。お飲み物。お飲み物は何がよろしいですか?」


「コーラっ!」


 イチさんは傍らに竹刀袋を置いてすぐに、そして高々と手を挙げた。


「ちょ、イチっ」


「いいんですいいんです。すぐ用意させますから。他の皆さんは。お好きなもので」


「私は何でも」愛菜花が小さく手を挙げる。「同じく」「同じく」僕とトーさんも同じ行動をとる。


「そんな遠慮なさらないで下さいよ。あっ、そうだ。すぐのところに喫茶店がありましてね、そこのアイスカフェオレが絶品でして。いかがです? コーヒー飲めます?」


「じゃあそれで」「同じく」「同じく」


「かしこまりましたっ」木部さんは机の上にある、受話器を手に取った。


「あっ、ちなみちゃん? 仕事中悪いんね。いつものところで、コーラ一つとカフェオレ四つ持ってきて。大至急、超特急で頼むよ。それじゃ」


 要件だけ伝えて、早々に受話器を置く。


「お待たせしてます。もうね、すぐ来ますから」


 両手をこすりながら、木部さんはテーブルの短辺にある、一人掛けソファに腰を落とした。


「改めて、昨日は助けて頂きありがとうございました。実はね、すぐにお礼の連絡をホテルにしたんですよ。スタッフの格好をしていたのでね。けど、そんな従業員はいないだの、本物は眠らされていただの、まあよく分からない言い訳されて、結局教えてもらえなかったので、いらっしゃって驚きましたけど、幸いでした」


 よく分からないことではなく、事実なのだけれど……


「どうしようかと困っているところに丁度受付のちなみちゃんから連絡あって。いやー、ほんと良かった良かった。いやぁね、芸能界というのは俗世間とは乖離している部分がありましてね。隔世的であるからこそ、一般常識を持っているというのが何よりも大事なんですよ。普通なのにそれが丁寧で希少に見える、というわけです。今回だってそうだ。命を救って頂いたお礼はちゃんと返さないと」


「だったら」イチさんは前傾姿勢になる。「ちょっくら訊きたいことがあるんでな、答えてくれるか」


「ええ。もう何でも。どんとこいです」

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