十一

 会場に入った途端、他人のフリをして、僕たち四人はてんでんばらばらに動き出す。


 とりあえず、スタッフとして食事や食器類を用意したり下げたりする中で、近くの人たちの会話に聞き耳を立てる。

 その中で、それらしき話をしているのを聞いたら、すぐに立ち去り、イチさんかトーさんに報告することとなった。立ち去る理由は、下手に言葉を聞かないようにするためだ。


 さてと。出入口とは真反対の方へ、僕は進んでいく。会場は向こうの端にいる人の顔が見えないほど広かった。このホテルで最も広いらしい。何か手がかりを探すには、少し骨が折れそうだ。


 まずは適当に……あっ。


 早速、見たことある芸能人を発見。人気モデルで、確かこの前の深夜の学園ドラマの主演もやっていたと記憶してる。

 番宣で色んな番組に出ている時はなんとも明るそうな感じがしたが、今は誰と話すわけでもなく一人黙々と、出された飲み物や料理をよく食べ、飲んでいる。

 皿には山盛りの料理が所狭しにのっている。なのに、食べてる本人の体型は骨に皮が付いているだけのようにしか見えない。あんな痩身のどこに消えていくのだろうか。食べても太らない体質なのだろうか。だとすれば、むしろ羨ましい……


 と思えば、あっちには、去年の朝ドラに主人公の親友役で出てた女優とバラエティに引っ張りだこの人気芸人が談笑してた。流石は芸人とばかりに、会話の端々にオチをつけて笑わせている。

 三から五人程度が丸を描いて、それぞれの会話を交わしている。座っている人たちもいれば、行動しやすいように立っている人たちも。こう見ると、ひとつの会場に集められただけ、というのが伺えた。


 右見ても芸能人、左見ても芸能人。人によっては天国だろう。正直、芸能人に特別興味があるというわけではなくても、視線があちらこちら移ろってしまう。


「へぇ、そうなんだ」


 一際に甲高い声が耳に届く。視線を向けると、黒いハットと濃い目のサングラスをした怪しげな男性が壇上近くで隙間なく喋っている。複数人が彼の会話に集中しているのを見ると、何かしらの力がある人なのだろうか。


「けどね、イベンターとして言わせてもらうと」


 イベンター? イベンターって何? 聞き馴染みのない言葉に、思考が少し占領される。


「そういえばさぁ、呪いの言葉ってみんな知ってる?」


 ええっ? と、唐突っ。何の前触れも前振りもなく、話す内容それ?


「あっ、聞いたことあります」「知らないです」「流行ってますよね」「なんとなくは」


 バラバラながらも、それぞれから反応が返ってきている。


 何にしろ、最初の通りに動かないと。僕は辺りを見回し、探す。トーさんは……あっいた。


 変に怪しまれないよう、小走りで向かう。テーブルの空いた皿やグラスを片付けているトーさんのそばへ。耳元に近づき、囁く。


「いました、怪しい人」


「どちらに?」


 顔を少し傾け、壁際に移る。


「あっちの、黒いハットを被った方です」歩調を合わせながら答える。「呪いの言葉について、話題を振ってました」


「それだけだとまだ断定できませんが、可能性はありそうですね」


「どした?」


 僕らが一緒にいるところを見かけたからか、イチさんがやってくる。遅れて、愛菜花がシャンパンボトルを配膳トレイにのせて、合流してくる。


「一人怪しい奴がいて」


「どいつだ?」


「あの、黒いハットを被った男性です」


「ええっと……おお、おお。見るからに胡散臭い野郎だな」


 まあ……異論はないかな。そもそもイベンターって言葉はあるのかどうかも定かじゃない。


 バン、と会場の分厚い扉が勢いよく開くのが耳に届く。思わず視線を向ける。そこには、四人の髪が乱れたホテルスタッフと警備員がいた。


 あれ? なんか見覚えがあっちゃうんだけど……


「お早いご到着なこって」イチさんは鼻の頭を掻く。


「どうやら誰かが起こしてしまったようですね」


 えっ? あっ、胸元を見ると名札がない。


「余計なことを」


 辺りを探している。僕らは思わず目を伏せ、背を向ける。


「一回、退散したほうが良さそうだ」


「まだ何も分かってねえのにか」


「捕まったら後々面倒臭いことになるよ」


 トーさんに促され、チッと不機嫌そうにイチさんは舌打ちをした。


「しゃあねえ、ここは一旦……」


「キベっ!」


 唐突に聞こえる女性の怒鳴り声。さっき警備員たちが入ってきた出入口とは真反対、壇上の右側にある非常口表示のされた扉のほうからだ。


 皆の視線が一斉に向いたそこには、一人女性が。細身のドレスを身に纏っている。聞く分には場に合っていそうな格好だけど、見ればすぐに分かる明らかな違和感があった。


 まず、スカートが破れていること。斜めに切れ、片方は太ももまで露出している。そして、裸足であること。

 何より、汚いこと。ドレスを洗っていないのもそうだし、どうしたらそこまでになるのかという泥や細かなゴミまでも付いている。あのドレス、元は綺麗な赤だったのだろう。今はもう暗い色に変わって、原色はとどめていない。まるで動脈と静脈の血液のようだ。


 その異様な姿に、僕の記憶が呼び覚まされる。脳内で重なり、一致する。

 あの人は、呪いの言葉を知っている、と。


「隠れてんじゃねえよ、キベ! どこだキベっ!!」


 女性はまたも怒鳴り散らす。


「ねえ」脇腹を小突いてくる愛菜花。「あれって、レーナじゃない?」


 え? 僕は改めて女性に目を凝らす。


 言われれば微かにではあるけど、髪の長さやハーフっぽい目や鼻……確かに面影は残っている。

 凛としたイメージだったけど、今や目なんて血走っていて、これでもかと見開いちゃってて、鼻息が荒い。まるで別人のようだ。

 愛菜花と同じく気づいた人が会場に点々としていた。それぞれがそれぞれに「あれ、レーナだよね?」「えっ、あのレーナ?」などと話し始めている。


「黒いハットとサングラスの、キベだよっ!」


 ん? その姿って……


「は、はい……」


 肩をすくめて上目遣いで、あのイベンターが手を挙げた。逃げられないとでも思ったのだろうか。


「いぃたぁぁ」


 レーナはにたりと気持ち悪く笑うと、病的に痩せ細っている右腕を振り上げた。途端、会場の明かりに反射し、手に持っていたモノが眩しく光る。


 あれって……


 包丁だ。しかも、錆びの入った汚れた包丁。逆手に持っていること、遠目からでも鼻息荒く肩を揺らしていることからして、何をしようとしているのか察しがついた。


「きゃあぁっ!」


 女性の叫び声が聞こえた途端、関わりたくないのだろう、周りにいた人たちが一斉に後退する。モーセの海割りのように、左右に避けた結果、ただ真っ直ぐの道が出来てしまった。


「えっ、ええっ」


 皆の動きに、自称イベンターことキベさんはただ、おどおどとしている。


「お前ぇのせいでぇ、お前のせいでぇ……人生めちゃくちゃだぁぁっ」


 狂ったように身体を左右に揺らしながら走り出す。刺そうとしている意志しか感じなかった。


「貸せっ」


 イチさんは愛菜花の持っていたシャンパンボトルを雑に掴む。


 何をっ!?


 そう思った瞬間には答えは分かった。だって、ピッチャーばりに振りかぶっていたから。


「おらっ」


 イチさんは思い切りの力で投げた。飛ばされたボトルは、レーナの腰に当たる。


「うぅっっ」


 真横からの突然の衝撃に、レーナは体勢は崩し、真横の別のテーブルへと転がるようにぶつかった。またも上がる短く高い悲鳴、再び人は避ける。


 白いクロスを引っ張りながら、地面に倒れ込む。大皿にのったミートソースやサラダ、グラスに入ったシャンパンに食器類が無造作に彼女の背中に落ちていく。


「うぅうぅぅ……」


 肉食動物のような唸り声を喉から出しながら、レーナは伏せていた顔を上げる。食いしばっている歯が見える。止まる気も気配も感じない。


 立ち上がろうと腕を立てる。が、すぐに崩れて、地面へ。


「何をしてるっ」


 先ほど入ってきた警備員が押さえ込んだのだ。柔道経験者なのか、背中合わせに乗り、包丁を持つ右腕を引っ張り、動きを封じている。


「あぁ、あァァっ!」


 じたばたと暴れ、レーナは抵抗する。


「あ、暴れるなっ」


 そう警備員が叫んでも、言うことを聞かない。それどころか、これでもかと身体を揺らすように動かし始めた。


「はぁぁなぁぁ、せぇっ」


 封じていた腕が警備員から離れる。そして、レーナは包丁を警備員へ。刃先は腹部に刺さる。


「ぐぇっ」


 警備員は痛みに悶え、込めていた全身の力が緩む。瞬間、レーナは立ち上がった。警備員は身体ごと弾き飛ばされ、近くの人垣へぶつかる。驚きの声とともに、何人もが巻き込まれて倒れていく。


 と、とんでもない力だ……


 荒い息のレーナ。視線はぶれず、コバヤシさんに向いている。まるで一度ロックオンした追尾ミサイルのようだ。


 恐れ慄いているキベさん。


 なんで逃げないのっ?


 そう思った途端、コバヤシさんは地べたに腰をつけた。いや、違う。あの人、腰を抜かしたんだ。


 それに気づいたのか、レーナの歩みも遅くなる。それでも間に合うと思ったのだろう、遅くなった分怖さが増している。


 ど、どうしよう。


「仕方ないか」


 え?


 見ると、トーさんはスーツをまくり上げ、背面の腰に手を回す。ズボンに挟んでいた緑の本を取り出す。


 彼女に照準を合わせて手をかざし、息を一気に吸い込む。


「バクっ」


 叫び声とともに、会場が揺れる。そして、地面に張り巡らされているコンセントや延長コードがひとりでに動き出す。それらは全て彼女の方へ。両手足に巻きついていく。

 それぞれが隙間なく絡みつき、身動きを封じたはずだった。けれど、レーナは歯茎まで見せながら進もうとしている。トーさんも力を緩めない。ぶちぶちと音を立てて切れていくロープ類と彼女の切れた皮膚から血が流れ出ている。


「な、なんなのよ、これ……」


 そばで身体を縮こませていた女性が声を漏らす。動揺と恐怖に顔を歪ませている。


 コンセントや千切れた根元が暴れる。時に火花を散らせたり、会場の一部照明が消えたりもしている。会場には先程まで飛び交っていた笑い声や優雅さはなく、逃げ惑う人々の阿鼻叫喚しか無かった。


「うぁぁぁあぁぁ」


 縛っている紐類も残り僅かしかない。


「ダメだっ、このままじゃっ」


「チッ」


 イチさんは片足を後ろに運び、体勢を低くした。最後の一本がレーナの身体から切れて、解かれた。


「人間捨てたんか、あいつはっ」


 そう言って駆け出す。目の前にあるテーブルを滑るように身のこなし軽く飛び越える。上に乗っているものは落ち、割れる。

 お構いもなく、そのまま地面に着地しながら受け身を取り、体勢低く進む。


「おらよっ」


 地面に腕をつき、片足を蹴り上げる。レーナの膝裏めがけて、回し蹴る。彼女の身体は宙に浮かび、後頭部から地面へ。

 払い抜けたイチさんはそのまま回転しながら、立ち上がる。


 パニックに陥っている会場から抜け出そうと、人々は外へ逃げていく。

 そんな中、流れをかき分けて複数の警備員がやってきた。騒動を聞きつけ、やってきたのだろう。


 レーナは顎を上げ、逆さまに見る。異様さを感じ取った警備員たちは一瞬躊躇したのか立ち止まった。

 悔しそうに閉じた歯を見せると、レーナはすぐさま身体を起こし、近くのテーブルに飛び乗った。

 そのまま、次から次へとテーブルに移り、自分が入ってきた扉へと駆けていく。


「待ちやがれっ」


 追いかけるイチさんとトーさん。愛菜花もその後を行こうとする。


 慌てて僕は腕を掴む。


「痛っ」愛菜花は振り返り、何故か睨みつけてくる。「何すんのよっ」


「それはこっちの台詞だよ」僕は跳ね返すように言った。「何をしようとっ」


「決まってるでしょ」言葉半ばに愛菜花は叫び返してくる。「追いかけるのっ」


「これ以上は危険だ。もうあの二人に任せようよ」


「そんなの百も承知よ」強く振り払う愛菜花。「嫌なら来なくていいっ」


 そう告げて、二人の後を追いかけていってしまった。


 ああ、もう、なるようになれっ。


 僕も止まっていた足を動かした。

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